冬の花



  その日の朝、見送りに出た玄関先で友之は唐突に光一郎から質問された。
「 トモ。何か欲しいものあるか?」
  大学とアルバイトの往復で毎日が忙しい光一郎は、大抵友之より早くに出掛け、遅くに帰宅してくる。今朝もそんな日常と変わりなく、光一郎は友之を起こして朝食の席につかせてから、自分は一足早く支度を整え出掛けるところだった。
  その矢先に出された先の台詞。
「 欲しいもの…?」
  後を追って玄関先にまで来た友之は小首をかしげ、そう言った光一郎を不思議そうに見やった。
「 ああ、そうだよ」
  当の光一郎の方は靴を履きながらそんな友之に軽く相槌を打つだけだったが、急いでいる割に考える時間くらいはくれるようで、振り返ると黙ってその場に立ち尽くし、途惑っているような友之の顔をただじっと眺めた。
「 欲しいもの…」
  けれど、当の友之はただ面食らうばかりだ。
「 欲しいもの…って?」
「 お前」
  するといつまでも反応の鈍い友之に光一郎は呆れたように苦笑した。
「 もしかして分からないか? まあ…今までも特に何もしなかったしな」
  光一郎はそう言ってから、目を細めてどこか楽しそうな顔で笑った。友之はそんな穏やかな光一郎の表情にどきりとしながら、慌てたように口を開いた。
「 クリスマス…?」
「 何だ、さすがに知っていたか」
  光一郎はやや目を見開いてそう言った後、再び優しく微笑した。
「 そうだよ。何か…いるか?」
「 え……」
  再度訊かれて友之はまた困ったように黙りこくった。
  友之とて別段世間の空気に全くの無頓着というわけではない。世がクリスマスの雰囲気に包まれているという事くらい、毎日学校へ行っていれば自然分かるというものだった。
  それでも、今日。24日のクリスマスイブ。
  こんな風に光一郎に話を振られるとは思ってもみなかった。どうしてか、そんな事今の今まで思いも寄らない自分がいた。

  『 恋人のいないイブの夜は寂しい 』

  つい先日、教室で橋本たちクラスの女子がそんな話をしていたのを友之は脇で聞いて知っていた。イブを意識して誰かが誰かに告白をしたとか、誰と誰は本当は既に冷めた関係なのに、とりあえずイブまでは一緒にいるのだとか。そんな会話が絶えず彼女たちの口からは紡ぎだされていた。クリスマスという行事は彼女たちにとって尽きる事のないお喋りの道具だと言っても良い。
  けれど友之は学校で「クリスマスイブは恋人と」などと言った話を耳にしても、それを自分と光一郎との関係にどうもうまく結びつける事ができなかった。未だ「恋人」という単語には激しく動揺してしまう。どこかでまだ途惑いと気恥ずかしさを感じてしまうのだ。
  だから。
「 友之」
「 あっ」
  ぐるぐると余計な事を考えていると、それを遮断するように光一郎が言葉を出してきた。
「 お前な…遅刻するだろ? 早く言えよ、何かないのか?」
「 だって…」
  突然「欲しいもの」などと言われても。
「 もっと早くに言えば良かったな。最近忙しくて訊くのを忘れてたんだ。悪い」
「 えっ…別に…」
  考えを読んで先に謝ってきた光一郎に友之は慌ててかぶりを振った。それからもう一度、今度は違う意味でゆっくりと首を横に振ると、友之は小さく笑いながら顔を上げた。
「 …別に何も欲しくない。今日帰り、早い?」
  物よりも何よりも、光一郎がいてくれればそれでいいと友之は思う。
  互いの気持ちを確かめあってから確かに心の距離は縮まったけれど、こうやってすれ違いの毎日や一緒にいられない時間が多いと寂しい。だから友之は出来得る限り光一郎と一緒にいたいという欲求を日々強くしていた。
  多分、今はこれまでのどの時代よりも幼い、ひどく我がままな子どもに戻ってしまっているのだ。
「 ……欲のない奴」
  けれど、光一郎はそんな友之にただふっと笑んでからそう言った。友之の心根を読み取っていないわけはないのだろうが、敢えて知らないフリをしているのか、「なら俺が適当に選ぶぞ?」などと言い、ただ友之の頭を撫でた。
「 ……何も買わなくていいよ」
「 そう言うな。買わせろ」
「 ………」
  笑ってそう言う光一郎に友之は再度胸が高鳴った。赤面してしまうのを隠すように友之は慌てて下を向いた。
  いつからだろう、光一郎は実によく笑うようになった。静かな落ち着いた笑みで、見ている友之までふわりと心が温かくなるような。
  その表情を目の当たりにするとどうして良いか分からなくなる。
「 今日はバイトもないし。なるべく早く帰るようにするな」
  そんな光一郎はそう言った後、もう一度友之の髪の毛を撫でつけ、それからからかうように言った。
「 寝癖ひどいな。ちゃんと直してから行けよ?」
「 う、うん」
「 朝飯もちゃんと食えよ」
「 分かってる…っ」
  ただ、こうやって過保護なまでに口うるさいのは相変わらずだ。それでもそれを「説教」と感じなくなったのは、やはり友之が変わったのだろうか。
  友之は光一郎のことが好きで好きで。
  光一郎も友之のことを好きだと言ってくれていて。
「 それじゃあ、行ってくるな」
「 あっ…」
  しかしそのまま笑顔で背中を向け家を出て行こうとした光一郎に、友之は思わず声をあげた。飲みかけのホットミルクをそのままにして玄関先までついてきたのは、別にクリスマスプレゼントを催促する為ではなかったから。
「 ん…?」
「 あ、の…コウ…」
「 何だ?」
  不意に大声で呼び止められて光一郎は面食らったようだったが、ちらと時計を見た後、口を開いたまま硬直している友之を不思議そうに見やってきた。
「 何だ、どうした?」
「 ………」
  困ったようになっている友之に光一郎は中途半端な体勢―片手をドアノブにやったまま―暫し動きを止めて何事か考えていたが、やがてはっとなるとすぐにまた友之に向き直り、そのまま身体を屈めてきた。
「 あっ…」
「 トモ」
  そうして光一郎は友之の頬に片手を添えると、そっと唇を寄せて言った。
「 …行ってくるな」
  それは先刻の適当に発せられた言い方とは大分違うものだった。
「 光…」
  重ねられた口付けは、あの日からもう一体何度繰り返されているものか分からない。
「 ふぅっ…」
  それでもその度に友之は光一郎からの熱に浮かされ、途端に身体全身が何かに囚われ身動きができなくなってしまったように固まってしまうのだった。
「 んぅ…ん、ん……」
  それでもその身体を揉み解すように何度も何度も重ねられる柔らかい優しい口づけに、友之は段々と緊張を解き、そうして光一郎の腕に縋ってそのキスを貪欲に欲した。絡められる舌の感触に溺れ腰がくだけそうになるが、それすら心地良いと感じた。
「 はぁっ…」
  やがて呼吸困難で苦しそうになった友之の腰を支えたまま、光一郎は未だ互いの吐息が感じられる位置で「トモ」と甘い声でその名を呼んだ。
「 悪いな。今日は本当に急いでいたから」
「 う…ううん…」
  ぼうと見惚れてしまう程の綺麗な瞳に見つめられて友之は自然頬を紅潮させていたが、光一郎の言葉には焦って激しくかぶりを振った。
  キスしてもらいたいという気持ちを、口にしなくても分かってもらえた事が嬉しかった。
「 あ…りがと……」
  律儀に礼を言うと光一郎も嬉しそうに笑った。しかしいよいよ本当に急いでいるのだろう、光一郎は自分の腕に縋っている友之からすっと離れると言い聞かせるように口を開いた。
「 なるべく早く帰るから」
「 う、ん…」
「 トモ?」
「 …………」
  もう一度、だけ。
  ひどく欲張りな気持ちになって、友之は目だけで光一郎に再度我がままを言ってみた。
「 ……まったく」
  すると光一郎はもう一度、無言のままの友之に対し今度は触れるだけのキスを唇の上にちゅ、とおろしてくれた。
「 あ……」
  また言わなくても通じた。
  最近では、これからは光一郎にはきちんと言いたいこと伝えたいことを口にするようにしようと心がけている友之だが、事こういう面に関してはやはり照れくさくて言葉が出ない。だから今の光一郎の反応が友之にはとてもありがたかった。
「 コウ…」
  だから驚きながらも嬉しくて仕方ないという様子で上気させた顔を上げると、光一郎はそんな友之の髪の毛をかき混ぜるようにして撫で優しく言った。
「 温かくしていけよ。外、寒いからな」
「 うん。…早く帰ってきて」
「 ああ」
  光一郎の簡素な、それでいてきっと約束を守ってくれるだろう返事が友之にはまた嬉しかった。
  だから、帰ったら真っ先に成績表を見るからななどと言った光一郎の台詞など、友之はテーブルに戻って朝食を再開した頃にはもうすっかり忘れさってしまっていた。



×××××



  2学期は今日で終了、学校は終業式だけだった。
「 怒られるかな…」
  成績表の入った鞄をひどく重いものに感じながら、友之は帰りの道すがらはっと息を吐いた。
  頑張ったつもりだったが、光一郎から手ほどきを受けた数学以外は1つも上がらず、逆に下がった科目は2つ。2学期は体調を崩す事も多かったから幾日か欠席も重ねたし、そんな通知表を光一郎に見せるのはやはり嫌だなと友之は思った。朝の幸せだった気持ちも、これを貰った瞬間から後はさすがにどんよりと暗く曇っていた。
  それでも友之はいつもなら真っ直ぐに帰るであろう学校から家までの帰り途中、普段は立ち寄らない大通りに面した商店街へと足を向けていた。
  街はクリスマスムード一色だ。道路脇に並ぶ街路樹にも色とりどりの電球が備えつけられている。夜にはこれらが一斉にライトアップされ、普段とは違う煌びやかな美しい眺めが見られるのだろう。
「 ……クリスマス、か」
  けれど友之はその賑やかな街並みを歩きながら、途惑ったようにただ周辺をを所在なくきょろきょろと見回した。
  ぴんとこない。クリスマスと言われても何も実感はない。
  プレゼントなど、どうして良いか分からない。光一郎に何かしたいと思う気持ちはあるのだが、それをどう表現したら良いのか友之には分からなかったのだ。
「 ………」
  そもそも友之はクリスマスというものに何か特別な感慨を抱いたことがない。母がいた頃はあの家でも多少なりともそれなりの「お祝い」とやらをしていたと思う。イブの夜にはケーキやシャンパン、母が揚げたチキンやポテトなどもあったかもしれない。そしてその翌朝には大して欲しいとも思っていなかったボードゲームやラジコンなどが綺麗に包装されて枕元に置いてあった。
  また、それとは別に友之は裕子から手編みのセーターやマフラーを贈られた事もある。光一郎からも共に暮らし始めた最初の冬、つまり中学3年の時にオイルを染み込ませた新品のグローブを買って貰った。それは丁度中原の野球チームに入れてもらったばかりの頃で、それまでは光一郎の使い古しの物を使っていたから、それを買って貰った時はさすがに夜眠れない程嬉しかった。
  誰かから、それも自分にとって大切な誰かから物を貰える事はとても嬉しい。当時はその喜びをどう表現して良いか分からず途惑うばかりだったが、今はそのどれもがとても素晴らしい事なのだと知っている。
「 は〜い、クリスマスセール開催中です! どうぞご覧下さ〜い!!」
「 …………」
  クリスマスソングが流れる賑やかな店頭と声高に叫ぶ店員たちを一瞥し、友之はそこの人並を避けるようにして足早に通ざかった。何が売られているのか本当は見たいのだけれど、人ごみはやはりまだ慣れないし恐ろしい。
  それでも、光一郎に何かプレゼントはしたい。「クリスマスだから」とかではなくて、ただ単純に光一郎が自分の為に何かしてくれようとしているのだから、自分も何かしたいと思うのだ。
  姉の夕実から「良い子のいないうちにサンタは来ない」と教えられたのは、確か小学校にあがったばかりの頃だった。枕元にあるプレゼントはいつだって「お母さんが同情でくれる」と教わっていたし、だからこそ友之は逆にクリスマスなどという余計なものは来なければいいとすら思っていた。本物のサンタクロースが来てくれるという家庭を思うと暗い気持ちになったし、悲しくもなったから。もしかすると、今もその昔の感情を引きずっている為に、友之はクリスマスに特別な感情を抱けないのかもしれない。
「 コウが…喜ぶもの…」
  けれど友之は光一郎にプレゼントはしたかった。光一郎といられる事が一番大事、それが自分の全て。それを伝えられるような、自分の気持ちを感じてもらえるような何か素晴らしい贈り物はないだろうか。
「 ……っ」
  ハアと大きくため息をついて、友之は茫然と通りの途中で立ち尽くした。人の波に攫われそうになり、仕方なく道の端へ移動して近くにあった雑貨屋のショーウインドー前へ行く。
  何もかもが遠く、ぼやけて見える。何が貴重で何が必要なのか、これだけの物がそこら中に溢れていると何が何だか分からなくなってしまう。
  けれど友之が途方に暮れてその店のショーウインドーに映る小物―人形やら洒落たオルゴールやら―を何気なく眺めていた時だった。
「 何か…探してるの?」
「 え…」
  不意に横から話しかけられて友之は驚いて顔を上げた。
  いつからそこにいたのか、隣には見知らぬ青年がこちらを伺い見るようにして立っていた。遠慮がちに向けられる瞳は優しげにくゆっていたが、その表情はどこか儚げだ。青年は友之よりも頭半分高く、年齢も光一郎に近そうだった。黒い髪を短く綺麗にまとめ、落ち着いた風貌をしている。
「 あの…」
「 あ、ごめん、いきなり声かけて。ただ…さっきからずっとそうしているから」
「 え……」
  そうだっただろうか、と慌ててそのショーウインドーの中に飾られていた置時計を見やると、確かにここに来てから祐に20分は経過していたようだった。ただぼうっと突っ立っていただけでそんなに時間を費やしていたのか。慌てたようになって友之がただオロオロすると、隣の青年は少しだけ笑って見せ、「ここの、綺麗な物が多いよね」と気遣う風に言ってきた。それから「ごめん」と謝り、わざと視線を外して青年は笑った。
「 俺、さっきからずっとこの辺うろついていたから…君のことにも気がついたんだ。あの、君ってよく駅前のスーパーに買い物に来るよね。一度話した事もあるけど、覚えてないかな」
「 え……」
  覚えていない。出先で店の人間に話しかけられてもうまく目をあわせられない友之である。それでも青年が「君、ビールがどこに売っているか探していた」と言うと、友之はそれでようやく「あ」となり、以前困っていたところを親切にしてくれた人がいたという事を思い出した。
  友之は青年のことをまじまじと見やった。
「 今日は何を探してるの」
  青年は凝視されて照れたのか、誤魔化すように笑いながら別の話題を振ってきた。
「 あの…プレゼント…」
  名前も知らない、殆ど初めての相手だというのに、友之は思わずぽろりとこぼしていた。青年のその柔らかい物腰に親しみを感じたからというのもあるが、この大勢の人ごみの中、どこかでひどく心細い気持ちがしていたのかもしれなかった。
  友之は青年とは目を合わせないようにしながら、ショーウインドーへ視線を向けたまま言った。
「 いつも…貰ってばっかりだ、から…何かあげたいって思ったんだ…。でも…何をあげたらいいか分からなくて」
「 そうなんだ」
  青年は相槌を打ちながら「分かるな」と応えた。その返答が何だかとても嬉しくて友之は急いで後の言葉を継いだ。
「 いつも一緒にいるはずなのに、何が好きなのか、とか…欲しい物、分からないって気づいたんだ…。いつもちゃんと…話せないから…」
「 そう、なんだ…」
  友之の言葉に青年は何故か言い淀んだようになったが、口を挟む気はないのかそれ以上は何も言おうとしなかった。
  友之は続けた。
「 本当は…訊かなくても分かるようになりたいって思うけど…」
「 難しいよね」
  友之の言葉をかみ締めるようにしてから青年はそう言った。青年は恐らくそれらを見てはいない、けれど友之同様ショーウインドーから見える色とりどりの小物たちをじっと見入ったまま、視線を合わせてはこなかった。
  友之にはそれがラクだったわけだが。
「 俺もそうなんだ。ちゃんと言わないと相手に伝わらないって分かっているのに、いつでももう一歩言葉が足りないんだ。それで相手を困らせたり怒らせたり…しょっちゅうなんだけど…」
「 怒るの?」
  友之が不安そうに訊くと、青年は困ったように笑った後頷いた。
「 そうだよ。怒らせる俺が悪いんだ。でも…」
「 ………?」
「 でも、だから今練習中。ちゃんと言えるようにしようって。そう思える自分が嬉しいんだ。それって多分…すごく幸せなことだよね」
「 …………」
「 あっ、ごめん! こんな知らない奴にべらべら喋られて困っただろ? 俺…よくは分からないんだけど、前から君と何だか…こういう風に話したいって思っていたんだ。何でかな?」
「 …………」
  それは恐らくこの人が自分と近いところにいるからではないのか、と。
  友之はらしくもなくそんなことを考えていた。いつもは知らない人間にはいつでも身構えて怖くて離れたくなってしまう。でも、それがない。
  友之は不思議な心持ちで隣に立つ細身の青年をじっと見つめた。
「 雪!」
「 あ……」
  するとそんな友之たちの所に、焦った風な声でまた新たな青年が慌てたように駆けてきた。今度はひどく派手な外貌をした、美形だけれどどことなくキツそうな顔だちをした青年だ。友之は何故か思わずびくっとなり、後がない場所で片足だけを一歩後退させた。その青年がどことなく殺気立っていたからだと思う。
「 雪、勝手にフラフラすんなって言っただろ!? 何で駅の所にいないんだよ!」
  駆けてきたそのキツそうな男は、友之に話しかけてきた「ユキ」と呼ばれた青年にぎっと恐ろしい視線を向けてから、一瞬だけ友之の方も睨んできた。その威嚇のような仕草に友之が再度びくりとして身体を揺らすと、男の視線を遮断するように「ユキ」という青年が動いた。
「 ちょっと買い物したかったから。メールでこの辺りにいるって言っただろ」
「 そうだけど…。なに、そいつ」
「 涼一…そういう言い方」
  雪という青年は呆れたような口調を発してからはっとため息をついた。それから「何でもない」と言った後、友之に向き直ると「ごめんね」と謝った。友之がふるふると首を横に振ると、「リョウイチ」と呼ばれた方の青年はますますむうっとした顔になって雪の肩をぐっと掴んだ。
「 行こ」
「 う、ん。それじゃ…頑張って」
「 あ……」
  友之は去って行こうとする2人、雪の方をあわてて呼びとめ、それから困った風になりながらも精一杯の声で言った。
「 あの、ありがとう…っ」
「 あ、ううん」
  雪という青年はそう言った友之に嬉しそうな笑みを向けると、「またね」と言って歩いていった。横を歩く「リョウイチ」がそれによって更にがーがーと何事か喚きたてていたが、雪という青年は困った風になりながらもただ笑顔でその攻撃を交わしていた。
  友之はそんな2人の様子を眺めてから、改めて商店街の通りをさっと眺めた。



×××××



「 友之! お前、今の今まで何処に行ってたんだ!?」
  家に帰り着いた時、まだ帰っていないだろうと思っていた光一郎が既に玄関先に立っていて友之は驚いて目を見張った。
「 コウ…?」
「 一体何してたんだ? 今日は終業式だけだろうと思っていたのにお前がいなかったから…。何処で道草食ってたんだ? アラキに行ってたわけでもないみたいだし」
「 うん…」
「 何がうん、なんだ? それじゃ分からないだろう、もうこんな暗いってのに、お前は…」
「 …………」
  しかし言いかけて友之があまりにしゅんとしているので、光一郎も先の言葉を出すのを躊躇ったのか、開いていた口を閉じてしまった。
  そうして暫くの間の後、声音を抑えて言う。
「 ……冷えただろ。早く上がって先に風呂入ってこいよ」
「 コウ…あの…」
「 ん? 話は後で聞くから早く―」
「 コウ、の、欲しいものって何…?」
「 は…?」
  玄関先に立ち尽くしたまま一向に上がってこようとしない友之に、光一郎は足を止めてまじまじと目の前の相手を見やった。
「 何だ?」
「 朝訊きそびれて後悔した…。でも、訊かなくても分かるかもって思った…。街、いっぱいいろんな店あるし…何か見たらこれがいいって思えるかもって…でも…」
「 一体何の話をしているんだ?」
  ややイラついたように光一郎は言い、未だ動かない友之に業を煮やしてそのままの勢いで俯く友之の腕をぐいと引っ張った。それから玄関を下りてガチャリと2つ鍵を掛ける。
「 あっ…」
「 いつまでもこんな所にいたら風邪を引くだろう?」
  そうして光一郎は半ば引きずるようにして友之を浴室にまで連れて行き、持っている鞄と紙袋から手を離させ、着ていたコートまで自分の手で脱がせてしまった。
  そこまでしてから光一郎は再び冷静な声で言った。
「 まったく、相変わらずちゃんと話せない奴だな。何が言いたいのかよく分からない。俺が何を欲しいだって?」
「 だから…コウが欲しいものが分からない…」
  服くらい自分で脱ぐと突っぱねたかったけれど、それを言う気力がなかった。友之は依然としてぼそぼそと口元で呟きながらようやっと上のシャツを脱いだ。
「 ずっと…探してたんだ…。でも、分からなくて…」
「 クリスマスプレゼントの話か? もしかしてお前、それで今まで?」
  光一郎の問いに友之はこくんと頷いた。それからややあって、何だか無性に情けない心持ちがして泣きたくなった。

  光一郎に直接欲しい物を訊かなくても、友之はどこかでらしくもなく自信があったのだ。光一郎の欲しがる物くらい、すぐに見つける事ができるだろうと。
  最近の光一郎は以前よりも格段に自分にいろいろな話をしてくれるようになったし、互いに分かり合えると思える事も以前より明らかに増えていた。
  光一郎が好きな食べ物、嫌いな食べ物。光一郎の好きな映画、絵、音楽。
  そう言ったものを一つ一つ知る毎に、友之は光一郎のことを分かったつもりになっていた。
  けれど。
「 ……いざ、お店に行っても分からない……コウのこと、何も知らない…」
  光一郎に無理やり放り込まれた浴室で熱いシャワーを浴びながら、友之はじわりと滲む涙を堪えてそう呟いた。
「 そんな事ないだろ」
「 あ…っ」
  声と共にガラリと浴室の扉が開いて、光一郎がどことなく素っ気無い目をして立っていた。
  友之がその視線に耐え切れず、それでも目が離せなくて茫然と見つめると、当の光一郎は疲弊したような顔をしてからため息をついた。
「 俺は欲しい物だらけだよ。きっとお前が何を買ってきても喜んださ」
「 ………でも」
「 着替え、ここに置くぞ」
「 コウっ」
「 ん…」
「 あの…」
  裸で光一郎に向き合ったまま、友之はおずおずと口を開いた。
「 あの…紙袋、開けた?」
「 紙袋? ……あぁ、鞄と一緒に持ってたやつか? お前の荷物を勝手に開けるわけないだろ。何、もしかしてそこに入ってるのか? プレゼント?」
  奇異の目で見つめられて友之は焦ったようになりながらも首を振った。
  あんなもの、見せても笑われるだけだ。
「 ………」
「 違うのか?」
  何も言わない友之に光一郎はどことなく拍子抜けしたような顔を見せたが、そのまま浴室に入ってくると友之の手からシャワーを取り、ただ出しっ放しになっているややぬるめの湯を友之の頭にジャッとかけた。
「 ……っ!?」
「 ノロノロしてるお前を見てるとどうしてもつい手を出したくなるんだよ。洗わせろ」
「 コ、コウ…っ?」 
「 ほら。そこ座れ」
「 う、ん……」
  絶えず流れる湯からもうもうとたゆたう湯気が充満する中、友之はおとなしく浴室用の椅子に腰をかけ、頭をもたげて目をつむった。
  光一郎は着ていたトレーナーとジーンズを殆どその湯で濡らしてしまっていたが、別段気にした風もなく腕まくりをすると、傍のシャンプーを手にしてそれを掌になじませてから、ゆっくりとそれを友之の髪の毛へと絡ませていった。
「 コウ…あの…」
  視線があっていないせいか、違うことをしてもらっているせいか、友之は先ほど言おうとしていた続きを言おうとした。しかしと光一郎の方は「ああ」と気のない返事をするだけで、丁寧に洗いたいのだから今は関係ない話はするなという風だった。
  それでも友之は光一郎に言っていた。
「 コウ…本当に、欲しい物いっぱいあるの?」
「 ん…ああ、あるよ」
  ごしごしと洗ってもらうその感触が気持ち良くて友之は自然その感覚に身を任せていたくなったが、それでも必死に意識を保ちながら口を開いた。
  ふわと鼻先をシャンプーの香りが掠めた。
「 た、たとえば…何欲しい?」
「 そうだな…。金」
「 えっ」
  あまりにもストレートなその言い様に絶句すると、光一郎は鼻先で笑ってから「仕方ないだろ」と言い訳のように呟いた。
「 いつでも貧乏学生だからな、俺は。卒業して就職したら借金返さなきゃならないし、この部屋借りる時も最初親父に幾らか負担させてるし。それが今の俺の重荷。とりあえず」
  光一郎は学費を奨学金で賄っているが、それも数年分となれば大した額になるのだろう。「借金」という言葉と「重荷」という台詞に友之はズキンと胸を鳴らした。
「 …あの…僕は…」
「 バカな事言うなよ?」
「 ………」
  ぴしゃりと釘を刺されたようになり、友之はきゅっと口をつぐんだ。否定してくれる事は嬉しいけれど、自活している光一郎とは違い、自分があの父親から教育費を出してもらっている事実は拭えない。光一郎はいつかまとめてあいつに返してやると言っているけれど、自分のことを何もかもおんぶしてしまうのはやはり嫌だと友之は思った。
「 流すぞ。目、つむってろ」
「 コウ、ねえ…」
「 こら、動くな。目に入ったらどうする」
  顔を上げようとしたところ無理に後頭部を抑えつけられて、友之はぐっとなったまま元通り足元のタイルと面と向かい、再度目をつむった。
  熱く緩やかに流されていく温かなお湯。光一郎の優しい掌の感触。
  何だかひどく堪らなくなった。
  何だかひどく、抱きしめてもらいたくなった。
「 コウ…何、か…」
  するともう気がついた時には、友之は自分の傍で屈みこむようにして立っていた光一郎の腰に抱きつき縋りついていた。
「 何か…コウ……」
「 ………あのな、お前」
  まだ途中なのに、と言いたげな声が聞こえたけれど、更にぎゅっとめいっぱいの力で抱きつくと、光一郎の身体の動きはぴたりと止まった。
「 コウ…」
「 ん……」
  呼ぶと、ようやく光一郎はゆっくりとその場に座りこみ友之の背中にその腕を回してきてくれた。顔を上げると、そこにはやはりいつもの困惑したような瞳があった。
「 何で…お前はそうなんだ?」
「 コウ…」
「 お前は本当に…俺の欲しいものなんて決まっているだろう…」
「 分からない……」
  友之が素直に答えると、光一郎はここで初めて意地の悪い笑みを閃かせると自嘲的な声をあげた。
「 あぁそういうと思ったよ。……勝手に言ってろ」
「 コウのこと、分かりたいんだ…」
「 そうか? 分からない方がいいと思うけどな…」
「 嫌だ……」
「 ……そうか」
「 コ…ん…っ」
  光一郎は呼びかけようとした友之にそれは無用だと言わんばかりの性急な口付けをしてきた。
「 ん、んっ…」
  それは何度か重ねられた後、次第に深く強く求めてくるようなものに変わっていった。
「 ふぅっ…ん、コウ、苦し…」
「 知ってる。我慢しろ」
  一度解放されたが光一郎はあっさりとそう言った後、再度友之の唇をきつく吸った。
「 んぅっ」
  必死にその腕に縋り、友之は自分もと言うように光一郎の唇を自ら求め身体も寄せた。けれどまだ言いかけた事を諦めきれないというように友之は唾液の零れ落ちる唇をあぐあぐと中途半端に開いた。
「 ………あ、あの…コウ…」
「 ん…」
  しかし、何事か言おうとしている友之に光一郎は依然構う風がなかった。適当な返答をしながら友之を自分の膝に跨らせたまま首筋から鎖骨、胸の突起にも軽く触れる程度のキスを続けた。
「 ひぅ…っ」
  友之の小さな悲鳴にもまるで動じない。友之はそんな光一郎に少しだけ不安を感じたが、それでも自らの火照る素肌を意識しながら、ただその与えられる快楽に甘んじた。
「 ふ…あ…」
  そうこうしているうちに光一郎に触られた箇所だけでなく、全身の血液が全て下半身の一点に集中したように熱くなり、友之は焦って自分からそこに触れようとした。
「 トモ」
「 あっ」
  けれどそれを読まれたように友之は光一郎にその手を抑えられてしまった。焦ったように目を見開くと、光一郎はいやに冷静な目をしていて、そのまま戒めのようなキスをその掌に落としてきた。
「 コウ…兄?」
「 ………」
  どうしたら良いか分からずそっとそう呼ぶと、光一郎の顔が途端に曇った。
  友之はただもう必死なのでその事に気づかなかったわけだが。
「 コウ兄…熱いよ、あそこ…」
「 お前……」
  しかし光一郎は友之の訴えには耳を貸さず、やや不機嫌な声で責めるような声を出した。
「 お前、わざとそう呼ぶ時あるだろ」
「 えっ…」
  訳が分からず戸惑った声をあげると、光一郎はどことなく投げやりな風に言った。
「 俺がそれで最悪な気分になるの、知ってるか」
「 そ、んなの……」
「 知りたいんだろ、俺を」
「 あ、ひ、あぁ…ッ!」
  まだそこに触れてもらえない。
  けれど胸の飾りにキスされるだけで友之のモノは熱く昂ぶり、それだけで先走りの汁が零れ落ちた。触ってどうにかしたいのに、それでもそれを許されない。友之は首を左右に振りながら、必死にどうして今日の光一郎はこんな風に意地悪になっているのだろうと考えた。身体の感覚とは別の事を考えていないとおかしくなってしまいそうだったが、それでも頭に浮かぶのは自分を拘束し翻弄している光一郎の事だけだった。
「 ひ…あ、あっ、も…ひ――!」
  もう駄目だと懇願しそうになった時、光一郎がほんの少しだけ指先だけで性器に触れてきた。ようやく触ってくれたというその喜びと驚きで友之はびくんと身体を跳ねると同時に悲鳴をあげた。
「 や、あぁ…ッ」
  光一郎とセックスをする時、いつでも身体がおかしくなるという事にはそろそろ慣れてきていたし、身体がこうなるという事も理解してきたつもりだった。
「 あ…はぁっ、ん…やぁッ!」 
  それでも毎回毎回興奮する自分の身体に驚き出される声だけには慣れることができない。同時にすぐ傍で聞こえる光一郎の熱い吐息にも。
  ゾクゾクしてただおかしくなりそうになるのだ。
「 コウ…コウ兄ぃ、も…だ、めだよ…ッ」
「 ……トモ」
「 あ…」
  呼ばれて薄っすらと目を開いた先、優しく口づけられて友之はぼうとする視界の中、自然と涙をこぼしてしまった。嬉しくて泣けてしまったのだが、光一郎は少しだけ困ったようになった後、「ごめんな」と謝った。
「 意地悪だったな」
「 あ…ちが…」
  違う、と言いかけてしかしまた唇を塞がれた。それに翻弄されていると、今度はいよいよ光一郎が性器を優しく握り愛撫してきて友之はそれであっという間に果ててしまった。抱きしめられていたせいで、光一郎の服には友之の精液が見事に飛散した。
「 あっ、ごめ…」
「 バカ、今更だよ」
  光一郎は薄っすらと笑ってからまたもう一度音のする軽いキスをし、それから友之の後ろを探ってきた。
「 んっ」
  ぎゅっと目をつむり耐えるような仕草をする友之に、光一郎はもう一方の手で背中をさすってやりながらそっと指を差し入れてきた。
「 う…ひぅ…コウっ」
「 力抜いとけ…」
「 う、ん…っ。あ、あ、んぅッ!」
  湯を浴びて身体が柔らかくなっているからか、それとも光一郎を早く受け入れたくて友之自身が激しく欲しているせいか、光一郎が優しく探るように入れてくる指の動きだけで友之は感じてしまい、もどかしく身体を捩った。光一郎はいつでも友之が触って欲しいと思うところを言わなくても突いてきた。それが友之はいつも不思議で仕方なかった。どうして訊かなくても分かるのだろう。いつでも訳知り顔で、本当にその通りこちらの望みを叶えてくれるから。
「 コウ…僕…っ。あ、あっ!」
  その理由が知りたくて友之は口を開きかけたが、指の数を増やされて思わず眉をひそめた。嬉しいはずなのにやはり最初はキツイと感じる。大好きな光一郎にされている事だから平気なはずだと思うのに、やはり恥ずかしくてキツくて、困惑する気持ちを完全に拭うのはまだ難しいと感じた。
「 はっ…あ、コウに…コウ兄…あ…っ」
  また思わず「兄」と呼んでしまい、友之は焦ったようになって唇を噛んだ。別にわざと呼んでいるつもりはなかったのだが、光一郎は嫌なようだ。自分としてはどうしてもつい本当に縋りたい、助けてもらいたい、そして甘えたいと思う時にそう呼んでしまうのだが。
「 ……何だお前…無意識なのか」
「 え……」
  すると光一郎は初めてここで理解したというような声を出して、それからぴたりと指の動きを止めた。それが惜しくて止めて欲しくなくて、友之が目を開いて訴えるような目を向けると、光一郎は困ったように苦笑した。
「 違ったか? 今…何となく、そう思った…」
「 そう…だよ…?」
「 そうか、悪い。俺はわざとだと思ってた」
「 なん…」
「 何でだろうな。……負い目かな」
  今更だよな?
  光一郎はふっとどこか寂しそうに笑ってから、改めて友之を抱き直すともういいかという風になって再度唇を重ねてきた。友之がぐっと頷いて頬を染めると光一郎は「そういう顔はズルイな」と呟いて、友之の濡れた髪の毛にも唇を寄せた。
「 コウ兄…」
「 ん…もういいか…呼び名なんてどうだって」
  やはり投げやりのように光一郎はそう言って、自分の胸に顔をうずめて最後の快楽を待つ友之にその衝撃を与えた。
「 …ぃッ、ん、んん―ッ! あ…あぁッ」
「 ……っ。トモ、ほら力むな」
  なだめすかせるように何度も背中をさすられ、それでも奥に突き刺さる光一郎のそれに友之は頷いたりやはり駄目だとかぶりを振ったり悲鳴をあげたりした。
「 あっ…あ…あっ。や…ん―ッ!」
  浴室だと声が響く。その事に気づいてはっとしたけれど、光一郎が頭を撫でながら「気にするな」と言ってくれたので、必死にその首筋に縋りながら友之は光一郎の上で喘いだ。
「 ひんッ! ふ、あッ、そこぉ…!」
「 ここ…いいか?」
「 う…んっ、コウ…コウ兄、好きぃ…ッ!」
「 ホント…お前は…ッ」
  必死に訴えると、光一郎ははっと息を吐いた後、更に友之の感じる場所を集中的に突き立て攻めて、同時に再び勃ちあがった友之のものを掌で優しく握った。
「 やぁ―ッ!」
  光一郎が放ったその衝撃と同時に、友之も再度己の精を吐き出していた。
「 ふぁ……」
  じんと響く自らの声と中に散らされた熱い液とに頭がおかしくなり、友之はただ必死に光一郎の首筋に縋った。



×××××



  結局その後もう一度光一郎に身体を洗われて、友之は先に浴室からあがった後、ふらふらとしながら部屋へ入った。入口には学校鞄と一緒に持ち帰った例の紙袋があり、友之はそれに手を伸ばして何となくそれを掴んだままその場に座りこんだ。
  ほかほかと身体から立ち上るくらい念入りにお湯に浸かったから、濡れた髪の毛もまだ冷たくない。肩にかけていたバスタオルで適当に髪の毛を拭いていたら、後から出てきた光一郎に早速叱られた。
「 こら、ちゃんと拭けと言っただろ」
「 あっ…うん」
  返事はしたものの、友之は未だ上半身裸の光一郎に慌てて目を逸らした。その逞しい身体を明るい電灯の下で見るのは憚られた。ごまかすようにタオルに手をやると、しかしすぐに光一郎がやってきてそれを取られてしまった。
「 あっ」
「 俺がやる」
  見ていられない、という風に光一郎はごしごしと友之の髪の毛をそれで拭き、それからそれを頭に被せたまま「それ」と傍に置かれた紙袋に目をやった。
「 何なんだ?」
  そうして隣の寝室から着替えを持ってきた光一郎は、それを羽織ながら再び友之の元に戻ってきて「さっきから気にしてるだろ」と再度訊いた。友之はかっと赤面したまま、その足元の紙袋に目を落としたまま暫く何も言えなかった。
  すると光一郎はそんな友之に諦めたようになってから、サイドボードの隅に立てかけてあった長方形の、やや大きめの包みを友之に渡した。緑と赤のコントラストが洒落た包装紙で、同じく緑のリボンがついていた。友之が驚いた顔をすると、光一郎は試すような笑いをして見せた。
「 お前が特に何も欲しくないというから安く済ませてやった。後悔するなよ?」
「 これ…くれるの?」
「 当たり前だろ」
  呆れたように言う光一郎から友之は慌ててその包みを大切に受け取り、包装紙をビリビリにしないよう爪の先でセロハンテープを丁寧に剥がしそれを開いた。
「 あっ」
「 俺は修司ほど詳しくないから。自分がいいと思ったやつ、な」
「 ………」
  友之は一度声を上げたまま、もうそれきり言葉を出す事ができなかった。
  光一郎がくれた物は、友之自身も知らない異国の写真家2人の写真集だった。大きさも厚さも、そして対象物も違う2冊のそれは、しかしいずれも友之の好きな風景画で、思わずそのまま魅入ってしまいそうになるくらい素晴らしい物だった。
  友之は目の前に座った光一郎に慌てて顔を上げると礼を言った。
「 コウ、ありがと…」
「 ああ。そんなので良かったか?」
「 うん!」
  必死に頷き、それからもう一度その写真集をさらりと指先で撫でる。きっと自分が一番欲しかった物はこれだと、そんな気持ちすらしてきた。友之はただ嬉しく胸が熱くなってそれを隠すように目を伏せた。いよいよ自分が買ってきた馬鹿げた物は出せなくなったと思いながら。
  すると光一郎は友之のそんな困惑した様子に気づいたのか、「腹減ったろ」と言ってからちらと背後の台所に目をやった。
「 もう夕飯作ってあるから。大分遅くなったな」
「 あの、コウ…!」
  それでも友之は自分を気遣う風に違う事を言ってくれた光一郎に、焦って傍の紙袋をたぐり寄せた。
  そして途惑いながらも、殆ど反射的にそれをさっと差し出していた。
「 …トモ?」
「 あの…プレゼント、買えなかった…」
  友之は正直に言った。
「 コウに何買っていいのかわからなくて…いろいろ考えてみたけど、高かったり安過ぎたり…。それで、何も買えなかった」
「 それじゃ、それ何が入ってるんだ?」
「 ………」
「 開けていいのか?」
  友之が黙って頷くと、光一郎はそんな友之をじっと見やってから、その袋を開け、それからぎょっとしたようになって絶句した。
  友之はそんな光一郎の顔をちらと見ただけでもう顔から火が出るほど恥ずかしくなり、その場から逃げ出そうと反射的に腰を浮かせた。
「 ちょっと待てトモ」
「 や…っ」
「 嫌じゃない。お前、これ何なんだ?」
「 ……何も買えなくて、帰ろうって思ったらそのお店があって…」
  そこまで言いかけて光一郎に掴まれた手首の痛さに友之はぎゅっと目を閉じた。光一郎が慌ててその手を離すと、友之はぺたんと再びその場に座りこみ、そのタイミングを計ったようにグラリと倒れてきた紙袋の中身を見やった。
  たくさんの駄菓子。
  それから、その菓子と一緒に出てきた季節外れの「おもちゃ」。
「 ……お店のおばあさんは『クリスマスにうちなんかが店を出してもしょうがない』って愚痴ってたけど…でも結構お客さんはいて…何だか皆楽しそうだった」
「 ……それで菓子か?」
「 昔…とか、こういうの欲しかったし」
「 ………」
「 花火も…したかった」
  思い切り罰の悪い顔をしている事は、友之は自身で分かっていた。
  あの「ユキ」という青年と別れた後。
  ふらりと立ち寄った古ぼけた駄菓子屋で、一番に目に入ったのは色とりどりの懐かしい菓子ではなくて、その奥の壁に場違いのようにぶら下がっていた花火セットだった。それをまじまじと見やっていたら、その店の老婆が「冬の花火もいいもんだよ」と後押ししてくれたからつい買ってしまったのだ。何だかそれだけでは恥ずかしい気持ちがしたので、ついでに傍にあった昔欲しくて、でも買えなかった菓子もまとめて買った。
  それを全部買っても千円にもならなかったのだけれど。
  光一郎がくれたこの豪華な写真集2冊とでは勿論釣り合いなど取れなくて。
「 ……お前、覚えてたのか」
「 え」
  その時、光一郎が不意にぽつりとそんな事を言った。訳が分からず怪訝な顔を向けると、光一郎はひどく真面目な顔を向けた。
「 地元で花火大会があった時、例の如くお前は夕実と部屋に閉じ込もって…いや、閉じ込められてたのか…。そんな事があっただろ。それでお母さんがそんなお前と夕実の為に花火セットを買ってきたんだよ。けど夕実の奴はそれすらやりたくないと言って俺に投げつけやがった」
「 ………知らない」
  本当に覚えていなかった。素直に答えると光一郎は「そうか」とやや陰りのある顔をしたが、独り言のように続けた。
「 俺は花火なんかどうだって良かった。けどあの時のお母さんは本当泣きそうでな…無理にやりたいって言って、庭先で2人寂しく線香花火だよ。……お前がベランダからそれを見てたのを…俺は覚えてる」
「 僕…?」
「 ああ…。俺はあの時、お前に一緒にやろうって言ってやれなかった」
「 ………知らない」
「 ……そうか」
  光一郎は花火をじっと見てから何かを思い出すような顔をしていた。それからやがてふっと笑んでから、友之を背後から引き寄せると耳元でそっと囁いた。
「 メシ食った後…やるか? 花火」
「 ……本当?」
「 お前、やりたくない?」
「 ……やりたい」
「 俺も」
「 え」
  そんな答えが返ってくるとは思わず、友之は驚いたようになって後ろから自分を抱きしめる光一郎を驚きの目で見上げた。その時の光一郎はどことなく悪戯っぽい笑みを浮かべていたが、視線が交じり合うとすかさず友之の額に唇を落としてきて言った。
「 お前は俺なんかよりよっぽど分かってるんだな…」
「 え…?」
「 な…友之」
  そうして問いただす友之には構わず、光一郎はぎゅっと抱きしめる腕に力を込めてから笑って言った。
「 やれなかったこと、全部やろうな?」
  これから、時間をかけて。
「 ………うん」
  暗に後に言われた言葉を理解して、友之は固く頷いた。今は光一郎が全部言わなくても分かったと思った。
  そんな自分が嬉しかった。
「 コウ…好き…」
  友之は自分を抱きしめる光一郎の手にそっと触れ、小さな小さな声で呟いた。
  それからどくどくと熱くなる背中と額を意識しながら、今夜やる花火の色や形を想像するため、そっと目を閉じた。
  友之の閉ざされた視界の中では、明るく美しい火花がぱちぱちと鮮やかに舞い踊っていた。




後記…ぎゃー!無駄に長い上にめちゃくちゃ恥ずかしい(苦)。時間経過についてですが、「流れるように〜」のその後の割に一応友之はまだ高校1年生って事にしておいてもらいたく。ってことはちょっと時間的に矛盾があるんですけど、まあ特別企画なので季節はあまり気にしないで下さい(ってクリスマス企画なのに)。王子×姫はただのサービスです。いらなかったかしら…(笑)。