穏やかに


4.光一郎 side



「……あぅッ」
  ほんの少しの悪戯のつもりでその胸の飾りに歯を立てると、小さな裸体は面白い程ダイレクトに敏感な反応を示した。苦しそうな息が憐れなくらいハアハアと血の気を失った白い唇から漏れ落ちている。
「はぁ…はッ…は…コウに…コウ兄…」
「………」
  いつも「これ」をする時、こんな風に異常な呼吸の乱れ方を見せながら自分を「兄」と呼ぶ「弟」が光一郎は時々酷く恨めしい。いつかは慣れるか、どうでも良いと諦めるかすると思っていた。けれど駄目だ。嫌なものは嫌なのだ。この姿と「兄」という呼び名を耳にする度に、光一郎はただ愛しいと燃え上がっていた身体の内からほんの僅かな怒りを生み出してしまう。苦しいと息を乱される度に、「俺はお前ににそんなとんでもない無理を強いているのか」と詰りたくなるし、「コウ兄」と助けを請うように呼ばれる度に、「俺はお前の兄貴じゃない」と言ってしまいたくなる。
  そんな事を口にすれば(否、思っているというそれだけで)この弟がどれだけ悲しみ絶望するかよく分かっているくせに。
「コウ兄…ッ」

  また呼びやがった。

「熱…熱い、よ……」
  12月も下旬の、大して暖かくもないボロアパートのカーペットの上だ。そこで裸に剥かれて転がされているというのに、暑いも何もあったものじゃない。
「やぁっ…」
  それでも友之は光一郎にキスをされる度に「熱い」と呻き、胸を舐められ軽く噛まれただけでひっと小さく悲鳴を上げて力なく首を振る。切なげな嬌声を上げる。いつも全くと言って良いほど性欲というものを見せない無垢な身体が明らかに変調し、今どきの高校生にしては幼過ぎる性器が生意気な昂ぶりを見せ始める。

  感じている。コイツは、別に嫌がってなんかいない。

「コウ、兄ぃ…!」
  それでも友之は光一郎に抱かれる度にそう叫び、しまいにはぽろりと涙を零す。まだ挿れてもいない、友之自身とてイッてもいない。それなのに既に感極まったように目元を赤くしてどうしようと、こんな事していいのかなというような態度で泣き出してしまう。

  愛しい。けれど、憎らしい。

「………友之」
  それでも友之をそのまま途惑わせたまま放っておく事も出来ない。
  光一郎は顔を上げ、その耳元にそっと唇を寄せて囁くような声で優しく呼んでやった。すると友之はびくんと背中を逸らして「あ…」と唇から微かな応答を示し、再び縋るような眼差しを向けた後、何か言いたげに口をぱくぱくと動かした。
  同時に友之は光一郎のその囁きだけで、中途半端に脱がされた下着から顔を出す性器にぷつりと欲望の汁を浮かび上がらせた。
「……っ」
  光一郎はそれを認めた後自身も初めてハッと荒い息を落とし、それから心内だけで半ば自虐的に呟いた。
  こんな一声でお前はそうやって感じるくせに、それでも俺を兄と呼ぶのか――と。





  夕実は光一郎の事を友人の妹がそうするように「お兄ちゃん」とは呼ばなかった。
「いっつもいっつもコウちゃんばっかり。コウちゃんばっかりがいいんだよ、お父さんも、お母さんも」
  それは夕実の病的に過ぎる口癖だった。
  もともと気難しく無愛想な父親は光一郎らに大した愛情を示すタイプではなかったし、この父の母―光一郎たちの祖母―に至っては何故そこまでという程に自身の孫たちを嫌悪した。本人が実際どういう風に思っていたのかは彼女が亡くなった今最早訊く術もないが、少なくとも光一郎は子ども心に「嫌われている」と感じていたし、夕実に至っては一種異常とも取れる怯えを見せ、その防御策として当の祖母に無駄に媚びてみたり愛想笑いをしたりして、口さがない彼女の言葉による暴力を回避しようとした。……もっとも、一番祖母の矢面に立たされていたのは父の後妻である義理の母・涼子であったのだが……。
  祖母の他界後ふと光一郎達が気づいた時、夕実は既に両親ですらたじろぐ程の歪んだ子どもになっていた。
「お父さん、またコウちゃんにだけ本を買ってくれたでしょ。私とトモちゃんの事はいつも知らんフリ」
  夕実はよくフンと鼻を鳴らしながら、「贔屓をした」父にではなく光一郎にそう言って突っかかった。
  買ってもらったと言っても、父が放ってくる物はいつでも光一郎にとって読みたくもない小難しい数学の理論書や科学雑誌ばかりだった。一度だって「欲しい」とねだった事はない。
  勿論、夕実にしてみれば「頼んでもいないのに光一郎に物を買う父」が恨めしかったのであって、光一郎の言い分など何ほどの事もない。「父にとっては光一郎だけが特別」という事実が許せなかっただけだ。実際それは否定できない。父・晴秋は家族の誰に対しても口数が少なくむっつりしている割に、光一郎の成績や生活に関してだけはやたらと気に掛ける素振りを見せた。
「お父さんの子どもはコウちゃんだけなんだよね」
  刺々しい中にも、夕実の言葉にはいつも悲しみが滲んでいた。
  家庭では厳しくとも外では「有能で優れた人物」と尊敬を集めていた父を夕実は密かに憧れていたから、息子にばかり目を掛け、娘である自分を見てくれない事を寂しく感じていたに違いない。父への思慕を募らせて、夕実は光一郎に当たる事でその鬱屈を解消しようとしていたのかもしれない。夕実の本心は分からないが、少なくとも光一郎は妹の言動をそういう風に解釈していた。
  そして自分にばかりやたら干渉してきた父親に関しては、あれは「我が子への期待」というよりは「普通より出来る子どもに対する興味」として関わっていただけだろうと冷めた確信を抱いている。父や周囲はその考えを否定するかもしれないが、あの無神経な父の態度のせいで自分が夕実からとばっちりを受け続けたのだから、光一郎としては誰が何を言おうが聞く耳を持つ気はなかった。
  夕実の当たりは鬱陶しい程にきつかった。嫌いなら嫌いで放っておけばいいものを、それすら出来ないらしい哀れな妹。夕実はやたらと光一郎に対し意味のない厭味を飛ばし、時には仲間たちと遊んでいるところにもやってきて大きな声で意地の悪い言葉を浴びせかけ、無駄に中原あたりの怒りを買ったりしていた。
  そして最後には必ず大声で泣き喚き、傍に引き連れていた友之を引きずって家に逃げ帰ると、部屋に閉じこもってそのまま暫く出てこなくなった。
  夕実が何をしたいのか光一郎にはさっぱり分からなかった。
  ただいつもいつでも、そんな夕実の相手は友之がしているから、夕実には友之がいるのだから……自分はもう知らない、関わりたくないという気持ちが大勢を占めていた。どうせ夕実は自分を兄とは思っていないし、嫌われているし、土台他所の家のような兄と妹にはもうなれないのだと早々に諦めていた。
  面倒だった。
「お母さんもご飯の時、コウちゃんにばっかりおいしいところをあげてる。私とトモちゃんには残ったやつばっかり」
  そして光一郎がとことんまで無視を決め込むと、夕実の当たりは次第に拡大していき、自分に優しい義母の涼子にまで行われるようになった。
「お母さん、ひどい! 夕実の事が可愛くないの!」
  ヒステリックに叫ぶ夕実を義母はいつも困ったように微笑んで、そして抱きしめていた。
  その度夕実は「嫌」と暴れ、「お母さん嫌い」と泣き叫んだ。
  涼子はそれを受けるといつも「お母さんは夕実ちゃんが好き」と言っていた。
  それは光一郎にとってとても不可解な光景だった。
  冷たい父、無関心な自分、無口な弟……。ある程度夕実がイラつき癇癪を起こしてしまう要因がこの男三人にある事は認めるが、後妻の涼子は夕実を本当に可愛がっている。あんな風に抱きしめてくれる。それなのに何故泣くのか、怒るのか。
  義母は自分の息子である友之よりも明らかに夕実を優先しているのに。
  もし義母に「義理の娘だから」という遠慮があったとして、そしてそれを夕実が敏感に悟っていたとして、だから何だというのだというのが光一郎の本音である。多少なりとも義母にそのような気持ちが混在していたとしても、彼女の夕実への優しさに計算や偽りはない。もう十分じゃないか。お前は愛されているじゃないか。友之から母の愛、それ以外のもの全てを奪っておいてまだ何が気に食わないというのか。本当にあいつはおかしいんじゃないだろうか……中学に上がる頃には、光一郎は夕実の事をそんな風に想い、仕方がないと思いつつやはり「関わり合いになりたくない」と思っていた。

  今はその時の自分を酷く後悔しているけれど。

「夕実ちゃんが甘えてくれるのは嬉しいよ」
  高校生の頃、光一郎は一度だけ義母に夕実をどう想っているのか何気なく訊ねた事があった。
「夕実ちゃんの事は勿論大好きよ」
  義母がそう言って笑った時、光一郎は我ながら酷いと思うが「この人もどこかおかしいのかもしれない」と思った。
  光一郎も夕実と同じで義母である涼子の事は好きだったし、母親だと思っていた。よく分からない産みの親よりも、自分たちに黙々と尽くしてくれるこの女性が愛しかったし、大切だった。
  それでもたった一つ「やっぱり違うだろう」と思ってしまうのはいつでも夕実への態度であり、そして「そのせいであんたの息子がどうなってもいいのか」という想いだった。面倒な事を全て義母に押し付けておいてそれは勝手な言い草だったが、当時の光一郎はそんな自分の身勝手さに気を配れるほど大人ではなかった。
  早く出て行こう。この家はおかしい。
  高校を卒業するのが待ち遠しかった。

「くれるの…?」

  けれど、そう頑なにひたすらに願っていた時、ある日突然だ。
「……ああ、俺は使わないから。お前が欲しいなら」
  それは何となく、本当に気紛れでした事だった。
  光一郎が夕実や友之に対して兄になれないかと様子を窺っていたのはもうずっと前の事で、高校に上がってからはとことんまで自分を無視する二人が憎らしくもあったから、極力見ないフリをしていた。
「欲しいか?」
「うん……」
  けれどその日は特別夕実の機嫌が悪くて、それで父も怒っていて、義母は悲しそうに俯いていて。
  ああ面倒だな、また気分が悪いと思っていて早々部屋に入ろうとした時、光一郎は気づいてしまった。
  自分の事を恨めしそうに、そして縋るような眼差しで見つめている友之の視線に。
  だから、夕実が部屋に引きこもっているのを確認した後、光一郎は自分の勉強用に購入したばかりの色ペンを友之に差し出した。こんな物とは思ったけれど、あげられる物がそれくらいしか思いつかなかった。
「ありがとう…」
  信じられないというように頬を上気させ、震えながら礼を言った友之の表情に光一郎は言い様のない衝撃を受けた。そして知った。
  いつも都合の良い言い訳ばかりして夕実を押し付けてきたけれど、友之はいつだって自分の事を見ていたのだ、と。じっと今みたいに助けを請うような顔をして、それでいてこんなペンで大喜びするくらい大した事は願っていなくて。
  ただ、こうして話したいと思っていたのだ。
「……いいよ、これくらい」
  それくらいしか言えない自分が情けなかった。
  そして結局、卒業後は当初の考え通り逃げるように家を出てしまった。
  友之の事を気にしながらも、光一郎はそんな友之に背を向けてしまった。何か恐ろしい予感もした。酷い禁忌に触れてしまうような、得体の知れない予感。

  コウ……。

  恐らくは夕実を真似ていたのだと思う。
  友之は光一郎の事を決して「お兄ちゃん」とは呼ばなかった。遠慮がちに「コウ兄」と呼んでいたのは本当に一時期だけだ。それも夕実が嫌がると知ってからは、少なくとも表立っては呼ばなくなった。
  光一郎自身も別に呼ばれなくても構わないと思った。兄らしい事など何もしていないし、向こうもてんで弟という感じではない。下手をすればただの同居人という関係だったのだから。
「コウ…兄…?」
  けれど涼子が亡くなり、夕実が家を出て、父の再婚が決まった時。
  久しぶりに訪れた実家、電気もつけられていない暗い部屋で、友之は膝を抱え死人のようになっていた。そして部屋の入口で呆然と立ち尽くす光一郎を前に、友之は最初小さく「コウ」と呼び、やがて「コウ兄」と呟いた。
「………何してるんだ」
  正直、掛ける言葉が見つからなかった。
  電話で父親から再婚の話を他人事のように聞かされていた時、その父が受話器を置く間際腹を立てたように「友之が学校へ行こうとしない」と言った。
  その翌日、気づけば光一郎はもう実家のドアを叩いていた。
「……雨戸くらい開けろよ」
  友之はただでさえ痩せて細かった身体をより一層小さくして、青褪めて、本当に今にも消えてしまいそうだった。
  暗い部屋で、たった一人で。
「学校行ってないんだってな」
「………」
「何で行かないんだ?」
「………」
「……誰かにいじめられたか?」
「………」
  何も返答がない。
  もっとも、昔からそうだった。友之は自分が気紛れでちらりと何か声をかけてもびくりとして怯えた目を見せて、さっと後ろを振り返る。夕実を探しているのだ。いいのだろうか、光一郎と口をきいてもいいのだろうか、そんな様子でオドオドとして、それが光一郎の癇に思い切り触った。
  だから光一郎も友之との口の聞き方を忘れてしまった。ペンをやった時だって、ただ「ほら」と渡してそれだけ。
  それっぽっちだけ。
「修司、呼んでやろうか」
「……っ」
  やっと反応があった。
  すっと上げられた瞳にやや光が宿るのを見て、光一郎は自分でも信じられない程に動揺し、じりじりと胸が焼ける想いを味わった。
  何だこれは…? そう思いながら冷静を保とうとするのに必死だった。
「修司と最近会ってないだろ」
「あ……」
「え?」
「うん……」
「………」
「…しゅ……修兄、来てくれるの…?」
「………」
  呼べばな、と言おうと口を開きかけて光一郎は沈黙した。
  声が出なかった。
  友之の生気のない唇から「修兄」という言葉が出た時、先刻消え入りそうな声で「コウ兄」と呼ばれた事も全部忘れてこの部屋から飛び出してしまいたくなった。
  気に掛けてやったのがバカみたいだと思うくらいに。
  それでも何でもない風を装う自分が滑稽だと笑えた。
「……呼んでやるよ。あいつにならお前も学校の事話せるだろ。何か相談したい事あるならしろ」
「………」
「学校。行きたくないなら別に行かなくてもいいと思うけど、飯くらい食えよ。……親父、金は渡してるって言ってたぞ」
「……うん」
「…何食ってる?」
「……パン」
「………」
  小さくそう言う唇にまた苛立たしさが増した。恐らく父親が投げて寄越す金は使っていない。夜にそろりと下へ行って、父親が野良猫にやるような気持ちで適当に買って放っておいているものを取って食べているだけだろう。
  何なんだ。一体何なんだこの家は。

  そして俺は一体何だってこんなにどうしようもなくイライラしているんだ。

「今度裕子も呼んでやるよ。飯作ってくれると思うから」
  やっとの思いでそう言うと、友之はいよいよ身体を動かして光一郎の方を見た。まじまじとしたその視線に何故か気圧されて、わざとらしく締め切った雨戸を開けるフリをして背中を向けた。
「こ……」
  するとびりびりと背に感じるその視線の先から、本当に泣いているのではないかというような頼り無い声がぼそりと言った。
「コウ兄……あ…あり、ありがと……」
「………」
  何も言えず、けれど反射的に振り返ると、友之はやはり困ったような泣き出しそうな顔をしつつ残りの体力全てを使うかの勢いで再度声を出した。
「あ……会いに、来て……くれて………」

  ……光一郎が定期的に実家に戻り友之の様子を見るようになり――そしてやがて「俺の所に来い」と言ったのは、それから間もなくの事だった。





「ひぃ…っ」
  情けない悲鳴を上げられて、光一郎は自身も余裕のない身体をぐっと押し留め、その様子を伺った。
「トモ」
「は、はぁッ…んぅっ…。コ、コウ兄ぃ…」
  十分に解してやったつもりだったけれど、さすがに限界が近づいてつい深く腰を沈めてしまった。そんな光一郎を受け入れた側の友之は息が出来なくなったように何度もハアハアと不器用な呼吸を繰り返している。折角吐いているのだからそのまま大きく吸い込めばいいものを、ただ「ひゅっ」と短く吸うばかりで過呼吸のようになっている。
「友之」
  だから落ち着けと言うように身体を止めたまま友之に向かって腕を伸ばした。
  幼い子どものように身体の柔らかい友之は仰向けに足を抱えられ貫かれるセックスの時でも、光一郎が上体を屈めれば互いの顔を近づける事が出来る。友之は苦しそうだけれど、自らいつでも後ろより前から抱かれる事を好む所作を見せるのは、不安な時こうして光一郎と目を合わせられると覚えたせいかもしれない。
「コウ兄…」
  友之は不安な時、心細い時、無意識に光一郎を兄と呼ぶ。
  光一郎が特にセックスの時そう呼ばれるのを嫌うとは、友之もよく知っているはずだが、どうしてもつい口にしてしまうらしい。そうして言った後は必ず「しまった」という風に困った顔をし、すかさず謝ろうとして声を震わせる。
「ひぁッ」
  それでも最近は光一郎がそれを制して先に動き始めてしまうので、結局その後はまともな言葉にならない。
「んっ、あ、あッ…」
  ゆっくりと相手の反応を確かめるようにして光一郎が友之の中で動くと、友之はそれに素直な反応を示してきゅっと自らもその入口をきつく引き結んできた。その時の感覚が信じられない程光一郎には毒で、優しくしてやろうと思っているのについ激しく何度も抽挿を繰り返し、しつこい程の攻めを繰り返してしまう。
「やぁっ、あ、あ…コウ…そ…そこ、やっ…」
  何度か身体を重ねた事で、友之がどこを弄られると一番気持ち良くなるのかはもう分かっていた。友之が恥ずかしそうにしながらももっともっとと腰を振るのが分かって止められなくなる。あられもない姿を晒して自分に貫かれ続け、身体を揺さぶられるまま開かれた両足も力なくばたつかせるその姿が堪らなく官能的だ。
「く…ッ」
  それでも限界が近づいている友之の中にそのまま精を出してしまう事は躊躇われて、光一郎は自身も達する間際に友之から己を抜いて欲望を吐き出した。
「ひ、ああぁ…ッ」
  直後、友之も感じ入ったように小さな性器からぴゅっと白濁を吐き出した。
「…っ…コゥ…」
「……ん」
  互いの乱れた息が漏れ、その音ばかりが部屋中に響き渡る。
「……友之」
  そしてそれによって光一郎は「ああ、またやってしまった」と自己嫌悪に陥る。
  せめてベッドでしてやれよといつも思うのに、友之が何かあって自分に縋ってくるとどうしようもなくサカッてしまって、ついつい場所も状況も考えずに押し倒してしまう。
  クリスマスを前に友之が引く手数多なのは仕方がない、むしろ喜ぶべきなのだからと思っていたのに、「コウといられればいい」などと言うものだから理性の糸が切れた。あんな風に泣いて抱きついてきた友之に我慢できなかった。
  俺といられればそれで良いなんて……やっと作れたあれらの繋がりを、お前は本当に捨てられるのか、俺の為に捨てられるのか。そう思うと堪らなかった。光一郎は友之ほどに友之との兄弟の絆を深めたいなどとは思っていないし、勿論依存もしていない。それでもこんな時…友之の堪らなく健気で素直な気持ちに触れてしまうと、光一郎はすっかり前言撤回で、やっぱり自分こそがこの純粋過ぎる「弟」を必要としているのだと感じるし、自分こそがこの友之を欲しくて欲しくて堪らないのだと確信してしまう。
  いつでも欲しい。誰にもやりたくないし、誰にも触らせたくはない。
「コウ……」
「ん……ああ、ごめんな。寒いよな」
  先に服を整え立ち上がった光一郎を友之が呼んだ。未だボー然とした状態で裸体を見せたまま、光一郎が何処に行くのかと気にした風だ。
  光一郎はそんな友之に少しだけ笑って見せると隣室にあったタオルケットを持ってきてそれを友之の身体に包まわせた。そうして大切に抱きかかえるようにして起こしてやると、友之はすっかりそのタオルケットに身を任せ、光一郎自身に身を任せ、じっと目を瞑って大人しくなった。
「寒くないか」
  訊くとすぐに「うん」と言う声が返ってきた。続けて風呂に入ろうなと言うと、どうした事か珍しくも「一緒に入る」などと呟いたから驚いた。分かったと平静に答えながらも、未だ心配が尽きないのだろうかと思いその姿を眺めていると、やがて目を開いた友之は自身もそんな光一郎の方をじっと見やり、「あの」と遠慮がちに口を開いた。
「……クリスマス」
「ん…」
「に、日曜日、ね」
「ああ…」
  やっぱりこの話かと思ってその後の言葉を待っていると、友之が言った。
「遠くから……で、いいから。見ていい…?」
「何を?」
「お父さん…」
「………」
  驚いてつい凝視してしまうと、友之はくっと唇を噛んで涙を溜めると呟いた。
「いつか…ちゃんとして、お父さんが言うようにちゃんとして…。そしたら、自分もご飯行きたいって言うから。ちゃんと、言うから」
「友之……」
「コウに行って欲しくない…。でも、家族、だよ……?」
「………」
「きっと…。お父さん、コウに会いたい……」
「……知るかよ」
  大人気なくもついむくれたような声が出てしまった。そんな自分に慌てつつ、光一郎は友之が「そこまで」考えていた事に急に胸が熱くなり、抱きしめる腕に力が入った。

  信じられない。こんな生き物が何でこんな所にいる。

「あのな。お前の言いたい事は分かったけど…それは却下な」
「………」
  文句を言い出しそうな唇にちゅっとキスを落として光一郎は言った。またすぐにでも火がつきそうな身体を必死に抑えながら。
「何で俺があんな所で飯食って…しかもお前はその間外でそれを見てるんだ。ありえないだろ、そんなの」
「ずっといない…。ちょっと…お父さん、どんなかなって見るだけ…」
「……見るだけなら今度連れて行くから」
「今度って」
「……クリスマスじゃない日」
  光一郎がそう言うと友之は不思議そうな顔をして首をかしげた。
「とにかく、そういう事だから。お前は数馬たちと遊んで、夜は……俺を待ってろ」
  大きな目がこちらをただひたすらにじいっと見つめている。光一郎はすっかり参ってしまった。たった今この身体を蹂躙したばかりなのにもう欲しい。駄目だ、限界だ…。そう思いながらも、それでも光一郎は努めて兄のフリを装い、その「弟」の頭をぐしゃぐしゃにした。
「分かったか? 友之?」
「……うん」
  そうして友之がようやっとそう返事するのを光一郎はどこかほっとする思いで見つめた。
「コウを待ってる」
  そして友之がそう言ってぐっと改めて自分に抱きついてくるのを光一郎は両腕でしっかと受けとめ、そして「ハア」とついつい大きくため息をついてしまった。
  この愚かな弟は自分のこのため息をまた「呆れられた」とか何とか誤解してうろたえるのだろうけれど、まあそれくらいの思い違いはさせてやろうと思った。何せ自分はそれ以上にこの友之に振り回され、そしてどんどんと憔悴しているのだから。
  不思議な事に抱き合って絡み合ってキスをしあって。
  そうした後は、ただ愛しいと言う気持ちだけが残る。あの憎らしいという感情が消えてしまっているのだけれど。
「風呂…入ろうな」
  だから今…湯気のたゆたうそこへ行っても、恐らく自分は「豹変」しないだろう。
「よくあったまらなくちゃな」
  そんな事を思いながら、光一郎はしっかりとした動作で友之の身体を抱え上げ、冷え切った身体を隅々まで洗ってやらなければと思うのだった。


  そして恐らくは今度の日曜日の夜も、きっと。










クリスマス記念なので設定が12月ですが、これ、本来なら2月くらいを想定したお話です。