のはじまり1



「ん。おい、もう一人の小十郎はどうした?」
  久しぶりに見るいつもの面子の中にその男がいない。
  政宗は不審に思い首をかしげた。
「コミックス版の片倉は先日酷い胃痛で倒れまして…。今は奥で休ませております」
「あぁん?」
  政宗にそう報告したのはもう一人の片倉―ゲーム版のヤクザ小十郎である。既に他の家臣・成実らは政宗が持って帰ってきた四国の土産を嬉々として船へ取りに行き、周囲にはこの小十郎しか残っていない。ひゅるると寂しい風が城中の広間に吹き荒ぶ中、政宗はどこか肝の冷える思いがして苦い顔を浮かべた。
「あー…。それってよ。その胃痛ってのは…もしかしなくても俺のせいか?」
「左様で」
「……そんで、お前も結構キレてるとか?」
「そのように見えますかな」
  淡々と応える忠臣に政宗は途端口をへの字に曲げた。
「見える。あのな、そうやって無理矢理笑うのはよせ、気色悪ィ。お前の場合、そうやってもキレてる時は目がどっかイッちまってるから怖ェんだよ」
「ほう。政宗様にも怖いものがおありとは。それはそれは……」
「……あっちの小十郎に感化されてんな」
  ふっと「一応」の笑みを浮かべるゲーム版・小十郎に、政宗は「はああ」とわざとらしく深いため息をついた。

  ちょっくら四国へ行ってくるぜ――。

  ……そう言って新しい船を出そうとした時、大勢の家臣たちは勿論反対した。
  ただしこの場合、「危険だから」とか「この乱世の最中、大将が本陣を留守にするなんて非常識な」と言ったもっともな理由で反対するのはコミックス版の小十郎だけで、後の暴走家臣たちは「自分たちだって行きたいのに、頭ばっかり楽しんでずるい!」という不平が先に来る。
  それをなだめすかして何とか少数の供だけで旅立つ事に成功したのは、偏にこの「見かけはヤクザだけれど政宗には根本で甘い」ゲーム版小十郎の存在があったからだ。政宗様にも何かお考えあっての事、お前らは我がままばかり言っていないで、政宗様の不在中奥州を守っていれば良い、きっと政宗様はお前たちにとびきりの土産を持って帰ってきて下さるだろうからな…と。
  結局最後は「物で釣る」作戦だったわけだが、それでもあの最難関であるコミックス版小十郎を説得したのも、ここにいるゲーム版小十郎の力があってこそだ。
  曰く、可愛い子には旅をさせろ、というやつで。

  それなのに今、たった一人政宗の味方だったはずのゲーム版小十郎が怒っている。

  政宗はがりがりと黒髪をかきむしりながららしくもなく、困ったように口を継いだ。
「あー…。その。何だ。俺の留守中、何か面倒な事でもあったのか?」
「いいえ、特には。至って平穏でございましたな」
「なら―…」
「表向きは」
「………」
  思わず黙りこむ政宗にゲーム版小十郎は更に無理な笑顔を閃かせてから、まあどうぞと先刻女中に運ばせた茶を差し出した。
  そうして政宗がそれに手を出そうとした矢先、口を開く。
「確かお帰りになられるのはこの5日前だったはずですが」
「…まぁ色々あってな」
  まずはそれが一つ目か。
  政宗は湯飲みへつけかけた口を外し、面倒臭そうに応えた。
「俺だってすぐ帰りたかったんだぜ? けどなあ、タイミングが悪いっつーか何つーか。元親の所で戦があってよー。んで、あいつがぐだぐだしてっから、俺が代わりに毛利の野郎に止めをさしてやろうとしたら、元親が『余計な事すんなーっ!』つってキレて…ってか、その前にいつきの奴が密航してたんだよ、俺らの船に! 勝手にだぜ!? ありえねえだろ!?」
「……政宗様。まさか他所の戦に介入を?」
「うっ」
  しまったと思い、政宗は慌ててぶるぶると首を横へ振った。やぶへびも良いところだ。事情はどうあれ、そういう手出しはこのゲーム版小十郎のあまり良しとするところではない。どちらかといえばコミックス版の小十郎の方がそういうところは姑息というかちゃっかりしているというかで、「殺れる時に殺れるならそれも良し」という考え方なのだが、殊このゲーム版小十郎は戦でも何でも筋を通すのが好きで、いかな政宗とはいえ元親と毛利の「タイマン」にちょっかいを出したと知れば、みっちり説教3時間コースになるのは間違いないのだった。
  政宗はわざとらしく咳き込んだ。
「ゴホッ…えぇっとな? まあ、これは話すと長くなるから割愛するわ。特に問題なし! あいつらはあいつらで勝手に島取り合戦してたって話だ!」
「………」
「俺はっ! それに巻き込まれただけだってんだよ!」
  久しぶりに帰ったというのに何だか面白くない。
  政宗は依然としてどことなく冷ややかな家臣にむっとして子どものように膨れて見せた。
「……予告していたより帰国が遅れたのは悪かった。確かに一国の大将として無責任だったぜ。反省した。んで? あとは? 怒ってる理由」
「この小十郎が政宗様に責め立てる事など。……ですが胃痛持ちの小十郎は…恐らくあと3日、政宗様のお帰りが遅ければ腹を切っていたでしょうな」
「まさか…」
「後で結構ですので、見舞ってやって頂けると」
「……ちっ。わーったよ」

  何だ、結局怒りの原因はあっちの小十郎のせいなのか。

「ん…?」
  しかし政宗が納得し、改めてその忠臣を見上げると……。
「……んだよ?」
  もういつもの小煩い釘刺しは済んだはずである。予定より遅れて帰国、心配性の家臣を倒れさせた。だから後で反省した「フリ」をしてその心配性の…コミックス版小十郎を労わりの言葉と共に見舞ってやる。そうすればここにいるゲーム版小十郎も一安心。それで万事OK、そういう話ではないのか?
  しかし、今目の前にいる小十郎は未だ小難しい顔をしてどこか明後日の方を向いている。何事か考え込んでいる風なのである。
「おい、小十郎」
「は……」
「まだ何か言いたい事あるのか」
「……あると言えばありますな」
「アァ?」
  ハッと口元だけで笑い、政宗はやれやれと肩を竦めた。
「何だよ。言いたい事あんなら全部言えよ、気になるだろうが? あっちの小十郎に八つ当たられて迷惑被ったって他にも何かあったのか? 領地でいざこざとか?」
「そういう事ではありません」
「なら何だよ」
「……何とも。痛ましいと言いますか、いや、しかし…迷惑だったのは我らの方だったわけですが…」
「は?」
  訳が分からないという風の政宗にゲーム版小十郎は暫し逡巡した後、初めて苦々しい顔をしてみせた。
「その茶ですが」
「茶?」
  政宗は手にした湯飲みをまじまじと見やってから、もう一度小十郎を見やった。
「美味いですかな」
「まだ飲んでねえよ。テメエが厭味な顔してたから…」
「武田軍の真田が持ってきたものです」
「ぶっ!」
  聞きながら飲みかけた茶を思わず噴き出して、政宗は知らばっくれたような顔の忠臣を唖然として見やった。その忠臣・ヤクザな小十郎の方は、そんな政宗に静かに、そして真面目な顔で言葉を切った。
「それだけではありませんぞ。茶碗、団子、そこらで捕まえてきたらしき魚まで…『たまたま通りかかった』と言っては置いていくのです」
「……幸村が?」
「政宗様がいつお帰りになられるのか、気になって仕方がなかったのでしょう」
「……はは」
「それは喜びから出たものですかな。それとも『まずい』という気持ちから出た、ひきつった笑顔で?」
「どっちもだ!」
  小十郎のどこか厭味めいた言い方に政宗は途端むっとしたが、しかし手の中にある湯のみから発する湯気には思わずじっとした視線を向けてしまった。

  ここへ来る時に手土産なんざ持ってきた試しもねェくせに。

「政宗様」
  黙り込む政宗に小十郎が口を開いた。
「真田がここへ来て政宗様と手合わせしていく事、今まではこの小十郎もある程度目を瞑って参りました。あれは気持ちの良い男ですし。うちの連中も、皆あの男が好きな様子」
「……そりゃ、ちっと妬けるな」
「政宗様!」
  びしりと厳しく言い放ってから、小十郎は嘆息した。
「確かにあの者には裏がない、それは明白です。…ですが、《物》は困りますぞ。仮にも武田と伊達は敵同士。同盟を組んでいる間柄でもない向こう方の武将からこれほど頻繁に心尽くしをされては、我らの立つ瀬がありません」
「たかが茶だろ? くれるっつーんだから貰っておけばいいじゃねえか」
「そういう問題ではありません!」
  きっぱりと小十郎は言って、ごほんと一つ咳をした。
「あちらの真田隊忍軍の長も随分と苦労している様子。この対処は政宗様が戻り次第すぐにと伝えてありますから、どうぞ宜しくお願いしますぞ」
「はあ…? 対処って…何すりゃいいんだ?」
  小十郎のどこか切羽詰まった様子に政宗は途端困惑して眉をひそめた。
「俺も向こうに何かやればいいのか?」
「そのような事は政宗様がご自身でお考え下さい」
「なっ! 何だよここまで振っておいて!」
「とにかく、北側の城壁も先日修繕したばかりなのですから――」
「は?」
「……いえ。まぁ、これは奴だけの非ではないので」
「はぁ? おい、何の事だか…って、おい!」
  けれど小十郎はそれだけを言うと重苦しく首を振り、そのままさっさと引き下がってしまった。
「……何だっつーんだよ」
  そんな家臣の背中を見送りながら、政宗はどこか煮え切らない想いで両腕を組んだ。
  目の前には手つかずの緑茶だけが白い湯気を立てていた。





  その翌日。
  幸村は政宗が帰還したという事も知らず、今日も今日とて「ついでに通りがかかった」言い訳のブツを手に、政宗の居城周辺をうろついていた。
  佐助にはあれほど「政宗殿の事などもう知らん!」と啖呵を切ったくせに、その行動は日に日に抱いた決意とは逆の方向へと突っ走り始めていた。
  政宗の家臣らが教えてくれた「帰ってくるはずの日」はとうに過ぎている。それなのに一向に姿を現さない政宗に、幸村の抑えに抑えていた不安な気持ちもほぼ限界に達していた。
  本当は政宗が帰って来たらいの一番に、船に乗せると言った約束を破った事を責めて、四国でどれほど腕を上げたのか確かめさせろと言おうとか、とにかく色々考えていた。その時はいずれもめちゃくちゃに怒ってみせて、不実な男は武士として駄目だと、説教してやっても良いとすら考えていたのだ。
  それなのに、その日はちっともやって来ない。
  あまり頻繁に訪れるのも何だか気まずくて、自分ばかりが政宗を意識しているようなのが悔しくて、「ついで」と言っては中の様子を窺い、「ついで」と言ってはその鬱憤を他の伊達軍の猛者たち相手に槍を振るう事で晴らした。その際、城の壁が「ちょこっと」崩れたり、門の「ほんの一部」が崩壊したり、自分が持参した土産よりもやや上な損失を伊達軍には与えてしまっているわけだが、佐助が「もしかしてさり気なく奥州攻撃してンの?」と苦笑してみせても、幸村は真っ赤になってそれを否定し、己の忠忍を頭ごなしに怒鳴りつける事しかできなかった。
「違うっ…。あれは、彼らとて俺に稽古をつけて欲しいと言ったから…!」
  誰が聞いているわけでもないのに、幸村は言い訳めいた事を呟いてぶるぶると首を振った。
  何故政宗は帰ってこないのか。そんな事を心配する時点で、武田軍の一員としてどうなのかと、幸村も考えないわけではなかった……が、一向に戻らない政宗がどうしても気に掛かるのだ。聞けば四国は伊達軍以上に荒々しい、血気盛んな者の集まりで、甲斐にも奥州にもない巨大な機械兵器が驚く程たくさん製造されていると言う。政宗の事だからそれらが珍しく面白くて帰ってこないのか、それとも実はその兵器にやられてしまったとか。いやいや政宗に限って……と、幸村は気づけばついつい埒もない事をつらつらと考えてしまっていた。
  政宗のことばかり。
「むう…」
  けれどそこまで思考を巡らし、幸村ははたと周囲の静けさに気づいて首をかしげた。いつもならこの城壁の周りにはもう何人か見張りの者がいるはずだ。しかしその気配はない。どこからか賑やかな様子は感じるけれど、明らかにいつもとは空気が違うと感じた。
「何かあったのか…?」
  そして幸村が更に首だけを城の中へと向けた、その時だった。

「おい」

  突然背後から掛けられたその声に、幸村は心臓が飛び出る程驚いて飛び上がった。
「なっ…!」
「……どこの密偵だよ。んな怪しげな仕草で人んちの城覗きやがって」
「ま……」
  振り返り見たそこには、ニヤニヤと笑いながらそんな事を言う男がいた。
  幸村はぱちぱちと瞬きをした後、目の前のその人物を改めて見やった。
「よう」
  すると向こうも改まって姿勢を正したようになり、にっと笑った。
「久しぶりだな。真田幸村」
「政宗…殿」
  突然現れたその姿に、幸村は思わず棒立ちになった。



後編へつづく…



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