一夜の



「……おい、破廉恥夫妻。そりゃ何だ?」
  慣れたように、しかしぐったりと疲れた様子でそう言う政宗に、一組のアツアツ夫婦は暫しきょとんとして互いに顔を見合わせた。
  やがて妻の方―無敵動物使い・まつ―がはっとしたようになって憮然とする。
「まぁ! 我ら夫婦を破廉恥とは…!? 伊達殿には、あまりに言葉が過ぎるのではありませぬか!?」
  すると今度は夫の方―いつも裸な前田利家―が片腕を振り上げながらやんややんやとそれに続いた。
「そうだぞっ。どこぞの赤い侍じゃーあるまいし! 我らは破廉恥などではない! なあ、まつ!?」
「勿論でございます、犬千代様!」
「まつ〜!」
「犬千代様〜!」
「まつ〜!!」
「犬千代様〜!!」
「Shut up!」
  もっともそんな夫婦漫才も政宗の怒号によってあっという間にかき消されてしまったわけだが。
「テメエら、無駄にいちゃつくんなら、自分ちでやれっ! つか、そりゃあれか!? 武田師弟んとこのパクリか!?」
  一応人払いをしておいて良かったと思いながら、政宗は自分を含め「四人」しかいない広間において呑気な新婚さんをぎっと睨み据えた。この二人が折に触れ政宗の居城に現れ何だかだと迷惑を掛けていく事は日常茶飯事ではある。ある時は図々しくも臣下である小十郎の手作り野菜をくれとのたまい、ある時は家族同然の鷹だの熊だのがいなくなったと嘆き悲しみ。
  とにかく何かというと大騒ぎなのである。仮にも(たぶん)敵対している間柄でこういう事は如何なものかと、堅物のコミックス版小十郎でなくとも政宗自身、真剣に首をかしげてしまう。
「……いいか。俺の質問に答える気がねえなら、マジで追い出すからな」
  それでも政宗はとりあえず怒りを抑え、静かな声でそう言った。
「テメエらのくだらねえ遣り取りは一切なしだ。今は俺の質問にだけ答えろ。いいな?」
「何だか今日の伊達殿は機嫌が悪ぅございます。ねえ犬千代様?」
「そうだなあ、まつ。腹でも減ってるんじゃないか?」
「……おい」
「まあ! それでは伊達殿にもあのお弁当を残しておけば宜しゅうございましたね」
「それは駄目だぞ、まつ。あれはまつが某の為に作ってくれた弁当だ。如何な政宗殿でもあれをやるわけにはいかん。あれは某だけのものだ!」
「まあ…うふふ」
「まつ〜腹減った〜」
「それでは家へ帰りましたら早速お食事に致しましょうね」
「本当か、まつ〜!」
「今すぐ帰れっ!!」
  いい加減額に怒筋を浮かべた政宗が腰を浮かして立ち上がったのは今日で一体何度目の事か。ちっとも話が先に進まない事に苛立たしさを覚えながら、政宗はこの険悪な空気の中でも平然としている「バカップル夫妻」にぎりぎりと歯軋りした。
「用はないな!? ないんだな!? 俺もな、暇じゃねえんだ。何考えてんだか知らねェが、腹減ってんならとっとと帰って握り飯でもザビー鍋でも何でも食えばいいじゃねえか! そこの訳分かんねえガキもちゃんと連れて帰れよ!」
  政宗は早口でまくしたてながら、そもそも最初彼らに訊ねた「それ」…利家とまつの間にちょこんと正座している男の子どもを指差した。二人がやって来た時から気になっていた。年はせいぜい5〜6つというところだろうか、ふさふさとした茶色の髪を後ろに1本ちんまりと結わい、騒々しい前田夫妻とは裏腹に実に行儀良く座っている。
  ただその毅然としてこちらを見据える眼差しにはひどく引っかかっていた。
「まあ…。この子を連れ帰れとは一体どういう事でしょう」
  そんな子どもを政宗もじっと見返していると、まつが突然驚いたような声をあげた。
「そもそも我らが本日参りましたのも、この子を伊達殿の元へ無事送り届ける為」
「そうだぞ! お前とこの子の為に我らは来てやったのだぞ!」
「は?」
  何を言っているのかと眉を寄せる政宗に、しかしまつたちの方こそ不審顔だ。
  そうして傍に座る子どもの背を押すようにして、まつは「さあ」と優しく語りかけた。
「お父君の所へ無事帰り着きましたよ。もう安心です」
「……おい。まつさんよ…アンタ、今何て言ったんだ?」
「は?」
  聞き捨てならない台詞に政宗が引きつったようになりながら訊くと、問われた方のまつは視線を向け、至極あっさりと答えた。
「何を、とは? お父君と申し上げたのです」
「誰が?」
「伊達殿です」
「誰の?」
「この子のです」
「………」
「政宗殿にもう御子がいたとはなあ! 我らは全く知らなかったからびっくりしたぞー」
「……俺にガキはいねえ」
「あ?」
  すっとぼけた声を出す利家に政宗は思い切りイラ立った顔を向けた。
「俺にはまだガキなんざいねえっつーんだよ!!」
  吐き捨てるようにそう声を荒げた政宗に、利家とまつはぽかんとして暫し何も言わなかった。
  その二人の間に座る子どもも何も発しようとはしない。ただ政宗へ向ける凛とした目つきはどこか挑戦的で、これがまた政宗の癇に障っていた。生意気。その単語が真っ先に思い浮かぶ。さらに己の幼少時代を棚に上げ、「こういうヤンチャ坊主は多少痛い目を見ないと大人をどんどん舐めやがるんだよな」とまで考えていた。
「……とにかく。俺はそんなガキ知らねえんだよ」
  もっとも、その痛い目にあわせるのは自分でなくとも良い。
  政宗は一つため息をつくと「そんな奴知らん、いらん」とでも言うようにひらひらと片手を振った。面倒臭い。関係ない。その思いが先に立ったのだ。
「……っ」
「ん!?」
  するとどうした事か、今まで頑なな光だけを宿していたその子どもが突然じわりと瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな顔で唇をぐっと噛み締めたのだ。
  これには政宗もぎょっとしてしまった。
「お、おい…」
「まあ…。大丈夫ですよ、泣くのはおよしなさい」
  するとまつが子どもを慰めるように、すかさず自分の胸元に抱き寄せて「よしよし」とあやすように頭を撫でた。子どもはまつのその所作には咄嗟に逆らおうとしていたが、彼女の力が強大なせいか振り払えなかったらしい。そのまますっぽりと抱きしめられ、苦しそうにしながらもやがてじっとし大人しくなった。
  するとその様子を眺めていた利家が責めるような顔で政宗を指差した。
「おいっ! 幾ら我らに隠し子の存在がバレたからって、このような小さな子どもにそんな酷い事を言って、お前には良心というものがないのかぁ!?」
「あんだとぉ…?」
「可哀想じゃないかっ! それに俺のまつに抱きしめられてずるいぞっ! 某も抱きしめられたいっ!」
「主旨が違ェだろ! ってか、だから俺の子どもじゃねえんだって!」
「嘘をつけえっ!!」
  利家はびしりびしりと再度しつこく政宗を指差した後、興奮したように腰を浮かせた。
「この子からは貴殿の匂いがするんだ! だから我らはここへこの子を連れてきたんだぞ!!」
「……は?」
  利家のぎゃんぎゃんと喚く言葉は全て消し去り、政宗は彼が言った「匂い」について途端目を見開き沈黙した。利家の嗅覚はとにかく人間離れしていて、それは犬でも敵わない。そんな彼がこの子どもから政宗の匂いがしたと言うのならば、確かにその事実を無視する事は出来なかった。勿論、自分の子どもだとかそういう間違いは誓ってないと言えるわけだが。
「お前、名前は?」
  政宗はようやく子どもに真正面から向き直り、そう訊いた。
「………」
  しかし相手はすぐに答えない。まつから解放されてぷはっと一つ息を吐き、それからちろちろとただ政宗の顔を見やっている。
「おい…」
  けれど政宗がそれに焦れて再度口を開こうとした時だ。ようやっとぽつりとした小さな声が聞こえてきた。
「………村」
「あ?」
「……幸村。真田、幸村」
「…………何だって?」
  政宗の反応と同時、さすがの利家とまつも驚いたような顔をした。
「幸村殿とは、あの武田軍の幸村殿の事か?」
「そういえば途方にくれたこの子を見つけたのも甲斐の外れにござりました」
  まつが思い出したように言い、再度心配そうに幸村と名乗った子どもを見下ろす。
  子どもは未だどこか悲しそうな、けれど泣いて堪るかというような顔でぎゅっと小さな拳を握り締めていた。
「………」
  政宗はそんな健気な「幸村」を前に、冷たい態度を取った自分が急にとんでもない冷血漢のように感じた。だからごほんとわざらしく咳き込んだ後、政宗は努めて声のトーンを低くし柔らかい口調で言った。
「お前、あの幸村って事はねえよな?」
「……どの幸村でござる」
「うおっ。まともに喋ってるの初めて見たぞ!」
「犬千代様!」
  驚いたように仰け反る利家をまつが諌めた。
「……某、この名しか覚えがありませぬ」
「は?」
「まあ…」
「気づいた時には森の中にいて…。一人でござった。途方に暮れていたところを、こちらの方々が父上の元へ連れて行って下さると仰ったので…」
  幸村の言葉に政宗は思い切り眉を吊り上げ、一組のバカップルをジロリと見据えた。
「……おいテメエら。こいつがここへ連れてけって言ったんじゃねえのかよ」
「犬千代様がこの子から伊達殿の匂いがすると言うので、てっきり父君は伊達殿だと」
「だって間違いなくしたぞ! 政宗殿の匂いが一番した!」
「………」
  利家が負けじと尚そう食い下がるのを政宗は半ば呆れた顔で黙っていたが、やがて肩を竦めると「…O.K」と答えため息をついた。
「まあ仕方ねえから、このガキは俺が預かる。コイツの名前も気になるしな。……お前らはもう帰れ」
  幸村と名乗った子どもは自分を引き取ると言った政宗にちらと嫌そうな瞳を向けた。それが気に食わないと思ったが、それでも政宗はやはりその真っ直ぐこちらを見る眼光からいよいよ目を逸らす事が出来なくなった。
  小さくても似ているではないか、あの瞳に。
  そう思わずにはいられなかったのである。



後編へつづく…



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