厳島奇襲



  「それ」が船の積荷の中に紛れ込んでいると知った時、政宗は怒るというよりも、呆れた。
「お前よくこんな狭い樽ン中にずっと入っていられたな」
「苦しかっただ…」
「そんでそのまま気絶してたと」
「だっで…すっげえ船揺れて…んで、すんげえ気持ち悪くなっだがら…。吐ぐかと思っただ…」
「……良かったな、吐かなくて」
  俺だってテメエの荷物の中にゲロがあったら嫌だぜ……とは、さすがに政宗も言わなかったが、くったりとして甲板の上に突っ伏しているその子どもには、やはり知らず知らずにため息が漏れてしまった。
  そう、神に愛された子ども…いつきを見下ろしながら。





「何だよガキぃ、俺に会いたかったんだって?」
  北からやって来た新しい客人が新たに一人加わった…それもとびきり可愛い女の子という事で、四国・長曾我部の海賊一同は大いに盛り上がった。先だって毛利軍との戦から一息ついたばかりで、まだ周辺も不穏な空気が続いているというのに、これも大将の人柄故だろうか、その夜は大宴会が元親の船上を中心として繰り広げられる事になった。
「政宗の野郎に叱られたって気にするな! 遠路はるばるよく来たじゃあねえか! 俺は歓迎するぜえ、さあ飲め!」
「飲むだ!」
「ガキに酒なんざ飲ませるなよ」
  そういえば団子大会の時にこの2人は特別仲が良かったか。
  そんな事を思い返しながら、政宗はやたらとノリの良い元親に、出された食事で今やすっかり元気を取り戻したいつきが意気投合するのを冷めた目で見やった。
  まったく、幸村でさえまだ乗せていない船なのに、他の奴を最初に乗せてしまったとは不覚である。そもそも試運転がてらちょっと行って帰ってくるつもりだったのに、中国・毛利の動向がどうにも怪しくて簡単に船を出せそうにもない。その上こんな子どもを預かってしまったとあっては、さすがの政宗も少々憂鬱な心持ちがした。
「どうしたどうした政宗! 手が止まってるぞ、おい! いつきの方が飲んでるじゃねえか! もっとも、あいつが飲んでるのは酒じゃあねえがな」
「何なんだ?」
「果実を砂糖で甘く煮たやつだ。酒に弱い奴に飲ませるんだよ。気分は一緒に味わえるだろ」
「へえ…海の男でも酒駄目な奴っているのか」
「お前。それ偏見」
  元親は政宗の素で驚いたような顔に逆に呆れたような顔を見せたものの、杯を空ける手は一向に休める事なくたて続けに煽った。それで政宗も何となくそれにあわせたのだが……、ふと、風にのって流れてきた薬莢の匂いに気づき、政宗は思わず杯を持つ手を止めた。
「まだ訓練してる奴がいるのか」
「ああ…。悪いな。もうやめろって言ってきたんだが」
  元親もそれには気づいていたらしい。眉をしかめると、その表情を隠すようにぐいとまた杯を空ける。
「俺たちは海の男だ。闘う海賊だ。だから戦なんざ何でもねえ…と、言いたいところだが、これ、この酒と同じだ。全員が平気だ、なんて事はねえからな」
「………」
「先の戦にびびってる奴ほど、ああやっていつまでも銃から手を離せねえのさ。……まったく。俺が死なせるわけねえだろっての」
「………」
「……何だよ」
  何も言わない政宗に元親は嫌そうな顔をして口を尖らせた。たった数日ながら共に濃密な時間を過ごし互いの事がより理解できている今、元親にもこういう時の政宗が「ロクでもない」というのが分かったのだろう。
  案の定、政宗は元親にとって面白くない事を言った。
「戦になりゃ、誰かは死ぬだろ」
「……おい。宴の時にそんな話は野暮だぜ」
「悪ィな。けど、あの毛利の奴がまた攻めてくると言ったのはお前だろ。何か考えてあんのかよ」
「何を」
「何かねえの。敵を迎え撃つ戦略」
「そんなもんはねえよ。来たら新しくパワーアップさせた重騎をぶつけて、俺の一太刀でお終いだ。簡単なもんだぜえ」
「ハッ……お前な。冗談も休み休み言えよ?」
  もっとも、元親に下手な小細工が出来るわけもない事は政宗にもよく分かっている。それでもあまりに単純なその答えに、政宗はさすがに失笑した。
「相手は智将だぜ。こんな状態で攻められたら今度こそやばい」
「……やばくねえよ」
「奴はお前と違って自分以外守るもんは何もねえ。兵隊全部手駒にしてどんな卑怯な手だって使ってくる。お前、それで真っ向勝負って、幾ら何でもバカ過ぎるだろ」
「煩ぇなっ! じゃあどうしろっつーんだ! この疲弊した状態でこっちから攻めろってのか!? 怯えてる奴らだっている! そいつらの尻、無理矢理蹴っ飛ばして、死んでこいと言えばいいのか!?」
  元親ががばりと立ち上がって怒鳴ったその声は先刻までわいわいとそれは楽しく賑わっていた場を一気にしんとさせた。皆が皆、さっと青褪め、中には内に秘めていた恐怖を思い出したようになって俯き泣き出しそうになっている者もいる。
  海の荒れくれ共とて人間なのだ。怖い時だってある。
「……悪い。白けさせた」
  政宗は己の非を自覚し、ゆっくりと立ち上がった。元親の怒りに満ちた目は政宗を責めてはいない。元親とて分かっているのだ。この状況がどれほど切迫し、そして他の者たちに大いなる不安を与えているかという事を。そしてそれに敢えて目を瞑り、一時の逃避としてこのような宴を開く己の無力さを。
「悪い、元親」
  だから政宗はもう一度謝り、船を降りた。
  らしくもない。政宗は他人の戦に自分が思い切り関わり、足を踏み入れようとしている事に舌を打った。元親とていつかは自分の敵になるかもしれない男。それでも、今ここで毛利に討ち取られるのを見るのは我慢ならないと感じていた。


  そして、その夜。


「政宗っ! テメエ、起きろ!」
「あ……?」
  宴の席で気まずくなったきり一言も言葉を交わさなかったのに、夜も大分更けた頃、元親が血相を変えて政宗の寝所に押し入ってきた。政宗がのろのろと上体を起こし寝ぼけ眼で片方の目を気だるく開くと、どうした事か元親は既に戦闘態勢に入っていて、武器まで携行していた。
「……おい。幾ら何でも早過ぎるだろ。まさか毛利の野郎がもう攻めてきたのか?」
「バカっ! 違ェ! あいつがいねえ!」
「は……?」
「いつきの奴がいねえんだよ! 何処にも見あたらねえんだ!」
「はあぁ…?」
  戦ではないのか。
  その想いが政宗の思考を鈍らせていたが、元親のただ事ではない顔色には自然顔が歪んだ。
「あいつがいないって、どういう事だ?」
「宴の時、弟分達からさんざ毛利軍の話を聞いてキレてたらしいんだ。『人を人とも思わない侍は許せねえ、オラが成敗してやる』とか言ってよ…っ! 威勢の良い事言ってかなり盛り上がってたんだと!」
「……だから?」
「だからーっ! まさかあいつ、元就ンとこ行ったんじゃねえだろうなっ!?」
「はああああ!?」
  政宗もそこでようやっと立ち上がって元親に目を剥いた。
「アホか!? 独りで行ったって事か!? そんなバカな事するバカが何処にいるってんだよ! 幸村の奴だってそんな事しねえ!!……って、いや待てよ…あいつならするかもしれねえな…」
「んな事考えてる場合かっ! 俺は行くぜ!!」
  元親は武器を背中に掛けるとくるりと踵を返しそのまま裸足で庭先へ下り立った。政宗はそんな元親にぎょっとして慌てて自分も傍の刀を取ったが、未だ今イチその状況を認めたくはなかった。タダでさえ面倒臭い事になっているのに、この上あのガキがまたそんな信じられない非常識な事をするなど、「意外に常識人」な政宗には到底受け入れたくない事実だったのだ。
「おい…またどっか食いもんの樽に入ってるってオチはねえよな?」
「ねえよ! 一応全部の樽を開けさせたからな!」
「そ、そうか…悪いな…」
「ああ、そうだよ! テメエがあんなガキ連れて来るからこっちは大迷惑だ!」
「あぁ!? 俺は知らねえよっ。あのガキが密航してきたんだ、密航! 俺は関係ねえの!」
「けど、今はお前が保護者だろうがっ。いいから行くぞ!」
「って、やっぱ俺も行くのか……って、おい元親! 待てよ!!」
  だだだーっと一人突っ走って行く元親に声を張り上げながら、政宗は心底頭を抱えたい気分に陥った。無茶もいいところだ、一人で毛利の所へ攻め入るなんて。
  しかし、その無茶をやってしまうのが「神の子」か。
「あ〜…。あいつ回収できなかったら絶対俺のせいにされんだろうしな…。くそ、やっぱ小十郎も連れてくれば良かったぜ…!」
  政宗は既に姿の見えなくなった元親の去った方向に気を留めながら、それでも腹を括って自らも出かける準備を始めた。
  そして思った。


  まあ、いい。どうせ俺も毛利を拝みたいと思ってたところだ。
  この戦も面倒事も、行って一気に終わらせてやる。



中編へつづく…



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