鑑定2
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明智はいつもいつでも、飢えていた。 とにかく気紛れで気が散りやすい性格だから、たとえ「あれが美味しそうだ」と思ってそれを実際手に掛けてみても、その望みを叶えた直後にはもう冷めている。 十人、ニ十人、或いは何百人と試してみてもそれは同じで、「料理」をしているその時々は愉しくとも、事が終われば心は冷え冷えとして乾いていて、時には怒りにも似た苛立ちすら抱えていた。 だから信長に対する己の執着には我ながら感心するし、彼を美味しく頂く為の努力を惜しまない自分の事も明智は好きだった。 それ以外の事はどうでもいい。興味がない。身体の中が空っぽだ。 少し腹が減っていた。 「旦那旦那ッ! ちょっと落ち着いてって!」 「煩い佐助! は、離せッ!」 「んな事言ったって、離したらまた暴走しちゃうでしょーがッ」 どれくらい歩いた事だろうか。 何日も暗い時を見計らい東へと移動を続けていた明智は、ふと前方から聞こえてくるその耳障りな音にザッと素早く気配を消し、身を潜めた。 恐らく向こうは気づいていないだろう。何やら激しく言い争い、もみ合っているような様子だ。先を急ぐ自分の通り道を邪魔するのならこの鎌でひと払いして消し去るだけだが、明智は殆ど本能でそれをするのが難しいと言う事を悟った。 厄介な……。かなりの手練ですね……。 「それなりの味というなら、絡み甲斐もあるというものですが……」 暗闇の向こう側にいる影二つに聞こえない程の声で言い、明智は不穏な笑みをその薄い唇に宿した。 そしてすうと眼を細める。 元々凶暴な獣の本性を併せ持つ明智はこんな闇の中でこそその力を発揮する。意識を集中すればする程に、常人では到底見る事の叶わない遠方の闇中も知覚・把握する事が出来るのだ。 「いいから離せ佐助! 暴走ではない! 俺はただ、話をしに行くと言っているだけだ!」 「だからぁ〜。今の向こうさんは話どころか、会う気がないって言ってんだよッ。行ったってまた追い返されるだけ! 無駄!」 「む、無駄かどうかは行ってみないと分からん! 今は気が変わられているかもしれないだろう!」 「んな早く心変わりするような人かって!」 「いいから離せーッ!」 「駄目〜!」 ぎゃあぎゃあと喚き散らす男二人の声に明智は不快なものを見てしまったというような顔をして暫し視線を他所へ逸らした。 何と騒々しい輩か。 見た感じどちらも腕に関しては覚えがありそうだ。しかし切り刻むにはちと物足りない。早い話、パッと見「タイプ」ではない。明智はそう思ってらしくもなくふとため息をついた。 それに、組み合わせが悪い……。 「一人は割といい感じですがねえ…」 明智は傍目からは誰彼構わず殺戮を愉しんでいるような狂人に思われがちだが(実際狂人ではあるが)、彼なりに好みというか得手不得手はある。 前方にいる二人のうち、あの赤い炎を纏っているような方は割と…いや、料理をする上では相当面白い部類に入る。自分とは正反対の純で眩しい光のようなものを放つ若人。あれを思うがままに組み伏してバラバラにしてやるのはさぞかし快感であろう。 しかし、隣にいる忍がいけない。 「同属嫌悪とでも言いましょうか…」 男が忍であるというのはその姿をはっきりと認めてからすぐに勘付いた……が、その実力に関しては細部まで読み取る事は出来ない。というのも、あれは明智と同じ闇の属性にいる人間で、炎の男とは違い、そう簡単に底を探れるタイプではないのだ。 そしてその闇と恐らくはその闇以上の力を持つ正統派戦士の炎とが組んでいては、さすがに「ひと払い」で道を開けさせるという事は難儀に思えた。 (さて…どうしたものか……) 明智はぎりと爪を噛み、二人の動向を再び探った。片目の竜こと伊達政宗がいる奥州の地はもう目と鼻の先である。急げば今夜にも彼奴の居城へ潜入する事が出来るかもしれないというのに、こんな所で足止めとは癪に障る。 「……佐助。お前は俺の言う事が聞けないのか?」 掴まれた腕を勢いよく払いながら炎の男が言った。闇の方―どうやら佐助というらしい―は、そんな相手に思い切りため息をついてからゆっくりと首を振った。 「俺は旦那の為を思って言ってんのさ。毎日こんな事して一体何の意味があるの? 毎日毎日、竜の旦那に追い払われるだけ。そんな非建設的な事してないで、もちっと違う事に目を向けたら?」 「俺はッ! 一度気になると他の事が手につかん!」 「んな事偉そうに言われてもねえ」 「俺は政宗殿の事が心配なのだッ!」 炎の男がそう言うのを明智は目を見開いて凝視した。 誰の話をしている……? 「……! あの男…」 そう、そしてすっかり失念していたけれど、あの炎の男を自分は知っている。ちらと見かけた事があるではないか……明智ははたとその事に気づいて緩く首を動かした。 そう、あれはいつかの戦場で見かけた甲斐の若虎子だ。 信長が挙兵した甲斐との戦、自分は全く面白くもない後方の護りを命じられて何も狩る事が出来なかったけれど、ほぼ優勢の織田軍に唯一苦戦を強いていたのが、あの信玄公の懐刀・武田の騎馬隊を率いていた真田幸村ではなかったか。遠目で見た感じでもなかなかの若武者に思えたものだ。 まさかこんな所で合い間見えようとは。 そしてその幸村が何故今ここで独眼竜の名前を出すのか? 「あのねえ旦那」 そんな明智の唐突に沸き起こった興味をよそに、佐助と呼ばれる忍が幸村に言い含めるような声を出した。 「旦那は何処の国の人? 誰に仕えてンの? 旦那の夢ってナニ?」 「な、何を突然…」 「答えて」 ぴしゃりと言う佐助はおよそ従者という枠を越えているように見えたが、幸村はそんな相手にぐっと口篭り、悪さを見つかった子どもような声でぼそぼそと呟いた。 「お、俺の夢は…勿論、お館様に天下を取って頂く事だ…。甲斐の皆が幸せに暮らせるような国を…いや、甲斐だけではない、戦のない世を望む全ての力ない民が安心して暮らせるような時代にする。お館様ならそれが出来る。俺はそんなお館様を微力ながらもお助けしたい」 「分かってるみたいだね」 「だが佐助、俺はッ!」 「だが、じゃないでしょ! 独眼竜は敵でしょ! 旦那の! お館様の!」 「……ッ」 「……若いとはいえ、独眼竜の旦那は仮にも一国の主だから。真田の旦那より先にその事に気がついたんだよ」 「………」 黙りこむ幸村が何を考えているのか、明智がいる位置からは臨めない。佐助が慰めるようにその主の肩に手を置いている……が、不意に。 「……そこにいる奴、何?」 忍がこちらを見ないままそう微かに発したのを認め、明智はちっと舌打ちしながら素早く跳んで身体を後ろへ逸らせた。 直後、たった今までいた場所に幾つもの手裏剣が次々と突き刺さってくるのが見えた。 「おやおや…くくく……見つかってしまいましたか……」 ハアッと、息を吐き出し体勢を整えた明智は、つい二人の会話に…特に幸村の切羽詰まったような顔を凝視し隙を作ってしまった己に苦笑した。幸村は明智の声で初めてその存在に気がついたようにぎょっとし、「誰だ!?」などと叫んでいたが、今明智が気にするべきはその炎の男というよりも闇の忍の方だった。 そうだ、しかもコイツさえ先に排除してしまえば、この真田幸村とゆっくり対峙する事も出来るではないか。 「やれやれ…。今夜のメニューが急遽変更されてしまいましたよ…」 とはいえ、二人を一度に相手するのは分が悪い。 まずはどうやってこの闇の忍を始末するか…明智は爛々とした眼を相手に突き刺しながら、猛烈な勢いで思考をフル回転させていた。 |
<後編へ続く…> |