きっといる。2



  政宗はイライラとした想いを抱きながら馬を駆っていた。

「ったく、あの生臭坊主。相変わらず痛いトコばっか突きやがるぜ…」

  わざわざ口に出したのは、その居た堪れない気持ちをいつまでも胸の内に燻らせているのが嫌だったからだ。
  実際、幼少時よりの師が言い放った事自体は、殆どが政宗自身予測し、期待していたものには違いなかった。……けれど改めてそれを突きつけられると、当然の事ながらそれを面白いと思う事は出来ない。





  あの古寺で。
「殿の将棋は、いつでも真正直に過ぎますな」
  こんな時だけ「殿」などと呼ぶ僧が憎たらしくて、政宗はその不快を隠す事なくさっと眉を吊り上げた。一方で、「ああ、だから小十郎の奴も俺を嗜める時はこんな呼び方をするのか」と思い、舌を打つ。
「これでも最近は捻くれてるって言われる事が増えたんだぜ。成実の奴からは、『嫌な大人になりやがって』なんて毒づかれるしよ」
「確かに、あの国境警備は嫌な大人のやる事ですな」
「………おい」
  ぴくりと怒筋を浮かべた政宗に、しかし僧は知らぬ顔だ。
  ぱちりぱちりと僧が動かす将棋の駒は、先ほど政宗が一人で動かしたものとはまた少々異なった動きを見せている。ボロボロの障子越しに見える夕闇を眺めながら、政宗はしかし一方でその僧の手が動かす音を黙って聞いていた。
  けれど、不意に。
「ん……」
  政宗は立ち上がった姿勢のまま盤へとさっと視線を落とした。僧が何気なく動かしたそれ―桂馬の動きに、違和を覚えたのだ。

  それは何を指している?

「序盤の数手に口を差し挟む余地はございませぬ」
  政宗の懸念を無視し、僧は静かな声で言った。
「ですが、殿はまだこの局の全容が見えておられない。……活きた駒はまだ、おりますぞ」
  その言葉に政宗は身体ごと僧へ向き直り、眉をひそめた。組んでいた腕は自然解かれ、だらりと下がる。
「それは豊臣以外にもダークホースがいるって意味か? だが、その桂馬に王は獲れねえぜ。そんな位置にいたんじゃな」
「己の欲する勝利が万人の望む勝ちと思わぬ事です」
「………」
「殿。世界は広いですぞ。戦の定跡とは?」
「情報だろ」
「さて、今の奥州にそれがあります事やら」
「どういう意味だよ。草は各地に配してる。豊臣の情報だってな―」
「殿」
  逸る政宗に僧はさっと片手を挙げた。思わず政宗の動きが止まる。年長者が物を言っている時は最後まで聞けと、昔口を酸っぱくして教えられた事が条件反射で身についていた。
  政宗が憮然としつつも大人しくなった後、僧は再び口を開いた。
  初めて政宗を真っ直ぐ凛とした眼で捉えながら。
「殿。これだけはよくよくその御心に留め置かれよ。恐怖は、人を、萎縮させる。……殿があの魔王のようにならぬ事を祈るばかりです」
「……何言ってんだ?」
「お2人はとても―…とても、似ていらっしゃる」
「宗乙!」
「よくよく留め置かれよ」





「よりにもよって、俺があんな性格悪いオッサンと似てるだぁ!? くあ〜、むかつくッ!」
  唾を飛ばし、政宗は馬上で尚も声を上げた。
  何だかんだともう日はどっぷりと落ち、辺りは闇に包まれている。今頃城は大騒ぎだろう。これがほんの少し前なら、「ちょっと出かけてくる」などと気軽に四国へ船を出したりもした政宗だから、皆もそこまで躍起にはならないだろうが……。
  小十郎(特にコミックス版の方)の悪鬼のような顔を思い浮かべて、政宗はさんざ愚痴を零した後、苦虫を噛み潰した。

  まったく面倒臭い。真面目に仕事をすればしたで、最近のあいつはまた何か言いたそうな顔で俺を見る。
  そして、あの宗乙に至っては、俺が「魔王に似ている」ときた!

「どうしろってんだ………って? うおッ!?」
  しかし、その時だ。
「危ねェッ!!」
  夜目が利く方とは言え、少しぼんやりし過ぎていた。
「Shit…ッ!!」
  政宗は半ば自主的に城までの帰路を暴走していた愛馬に慌てて「止まれ」の合図を送った。…―が、それのせいで愛馬は思い切り不満な声で嘶くと、高く両前足を上げて政宗を振り落とそうとした。政宗の愛馬は、普段はとても賢く良い馬なのだが、一度走り出すと性格が変わるというか、まさに「暴走馬」と化す為、基本的に政宗が「待て」の合図を送らないと勝手にどんどんスピードを上げていく恐ろしい癖がある(もっともそんな性格でないと伊達軍の軍馬は勤まらないが…)。
  その為、この時も愛馬は「自分の前に座り込んでいる人間」の存在に気づいていたくせに、「まあいいか」とそのまま突っ走り抜けようとしている節が見られた。
「お前なぁ…ちっとは遠慮して走れッ! 無駄に人間轢こうとするなッ!」
  政宗の当然の叱咤に、しかし愛馬は不服そうだ。依然として「何故止める」と荒く鼻を鳴らし、いやいやもっと走りたいと首を振りまくった。
「ったく、落ち着けっつーの!」
  それを何とかかんとか宥めすかし、或いは再度叱りながら、政宗は恐らくは恐怖でその場に竦んでしまった人間に声を掛けた。
「おい、アンタ! 大丈夫だったか?」
  暗くてその者の姿もはっきり見えなかった為、政宗は尚も走りたいという素振りを見せる愛馬の首筋を叩きながらさっと地上に降りた。
「おい、どうした。どっか怪我でもしたか?」
「………っ」
  恐ろしい軍馬が突進してきたのだ、無理もない。その人間―若い黒髪の娘だ―は、応える様子もなく、うずくまったまましくしくと泣きじゃくっていた。
  政宗は「あー…」と心の中でウンザリとした声を出しながら、がしがしと髪の毛をかきむしった。何だかロクでもない予感がした。
「怖がらせて悪かったな。どこか痛むところはあるか? ちょっと見せてみろよ」
「ひっ…!」
「Ah〜…、take it easy. 落ち着けって。何もしねえから。な? ちょっと怪我してねえか見るだけだって」
「……っ」
  嫌だ、触るなという風に女は激しく首を振る。
  それで政宗も肩を竦めて、女からざっと距離を取った。
「……アンタ」
  それに最初こそ動転したものの、政宗は女の身なりに密か不審な物を感じて警戒線を張った。
  どこからか旅をしてきたようだ、女の格好は明らかに村娘とは違った。それどころか、どう下に見積もってもどこぞの城下のお姫様という感じだ。長く垂らしたその艶やかな黒髪は、とても毎日畑仕事に精を出してます、町で物売りしていますという女のものではなかったから。
  そして女の傍にある薙刀。これは。
「なあ」
  もっとも、決して軽んじるわけではないけれど、女相手にびくびくするのも性分ではない。政宗は努めて優しい声を出してやりながら再度声を掛けた。
「なあアンタ、こんな所で何してたんだ? ここ何処だか分かってるか。奥州だ。アンタ、ここの人間じゃあ、ないだろ」
  色々と思い当たる武将の娘を思い返してみたが、それらしい者には行き当たらない。当然だ、この時代に薙刀を振り回す破天荒な女が領内にいればすぐに噂に入ってくる。元々いつきや前田の正室が「反則的」というだけで、「普通の女」は武器など持たない。
「このご時世、んな物騒なもん持ち歩いてるとあっという間に捕まっちまうぜ? ここの大将は怖ェって評判だからな」
  己の特徴である眼帯をさり気なく外し、その右目を隠すように横を向きながら、政宗は女に向かってそう言った。
「知ってる……。独眼竜、でしょ……」
「はっ?」
  女がやっと声を出したという事もあったが、そのゾクリとするような地を這う声に、政宗は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
  けれどそんな政宗をちらとも見る事なく、依然として項垂れたままの女は涙を零しながらぎりりと細い手で地面の土を握り締めた。
「………」
  その様も、どこか背筋が寒くなるような怨念を感じさせる動作だった。実際政宗は「コイツ、ホントに生きてる人間か?」と真面目に「そちら方面」での疑いを掛け始めたほどだ。
「……大将。奥州の、大将の、こと…」
「あ? あ、ああ…」
  一瞬、もう自分の正体を言い当てられたのかとも思ったが、どうやら女は政宗が先ほど口にした台詞を受けて言葉を出していたらしい。
  政宗は「どうも調子が狂う」と思いながらも、気を取り直して頷いた。
「おう、そうだぜ。独眼竜・伊達政宗な! あいつ、他所モンが自分トコの領内に入ると問答無用で斬り捨てるって事だから、アンタも他所の国の人間なら朝が来る前にさっさと国境出た方がいいぜ」
「………」
「何なら俺が送っていってやるか? 迷ったんだろ」
  これだから自分は甘いというのだ。
  心の片方で「莫迦な」と思いながらも自然そんな親切を言ってしまっている自分に政宗は猛烈に腹が立った。何の為に警備を強化したのか分かったものではない。女だろうが子どもだろうが、得体の知れない思い切りアヤシイ奴。こんな女は何の為にここへやってきたのか厳しく問い詰めて、さっさと部下に引き渡してしまうに限る。
  それなのに、それどころか、部下たちに知られる前にさっさと国境外へ出してしまおうと画策する自分がいる。
「くそっ」
「……どうしたの」
「あぁ? 何でも
ねえよっ」
  イライラとした政宗の波動を素早く感じとったのだろう、女はびくりとして一瞬は顔を上げたものの、すぐに恐ろしいものを見てしまったという風に俯き、がたがたと震え始めた。
  政宗はそれでさすがにはっとし殺気を仕舞うと、「悪い」とすぐに謝った。
  女に当たるなんてどうかしている。
  未熟なのは自分自身のせいなのに。
「やっぱりガキだな、俺は」
  政宗はまたどうしようもないという風に大きくかぶりを振ると、ふうと大きくため息をついた。
  そうして依然として震え続ける女に「なあ」と小さく声を掛ける。
「悪かったって言ってんだろ? 俺の不機嫌はアンタの言動とは無関係だ。こういうの何て言うんだ、あー、そうそう、単なる八つ当たりだな!」
「………」
「だからもう泣くなって。女泣かせる趣味はねえよ」
「……八つ当たり」
「そうそ。最低だろーははは!」
  ヤケクソになって政宗は己を笑って見せたが、女はぴくりとも笑わなかった。
「はは…。お前、ジョークとか分かんねェ奴なんだな…」
  そんな相手のリアクションに自分が本当にバカに思えてきて、政宗もやがて引きつった笑いを引っ込め、はあと肩を落とした。どうにも、今日はツイてないのだ、きっと。
「ま、そんなわけだからよ。侘びの印に家まで送ってってやるよ。迷子なんだろ、アンタ」
「……違う」
「は? 違う? けどよ、迷子でなかったらこんな夜中にこんな山中うろつくか、フツー? 一体何処を目指してたんだよ」
「独眼竜のところ……」
「何?」
「独眼竜のところに…行きたいの…行きたいの……」
「……何でだよ」
  政宗がぴたりと動きを止めると、女は握った土片を掌で遊ばせながら、再びぽろぽろと涙を零し始めた。
  そして政宗に言うでもなく唇を動かした。
「貴方のさっき出した殺気……。兄さまに、似てた」
「兄様…?」
  訝しげにその単語を繰り返す政宗に、女はそっと頷いた。
「迷ってる…。そうなる事を迷っているけれど、一瞬出したそれは…あの闇、そのもの。分かるわ。だってずっと見て、この身に受けてきたものだもの。あの殺気は…闇は……とても、怖い」
「……何の話だ」
「闇は止めなくては…。皆、死んでしまうもの……皆、皆……死んで、しまうもの」
「お前、誰だ」
  冷たく言ったつもりはなかったけれど、優しくもなかったかもしれない。
  女はまたびくりと肩を震わせ、握っていた土片もぼろぼろとその地面に零した。
  そしてあくまでも政宗の顔は見たくないという風に項垂れたまま、その生気のない唇を戦慄かせた。
「市は……市は、兄さまの人形……。でも、でも今は……何とか、したいの。皆を……助けたい」



<後編へ続く…>



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