衛門(おにえもん)は途方にれる




  長曾我部元親は泣く子も黙る「鬼ケ島の鬼」だが、今現在は何故か見知らぬ土地で独りボー然と立ち尽くしていたりする。
「分かンねェ…」
  岸に乗り上げた船から降りて、波打ち際でざっぱんどっぽんと冷たい海水を浴びているが、どうにも思考がはっきりしない。この状況を飲み込めない。
  一体何をどうしたら、こんな訳の分からぬ所へ辿り着いてしまっているのか。
「おめさ、何してるだ?」
「……あ?」
  その時、不意に背後からそう不躾に声が掛けられて、元親は海岸線から視線を逸らして振り返った。
  そこには元親に不思議そうな目を向けている童の姿があった。それは一見すればただの女の童なのだが、元親が「何だコイツ?」と思ったのは、その子どもが背中に巨大なハンマーを背負っていたからであった。

  このありえねェ状況。……俺は夢でも見てンのか?

「あ、もしかしておめさもこれから政宗ン所へ行くだか? 今日の大会にお招きされたお客さんだろ?」
「は?」
「あーそうだそうだ、そうに違いねえ! だってこんなおっきな船に乗ってるんだもんな! あの後ろにある船、おめさのだろ? すっげえなあ、こんな船持ってるなんて、おめさ、何処の偉いお殿様だべ?」
「……へ、へへ。まぁな。かなり凄ェとこの大将だぜ俺は……」
「全っ然、そうは見えねえけどな!」
「おいっ」
  思わず乗せられて調子に乗りかけた元親だが、あっという間に落とされてがくんと腰くだけにされる。これだから生意気なガキは嫌いだと思いながら、元親は気を取り直したようになって一つわざとらしい咳払いをした。
「あー、ところでガキ。お前、今政宗の大会がどうのって言ったが」
「言っただ。どうでもええが、おらの名はいつきだべ。政宗もいっつもオラのことガキガキ言うだが、ほんに失礼だぞ。ちゃんと名前で呼べ!」
「……あのよ。お前の言ってる政宗って、まさかあの独眼竜政宗……とは、違うよな?」
「そうだ」
「あ?」
「そうだって言っただ。政宗はあの伊達政宗だ。おめさん、何なんだ? 政宗の知り合いじゃねえのか?」
「ちょっと待て……? あー、待て待て?」
  額に手を当てながら元親はいつきに向かって黙れという風にもう片方の空いている手を差し出した。

  何だ? するってえと、ここは……奥州なのか?

「もう大会が始まるだよ。おら、もう行くぞ。おめさん、どうする?」
「……大会ってなぁ、何だ?」
「おめさん、本当に何も知らないで来たんだな。大食い大会だべ。<独眼竜ぷろじゅーす>?っとかいう、何だかけったいな名前で政宗が周辺の殿様招いて勝負するって言うだよ。誰が一番お団子いっぱい食べれるかって」
「……………あ?」
「ほんにオラもう行くぞ。遅れてしまって失格になったら大変だべ」
  全く要領を得ない元親にいつきもいい加減痺れを切らせたようだ。じりじりとした顔をすると背中のハンマーを改めて背負い直すように体勢を整える。
  そうして未だ考えこんでいるような元親を置いて再び走り出そうとして……しかしいつきはぴたりと立ち止まり、振り返った。
「何ならおめさんも来るだか?」
「え…?」
「飛び入り参加って事にすればいいだよ。な、そうしろ! 大勢の方が楽しいって政宗も言ってただし!」
「は? 何をお前…っておいっ! すげぇ力でひっぱんなって!」
  しかし元親の当然の抗議もいつきには全く聞こえていないらしい。自慢の怪力で元親の手首をむんずと掴むと、後は豪快な笑みと共に目的の場所へ向かって一心不乱に走り始めた。
  だから元親はただもうそれに従い、流されるまま後をついて行くしかなかった。





「何だこりゃあ……」
  だだっ広い平原には紅白の幕で仕切りが作られ、更にその周囲には花やら何やらの豪奢な飾り付けが施されている。更に更に更に幾重にも連なる長い木造りのテーブルには三色の団子が所狭しと並べられていた。
「マジでやるってぇのか大食い大会……って、何…?」
  しかし元親が度肝を抜かれたのはその「団子大食い大会」自体ではなく、そのテーブルの前にズラリと並ぶ参加者の顔ぶれであった。
「あ、あそこにいるのってよ…」
「何だ?」
  大会に出場を希望する選手は番号の振られた「ゼッケン」なるものをつける決まりらしく、いつきも元親に応えながら「7」のついたものをいそいそと首に掛けていた。おまけに彼女は「おらの知り合いだがらって貰ってきた」などと言って、元親にも「8」のついたものを当然のように寄越してきた。
  それをつい何となく受け取ってしまいながら、元親は前方の席について気合の雄叫びを上げている2人を指し示した。
「なあ。あそこで馬鹿みてェに声張り上げて殴りあいしてるのって、1人は甲斐の虎…武田信玄じゃねえのか?」
「そうだな。隣はその家臣、真田幸村だ」
  いつきは何という事もなく頷いた。
  確かに、元親が指し示す方向には紅い鎧を身に纏った信玄と幸村が「団子を食うにはまず気合から!」と2人して壮絶な殴り合いをしているところだった。傍で彼らの従者らしい忍が止めようかどうしようか逡巡している姿が何だか憐れだ。
「……おいちょっと待て。さらにあいつらの隣にいるのは……う、上杉謙信じゃねえのか!? 何であの2人が仲良く肩並べて団子の前に座ってんだよ!」
「んなの。2人ともこの大会の出場選手だからに決まってるべ」
「………おい」
「ところでおら、まだおめさの名前知らねんだども、エントリーする選手は名前を書かなきゃいけないもんで、適当に<鬼衛門>にしといだがら」
「はあ? 何だそれは!?」
「おめさんからは何が鬼のオーラみたいなもんが感じられるんだよなぁ。だがら」
「ま、まあそれは当たってはいるが、けど何で鬼エモンなんだよ! んなのカッコ悪ィじゃねえかッ!」
「そったら事、おらは知らん」
「テメ…!」
「よう。来たな、クソガキ」
  しかし元親が大人気なく更にいつきに突っかかろうとしたその時だ。背後からそう陽気に声を掛ける者がいた。
「遅かったじゃねぇかよ。来ないかと思ったぜ」
「んなわけあるか。今日はオラ、めいっぱい食うど! そんで、優勝旗を村に持ち帰るんだ!」
「ははは、そうかそうか。ま、頑張れや」
「どうでもいいが、おらの名前はいつきだって何回言わせんだ、お前」
  ぐりぐりといつきの頭を撫でる男は彼女のそんな抗議にもまるで堪えた風がない。相変わらず「ガキはガキだ」と流してしまい、それで余計に怒るいつきを楽しげに見やっている。
「………」
  間違いない。元親はそんな蒼い服を身にまとう片目の男を凝視し、ごくりと唾を飲み込んだ。
  こいつが奥州を束ねる独眼竜の伊達政宗か。
「おい、ガキ。ところでコイツは誰だ?」
「……ッ!」
  元親の鋭い視線に気づいたのだろうか、政宗がちら目をやりながらいつきにそう訊いた。
「鬼衛門だ」
「お前ンとこの村の奴……にしちゃあ、身なりがどっかのボンボンだな? 誰だ?」
「ぼ……! んだとテメエ! この格好のどっこがボンボンだ!? ってか、ボンボンってなぁ、何だ!?」
「はぁ?」
  何だこいつ、と口元で呟いて苦笑した政宗に、元親は「とりあえず馬鹿にされたらしい」と感じ、きっと眉を吊り上げた。……しかし仮にも四国を治める「鬼ケ島の鬼」が、ちょいと気ままに船でそこらを見回ってくると海を出たら嵐に遭って、気づいたらこんな所まで来ていました……などとは、口が裂けても言えない。そんな「馬鹿」な事をしたと分かれば、いずれは敵になるであろうこの男に「馬鹿」にされるのは目に見えている。けれども今の時点でそれはバレていないわけで、ならば今のところコイツに「馬鹿」にされる謂れは全くもってないだろう……と、元親はぐるぐると回る頭の中で何だか訳も分からずそう思った。
「……ケッ。お前みたいのが独眼竜伊達政宗とはな…!」
  じろじろと不躾な視線をやりながら、元親は「とりあえずは俺こそがお前を馬鹿にしてやる」という風に口の端をくいと上げた。
  風の噂では奥州を束ねる隻眼の竜はその剣の腕だけでなく知略にも秀でた男で、先を見据えたその行動から西国の織田信長からも一目置かれていると聞き及んでいた。しかも異国との交流も取り入れ、船作りにも大層熱心だと聞く。同じく海を愛し船を愛する元親としては、一度は会ってみたい男だと思っていた。
  それなのに。
  それが何だこの気の抜けた様子は? 団子大食い大会? 独眼竜ぷろじゅーす? じゅーすって何だ、じゅーすって!
「何か俺の事知ってんのか? 俺はお前を知らないけどな」
「何ッ!」
  政宗は特別害意を持ってそう言ったわけではないのだが(無意識に人をイラ立たせる特技があるらしい)、元親は思い切りカチンときて更にずいと身を乗り出した。面白い、この男が本当に噂に違わぬ男なら、いっそここで一勝負してから国へ帰るのも良いだろう、そう思った。
「おい、お前……!」
  しかし元親がそれで気合を入れ、いよいよ声を大にして政宗に果し合いを求めようと思った時だ。
「政宗様。今川殿がようやくお着きになられました」
「AH〜? ったく、あの麿の野郎、やっとかよ…!」
  政宗は家臣の一人にそう声を掛けられるや否や、くるりと踵を返すともう元親の存在など忘れたように元来た道へ戻ろうとした。
「お、おいっ。ちょっと待てこらァ!」
「あ? おう、鬼衛門。まあお前もせいぜい頑張れよ? 俺は主催者だから参加しねえけど、優勝者にはビッグなプレゼントを用意してあっからな」
「は? びっく? ぷれぜんと?」
「1位の奴にはすげぇ賞品があるって事だよ」
「何!?」
「おらはなぁ。優勝したら政宗と金持ちの麿に言って、村で使う牛百頭と、あとはお菓子をねだるつもりだ!」
  横から嬉々として言ういつきに元親がぎょっとして気を奪われている間に、政宗はもう今度こそその場を去ってしまっていた。元親は暫しボー然としながらも、その先で「テメエ、遅刻だぞ!」と政宗に蹴りを入れられている「おじゃああああ」と叫ぶ白い顔の男にぎくりとして目を見張った。
  あいつは今川の馬鹿殿、義元じゃねえか。
「あんな奴まで参加してるって…一体どうなってんだ?」
「ん? ああ、あいつは何か政宗に恩があるとかで、無理やり<すぽんさー>?やら何やら言うのにさせられてるらしいぞ。この団子の材料も全部あいつが出してるっで」
「どういう事だ…。いや、武田、上杉、それに今川だと…? 伊達はいつの間にかあいつら全部抱えこんじまってんのか?」
「はあ? ……おめさ、もしかして政治の話をしてるだか?」
  いつきはぶつぶつ呟く元親にいちいち返事をしてやりながら、しかしこれには少しだけ嫌そうな顔をしてかぶりを振った。
「今日は無礼講だ。くだんない事考えんな。団子いっぱい食って、優勝して、自分の叶えたい望みを叶えればいいだよ!」
「叶えたい……望みだと?」
「んだ。鬼衛門の望みは何だ?」
「………」
  いつきのその問いに元親はただ黙りこくった。



<続く…>




意図せず長くなってしまいました。くだらないテンションで後編へ続きます(笑)。

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