ソーユー



  元親は最高に不機嫌だった。しかも、「いつもは陽気で優しいアニキ」がピリピリとして仏頂面を続けているものだから、そんな元親を慕う弟分たちまでもが自然シュンとしてしまっている。四国は底抜けに明るい本日の快晴とは裏腹に、どんよりと曇った暗い雰囲気に満ち溢れていた。
「……そんな時に俺らんちの敷居を跨ぐとはいい度胸じゃねえか。あぁ? ザビーさんよ」
「Oh、モトチカ怖イ〜。ソレきっと愛ガ足りナイせいネ! ザビーが愛ヲ分けてあげル〜!」
「いらん!!」
  ともすれば手にしている酒をそのまま目の前の男にぶちまけそうな勢いで、元親はイライラとした態度全開で唾を飛ばした。
  ……気のせいか、いやきっと気のせいだけれど。自分の国があの政宗の奥州同様、気楽に余所者がほいほいやってくるような土地になり下がっている気がする。一国の大将として、政宗のあののほほんとしたお気楽な体制はまずいだろうと、先日奴が四国に来た時叱ってやったばかりだというのに。何故自分はこんな訳の分からない異国人を前に不味い酒を飲んでいるのだろう…と。元親は腹の底から湧き上がるじりりとした怒りをどうにも抑えきれずにいた。
「今日は何の用だよ。重騎なら売らねーぞ。今うちはそんな余裕ねェんでな」
「ソノようネ〜。コナイダ、サンデー毛利ニ攻められテお国ボロボロ状態ナノ、この辺りの人タチ皆知ってるヨ〜」
「……それで?」
  ぴくりと額に怒りの筋を浮かべた元親は、堂々と自分の逆鱗に触れる事を言ってのけて茶を飲んでいる怪しげな神の御使いを睨み据えた。元親は基本的に神という存在を信じていない。四国には御仏の心を大切にしたいと日々寺社の参拝を欠かさない民もいるし、元親もそういった者たちの気持ちまでバカにする気はないが、自分自身はどうなのかと問われると、やはり死んだ後の事などあまり深く考えていないというのが正直なところであった。
  ましてや、こんないかめしい男が説く「神」とやらが今の自分に一体どんな事をしてくれるのかと、胡散臭い気持ちでいっぱいだ。
  ……ならば何故こうやって己の陣地に入れ、あまつさえ茶まで出してしまっているかというと……それはひとえに何だかだで元親が甘い男であるからだと言えるだろう。
「重騎が目的じゃないとしたら何だ。あれか? うちが《ボロボロ》だから、これを機に四国を攻め落とそうってハラか? つか、何だよ、さっきのサンデー毛利ってのは」
「Ohモトチカ、色々な事いっぺんに言わナイ〜。慌てるコジキは貰いが少ないヨ〜」
「……あのな。いちいちむかつくんだよ、テメエの喋りはッ! つか、誰が乞食だ誰が!」
  いい加減追い出そうかといよいよ凄んだ元親に、しかし尊き神の教えを必ずや日の本に伝えるのだと公言して憚らない伝道師…ザビーは、再びズズズと大きな音で茶を飲み干した後、言った。
「神ハ〜怒れるヒトも悩めるヒトも平等に愛しマ〜ス。愛ノ足らないモトチカに、ザビーが愛ヲ教えてアゲに来タノデース」
「いらん!!」
「ナラ、コレあげるネ〜」
「……は?」
  尚も牙を向く元親に、しかし偉大なる神の御使いはさっと突然千草色の巻物を差し出した。元親が動きを止めてその不審物に思い切り怪訝な顔をして見せると、ザビーはすました顔で淡々と続けた。
「ワタシ〜。愛ヲ知らナイこの国救ウ為、遠イ所からはるばるヤテ来ましたネ。デスカラ〜、ワタシのコト、除ケ者ニするヒト嫌いネ!」
「アァ…?」
  ザビーは普段は実に温厚に喋るのだが、時々不意に本性を表すというか、酷くドスの利いた声を出す事がある。
  最後の一言にはまさにそんな毒が篭もっていた。
  それで元親が警戒したように身構えると、当のザビーはまた途端ニッコリとした気色の悪い笑みを浮かべ、肩を竦めた。
「デモ〜、モトチカはこうしてワタシと会テクレルシ! 重騎造ル技術モ教えてクレるカラ大好きネ! 四国ヲ狙ウ気は今のトコないヨ」
「……今のところかよ」
  そもそも重騎の技術も教えてやった気など毛頭なく、いつでもどこでも蛆虫のようにどこからか湧き上がってそこらにいるザビー教信者たちが勝手にこちらの同行を観察していたという背景があったのだが…。後にたくさんの見返りを寄越してきたので、とりあえずは放置していたというだけの話だ。
「そんで? うちを狙う気がないなら、何だってんだ? 中国の毛利でも狙おうってのか? あぁ?」
「ソノ通リ」
「!」
  あっさりとそれを肯定するザビーに元親はぎくりとして目を見開いた。
  ザビーは至って平静な顔をしている。再び茶に手を出してから、こほんと改まってわざとらしい咳などもしている。
  そして言った。
「アノ国、一番愛知らないネ。ワタシの力が最モ必要ナ国。アソコの大将サンを改心させテ、サンデー毛利とシテ生き返らせてアゲタイ。ソレがマズ第一のワタシの野望ネ」
「……バカ言ってんじゃねえよ」
「バカ? 何がバカ?」
「テメエなんかに殺れる相手じゃねえんだよ、あいつは!」
  ダンッと拳で激しく床を殴り、元親は息を荒げてザビーを射殺さんばかりの氣で見つめやった。
  先日、四国は元就が治める中国との戦を終えたばかりだった。勝負自体は平行線のまま終わりを迎えたが、その内容自体は明らかに元就にしてやられたという結果で幕を閉じていた。しかし元就はあと一押しすれば四国を自らの手に治められるというところで何故か追撃の手を緩め、気を削がれたというように撤退していった。屈辱だった。元就に直接直談判しに行った時は「ただのバカ」扱いされて放逐されてしまったし、このところ元親は「カッコ悪過ぎる」自分にどうしようもなく居た堪れない想いを抱えていたのだ。
  それを解消させる為には元就ともう一度決着をつける必要があると感じていた。今は時期ではないが、国が落ち着いたら必ず、と。そう思っていたのだ。
  それをこのザビーの「ハゲチャビン」は何を言い出しているのだろう。
「……いいか、よく聞け。あいつを倒すのはこの俺なんだよ。他所モンは引っ込んでろ」
「オ〜」
  目をぱちくりさせて大袈裟に両手を挙げるザビーに元親はますます声を荒げた。
「おー、じゃねえッ! いいかテメエ、余計な手出ししてみろ! 元就が手を出す前に俺がお前ン所攻めるぞ!? 分かったか!?」
「……デハ、モトチカはワタシと一緒に中国攻めル気はナイ?」
「はあっ? 何だよお前、同盟の申し込みか何かだったのか!? 余計冗談じゃねえ! 誰がテメエなんかと…!」
「ダケド、毛利ノ方ハ伊達と組んダみたいネ」
「………は?」
  ザビーのすかさず発した声に、元親は興奮で立ち上がり掛けていた身体をぴたと止めて眉をひそめた。
「何だってぇ…?」
「ソレ、サッサと見るネ」
  ザビーが指し示したのは先刻出してきた巻物だ。
「………」
  元親は再びどすんと勢いよくその場に座ると、ザビーが持ってきたそれをはらりと開いてそこに目を落とした。
「んな…ッ!?」
  そして思わず絶句する。
「ソレ〜、ワタシのトコの優秀な諜報部員ガ入手してキタ最新情報ネ。ミニザビーも飛ばして経過報告もさせテルとこだケド、奥州ノ独眼竜ト毛利の大将ハ、ソーユー仲にナッテルヨ〜。これはピンチネ!」
「こ……こんなもん、当てになるかよ…」
「モトチカ、声が裏返ってるヨ?」
「るせえっ!」
  バシリと巻物を叩きつけ、元親は遂に立ち上がって唾を飛ばした。
「テメエ、何の真似だッ! こんなふざけたもんわざわざ俺に見せやがって、誰が描いたか知らねーが、大体元就が奥州にいるわけねーだろ!? あいつは今…!」
  言いかけて元親はしかし口を噤んだ。元就と会ったのは先週の話だし、そもそも政宗も自分の国にほいほいやって来てしまうような奴だから、2人がどうにかして会っていてもおかしくはない。
  しかし。だがしかし、これは…。
「な、何で……政宗の奴と元就はこんな間柄じゃねえだろ……」
  床にびらびらと広がって晒されたその巻物には、一体どこの諜報部員が描いたものなのか、片目の男(恐らくは政宗の似顔絵のつもりだろう)と緑色のオクラのような人物(まず間違いなく元就の姿絵)が、仲睦まじく着物を選びあっている風景が描かれていた。その隣にはそんな2人に「ムカーッ!」と言って頭から大噴火を起こしている赤い侍(多分というか絶対真田幸村)の絵までつけ足されていて、更に先を遡っていくと、政宗と元就が仲良く床を共にしているみだらな描写まであった。
  一気に胸が悪くなって元親はざっと青褪めた。
  しかしそれに反してザビーは至ってマイペースである。
「毛利の大将ガ奥州ニイル、コレハ間違いアリマセーン。モシ〜、ソノ毛利サンがアノ独眼竜と組んだトあっては一大事ネ。そう簡単には攻められなくナルヨ。ワタシの調べたトコによるト、独眼竜はワタシを除け者にして他の大将サン達とも団子を食べアタリお酒飲んダリ、仲良くシテル。イカイ、ワタシが文句言って手紙送った時ハ、ウチにもお団子くれたケド…ソレ、見事に腐ってました〜ネ」
「……送り届ける途中で腐ったんだろ」
  どうでもいいと思いながらボー然として応える元親に、しかしザビーはばしばしと膝を叩きながら初めて急かすように言った。
「オ返しニ、昨日腐ったイカを送ってアゲましたネ! それよりモトチカ〜! 中国ト奥州ガそのつもりナラ、ワタシと組むネ! ワタシとモトチカのフルパワー最新兵器デ天下統一シマショー! この国に愛ヲ〜! ザビーヲ無視スル輩ニ天罰ヲー!」
「………」
「天罰ヲ〜!!」
「……っせえ」
「What? 何デスカ?」
「うっせえええええ!!!!!」
「OH! ナニ、モトチカ!?」
「うっせえってんだよ! いいから帰れテメエ〜ッ!!」
  弟分たちが驚いてわらわらと駆け寄ってくるほどの大声を張り上げ、元親は遂に爆発した。しかし、その迫力にさすがに驚きわたわたと逃げ出したザビーを追いかけ回しながら、元親は巻物に描かれた絵が脳裏から離れず、ただただ顔を真っ赤にした。
  ザビーのふざけた態度やスパイ紛いの卑怯な行動を非難する気持ちは正直全くなかった。ただ気になったのは、政宗と元就の仲睦まじい様子が描かれた絵、それだけで。

  アノの2人ハ、ソーユー仲。

「んなわけあるかよ…!」
  元就の取り澄ました綺麗な顔が頭に蘇ってきて、元親はますますカッと頭に血を上らせた。不可解な感情が全身を巡り巡っていく。
  ザビーを追い駆けながら、元親は元就が今何処にいるのか、本当に奥州に行っているのか確かめたくて仕方がなくなっていた。



中編へ続く…



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