夢吉は見ていた
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ここ暫く暗いムードだった伊達軍は、いつになく明るい雰囲気に満ちていた。 「おっしゃあぁ〜! 漢の一気、潔くいくッス!」 「俺は歌うぜえぇ―!」 「バーロー、テメエのへたくそな歌なんざ聴きたかねんだよ! 俺に歌わせろ〜!」 「俺だぁッ!」 「いや、ここは小十郎様に渋い演歌を一発!」 今夜は無礼講だと言う政宗の一言から始まった宴は、夕刻の陽が沈み切る前から始まって、既に数時間が経過している。 次々と運ばれてくる酒や食べ物に男たちは酔いしれ、また料理を運んだり酌をしていた女たちすら、いつの間にやらその宴に入り込んで頬を赤らめている。 皆、笑顔だ。 そしていささか、壊れ気味である。 「それもこれも、殿のご機嫌が治ったから。これに尽きますな」 「あぁ?」 伊達軍の宴はいつでもとにかくめちゃくちゃなので、最初こそ上座にいる政宗も、気づくと皆と同じ席で酒を傾ける事は珍しくない。 今夜もそれで、いつの間にかもみくちゃにされながら動いているうちに、ふと隣に来た綱元から涼しい顔をして杯を勧められた。 それを機械的に受け取りながら政宗は忠臣に探るような目を向けた。 「どっか遊びに行ってたらしいな?」 「はい。ですが、殿が更正されたと聞きましたので、慌てて戻って参りました」 「……ったく」 年齢的にも相当上の綱元には、政宗も小十郎たちとはまた違った意味で頭が上がらない。元々、兵糧の研究をしていて食に興味が湧き出したきっかけを作ったのもこの男だ。知略に優れ、また人間的にもとても信用に足る忠臣なのだ。 ただ、いつも一言余計なのが玉に瑕だった。 「―で。俺の機嫌が何だって?」 ちらと横目で睨み据えながら相手にも杯をやると、綱元はそれに恐縮しつつも、可笑しそうに小さく唇を緩めた。 「ですから。皆がこのように嬉しそうなのは、ひとえに殿が元の殿に戻られたから。この美酒の味でも、綺麗な女御達がはべっているからでもない。殿が本来の殿となられたお陰だと、そう申し上げているのです」 「本来の俺ってのは、何だよ」 「こういう殿です」 目の前に繰り広げられている酒宴を視線だけで指し示しながら綱元は済ましたように答えた。 政宗はそれに軽く嘆息した後、その忠臣にしか聞こえないような声でぼそりと言った。 「お前ってヤな奴な」 「曲者と呼んで頂きたい」 「煩ェ。なあ綱元、しかし考えてもみろよ。怖ェ時の俺は、それこそ奥州の民、お前等の事を考えた天下統一の戦略を練ってたんだぜ。それこそ、夜も眠らねェでな。1番確実で1番安全な策はねェか、戦力を落とさないうち短期間で各所を攻め落とすにはどうしたらいいか……ってよ」 「殿が引きこもっておられる間、成実のお守が大変でしたよ」 「そっちかよ! つか、あいつに言うぞ?」 「ははは、それは困りましたな」 「……ち」 やっぱりコイツは狸だ…そう思いながら、しかし政宗は気を取り直したように後を続けた。 「だからだな。折角俺がそうやって国主サマっぽく頑張ってたってのに……それがどうにも面倒で俺らしくねーからってよ、全部投げようとしてンだぜ。そんなんでいいのかよ?」 「はい。宜しいかと存じます」 「かっ。即答か!」 表情も変えずにそう答える綱元に、政宗は怒りを通り越し毒気まで抜かれてしまって、ただバカにしたように鼻先で哂った。 面前では成実がしきりに政宗を呼びながら「これが俺の最新兵器、メカザビー・改だ! テメエらも、よっく見てやがれ!」などと啖呵を切り、舎弟たちに訳の分からないロボットを披露していた。ただ、舎弟たちもその見た事もない異人メカに大盛り上がりで、さすがに城内で度が過ぎるだろうとコミックス版小十郎が小言を始めると、またそれに対して一悶着と……とにかく大変な事になっていた。 それでも皆、笑っている。 「なあ」 そんな大騒ぎを眺めていた政宗は、いつの間にかちょろりと近づいてきて酒宴に混ざっているあの小猿に驚きながらも、隣の家臣に再度声を掛けた。 「俺は俺にやれる事しか出来ねェ。限界以上の事に首突っ込んで、お前らやこの国の民を巻き込む事だけはしたくねェんだ。その気持ちに変わりはねーんだよ。…もう、あんな想いは二度と御免だからな」 「戦が近づいている以上、ああいったご経験はこれからもされるでしょうよ」 「嫌だ」 駄々をこねる子どものように即答する政宗に、今度は綱元が哂った。 「好き嫌いの問題ではありません。例えますれば、殿が奥州の民を想い、天下統一を成す為に修羅になられると仰るのであれば、我らも止める術を持ち得ません。ですから、今回の事とて誰も何も言わなかったでしょう? 嫌だも何もないからです。臣下とはそういうものです。ですから成実などは、殿がどんな戦略に出ようとも、一番隊を名乗って真っ先に最も激しい戦火の中へ飛び込む気でおりました」 「あいつ、バカだからな」 「他に2人といない忠臣です」 「知ってるさ」 「殿」 小猿は相変わらず呑気である。 綱元も政宗の傍で食べ物を拝借するその小動物が珍しいらしい、真面目な話をしているはずであるのに目線は常に下へいっている。けれどそんな視線の外し合いが実は却って互いの本音を紡げているのか、綱元はすらりとした口調で政宗を見ずに言葉を切った。 「こうなったから、心おきなく申し上げますがね―…。我らは殿がどんな殿であろうとも―賢王でも、普段から無茶苦茶な戦バカでも、静かに殿の命に従い、己の命を賭して戦います。当たり前の事ですがね。ですが、ならば―…、どうせ散らせる命ならば、《本来の殿》の下で討ち死にしたいと願うのが普通ですよ」 「《普段から無茶苦茶な戦バカ》で悪かったな。つか、死なせねえって言ってんだろ」 「無論、私とて好き好んで早々死んだりはしませんよ。ただ私は、主がつまらぬ賢王になる為、本来持つ崇高な魂を殺しているのならば、臣下も命を賭して戦う意味が半減すると申し上げているのです」 「………誉めてんだよな、それ」 当たり前じゃないですかと綱元はおどけ、それから彼は遂に小猿へ向けて指を差し出した。 猿はキャッキャとはしゃいだようになって綱元の腕を伝い、肩に乗る。へえ、この男が動物と心通わすとはと政宗は妙なところで感心したが、それを眺めているとまたその綱元が口を開いた。 「小十郎から聞きました。ここ最近、ずっとご気分が優れなかったとか」 「あ? …まあな」 「お加減の悪い事に殿ご自身が気づかれて本当に宜しゅうございました」 「お前なあ…本当、かなり無礼だぞ」 それでも今日は無礼講だったかと自分の言葉を思い出し、政宗はむっとした唇をすぐに元に戻して憮然とした。 それから杯をどかんと乱暴に置くと、むっつりとして腕を組む。 「……ああそうだ。めちゃくちゃ気分悪かった。慣れねえ事して、国境警備だ何だ、どこそこの国との密約だ同盟だって情報かち併せちゃー、またその度戦略練ってな。疲れるっつーんだよ」 「真田殿とも気まずくなられましたしな」 「……ここでアイツの名前を出すなって」 がっくりと政宗は項垂れたものの、しかしすぐにがばりと顔を上げると、そこにこそ真意はあったのだという風に膝を叩いた。 「つまりはな。俺は俺が面白ェと思った時のみ剣を振るっていてえって類の人間なんだよ。アイツと勝負してる時みてーに、いつでも熱い戦いだけがしてーんだ」 宴は更にわあわあと異様な盛り上がりをみせており、政宗も相当大声をあげていたと思うのに、見事それらの騒音と交じり合って微かなものとなった。 けれど隣の綱元にはきちんと聞こえていたらしい。 「ですから、それで宜しいではありませんか。そういうご自分に戻られる事に決めたのでしょう?」 「さあな」 「おや。ではこの宴にはどんな意味が?」 「……憂さ晴らしだ」 フンと鼻を鳴らし横を向いた政宗に、綱元はまるで我が子を見るような目をして破顔した。 「良かった。やはり元の殿ですな」 「だから、そういういい加減な俺が頭じゃ、死人が出るってんだよ! だからお前にこんな話してやってんだ。俺の心の葛藤ってやつを見せてやってんだろ!」 それは身に余る光栄ですと綱元は猿を肩に乗せたまま一礼し、しかし瞳には依然として悪戯っぽい色を含ませたまま続けた。 「ですが殿。私も何度も申し上げましたよ。どっちみち皆、死ぬ時は死にますので」 「おま…お前なあ…! …あー、やっぱ話すんじゃなかったぜ!」 途中から訳の分からない話になってきたと思いながら、しかし政宗は綱元が言いたい事も小十郎の時同様よくよく分かってはいたので、これ以上の無益な言い争いは止める事にした。 「政宗様」 すると、恐らくは途中からとうにその会話を聞いていたのだろう、ゲーム版の小十郎が生真面目な態度を示しつつも、どこか頬を緩めたような顔で政宗の前に現れ、頭を垂れた。 「ご歓談中、失礼致します」 「これのどこがご歓談中に見えるんだ、お前は?」 「おや。私はそのつもりでしたが、殿には楽しい会話ではなかったようで」 「綱元、黙れ。で、どうした小十郎。お前も飲んでるか?」 小十郎には主と綱元の会話が微笑ましいものに映っているのだろう。変わらず穏やかな様子で、しかし声だけは潜めて簡潔に告げた。 「はい、存分に。―…ですが、あの客人が目を覚ましたようなのですが」 後半のその言葉に政宗は勿論、綱元もぴくりと肩を揺らした。 一瞬、気まずい空気が流れる。 「……まあ。そりゃ起きるよな。こんだけバカ騒ぎしてりゃ」 政宗はそう呟いて黒髪をまさぐった後、その「気まずい空気」の原因である人物―未だ成実と言い争いをしているコミックス版小十郎―を見つめやった。 「…こっち連れて来させたら、あいつ、キレると思うか?」 「……客人の素性については一部の者以外知らされておりませんからな。下手に大勢に見目を晒して騒ぎになる事は嫌うでしょう」 「はあ。なるほど」 しかし政宗が素直に納得して、「それなら大人しく部屋にいさせとけ」と言おうとした、しかしその瞬間―。 「あー! 姫さん、もう熱は下がったのか!?」 成実の嬉しそうな声と同時に周りがざわりと揺れ動いた。 「はぁ…?」 何でだよ、と政宗は口元で文句を言ったのだが、それには小十郎も綱元も答える術を持たなかった。 「あ、あの……。市………」 あの嵐の夜に政宗と出会った市という闇の少女。 第六征天魔王である織田信長の妹・お市は、起きぬけの乱れた着物姿に加え、オロオロとして青褪めた表情のまま宴の間に現れた。 そしてそんな市を見つめる伊達軍の面々。 それからおよそ3秒後。 「かーわーいーいー!」 「ひゅーひゅー! お姫さん、いらっしゃーい!!!」 「何てこった、客人を宴に招いていなかったなんてッ! 誰だ姫さん呼びに行きそびれてた奴はぁッ!」 「バカ、姫さんは熱を出されて休んでおられたんだ! けど、もう具合いいのか!? だったら俺らと飲みやしょうぜ!」 「アホ、病み上がりの姫さんに酒勧めるな!」 「かーわーいーいー!」 「テメエは煩ェ!」 もう大騒ぎである。 「……あいつら、女に飢えてたのか?」 政宗が半ばボー然としながらその異常な様子を眺めていると、同じく唖然として口を聞けない小十郎になり代わり、綱元が暫し考えこむように片手を顎先に当てて答えた。 「無論、姫の美しさに目を奪われたというのもあるでしょうが…。まあ、有り体に言えば、連中全員、酔っ払っているのでしょうな」 「んな事、真面目に分析してんじゃねえよ…」 実に嫌そうに政宗は言ったが、こちらに気づいて真っ直ぐ駆け寄ってくる市には「ああ、面倒な予感」と思わずため息が漏れた。 何にしろ、あの雷雨に打たれたのが悪かったのか、或いは長旅で疲れていたのか。恐らくは両方の理由だろうが、夜明け前にはぐったりして熱を出した市を政宗は「仕方なく」城へ連れ帰った。 そしてそれ以降―もっともまだ2日と経ってはいないのだが―政宗は市とはまともな会話もしていなかったし、顔もあわせていなかった。 「独眼竜」 だから市が何を言うかは分かっていたのだが、どうにもこの娘のドロっとした陰氣な雰囲気は苦手だと政宗は思った。 「あの……市…市、帰らなくちゃ…」 「そうだろうな。今頃お城は大騒ぎってやつだ」 「……ッ」 政宗の言葉にますます血の気を失う市は、しかしがくがくと震えながらも何とかその場に留まっていた。 それを多少憐れに感じた政宗は努めて優しい声を出して訊いた。 「身体の具合はもういいのか?」 「あ…。大丈、夫。あり、がとう…」 市は消え入りそうな声ながらも何とかそう礼を言い、また焦ったように所在なく視線を泳がせた。この周りの雰囲気に圧倒されているのもあるだろうし、今さらながら己の大胆な行動に青褪め、後悔している部分もあるように見えた。 それでも、と政宗は思う。 こんな無鉄砲さを以前の自分も持っていた。 そして今だってそれを捨てたくない、捨てられないと、もう知っている。 「なーなー、姫さん、一緒に飲もうよ!」 その時、空気を読めないほろ酔い加減の成実が市の傍にとっくりを持って近づいてきた。市が「え」と小さく返事をしたのも良い方に取ったのか、成実はますます調子に乗ったように口を継ぐ。 「いやー、姫さんがよ、梵と一緒に城帰ってきた時はたまげたよ。俺ら、あーんなに心配してたのに、我が筆頭は夜を徹してナンパかぁ!?ってなもんだったもんなぁ! 幸村に言ってやろって!」 「バカ野郎! 下らない誤解すんじゃねえよッ!」 成実の口から出た「幸村」の名前に政宗は慌てた。綱元同様、コイツらは何故いちいち幸村の事を持ち出すのか。 市の事を誤解されるのも、言っては悪いが怖気が襲った。 「大体俺は、人のオンナに手なんか出さねえ!」 「えっ! お姫さんって、旦那さんいたのぉ!?」 これには皆がショックを受けたようにまたざわざわと騒ぎ立てた。 政宗はそれにイライラしたのでとりあえず傍の成実を一発殴っておいたのだが、やがてすっくと立ち上がると皆の前で声を張り上げた。 分からないが、「言うなら今しかない」と―…。そう、思った。 「おい、お前ら!」 政宗の張りのある声に、何よりも主の凛とした呼びかけに、一同が一瞬のうちに静まり返った。中には裸になっていた者、顔から首から真っ赤になって目が虚ろになっていた者、眠りこけていた者もいたはずであるのに、気づけばその場にいた全員がしゃんとした眼をして政宗に注目していた。 政宗はそんな家臣たちに満足してから言葉を切った。 「聞け。―まずは、謝る。……悪かった」 しかし周囲がそれに驚いて何事か言おうとする前に政宗は素早く続けた。 「間違った事をしてるつもりはなかったが、ここ最近、俺はお前らを白けさせてばかりだっただろ。つまんなかったよな? それは素直に悪ィと思ってる。……俺は天下を獲る為に、俺自身を捨てていた」 それが正しい事だと信じていたからだ。多少非情になり、家臣や親交を持った諸国の武将たちと距離を持つ事になったとしても、それが引いては国の治安強化に繋がり、秩序のある国になれば、それはこれから迎え打つ戦にも有益であると信じたのだ。 また、その想いは今とて完全に間違っているとは思っていない。 「けど、俺はちっとばかし傲慢だった」 政宗は一人一人に目をやりながら続けた。 「俺がそうやって自分抑えてんのは、この俺自身にも、何より俺に命預けて戦ってくれてるお前らも結果的には裏切る事になるんだ。お前ら、クソ真面目なつまんねえ俺にはついてきたくねえだろう?」 「俺はッ。梵がどう変わっていこうが、ついてくぜ?」 成実が必死な様子で口を挟んだ。その実に真摯な熱い視線に政宗は思わず苦笑を漏らしたが、ぽんとその弟の頭を一つ叩いた後、再び家臣ら全員に目を向けた。 「当たり前だな。俺がどんなバカな…それこそ、魔王のオッサンみたいなよ、とんでもねえ暴君でも、お前らは俺についてくる。お前ら全員、俺に命預けるって約束していたよな」 だが…と政宗は一旦口を切った後、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。 「だが、その時俺もお前らに約束したよな。お前らが男見せる代わりに、俺も俺の戦いってやつをお前らにきっちり見せてやると」 だから俺は、と。 政宗は一瞬だけ口を閉じ、最後の最後、その言葉を口にしようか一瞬だけ迷ったものの―。 隣に立ち自分を見つめる市を一瞥した後、清々とした顔で宣言した。 「俺はまず、織田信長の野郎をぶっ飛ばしに行く」 |
<中編へつづく…> |