吉は見ていた2



  織田信長を討つという政宗の宣誓は、先刻までの宴の空気を一変させた。


「よっしゃー!! テメエら、飲みまくれー!!!」
「YHEAAAAAA―!!!!!」


  ………そう、ただの飲めや歌えやのバカ騒ぎが、もっともっと盛り上がる―まさしく、「大バカ騒ぎ」へと変貌したのである。

「AHー、やっぱうちの奴らはイイ。流石は俺の部下」

  次々と自分の酒を飲んでくれと群がる家臣たちから受けるまま酒を浴び、それでもケロリとしていた政宗は、ようやくその誓いの杯もとい「前祝」攻撃が一段落着いたところで、小十郎と外に出た。

「フツーはよ、いきなり魔王を攻めるなんて無茶だとか、それって後先何も考えてねーだろ、とか。誰か諌めねえ?」
「お望みとあらば」
「……気持ち悪ィな。何ニヤニヤ笑ってんだよ」

  背後に控えていたコミックス版小十郎の言に、政宗は何故か自身も唇に笑みを張り付かせたままわざとため息をついて見せた。
  城内からは未だとんでもなくハイテンションな騒ぎ声が聞こえてきている。ある者達は歌い、ある者達は踊り、ある者達は笑いながら語りあっている。それは確かに宴始めの風景と何ら変わる事はないが、その彼らが身に纏う《氣》それそのものは明らかに色合いが異なっていた。
「あいつらって、ホント無茶な戦が好きだよな」
  政宗が呆れたように言うと、後ろについていた小十郎がまた笑った。
「何処かの殿に似たのでしょう」
「フン」
  小十郎の言葉に鼻で笑って、政宗はしかしくるりと再び背を向けると、特に目的なく歩き始めた。そうして喧騒を離れ、城門のすぐ入口にまで来るとぴたりと足を止める。見張りの兵が慌てて近づき頭を垂れたが、政宗はそれに軽く目配せすると彼らすら払ってようやく小十郎と向き合った。
「小十郎」
「は…」
「実際問題、あの野郎をぶっ倒すっつっても、事はそう単純じゃあねえ」
「はい」
  小十郎は政宗の言葉に膝をつき、頭を垂れた格好で聞いていた。特に言葉を差し挟むつもりはないようだ。
  政宗はそんな忠臣を見下ろしてから後を続けた。
「奥州をシめてるっても、まだまだ磐石じゃねェしな。北も前よりは大分落ち着いてきたが、最上あたりが近頃またきな臭い動きをしてやがる。そのすぐ傍にゃ上杉だろ。…まぁ奴は大虎のオッサンにしか目がいってねェみてえだが、やすやす隙作るほど間抜けじゃねェし。で、下には北条と徳川。―特に徳川は危ねェ」
「草によると徳川は織田と結ぶ動きがあるとか」
「ブラフだろ」
「は…?」
「だから面倒なんだよ、ああいうのは…」
  政宗は家康と全く親交がないわけではない。
  以前、徳川の忠臣である戦国最強との異名も高い本田忠勝が、何を迷ったのか奥州で軽い「故障」をした事があった。それを直してやった好で、以前政宗は家康から詫びと礼を込めた贈り物を貰っているし、政宗は政宗で、自身が地元で主催した祭りに彼らを招いた事もある。
  その遣り取りの中で家康に対しては「それほど嫌な奴じゃねえな」という印象を持った事を政宗は忘れていない。
「政宗様は徳川の今後の動きについてどうお考えで?」
  直接自分たちの事を訊ねるのではなく、小十郎は政宗が名を出したその他国武将について問い質した。政宗はそんな小十郎をちらと見た後、「恐らく…」と前置きした上で告げた。
「あいつの狙いは武田だな」
「武田…ですか」
「最初に狙うのはって意味だ」
  不意にあの紅い男の姿が脳裏に浮かんで政宗はちっと小さく舌を打った。
  武田軍はその大将信玄を筆頭に、世に名を轟かす最強の騎馬隊を控え、真田に従う忍隊も北条に匹敵する程の精錬揃いだ。当然の事ながらそう簡単に落とせる相手ではない。
  何よりアイツがいるのだし。
「だが、家康の立場ならまず武田を狙うだろ。―…実際、俺もそう考えてた」 
「は…?」
「俺も武田を攻める気だった」
  政宗は試すような眼を小十郎に向け、それから小さく哂った。
「狙いいいのは北条かと思ってたんだが、最近あそこはおっかねえからな。どうも正体が見えねえ。あのジジイが秘密裏に雇った傭兵がめちゃくちゃ強いらしいんだよ。下調べなしで無闇に突っ込むのは危険だな」
「政宗様」
「しかも地の利を考えても、北条は単騎で王将を狙うにゃ攻めにくい構造してっから。ジイサンに城の奥まで隠れられると戦闘が長引いていけねえ」
「政宗様、それより―…本当に、そうお考えだったのですか」
「何が」
  責めるような小十郎の態度を半分は予測していたものの、やはり半分では意外だったので政宗は一応聞き返した。
  小十郎は小十郎で淡々としている主に納得がいかないらしく、やや気色ばんで思わず顔を上げている。
「武田の事です。本当に―」
「俺はこの国の頭だぜ」
「それは…勿論…」
「虎哉の和尚もそれに関しちゃカンペキだっつってたぜ? 嫌な奴だと文句は垂れられたがな」
「そりゃ…」
  そうですよ、と言いかけて、けれど小十郎はここで口を噤んだ。改めてここ暫くの政宗の鬱々ぶりを思い知らされた気がして、けれどそれを思いとどまってくれた安堵で自然声が出なくなる。
「………」
  それでも、いざとなれば政宗はその覚悟のままに相手がどこであろうが戦うのだろう。その国主たる決意と苦慮に今さらながら思い至り、小十郎は感嘆と同時に言い様もない寂寥感に襲われて顔を伏せた。あちらの小十郎なら決してこんな態度は取るまいと思いながら。
「きっとお前が―」
  けれどその時、政宗がふと口許から笑みを漏らした事に気づき、小十郎ははっとして再び顔を上げた。
  政宗は月明かりに照らされて、煌々とした揺ぎ無い眼を向けていた。
「政宗様?」
「小十郎。お前ならきっとそういう顔をしてくれると思ったから、俺はお前だけ呼んだ」
「は……?」
「俺はこれから凄ェバカな事しようとしてる。けど、武田を潰そうとする俺より、魔王のオッサンぶちのめすって言ってる俺の方が―…お前は好きだろ?」
「……皆、そうですよ」
  小十郎のやや憮然とした台詞に政宗は声を立てて笑った。
「ああ、そうだな。けど、多分そういう顔をするのはお前だけだぜ、きっと」
「どういう顔ですか」
  むっとして小十郎が唇を尖らせると、政宗はハッと哂っただけで答えをやろうとはしなかった。その代わりというように、ぐんと腕を伸ばして「まずは」と惚けたように口調を変える。
「あの根暗な姫さんをよ、どうにかして送り返さねえとな。本人は一人で帰ると言ってるが冗談じゃねえ。誰に行ってもらうか…」
「宜しければ私が」
「…ま、俺もそう思ってたんだが―」
  けれど政宗が今後の織田戦に備えた構想を練りつつ、その市の問題についても想いを巡らせようとした、その時だ。

「あーッ!!」

  頭のてっぺんからガンとくるような素っ頓狂な大声が辺りに響き渡った。
「何だあ…?」
「何奴ッ!」
  政宗はそのあまりにあっけらかんとした声に警戒する気も起きなかったのだが、小十郎の方は流石と言うべきだろう。さっと立ち上がると剣を構えて政宗を護るように立ちはだかり、その突然の「来訪者」に容赦のない殺気を浴びせ掛けた。
「いた! やっと見つけた! 夢吉〜! お前もう、どっこフラフラしてたんだよーッ!」
  しかし当の本人はそんな小十郎の事も政宗の事すら目に入っていないようだ。ただ指を差し、その2人の背後を見て歓喜している。
  それで政宗も思わずそちらを見つめやったのだが―。
「お」
「キーッ!」
  いつの間にやら宴から抜け出てきたらしい。恐らくは政宗の後を追ってきたのだろう。あの小猿がたたたと駆けてきてそのまま政宗の肩にするりと上ってきた。手には綱元から貰っていた菓子を握りしめている。
「えっ、夢吉何だよ! 普通は親友の俺ンとこ駆け寄るもんだろう!」
  しかしこれにショックを受けたのはその突然現れた「大男」だ。どうやらこの小猿の主のようで、その行方を捜していたのだろう事は分かったが、哀れな事に男は小猿から完全に無視されていた。政宗は動物の事はよく分からなかったが、猿がわざとこの男に知らぬフリをしているというのは誰の目にも明らかだと思った。
「夢吉、お前、まだ怒ってるのかよ!? いい加減執念深い男は嫌われるぜ?」
  大男は必死でそんな事を言い、「このとーりだ!」と拝むように両手を合わせて猿に謝っている。政宗はそんな男と猿を交互に見やりながら、らしくもなく口を挟む事を躊躇していた。同じく、小十郎の方も最初の身構えはどこへやら、毒を抜かれたようにポカンとして佇んでしまっている。
  男は夜目にも煌びやかで派手な、一目で歌舞伎者だと思わせる風体をしていた。長過ぎる黒く癖のある髪を大雑把に一つ結わえ、それで闘えるのかというような大きな刀身を背に掛けている。喧嘩を売って下さいというような大見得切った明るい色合いの衣装は、一見舞台役者にも見えるが、その機能と構造から見るに武士なのは間違いない。どこぞの武将のバカ息子であろう事を予想させた。
「夢吉、俺が悪かったって!」
  男は政宗達には一瞥もくれず、まだ猿に話しかけている。プライドも何もないのか、遂には土下座までし始めて、「お前が怒るのも分かるよ」などと泣き言まで述べる始末だ。わざとなのか本気なのかイマイチ測りかねるものの、少なくともこの猿に男が何か酷い事をしたのは間違いないようだった。
  実際、猿はこうまでされてもまだ男にフイッとそっぽを向いている。
「お前、一体何しでかしたんだよ…」
  さすがに堪りかねて政宗は男に声を掛けた。本来なら最初に吐くべき台詞は違うだろう。つい先刻までの政宗なら問答無用で斬りかかっていたかもしれない。幾ら宴だ何だと警備が手薄になっていようとも、ここ最近の奥州に無断で立ち入ってきたアヤシイ男。何者だと問い詰めて縛り上げこそすれ、「猿に何をしたのか」と頭領である政宗が問うのは明らかに「間違い」だった。
  けれどどうにも、そういう正攻法をする気がこの男に起きないのも事実なわけで。
「え…?」
  すると男は男で、本当に今政宗の存在に気づいたかのような驚いた声で地面につけていた頭をさっと上げた。不思議そうに政宗を見上げ、ついで小十郎へと視線を向ける。
  そして最後に辺りに目を配って「うお…」と小さく呟いた。
「もしかして俺……何か、エライ所来ちゃってる?」
「お前、誰だ。この猿の飼い主なのか」
  政宗の言葉に男は困ったように顎先をぽりぽりと掻いた。
「飼い主って言うか…。夢吉は俺の友達なんだ! けど、俺ついつい酔っ払って調子ン乗っちまって…。夢吉の分の飯食った挙句、夢吉が祭りで出会って一目惚れした夢子ちゃんって小猿に接吻しちまったんだ。そしたら夢子ちゃんは俺の方に惚れちまって…」
「………小十郎」
「はっ」
「この場合は、どこにツッコむべきなんだ?」
  政宗が無表情でそう問うのに、小十郎も無表情で答えた。
「やはり一番は猿に接吻したという部分かと」
  これに途端ぷくりと子どものように頬を膨らませたのは大男だ。
「ちょっと! あんたら俺の事バカにしてんの!? 何だよ真剣な顔してカチンとくる反応だなぁ! 俺、すっげー真面目なんだけど!?」
「真面目な男が、猿とちちくりあって飼い猿に土下座なんかするかッ!」
「政宗様のツッコミ…何だか久しぶりです」
「……そこで妙な感動するなよお前は…」
  思わずホロリとでもしそうな小十郎に、コイツも大分疲れていたんだなあと思いながら政宗はハアとため息をついた。
  しかし確かに、こんな激しいしょうもないツッコミは久しぶりである。あのおかしな前田夫婦から距離を取って以来なのでは―。
「ん…?」
「どうかされましたか、政宗様」
「そういえば…利家の奴が、甥っ子に変な奴いるって言ってなかったか?」
「は…? ああ…そういえば、まつ殿も…手に負えない甥子が悩みの種だとか申しておりましたね」
「そいつ、猿飼ってるって言ってなかったか?」
「……言ってました」
「は? 何だよ、ニーサン達、まつ姉ちゃんと利の事知ってるのか?」
  男はきょとんとした顔をした後、瞬時ぴょんと跳ねて地面にドスンと胡坐をかくと、急に晴れ晴れとした顔をして笑った。
「俺の名は前田慶次ッ! そっちは友達の夢吉な! 面白い事が好きでね、こうして全国各地を遊行してるってわけだ。よろしくなっ!」
「……嫌だ」
「は?」
「お前みたいなノーテンキな奴とよろしくしたくねェ」
  ぼそりと答えた政宗に慶次と名乗った男は「ありゃ」とがくりとずっこける仕草を見せた。
「何だよノリ悪いなー。兄サン、そんなんじゃ女の子にモテないぜ? 折角カッコイイ面構えしてんのに。その眼帯といい……ん?」
  ぴたりと動きを止め、慶次は「んー」と首を捻り腕を組んで、やがて「あ!」と手を叩いた。
「もしかしてアンタ! 伊達政宗かい!? 奥州筆頭・伊達政宗! 独眼竜の伊達男さんだね!?」
  あまりの無礼な物言いに小十郎が再びチャキリと刀を構えたが、政宗はそれを軽く押し留め、嫌なものを見るような眼で唇を曲げた。 
「あのな、俺はお前ンとこの《永遠の新婚さん》が苦手なんだよ。お前いるとあいつらまで押しかけてきそうだし、とりあえずどっか行け」
「あー、アハハ! なるほど! まつ姉ちゃん達からもよく聞いてるよ。『政宗殿はちょっとした事ですぐ怒る』って。けどまー、何で姉ちゃん達が怒られるのかは、俺も身内な分よっく分かるつもりだからさー。世話掛けて悪いねえ」
「んで、今度はお前が世話掛ける気かよ。言っとくが今うちはそれどころじゃ―」
  政宗が厳しい口調でそう言いかけるのを、しかしこの時は慶次がさっと片手を挙げてそれを制した。
「……ッ!」
  その表情に政宗もはっとして唇を閉じる。慶次は笑ってはいたが、その目の奥は明らかに真摯な―…どこか戦人の迫力を感じさせる炎が宿っていたから。
  黙りこむ政宗に慶次は言った。
「勿論、俺は夢吉が帰ってきてくれたらすぐに退散するよ。どこの大将ンとこも今は物騒だからね。分かるよ。俺も戦に関わる気はないし」
「…んじゃ帰れ」
「じゃ、夢吉」
  慶次はうんと頷いてからさっと小遣いをねだるように政宗に向かって片手を差し出した。夢吉を渡してくれというシグナルだ。
  しかし、慶次がその格好をしておよそ数秒。
「………」
「………」
「おい、早く帰れよ」
  何も動きがないので政宗が仕方なく口を開いた。
  すると慶次も憮然として、「ん」と差し出していた手を更にずいと突き出した。
「だから、夢吉」
  けれど夢吉は政宗の肩から一向に下りようとしない。それどころか慶次を依然として無視したまま、明後日の方向を見やりながらはぐはぐと菓子を口にしている。
  政宗の額にぴくりと怒筋が浮いたのを小十郎は見過ごさなかった。
「早くどーにかしろッ! お前の猿だろーがッ!」
「だ、だって! だったら、伊達のニーサンもそっから下りるよう言ってくれよ! 俺は無理矢理ってのは好きじゃねえ、女の子との付き合いだって―」
「そんなの知るかッ! 面倒臭ェな、何でお前等の喧嘩に俺が仲立ちなんぞしなきゃなんねーんだよ!」
「いいだろそれくらい、減るもんじゃあるまいし! 俺だってここ数日ずっと悲しかったんだぞ!? 親友の夢吉に愛想尽かされて―」
「だからそんなの俺の知った事じゃねーってんだよッ!」


(ああ…やっぱり、政宗様はこうでなくては)


  ぎゃいのぎゃいのと言い合いをする2人をよそに、確かに「それどころではない」はずというのは分かりつつも、小十郎はどうしても湧き上がる笑みを抑える事が出来なかった。
  この騒ぎを聞きつけて他の家臣たちが集まってくるまで、あと数秒―。



後編へ続く…



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