雨降りコーヤ |
――やられた。 陽一は大広場のただ中で独り立ち尽くし、髪の毛をまさぐりながら嘆息した。 だから言ったんだ、だから嫌だと言ったのに。 頭の中でぐるぐると巡るのはそんな意味のない文句だけ。しかもそれをぶつける相手がここにはいない。それどころか、言葉の通じると思しき人間も1人としていない。 否、人間自体はたくさんいるのだ。早朝から賑わうこのマーケットは、地元民にとって格好の社交場らしい。色とりどりの野菜や、ソーセージを焼く香ばしい匂い。子どもたちはそこら中を所狭しと駆け回り、大人たちは洒落た屋台でコーヒーを飲みながら談笑している。それらの情景は陽一の「普段の心理状態」であったなら、さぞや楽しく穏やかな気持ちで眺められたに違いない。 「はあ……。何なんだよ、もう」 けれど今の陽一は孤独だ。 都心部よりは治安の良い土地と聞いているが、一見して観光客丸出しのこの姿では、さぞや異端な存在として目立つだろう……そう勝手に感じてしまうだけで、陽一の繊細な神経は疲弊した。故に自然と態度もびくびくとした「不審者」になってしまう。 「地図…っ。地図見よう、とにかく…!」 逃げるように通りの端へと移動し、陽一は自身に言い聞かせるようにそう呟いた。恐らく葉山は戻らない。あの様子では、本気で陽一を困らせることしか考えていないから、早々にホテルへ引っ込んでしまった可能性大だ。 「だから嫌だったんだ、海外旅行なんて」 もう何度となく見て、すでに汚く擦り切れた観光マップを開きながら、陽一は再度無力な愚痴を吐いた。加えて、葉山は何度も地図を見る陽一に、「俺がいるんだからそんなの必要ない」と言っていたけれど、「やっぱり要ったじゃないか」と恨めしく思う。 “向こうで喧嘩は絶対なしだよ? 俺、海外なんて初めてだし、1人じゃどこにも行けないんだから!” 葉山が今回の旅行を提案してきた時、陽一は男としてのプライドをかなぐり捨ててそう念を押していた。 そう、情けなくとも、繰り返し頼んだのだ。旅行中は絶対に喧嘩しない。もし意見の食い違いが出たとしても、そこは互いに譲り合ったりして、仲良くしようと。 それに対し葉山は、「大丈夫、喧嘩なんかしようがない」と言っていたのに! 「いっつも先に怒るのは葉山だ…っ。子どもみたいに不貞腐れて…ずるいんだよ!」 そもそも出発の時から葉山の機嫌は悪かった。それが何故なのかは不明だったが、その時点での不機嫌は陽一のせいではなかったようで、葉山自身、「今、機嫌悪い、ごめん」と謝っていた。葉山はキレることも多いが、それと同じくらい謝ることも多い。だからこの時の陽一は、嫌な予感を抱きながらも、葉山自身がそのことを自覚していて、折角の旅行の前に「こう」だということを反省してくれているのだから、多分大丈夫だろう、と。一抹の不安を無理に押し隠して納得しようとしていた。 しかし蓋を開けば、旅行2日目にしてもう望まぬ「別行動」だ。陽一は異国の見知らぬ土地に置き去りにされた。そして、その原因がまたくだらない…と、陽一は思うのだが、葉山はカチンときたようで…。 ともかくも陽一は、「じゃあ勝手にすれば」と言い捨て消えた葉山のせいで、ホテルから大分離れているだろう街中で途方に暮れているというわけだ。 「perdon」 「あっ、ごめんなさい! ロ、シエント…」 陽一は一般的な日本人青年としてごく標準的な体型だが、この国は女性も含めて大柄なタイプが多い。道の端に避けたつもりでも、先ほどから何度も誰かしらと接触するものだから、陽一はほんの僅か知っているスペイン語の中から「ごめんなさい」の単語を何度も口にした。だから偶々視界に入った教会の支柱へ身を寄せ、開きかけの地図に改めて目を落とせたのも、大分後になってからだ。 「いくら俺でも、1人でホテルに戻るくらいは出来る…」 依然として葉山に腹を立てながら、陽一は呟いた。 この辺りに際立った観光名所はないが、無名の街というほどでもない。通りの名が記された案内板と地図とを見比べながら、陽一はともかくも行きに使用したバス停まで戻ろうと意を決めた。 「Permiso, ?puedo pasar?」 「…っ、すみません!」 その時、スーツに身を包んだサラリーマン風の男性に何事か言われて、陽一は反射的に謝った。どうやら柱の陰に避けていたつもりが、地図を見ているうちに扉近くにまで動いてしまって、相手の行く手を遮っていたらしい。急いで飛び退って通りを開けると、男性はにこりと微笑んでから教会の中へ入って行った。 「あ……」 あまりに焦っていたせいで周囲が見えていなかったが、早朝の教会にも、その礼拝堂にはすでに何人かの住民の姿が見受けられた。それぞれが正面の聖像に祈りを捧げ、多くはすぐまた翻って、思い思いの場所へと散って行く。先ほどの男性も恐らくは出勤前に教会へ立ち寄るのが日課なのだろう、礼拝堂の中ほどまで歩み寄ると彼はその場に跪き、十字を切って短い祈りを捧げると、入口でボーっとする陽一に再度微笑みかけ、去って行った。 「…かっこいい」 不謹慎かもしれない、と思いつつ、陽一は率直にそう思った。陽一には信仰心というものがない。日本人の大半がそうだからと言えばそれまでだが、そんな陽一ですら、この小さな教会にただならぬ澄み切った氣が流れていることは分かった。そして今の男性が、ほんの僅かな時間でも己が信じる神への感謝と家族の安寧を祈る為に、毎日欠かさずああしているだろうことを推し量り、ただの一観光客である自分がそこへノコノコと入り込むなど許されないような…そんな大それたものを感じたのだった。 「どうぞ?」 「え?」 ところが、たった今そう思ったばかりだというのに、背後から陽一にそう話しかける人物がいた。しかも日本語だ。慌てて振り返ると、そこには陽一と同じくらいの年だろうか、如何にも地元の大学生といったそばかす顔の青年が、陽一の怯えた態度とは裏腹に、人懐こい仕草で小首をかしげていた。 そして彼は繰り返した。 「良かったらどうぞ。天井のステンドグラスも綺麗ですよ」 「あ、でも…」 「大丈夫、お金は取らないです。どなたでも歓迎する教会ですから」 青年は笑顔を湛えながらそう言って陽一の背中を押した。元々が流される性格である。陽一は言われるままに開かれた扉から内部へと足を踏み入れたが、不覚にも入口と内部との段差につんのめって倒れそうになった。…それもその青年が咄嗟に腕を掴んでくれたお陰で事なきを得たが。 「大丈夫ですか?」 「すみません!」 思わず大声で謝ってしまい、陽一は途端しまったと口を閉ざし、振り返った。 幸い、祈りを捧げている人々からのきつい視線はない。特に関心がないか、陽一が旅行者だからと大目に見てくれているのか。 「大丈夫ですよ」 すると陽一を支えてくれた青年が再度安心させるようにその言葉を繰り返した。 「少しくらい声出しても、誰も怒りません。ここは自由の教会。みんなの教会です。街の人間だけじゃなくて、あなたのような旅行者も歓迎しますから」 「す、すみません…」 「日本人の方、この辺りでは珍しいです。特に有名な建物もないですし」 「あ、でも…。この観光ブックに、お勧めのマーケットって書いてあって」 「見ていいですか?」 陽一がカバンから出した観光客用のガイドブックを、青年は嬉しそうに覗きこんだ。それにしても流暢な日本語である。日本に留学でもしたことがあるのかとぼんやり思いながら、一方で、実は親切を装って、後から何かされるのではないかという疑念も湧いた。折角孤独なところに声をかけてくれた人なのに、ついそんな風に思ってしまう自分が陽一は我ながら嫌だったが。 「これ、うちの店」 「え?」 その時、青年が嬉しそうに写真を指差して言った。朝市の紹介記事のページに、小さな屋台の写真が載っていた。サンドウィッチを売っている店らしい。 「僕のおばあちゃんのお店です。知らなかったな、こんな風に紹介されていたなんて。嬉しいです」 「あ、あの…日本語、凄く上手ですね」 どうしても訊きたかったことをようやく陽一が口にすると、青年は目を見開いて「そうですか? ありがとうございます!」と無邪気に喜んだ。 「僕のお父さんが日本人なんですよ。ほら、僕の瞳、黒いでしょう? 髪も黒」 「た、確かに…」 しかし陽一が人の顔をまともに見ない生来の人見知りというのを差し引いても、改めて言われねば気づかぬくらい、青年の風貌は如何にもこちら側の人間という感じだった。ただ言われてみれば、達者な日本語と合わせて、陽一と同じ日本人を思わせる面影も間違いなく見受けられる。 それだけと言われればそれまでだが、しかし陽一の警戒心は、まさにそれだけのことでほんの少し和らいだ。 「僕はラロって言います。あなたの名前も訊いていいですか」 「浅見です」 「それ、ファーストネーム?」 「あ…陽一って言います」 「ヨウイチさんですね。はじめまして、ヨウイチさん。僕たちの街へようこそ」 「あ、ありがとうございます」 いきなり握手を求められて戸惑ったが、陽一は差し出された手をおどおどと握り返した。外国の人だからこれくらいのことは日常茶飯事なのかもしれない。見知らぬ土地で見知らぬ人といきなり気安く言葉を交わし握手するなど、これまでの陽一の常識としては有り得ない。 それでもそれを拒否する理由も、また陽一の辞書には存在しないのだった。 「ヨウイチさんは一人で旅行を?」 そうこうしている間に、ラロは陽一を傍の長椅子へ誘うと、1人でどんどん話を進めた。 「旅に慣れているようには見えないです」 「はい…海外旅行は初めてです。……友だちと来たんですけど、今はちょっと…その、別行動中で…」 ラロとの近過ぎる距離を窮屈に思いながら、陽一は律儀に答えた。 「彼はもうホテルに戻っていると思います」 「そうなのですか。友だちは残念ですね、こちらにも来られればよろしかったのに。うちの街は有名ではないですけれど、良いお店や公園がたくさんあるのですよ」 「はは…」 何とも言えずにごまかし笑いする陽一に、ラロは構わず天井を指さして自らもそちらを見上げた。 「ほら、ここのステンドグラスも綺麗でしょう? 両脇の窓だけじゃなくて、同じサイズのものが天井部分にも並べてはめ込まれています。しかも、あれをぐるーっと見渡すと、1つのお話になるのですよ」 「…へえ。本当に、綺麗ですね」 陽一の誉め言葉に、ラロは心底嬉しそうな顔をした。 「そうでしょう? 夕方の時間に見るのも好きですけれど、僕は朝のこの時間に見る方が好きです。今日みたいに晴れた日は尚さら! ほら、あそこに白い服を着た女の人がいるでしょう? でもあの人はね、実は人間じゃなくて、もぐらなのです」 「もぐら?」 陽一が少し興味を持ち始めたのが分かったのか、ラロはより一層目を輝かせた。 「そう。ずっと土の中で暮らしていたもぐらが、ある時、人間の男に恋をした。それで神様に頼んで、あの綺麗な女の人に姿を変えてもらって地上へ出るのですけど、あれ、どう思います?」 「え? あ、なんか…眩しそう…手をかざして」 「はい。せっかく地上へ出たのに、あの太陽の光が眩しくて、男に会っても、まともに顔を見られないのです。それで結局、もぐらは土の中へ帰ってしまうのです」 「えぇ…それで終わり…?」 「終わり」 にこにこしてあっさり答えるラロに、陽一は少しだけ眉尻を下げた。 「あんなにキラキラしている絵なのに…話を聞くと、何だか切ないですね」 「そうですね。でも、本当は太陽のせいではないのですよ」 「え?」 「太陽が眩しいから見られなかったじゃなくて、愛する人の姿が眩し過ぎて、恥ずかしかったから、話しかけられなかったのです。ふふ…でもこれ、いろいろな解釈があります。ただ僕はそう思っているのですけど」 「はあ…」 「でもこれって、とても日本人好みの物語と思いませんか? 恥じらいは日本の文化なのでしょう?」 ラロの興味深そうな顔に、陽一は思わず苦笑した。 「それはまぁ、そう言われてもいるようですけど。最近はあまり当てはまらないかなと思います」 「そうなのですか?」 「性格の面でも欧米化が進んでいるって言うか…。女の子なんて凄く積極的ですよ。僕の姉なんか見ていてもそう思います」 「お姉さん? ヨウイチさんには、お姉さんがいるのですね」 「はい。ラロさんは?」 「僕は、きょうだいいません。日本にはいるみたいですけど、お父さんは、僕のお母さんと暮らしていないですから。向こうに別の奥さんがいます」 「え」 ぴたりと動きを止めて陽一はラロを見た。相変わらず涼しげで楽しげな顔である。一瞬深刻な話を聞いてしまったのかと陽一は心内で狼狽えたというのに、ラロは知り合ったばかりの陽一を困らせる気は毛頭ないようだった。 陽一は再び黙ってステンドグラスの物語を見つめた。 折角好きな人を前にしたのに、恥ずかしくて話せなかったもぐらの話。どうにも、身につまされるストーリーだ。 言いたいのに、話しかけたいのに、思ったように動けない。確かに、(もし俺があのもぐらでも、地中へ戻ってそのまま終わりだな)と陽一は思った。いつだって受け身で生きてきたから。 だから今回の旅行とて。 そう、葉山に言われるがままやって来て、葉山に言われるがまま身体を求められて、それを許して。 そうやって従順にしていたつもりなのに、今朝になって急にここのマーケットを見ようと叩き起こされて。昨日の今日で身体が言うことを聞かなかった陽一としては、もう少しホテルで休んでいたかったのだが、それをうまく言えなかった。 それで、ここへ来てからようやく、顔色の優れない陽一に葉山が不機嫌になったので、陽一もつい、「葉山が無理やり連れて来たからじゃないか」と言って――…、「分かったよ、じゃあ勝手にすれば」と置いていかれたわけである。 ただ、全くもって理不尽だと思う一方、陽一も言葉足らずなところはあったと思う。 「ヨウイチさん? どうかしましたか?」 「え? あ、すみません。何でもないです」 ラロの心配そうな声かけに陽一はハッとして、思わず照れ笑いを浮かべた。 「ヨウイチさん…」 するとラロは何やらじぃっと陽一を凝視した後、不意に顔を近づけて勢いこんで話しかけてきた。 「朝食は済ませましたか? 良かったら、これから一緒にどうですか?」 「え?」 「僕のおばあちゃんのお店です。ヨウイチさんは僕の街のお客さんですし、ご馳走しますよ」 「え、いや…そんな。お客さんなら、お金はちゃんと払わなくちゃ…」 「僕がご馳走したいのですよ。僕、ヨウイチさんともっとお話したいな」 そう言いながらおもむろに陽一の手を握りしめるラロに、陽一は思わずぽかんとしてその熱っぽい眼差しをまじまじと見つめ返した。 「はあ…? でも、ラロさんもこれから予定があるのでは?」 「はい、学校があります。僕は十七才なので」 「え、年下!? じゃなくて! 大変じゃないですか、こんな、俺とゆっくりしている暇は…! それに俺も早くホテルに帰らないと…友だちが待っていると思うので」 「友だちじゃない」 「え?」 「え!」 ラロと陽一、思わず2人で同時に疑問符と驚きの声が合わさった。 陽一の「友だち」という言葉にすかさず否定の言葉を吐いてきた人物が、いきなり2人の中に割って入ってきたからだったが。 「葉山…」 どうしてここが分かったのだろうか。 そんなことを思いながら陽一が半ば唖然として教会へ入ってきた葉山を見つめていると、当の本人はその疑問に答えることもなく、さっさと2人の間を裂くと、ラロへ何事かきつい口調で発した。スペイン語なのだろうが、早過ぎて当然陽一には分からない。 「………わお」 けれどラロの方はややあってから口元でそれだけ呟き、「あー」と苦笑して首を振った。 「運命の出会いと思ったのですけど」 「そんなものないよ」 葉山は素っ気なく言った後、陽一の手首を掴んでそのままぐいぐいと引っ張りながら教会の外へと連れ出そうとした。 「ちょっ…葉山…」 「ヨウイチさん、また来て下さい。今度は1人で、ね」 「え?」 「さようなら」 ラロはひらひらと手を振りながら陽一と葉山を見送った。けれどその顔もほとんどまともには見られなかった。何にしろ葉山の引っ張る力が凄まじい。陽一はただ手を引かれるがままに、もうちらとも教会もラロも顧みない葉山の後ろ姿を黙って見やった。 葉山がまともに口を開いたのは、喧噪とした大通りを抜けて小さな陸橋を渡った先、ぽつねんと立っているバス停が見えてきてからだった。 「お前、馬鹿なの?」 しかし開口一番がそれだったので、折角「葉山ときちんと話さなくちゃ」と思っていた陽一の気持ちは見事に霧散した。 「何が馬鹿なんだよ! 自分こそ…っ。勝手にどっか行っちゃうし! 俺が、どんだけ困ったかなんて、分からないだろ!?」 「困ってないじゃん。ちゃっかり若い男ひっかけて、飯も奢ってもらえそうになってたじゃん」 「はぁ!? 何言ってんだよ、何だよその言い方! ああもう、だから言ったんだ、喧嘩は嫌だって! それなのに、まんまとこんな状況でさ! 葉山のうそつき!」 「俺は悪くない」 どんどん熱くなる陽一とは対照的に、葉山はいやに冷めた態度でふいとそっぽを向いた。ただ、腹を立ててはいるようだ。陽一がカッカと火のようになっているとしたら、葉山は対照的に氷のように冷えた怒りを灯しているというところか。 ただ、この時の陽一は、たった独りにされて心細かった気持ちも相俟って、あまり葉山の様子に気を配る余裕がなかった。だからこそ、いつもよりも強気な態度で葉山と対面することが出来た。 「葉山が悪くないなら、俺一人が悪いって言うのかよ」 「当たり前だよ」 「当たり前じゃない…っ。そもそもっ。葉山、日本を出る時から不機嫌だったし!」 「それは謝っただろ」 「そうだけど、でも! その後だってロクに話もしないで…いきなり…!」 いきなりホテルで事に及び、お陰で陽一は初の海外旅行一発目の夕飯も食べ損ねた。 おまけに身体が悲鳴を上げている早朝に起こされて、見知らぬマーケットへ引っ張られて置き去りだ。…確かにあの朝市は見るからに楽しそうだったし、ラロのような親切な人もいたし、教会は神秘的だったし。きっと落ち着いて観光出来たのなら、申し分ない場所だったのだろうけれど。 「浅見がそれなりに観光もしたいって言うから、わざわざ良さそうな所を探して連れて行ってやったのに」 はたと顔を上げると、葉山は陽一から背中を向けたまま、ぼそぼそと不平を漏らしていた。 「なのに、何なの? あんな如何にも馬鹿っぽい年下男とよろしくやる為に、俺のこと友だちとか嘘ついて。お前みたいな世間知らずのお坊ちゃんは、一度痛い目にでも遭った方がいいんだろうな。ホント、能天気なお前の顔見ているだけでイライラするし。だから放置しておいてやろうと思ったけど、ハッ…友だち? いい加減我慢出来なくなった」 「………いろいろツッコミたいけど、とにかく、どこから俺のこと見ていたんだよ」 「最初から」 「さ…最初から!? だって、勝手にしろって言ってすぐにどっか行って…!」 「浅見の視界から一旦消えただけで、基本的には傍にいたし」 「……本気で呆れた」 「は? それはこっちの台詞だし」 「何でだよ!? 葉山、見ていたなら分かるだろ、俺が、どんだけ――」 「ああ、最初からだよ。お前が訳分かんなくなって、いろんな奴にぶつかりながら教会まで流されてったのも見たし、こっちの優男に見惚れて、アホ面で『カッコイイ』って呟いたのも聞いてた」 「葉山……さっきの、いい加減我慢出来ないって、俺の台詞なんだけど」 「何で? 浅見の方がひどいじゃん。俺から離れた途端、1時間もしないうちに別の男見つけるって意味分からない。実際、どうだよ。お前のタイプは最初の優男だとしても、あっちの年下だって、別にあれ以上誘われたらついて行っただろ? 飯奢られただろ?」 「………」 冷静になろう、葉山のこれは、単なる子どものヤキモチだ。 陽一の中でその恐らくは「正解」であろう解答はすでにきっちり頭にも心にも備わっていたのだが、それでも、例え僅かな時間でも、「約束」を破って自分を独りにした葉山をあっさり許すには抵抗があったし、おまけにこんな言いがかりまでつけられては――。 これをすぐに折れて、いつものように「葉山ってこんな奴だもんな」で済ませるのは、何か違う気が陽一にはした。 「何黙ってんの」 そんないつもと違う陽一の変化に気づいたのだろうか。ややあってから葉山がくぐもった声で訊いてきた。むっとしたまま顔を上げると、案の定、葉山は、自分から仕掛けてきたくせに、もうどこか弱々しい雰囲気を漂わせている。「つい」言い過ぎてしまったことに後悔しているであろうことは明らかだった。 だから、いつもの陽一なら、ここで察して、「もうこういう言い合いはやめよう」とでも言って、その場を丸く収めたに違いない。 「あのさ」 それをさせなかったのは、ここが日本ではなかったからか、それとも陽一が先刻見たステンドグラスの物語に多少なりとも触発されていたからか。 曰く、「言いたいことは地中に潜らず言ってしまえ」と。 「そんなに俺ばっかりが悪くて、俺が他の人とどうにかなるって疑うくらい、俺のこと信じられないなら……そんなに、むかつくならさ。もう、やめる?」 ただ陽一自身、「そこまで」言うつもりはなかった。 それなのに、気づいた時にはブレーキの効かない特急列車のように暴走し「行き過ぎて」しまった。 「付き合うのやめる? 俺はいいよ、葉山がそうしたいなら」 時すでに遅しとは、こういう時に言うのだろう。 陽一はその時の葉山の顔を見て、ようやく「しまった」と青ざめた。 |
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