冗談であり、本気でもある |
葉山が就職活動を始めたのは、あの海外旅行から帰ってきて間もなくのことだった。 「あいつ、一体何の仕事をする気なの?」 姉の光が興味津々でそう訊いてきたが、陽一は何とも答えられず、言葉を濁した。答えたくとも、陽一自身、葉山が何を考えているのかまるで分からなかったから。 「前は大学院に行くって言っていたんだけど」 「そうよね、それ、私も聞いた覚えある。何だっけ? 最終的には宇宙飛行士目指すんだっけ?」 「そこまでは言ってないよ…多分」 光のふざけた物言いを軽くいなしたフリをしてから、陽一は誤魔化すように手元の本へ目を落とした。 最近の葉山は多忙だ。 陽一が葉山のアパートへ行っても、会社説明会だの大学でエントリーシートを書くのに忙しいだので、部屋を空けていることが多くなったし、偶に会ってもスーツ姿で帰宅してくることが圧倒的に増えた。 「あいつにサラリーマンなんてできるのかしらね。明らかに似合ってないし」 何故か陽一の部屋で紅茶をすする光は、まだ葉山の話をしたがった。陽一はそれにベッドの上で生返事だけして済ませたが、似合う、似合わないはともかくとして、葉山が望むなら彼を欲しいと思う企業はきっと幾らでもあるだろうことだけは確信していた。何せ葉山は一流大学のバリバリ理系人間で、人当たりも良く、見栄えも良い。「多少」屈折した性格ではあるが、それを知っている者は少ない。何せ彼は外でそれを隠すことにかけては年季が入っているから。僅かな面接時間で彼のそういった陰鬱的な部分を見抜ける人間は少ないだろうし、よしんばそれが分かったとしても、彼を採用しない理由にはなり得ないだろう。 同性の恋人に執着していて、いざその相手に逃げられそうになったら夜中に首を絞めながら事に至ろうとしてきた人間だと知れたなら―…それはさすがに、敬遠されるかもしれないけれど。 「ねえ。もし葉山が就職決まって『一緒に暮らそう』なんて言ってきても、自分が大学卒業するまでは駄目って断りなさいよ?」 「え?」 姉の唐突な台詞に陽一は驚いて顔を上げた。何をいきなり言い出すのだろうと思ったからだが、存外その姉がいつもの軽いノリではなく、至極真面目な顔をしているので戸惑ってしまう。 「何なの? 急に」 「向こうは急な提案だと思わないで言ってくると思うわよ。だからその時、あんたが『急に言われた』ってびっくりしないよう、前フリしてあげてんの」 「何? 葉山が姉さんにそういう話をしたの」 「私にそんなこと言うわけないでしょ、反対されるのが目に見えているわけだし。けど、あいつの考えなんて手に取るように分かるわよ。あんな分かりやすい男はいないね。そう思わない?」 「……思う時もあるけど、思わない時もある」 それは陽一の偽らざる本心だった。確かに葉山は分かりやすい。けれど、不意に言いようのない不安を感じさせられることもある。今回のこととてそうだ。葉山の人生だ、好きにすれば良いと思うし、葉山の将来に口を差し挟む気持ちなど微塵もない。しかし、ついこの間までは大学院へ進学すると言っていて、実際すでに担当教授の研究室へも入り浸っていたはずの人間が、あの旅行以降、急に方向転換して「やっぱり働くことにした」と言い出した。葉山はその理由を、「いつまでも親の脛を齧っているのがイヤだから」と言った上で、「浅見もスーツの似合う大人の男が好みなんだろ」と、冗談だか本気だか分からないようなセリフを発して、「だから俺もそうする」と笑ったのだ。…まさかそれが進路変更の決定打ではないだろうと信じたい陽一だが、多少なりとも自分が関わっているかもしれないと思うだけで、「本当にそれでいいのか」と問いたくなる。そして実際陽一は問い質したのだが―…「浅見がそうやって俺の心配してくれるのって、新鮮でいいな」とはぐらかされ、喜ばれただけだった。 以降、2人で将来について話すことはなくなったが、葉山が本当は何を考えているのだろうと言うことは、陽一にとっても悩みの種だった。 「同棲は早い」 物思いに耽っていた陽一に光がまた口を出した。陽一がそれで現実に引き戻され瞬きすると、姉はそんな弟の反応を勝手知ったるように見据えながら偉そうに言った。 「絶対に許さないからね。あんたが就職して、せめて3年働いてからにしなさい。それくらい経って、それでもまだ一緒に暮らしたいって気持ちだったら、その時は私も……まぁ、検討してあげてもいい」 「何それ」 「ふざけてないから、これ」 「前はいつ結婚するんだって、これ真面目な話だって言ってきたこともあるくせに」 「結婚したいの?」 「し…しないよ…! できないし!」 「形式的なことを言っているわけじゃない。それに、そうだとしても、家族になる方法なんて幾らでもあるでしょ」 「だから、しないって!」 「あんたがそうやって激しく拒否している姿を見たら、葉山、本気でキレそう」 「……っ」 確かに、と。一瞬そう思ってしまって陽一はぐっと黙りこんだが、姉の光はさらにそんな弟をまじまじと見つめて嘆息した。海外旅行から帰ってきて、どうにも姉はおかしい。まさか「あのこと」が葉山の口から漏れるわけもなし、陽一も言うわけがないのだが、研ぎ澄まされた庇護精神か母性本能かで、何をか感じ取っているのかもしれない。 だから…というわけでもないが、陽一は、これまで無頓着だった携帯にパスをかけた。 「あ…」 その携帯がタイミングよく鳴って、陽一がすぐそれに目を落とすと、案の定相手は葉山で、「今何してる?」という一文が入っていた。 「何だって?」 それにすかさず光が質問してくるものだから、陽一は露骨に嫌な顔をして見せた。 「どうしてそんな逐一訊くの?」 「大したことない内容だったら言えるでしょ」 「言えるけど…おかしいと思うよ、そういうの。過干渉っていうか…」 「ごちゃごちゃ抵抗しないで、言える内容ならさっさと言えばそれで済む話よ。教えてくれたらここから出ていくし。教えなさい」 「……今何してるかって。それだけだよ」 「…………」 妙な間があった。陽一がそれに戸惑って「何?」と聞き返すと、光は「別に」と素っ気なく返した後、言った通りに立ち上がると部屋から出て行った。去り際、「お前こそ何してんだよって返してやりな」などと捨て台詞は吐いていたが。 家で本を読んでいると返したら、「暇ならうち来いよ」とまた一文メールで誘われたので、陽一は光に勘付かれないよう、そっと家を出た。バレているかもしれないが、堂々と言って出ていく気持ちにも何となくなれなかった。以前の姉は陽一と葉山の関係にはどこか野次馬的というか、好奇心の色を強くして面白がり、時に引っ込み思案な陽一の背を押そうとするところすらあったのに。あからさまに「別れろ」などと言われたことはないが、「姉は自分と葉山が付き合うことを良く思っていないのかもしれない」と陽一は思った。いざ呑気な学生生活が終盤を迎えて、就職だの進学だのと考え出した時に、自分たちの関係には未来がないと思われたのかも…そんな悲観的解釈も出てくるが、陽一に姉の真意は分からない。 同性同士の付き合いに「未来がない」という考え方を陽一がするようになったのはごく最近のことだ。勿論、交際当初は単純に「世間の目」を気にして引いていたところもあるが、身体の関係を持ち始めてからはあまりそういうことに対して深く悩んだりはしなくなった。恐らく、一線を越えたことである意味大胆になったというか、「ここまでやったらもう怖いものはない」というような、ある種開き直りの精神が芽生えたのかもしれない。 それでも最近、陽一は偶に自分でも戸惑うくらいの不安に駆られることがある。自分の「先」のこともそうだが、突然、進路変更して忙しそうにしている葉山を見ていると、「本当にこれで良いのか」といろいろな意味で胸に靄がかかるのだ。何故って、葉山は明らかに、陽一と付き合うようになってからゆっくりと、しかし確実に「変わった」と思うから。否、もしかすると長く付き合ってようやく素の自分を見せてきたと言えるのかもしれないが…例えば、付き合い当初あった陽一に対する気遣いはあまりなくなった気がする。葉山は陽一に嫌われることは恐れているから、「やらかした」際はすぐに謝ったり落ち込んだりするけれど、このところは陽一のペースを考えて「待つ」ということは殆どしてくれなくなったと感じる。 そんなことを考えてしまっている自分自身にも、陽一は暗澹たる気持ちになる。 きっとあのメールのせいだ。歩きながら陽一はぼんやりと考えた。 今とて葉山に呼び出されて、おとなしく葉山のアパートへ向かっている。会える時間ができて会いたいからと誘ってくれるのは確かに嬉しい。最近は忙しいから尚更だ。しかし、別段陽一は「暇だから」本を読んでいたわけではない。読書は陽一にとって大切な時間だ。それを何もしていない風に捉えられるのは嫌だ。以前の葉山なら、あんな風に言い切ったりしなかった。「来られる?」と遠慮するように訊いてくれたり、とても会いたいからと素直で温かな気持ちを添えてくれたり。とにかく、以前ならもっと何らか、陽一が喜ぶような言い方や態度を見せてくれたと思うのである。 けれどこの頃の葉山はとても一方的だし、何だか偉そうだし。 何より、アパートへ行って「ヤること」はいつも決まっている。 それがはっきり言って憂鬱だった。 「駄目だ……何考えてんだ……」 もうあと数百メートルもすれば葉山の住むアパートだ。それなのに陽一は歩けば歩くほど悶々としてきた。いけない、何でもないという顔を見せなければ、と慌てて首を振るも暗い表情を祓えない。葉山は就職活動で疲れているのだからと頭では分かっているのに、どうしても要らぬ思考が沸き出てしまう。 そうこうしているうちに、アパートへは易々と着いてしまった。 ドアの前で一つ息を吐いて呼吸を整えた。 とりあえず。 葉山がいつものように早急に「したい」と言っても、それは断ろうと心に決める。このところ毎回そのパターンで、ろくに話もしないまま事に至って終わりなのだから。別段、それがとことん嫌なわけではないし、だからこそ今日とてのこのこと来てしまったわけだが、しかしさすがにそれだけは、あまりにも虚しい。よし大丈夫だ、今日はまず話だ。 ――陽一がそう意を決してインターホンを押そうとした瞬間、しかし先にそのドアは開いた。 「うわっ…」 「何してんの」 葉山が玄関のドアノブに手をかけた格好で呆れたように訊いてきた。陽一はいきなり開かれたドアに鼻がぶつかるかと思って咄嗟に飛び退いたが、急にドキドキとし始めた胸を片手で押さえた。 「きゅ、急に開けるなよ…ぶつかるかと思った」 「だって全然入って来ないから。もう来ているの知ってたよ、さっき新聞取りに出た時、通り歩いているの見えたから。メール送ってから逆算して、このあたりの時間に着くかなって思っていたから、ドンピシャで姿見えて、気持ち良かった」 「…何? 俺の歩く速度を計算して来る時間予想してたの? 怖いよ」 「え、それ怖い? ごめん、俺にとってはフツーのことだったんだけど」 「え!? いや今の冗談……別に怖くはなくて…」 陽一はもごもごと呟くように返しながら、いろいろな意味で焦った。そもそも部屋の前で逡巡していたのがバレていたのが決まり悪く、それを少しでもごまかす為に葉山のセリフの揚げ足を取っただけだ。まさか本当に「歩く速度」まで考えるなどと思っていないし、大体そんなもの、陽一自身ですら知らない。そもそもここへ来るまでには徒歩だけではない、電車も利用するし、寄り道だってする。だから、そんな「計算なんてできるわけない」、「あり得ない」ことをわざと取り上げて、その上で「怖い」とふざけただけだ。 ……それを実際にやっていたと真面目に返されたら、「じゃあ本当に怖い」と思っても今さらそうとは言い出せない。 「これお土産…。いつものやつ、なかったけど」 場の空気を変えようと思い、陽一は駅前のコンビニで買ったビールの缶数本とつまみの入った袋を差し出した。そうだ、いつも即決して買う銘柄がなくて、陽一はいつもより長い時間店にいたのだった。だから計算など俄然、無理なのだ。やはり先ほどの台詞は冗談だったに違いないと、陽一は必死にその「何となくイヤな想い」を振り払った。 「偶には手ぶらで来てもいいんだぜ?」 すると葉山がふっとそんなことを言った。陽一が驚いて「え?」と聞き返すと、葉山は苦笑して肩を竦めた。 「嬉しいし、ありがたいけどさ…。浅見、ここへ来る時は大抵いつも何か持ってきてくれるじゃん。そういうの、やっぱり悪いから」 「…そんな、別に」 そうだっただろうかと考えつつ、陽一は自然と俯きながら、ドアを開けた状態で買い物袋を受け取ってくれた葉山の横を通り過ぎた。 「わっ」 しかし突拍子のない自分の声はその直後に飛び出した。 「ちょっ…葉山?」 「うるさい。変な声出すな」 「だって! いきなり、驚くだろ!」 葉山はドアを閉めた直後、まだ靴も脱いでいない陽一を背後から強く抱きしめたのだ。袋は手に持ったまま、葉山は浅見の腰を強く己の方へ引きよせ、首筋から項へ唇を押し当てて、そこを強く吸った。 「葉…っ…」 陽一は途端カッと全身が熱くなるのを感じた。それをごまかしたくて肘を出して離れようとしたが、葉山はその逆らいによって余計に拘束を強め、荷物のない方の手で陽一のシャツの中へ素早く手を差し入れた。と同時に、首筋への口づけも性急に続ける。 「葉山!」 「やろ」 あまりにもあっさり予想通りのことを言うものだから、陽一はますます顔を赤らめた。 「今来たばかりじゃないかっ…。ちょっとは…!」 「ずっと待ってた。もう無理、浅見が欲しい」 いつもの常套句を恥ずかしげもなく吐き出した後、葉山はぐいと陽一の背を押してから先に自分が上がって手首を掴み直し、無理やり隣の部屋へ引っ張り込もうとした。 「く、靴! 靴脱いでない、まだ!」 「じゃあ早く脱いで。ベッド行こう」 「だから、それは嫌だって!」 「何で?」 ある程度逆らわれることは承知していたのか、陽一の強い拒絶にも葉山が動じた様子はなかった。ただ「したい」という気持ちが勝っているのか、葉山はさらに強い力で陽一の腕を引くと、寝室へ追いやった後はすぐに出口となるドアを閉め、再び襲いかかるように抱きついた。 「葉山!」 後ろからそうされて、陽一は何とか葉山と向き直ろうと身体を捻った…が、刹那、自分の服を剥ぎ取ることに執心する恋人の顔が目に入った時は絶句した。全くこちらを見ていない。欲望を隠そうともしない猛った眼。実際、葉山の目元は赤く、見るからに興奮しているのが分かり、陽一は途端ゾクリと背筋を凍らせた。 「んんっ…」 怯えていると悟られたのがまたまずかった。面と向かって話そうと身体を捻ったのも逆効果だった。すぐさま唇を塞がれ、息すら封じ込められる。葉山は何を焦っているのだろう、まずいと思う一方で、そんな冷静な疑問も陽一の頭にぽっと浮かんだ。ここ最近、ずっとこればかりだから、ある程度耐性ができていたというのもある。何せ、会うとすぐに抱きしめられキスされて、寝室へ連れ込まれる。それでそうなると陽一も殆ど諦めて、これぞ「流され愛」とでも言おうか、まぁいいか、自分とて葉山のことは好きなのだから、それに「終わったら話せるから」などと思う始末。実際、情熱的に求められれば陽一とて身体は火照ったし、十二分に気持ちよく達することもできていた。 ただ今日は前もって決意していた分、そんな風に思えなかった。幾ら何でもやっぱり「こればかりはない」と思うのだ。葉山とて、いい加減そんな陽一の気持ちを汲み取ってくれて良さそうなものだし。 「葉山…ね、ちょっとだけでも、んっ…ちょっ…先に、話さない…?」 「何を…? 後でいいだろ…」 もう余裕がないのか、どこか熱っぽい声で無下にそう返すだけで、葉山は行為をやめる気配がなかった。強引に押し倒したベッドの上で、葉山は「控えめに」暴れる浅見の手首を何度となくベッドへ押し付けた。浅見が押さえつけられては、その度、逆らってまた手を動かすからだが、葉山もそれを根気よく押さえつけては縫いとめる。結局、諦めが悪く辛抱強いのはいつでも葉山の方だ。陽一が疲れて動きを止めると、葉山はそのまま陽一の上に跨って征服の態勢を取り、改めて陽一のはだけたシャツをベッド下へ投げ捨て、ズボンのベルトに手をかけた。 「何で…」 ハアと息を吐きながら言いかける陽一を葉山は「黙って」とすぐ制した。これ以上拒否するといよいよ機嫌が悪くなるのは一目瞭然だった。陽一が観念して大人しくなると、葉山もようやく息を吐き、今度はゆっくりと見せつけるように陽一のズボンを寛がせ、下着の中から陽一の性器を取り出してぐっと握り込んだ。 「んっ!」 陽一がそれに露骨な反応を示すと、葉山は「勝った」と言わんばかりの顔で唇の端を歪めた。そうなるともういつもの儀式で、葉山は、最初は優しく丁寧に、しかし徐々に握り込む手に力を込めると、激しく陽一のモノを乱暴に扱き、やがて己の口腔内でもそれを育てる。 「ん、ん、はっ…あぁっ…」 リズミカルに出し入れされるそれに陽一はいつも眩暈がした。葉山にとんでもないことをされている、させている意識で、頭がボーッとなる。でも、止められない。葉山の口の中で一度大きくなったものが、今度はまた葉山の手の平で欲望を曝け出す。 「はぁッ、やッ…はや…!」 「口でイかせて欲しい? こっちとどっちがいい? 言って、浅見の良い方にするから」 「んぁっ、あっ、ど…どっち、も…やぁっ!」 陽一自身、何を言っているのか分からない言葉が出ると、葉山は半ば意表をつかれたように「どっちも?」と嬉しそうに応えた。違う、そうじゃない、もうどっちでもいいと頭の中では正解が出ていたが、キーンとなる頭頂部分で物を考えることが困難で訳が分からない。陽一はハアハアと荒い息を継ぎながら、とにかく達してしまいたい、早くと願った。葉山だけが頼りだ。 けれど今まさに射精できる思った瞬間、何か眩しい光と不可解な音が陽一の感覚器官に襲いかかった。 「……え」 それは突然のことで、最初はよく分からなかった。本当に突然、自分の分身がみっともなく腹の方向へ勃ち上がり、しかしその快感に喘がされている最中に、その青光りは陽一の全身を照射したのだ。 「なに……」 陽一が驚いて目を開くと、至極冷静な顔をしている葉山は、その手に取っていた物を暫し見つめた後、小さく笑ってそれをベッド下へ投げ捨てた。下にはカーペットが敷いてあるから、それが落ちる音も鈍いものでしかなかったが、陽一はその一瞬の出来事にガンと重石をぶつけられたような衝撃を受けた。 咄嗟に、「撮られた」と。その単語だけが鮮明に脳裏を過った。 「葉山…?」 「……ごめん。あんまり可愛かったから。つい」 「ついって……そん……」 じわじわとその事が実感を伴って陽一の胸をせりあげた。そして、熱いのか寒いのか分からないような怒りの熱が全身を迸り、陽一は思わず声をあげた。 「何してんだよ…!?」 「だから、ごめんって。後で消すから」 「冗談じゃ…今…ひっ…!」 逆らって飛び起きようとしたが、また性器をぐっと掴まれた。それでもその痛みより葉山がたった今さっきした行為――自分の裸を携帯で撮った――にただただ怒りがこみ上げて、それを冗談で済ませることは到底できないと思った。 「嫌だ、葉山! 今は絶対に嫌だ!」 だからこそ今までにない程に逆らったし、必死に抗ってそこから飛び出そうと暴れたが、そうすることで葉山は葉山で余計ムキになったのか、上から覆いかぶさるようにして陽一の全身を拘束し、再度握り込んでいた性器に自分の身体を強く擦り付けてきた。 「嫌だ、いやっ! 葉山ッ…!」 悔しくて陽一は必死に呼んだが、葉山は応えなかった。そしてその後はいつもと同じ、嫌がる陽一を押さえつけ、丹念にとは到底言えない荒っぽい作業で早急に奥を暴き、それが済むと無理やり自身の猛り切ったモノを挿入した。そうなれば、いよいよ陽一が身動き取れなくなるのを知っているから。 「いっ…」 それは本当にひどいセックスだった。これを恋人同士の営みと言っていいのかと疑わしいくらいの、それは合意のない行為。別段珍しくはない、時に葉山のやらかす恒例行事ではあるが、今回はそれに輪をかけて性急だったせいで、陽一の入り口は傷ついたし、何も感じられなかった。 「浅見…あさみ…」 それでも葉山は浅見の中を犯し、激しく律動した。ただ名を呼ぶだけ。それ以外は必死な息遣いと熱い身体をぶつけてくるのみ。 「…ん…ふ…っ…」 揺さぶられながら、しかしせめてもの抵抗で極力声を殺しつつ、陽一はあの海外のホテルで無理やり犯された時のことをふと思い出した。あれ以来、葉山は身体を求めてくることこそ増えたが、ここまで乱暴だったり、ましてや陽一が嫌がるような「あんな行為」は決してしなかった。否、しつこかったし、性行為を求める回数が増えていたのだから、大して良くもなかったのかも。それはここ最近、自分が葉山の暴走を甘受し続けたから、そのせいで葉山を助長させたのか――。この期に及んで、陽一は自身の責任についても考えてみた。葉山が「こうなる」のは自分のせいなのだろうかと。 「浅見…」 全くの無抵抗で挿入を受け入れ、奥を突かれ続ける陽一を葉山がまた呼んだ。呼応したくはなかったが、目を開くと、いつものように不安そうな、それでいてやはりどこか怒りの眼をした葉山がいた。怒りたいのはこっちなのに。ひどいことをされているのはこちらなのに。そう思うのに、陽一は葉山をじっと見つめてから、「何…」とだけ返した。 「今だけはさ……浅見を手に入れたって思える」 「………」 それは葉山がよく言うセリフだった。繋がっている時だけ少し安心できると。だからいつだって抱き合いたいと。ただ、それが深い愛故なのかと陽一は時々疑問に思う。単に信頼されていないだけなんじゃないか?と問い質したくなる。 「…っ…。気持ち、いい…? 葉山は…」 それでも違うことを、精一杯皮肉を込めた口調で陽一は訊いてみた。陽一自身は葉山の性欲処理の器として好き勝手身体を使われているだけで、ちっとも気持ち良くない。だからその気持ちを訴える意味も込めて言ったのだが、葉山はそんな陽一の掲げた足を撫で、太腿へ唇を寄せると、「うん」と素直に返した。 「俺はいつも気持ちいいよ。浅見の中は最高に気持ちいい。ずっとこうしていたい。中出しして終わりなんて嫌だって、いつも思う」 「勝手だ」 「……嫌い? もう嫌いになった? 俺のこと」 「……っ」 これも最近、葉山がよく聞くことだった。酷いことを言ったりやったりした後、必ず心配そうにそう問われる。ここまでされて、ここまで鬱陶しくて、それなのに何故か「嫌い」だとは思えない陽一だが、しかし実際に嘘でも冗談でも「嫌い」と言ったらどうなるのだろう、またコイツは首を絞めてくるのだろうかと、他人事のようにぼんやり思う。 「浅見。答えて」 子どものように葉山はせがんだ。陽一は何度かぱちぱちと瞬きした後、じっとした視線を落としてくる葉山を真上に見据え、「ううん」と言った。 「ただ…何で葉山はいつもこうなのかなって思う…」 「……うん。ごめん」 「今日、何かあった…?」 「うん。ごめん」 葉山は2回謝って、今度は陽一の膝裏に口づけた。陽一が従順にそれを受け取ると、葉山はハアと感嘆したように息を吐き、「この頃、浅見がどんどん綺麗に見えてきて怖い」と言い、再び腰を動かし始めた。 そうなるともう陽一も嬌声を上げる以外のことができなくなった。 珍しく葉山より先に目が覚め、陽一は隣で静かな寝息を立てている恋人の寝顔アップに驚いた。 あれから散々抱かれたが、2回目以降は陽一も感じられるよう、陽一も気持ちよくなれるよう、葉山は平身低頭の体で自分は二の次の奉仕に徹底した。最初の1回以外、挿入されることもなかったから、身体のダメージも最小限で食い止められ、だから目覚めも早かったのかもと思う。 そっと起き上がり、陽一は暗闇の中、急いでベッド下に落ちているだろう葉山の携帯を手で探った。夜目に慣れればすぐにそれは見つかる。陽一は焦る気持ちでそれを手に取ると、ちらりと背後の葉山を見てから、思い切ってそれの電源を入れた。自分のようにパスをかけていたら中を見られないかも―…と不安に思ったが、幸い、そのスマートフォンはすぐに立ち上がって幾つかのアプリが浮かび上がる通常の画面を見せてくれた。 (早く…消さないと…) 陽一自身、スマホはまだ慣れないが、そのうちの一つ、カメラの絵があるアプリを押す。少し手が震えていた。まさか葉山が自分の裸を撮るなど夢にも思わなかったから、全く油断した。もうこんなことは二度としないようにと、写真を消した後はきちんと葉山と話さなければ。そう思いながら、陽一はカメラ機能のアルバムを開き、直後つい、「えっ」と声を上げてしまった。 「何…これ…」 そこには1枚どころではない。陽一自身を撮った写真が幾枚も保存されていた。 慌ててそれらを次々見ていく。今日の日付ではない。もう随分と前からだ。写真自体は取るに足らないというか、被写体の陽一に言わせればどれも「酷いものばかり」だ。単にお茶を飲んでいるところ、食事しているところ、ベランダから外を眺めているところ―。一体いつ撮ったのかと思うほど、葉山のこの部屋へきてからの「陽一の日常」がごく自然に切り取られていた。さらには、あの海外で陽一が楽し気に買い物や散歩を楽しんでいる様子もある。 陽一はあまりの恥ずかしさに赤面してしまった。何せ、保存されている写真が全て自分の顔や全身を撮ったものばかりだったから。 「寝顔とか…勝手に撮るなよ…」 寝ている時に撮られたら、これは気づけない。アップだったり、全身だったり。やはりそれはいろいろな角度から撮られている。陽一はクラリとした眩暈を感じた。 「それは消さないで。害ないでしょ」 「わっ…」 急に後ろから声をかけられたものだから、陽一は飛び上がらんほどに驚いた。振り返ると、葉山がすっかり目を覚ました顔で上体を起こし、陽一を見ていた。 「葉山…」 「今日のはさすがに消していいけど、これまでのはやめて。俺の宝物だから」 ふざけたように言うでもない、至極真面目な顔で葉山は言った。そうしてこれまた本気なのか冗談なのか、今度は陽一の手の中にあるスマホを目にして淡々と告げた。 「それ全部消したら、本気で怒るよ」 |
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