―13―



  歩遊はいつでも厳しくて怖い俊史が好きだが、勿論、優しい人間とて大好きだ。
  特に女の子は優しい方が良い。昔から人気者の俊史を常に独り占めしていると、クラスメイトの女子たちから無駄に睨まれる事が多かった。理不尽な嫌がらせや陰湿な小突きに遭った事も、数え上げたらキリがない。だから歩遊には女性に対する恐怖心というものが少なからず根付いているし、それ故「優しい子が好き」となっていくのも、ある意味では必然と言える。実際、歩遊はそういう自分にとても親切にしてくれた女子を好きになった事もある。
  そう、歩遊とて恋をした事はあるのだ。俊史にとっての「初恋」は紛れもなく歩遊だが、歩遊にとってのそれは俊史ではない。
  歩遊がこれまでに「好き」と思った女子は過去に2人。小学五年と中学二年の時だ。いずれも同じクラスの子で、席が隣だったり同じ委員になったりで、他の人間より話す機会が多かった点が共通している。
  そして時に「相羽むかつく」、「見てるとイライラする」と目を吊り上げて睨みつけ、暴力すら振るってくる者がいる中、この2人だけはそんなグループと一線を画して、歩遊の良いところをきちんと見て、歩遊と対等に話をしてくれた。歩遊はそんな彼女らを前にするといつでもドキドキして、話す時は無駄にどもったり無口になったり…。顔も熱くなって、ちょっと腕が触れ合っただけでも飛びあがらん程に緊張した。特に中学の時に同じ委員だった子とは、道端で偶然居合わせて普段とは違う私服姿を見られただけで一日中得した気分になり、舞い上がった。告白する勇気などはなかったが、遠くから見ていたり、偶に話せただけで十二分に幸せで満足だった。

  ただ、歩遊のそんな仄かな恋は、どちらも全く長続きしなかった。

  何故って、歩遊がそういう気持ちを「自覚した」途端、彼女たちは俊史のことを好きになっていったから。
  本来は他の俊史ファンと違い、歩遊をまっとうに直視してくれていた子らだ。だから当初は俊史のことも普通の目でしか見ていなかったはずで、むしろ彼の歩遊に対する行き過ぎた言動に気づき眉をひそめ、「瀬能に言ってあげようか?」なんて口を出す事すらあった。
  けれど歩遊が「この子のこと好きだな」と思うや否や、何故か2人とも突然俊史との親交を深めていって、気付くと「俊君のことが凄く好きなの」となっていた。しかも俊史の方も彼女らに満更でもないような態度で仲良くし、歩遊にも「勘違いして浮かれんなよ、あいつはお前の事なんか何とも思ってないんだからな!」と牽制…というか激怒して、歩遊を責め立てた。加えて、どうした事かそれ以降、優しかった彼女たちも歩遊を一切見ようとせず、話す事も殆どなくなり……。
  それらを見て、クラスメイトは笑いながら口を揃えた。“結局あいつが相羽と一時的にでも仲良くしていたのは、瀬能とお近づきになりたかったからなんだ”…と。2件が2件とも全く同じパターンだったから、小学校から俊史らのことを知っている人間だと、尚更そう騒ぎ立てて大変だった。
  歩遊自身は彼女たちをそんな風には見られないし、ましてや「利用された」などとは考えもしない。話せなくなったのは悲しいが、元々告白する気もなかった。そんな恋が成就するわけはないし、相手が俊史ならば納得だ。……けれど、周囲はそんな風に話を締めない。嘲笑して、状況を誇張して、「女子ってあからさまだよな」なんて言いながら、「歩遊の方」を指差してバカにする。歩遊にはそれが辛かった。たった2回の、他人から見たら恋とも呼べぬかもしれないそれだけれど、歩遊にとってはとても大切なものだったから。
  そんな事があったせいか、単純に「よく話す相手」がいなかったせいか。高校に上がってから、歩遊が誰かに恋をする事はなかった。
  一方の俊史も、歩遊と仲良くなったその女子2名とはことごとく「良い雰囲気」にまではいったのに、付き合うまでには至らなかった。だから俊史の周りでまともな噂が立ったのは高校に入って現れた戸辺優が初めてだったし、しかもそれが自分たちと同じ男だったから、当時の歩遊には相当な衝撃だった。同性間の恋愛など考えもしない、俊史は普通に女の子を好きになる人間だと思っていたから。

  けれど「それ」がなかったら、歩遊は「自分も俊史が好きなんだ」とは思えなかったかもしれない。

  これまで優しくしてくれた女子たちに対するのとはまたどこか違った胸の昂揚と焦燥。俊史の顔などいつでも見ていたはずなのに、慣れたその存在に何故かぎゅっと苦しくなる部分がある。これは何だろう、どうしようと思うのに、まともに思考する心の余裕がない。ただ「何か」がいっぱいになっていて破裂しそうだ。

  そしてそんな困惑の中、大喧嘩した後だからか、俊史がとても「優しい」。これには参る。





(だからって何でこんな事に…。いや、自分が言い出したんだけど。本当に考えがないんだ僕は……)

  現在、歩遊は湯船に浸かりながら頭をぐらぐらと煮立たせていた。
 
  俊史に引っ張られるようにして戻った別荘で、歩遊はようやっと俊史からクリスマスに貰った白のダッフルコートがとんでもない惨状になっている事に気がついた。
「最悪だ……! ごめん、こんな……」
  泥だらけのそれを広げて歩遊はボー然とした……が、その事にショックを受ける間もなく連れて来られたのが、この浴室だ。
「そんなの、どうでもいい」
  俊史はコートの事で落ち込んでいる歩遊など構う風もなく、どこか焦った様子で「さっさと温まれ」と歩遊にタオルを投げつけた。俊史とて夜の雨に打たれたのは同じ事だ。然程長い時間ではなかったとしても全身びしょ濡れだし、見るからに寒そうなのに。
  俊史は冷え切った歩遊をただただ早く風呂に入れようと躍起になっていた。
「お前すぐ風邪引くんだから。早く行け!」
「で、でも、それなら俊ちゃんだってそうじゃないか。いいよ、僕は後でも、別に」
「お前が先だっ」
「い…嫌だよ、そんなの! 気になるよ!」
「歩遊!」
「な、ならっ!」
  譲りたくないと思って歩遊はムキになり、ガラガラの声を無理矢理張り上げた。
  心配しているのは自分も同じ、いつでも俊史ばかりが我慢をするのは嫌だと思ったのだ。
「なら、一緒に入ろうよ!」
  歩遊とて俊史に風邪を引いてもらいたくない。その思いから咄嗟に出た言葉だった。どうせ俊史だって後から入るのだ、だったら2人で入れない広さでもなし、一緒に入った方が効率的だ。切実な気持ちに乗っ取った、それは至極もっともな考えだった。

  ――で。それにより、今の状況に至る。

(ああもう分かんないよ……。一緒にお風呂入るのなんて別に初めてじゃないのに……)
  温かい湯に浸かっても緊張が解れるどころか、より一層心臓音が高まっている。歩遊は困り果てていた。
  そう、2人で風呂に入った事など、これまでに数え切れない。そこで今日みたいに俊史から「ちゃんと洗え」だの「よく温まれ」だのと小言を投げつけられながら一緒に背中を流しあう事とて。
  別段珍しくはないのだ。
(はぁ……何でこんなに緊張するんだ…)
  けれど今ここにいる俊史は明らかに普段の「数百倍」優しいし、そもそも歩遊はつい数十分前に「俊史のことが好きだ」と実感したばかりだ。それなのにこうして一緒に、狭くはないけれど決して広くもない浴室で湯船に浸るというのは…意識を逸らそう、違う事を考えようと思ってもなかなかに難しい。
(うぅ……背中が痛い)
  大体、先刻は散々いいと断ったのに「お前はすぐいい加減に済ますから」と、俊史から髪の毛まで洗ってもらった。そんな光景を思い返すと余計に顔が熱くなる。後ろにいるだろう俊史の視線を感じるとそれがまた一段と増す。普通にのぼせてしまう前に恥ずかしさで倒れそうだった。
「……歩遊」
  その時、不意に俊史が声を出した。
  さっきまで散々自分でやると抵抗していた歩遊を押さえつけるべく小言を発していた俊史なのに、思えば共に湯船に入ってからは一言も発していなかった。
  その俊史が急に口を開いたのだ。
「……えっ?」
  しかし歩遊はその呼びかけに大分遅れてから反応を返した。俊史に背中を向けている格好のままぐるぐるする思考を必死に整理しようとしていたから声が遠くに聞こえていたせいもある。だから歩遊が慌てたように振り返った時には、俊史は「何で無視するんだ」とでも言うようにどこか困ったような顔をしつつ憮然として、じっとした視線を向けてきていた。
「あ……ご、めん。何?」
「……何、じゃねえよ」
  すると俊史は歩遊のぼうとした声に更にむっとして、湯船に入れていた腕をばしゃりと出してから促すようにさっと手を伸ばした。
「こんな狭い所で無駄に変な体勢取るなよ。何でそんな離れてんだ、もっとこっちに来ればいいだろ」
「えっ。いや、でも」
  それは凄く気まずい。
  けれど確かに歩遊の体勢は不自然だし、窮屈だった。
  入口から見て浴槽の右端に位置している俊史と極力接触を避ける為、歩遊は己の身体を反対の左端に目一杯寄せていた。しかも俊史からは背を向けたまま膝を曲げて風呂の縁にしがみついて縮こまっているのだから、妙と言えば妙だ。下手したら「嫌いな人間と仕方なく一緒に風呂に入っている」図、である。
「でもじゃねえよ! いいから来いよっ」
  それを俊史も感じてしまったのかもしれない。声にこそ普段の力はなかったが、どこか自棄になったような様子で彼は歩遊の腕を引っ張り、無理矢理自分の元へと引き寄せた。
「うわっ」
  強引に手繰り寄せられたせいで、歩遊は勢い余ったまま俊史の胸に背中からもたれこんだ。一瞬肘が俊史の腹に当たったような気がして、慌てて謝りながら離れようとするも、俊史はそれを許さなかった。自分に寄りかかってきた歩遊をそのまま後ろから抱きかかえるようにして、歩遊を自らの上に座らせる。
  それに対して歩遊は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「ひゃあ!」
  勿論、これに驚いたのは俊史だ。
「……っ、バッ…カ! 変な声出すな!」
「だ、だって……ぎゃ!」
  悲鳴なのか抵抗なのか驚きなのかよく分からないイガらっぽい声が出たものの、歩遊は俊史から両腕を回され強く拘束されて、そこから身動きが取れなくなった。
「うわ…ちょ…」
  しかしこれでは、小さい子どもが若いお兄さんにあやされるが如く「抱っこ」されているも同然である。
  歩遊も幼稚園かそこらの頃は「抱っこ」や「肩車」、「おんぶ」の大好きな甘えっ子だった。インドア派で力も然程ない父親・幹夫は、幼い歩遊を片腕で持ち上げてみせるだけでもすぐに疲れてゼエゼエとなるような人だったから、歩遊は子ども心にそれらをねだるのは「申し訳ない」事と承知していた。だから過剰なお願いはしなかったし、それ故、親子のスキンシップも周囲の子どもより少なかった。
  歩遊が俊史や亡くなった祖母以外の人間と多くの接触に慣れないのは、幼少期から経験していた悪意ある小突きと併せて、そんな事も原因しているかもしれない。だからこそ、今現在仲良くしてくれている体育会系の耀などが歩遊に無駄に擦りついてくるのとて、時々途惑ってしまうのだ。
「……いいから、じっとしてろ」
  ただ、そんな過去の事はともかく、問題は今、である。
「う」
「お前が嫌がる事はしない」
  俊史は困惑する歩遊を宥めるような静かな声でそう言った。
「俊……」
  呼びかけたものの、歩遊はしんとして動きを止めた。俊史も一度囁いたきり、歩遊の首元に顔を埋めて動かなくなる。
「ん…っ」
  心臓は今にも破れ出しそうな程ドクドク鳴り響いてどうしようもないし、それが俊史にも聞こえているのじゃないかと思うと気が気ではない。けれど首筋に当たっている俊史の唇を意識してしまうと、歩遊はもう一ミリでも余計な動きは取れず、心臓以外の部分を完全に機能停止しようとした。
「あ……?」
  けれど歩遊はこの時になって今さら気付いてしまった。自分が尻を乗せているところはちょうど俊史の大切なものがあるあたりだが、それが何だか不自然だ。どこかおかしい、いつものそれではないと感じて、少しだけ身体を揺らすとそれが今度ははっきりと分かって「しまった」。
「ひ……」
「怖がるな…」
  しかし俊史の方も歩遊のその反応に気付いたようで、さっと声を出すとより一層抱きしめる腕に力を込めた。
「俊ちゃ―…」
「お前だろ……一緒に入るって言ったの……」
  俊史のそう言った声が微かに震えていたように思えて歩遊はごくっと唾を飲み込んだ。身体がまた更に熱くなる。自分も意識しているけれど、俊史もそうなんだろうかと考えると、そんなわけはないと思いながらも高まる興奮を抑えきれない。これは一体何なのだろうと、再び原因不明の眩暈に襲われる。
「しゅ……」
  歩遊はそれをどうしたら良いか率直に俊史に尋ねようとした。元々俊史に隠し事はできない。“さっき俊史を好きだと思ったのだが、何だかそれから身体が熱い。それは何でなのか、しかも全身変な気分だ、どうしよう―…?”と。そう素直に訴えたいと思った。
「あの…」
  だから口を開きかけたのだが、それとほぼ同時に俊史が当てていただけの唇を意思を持って歩遊に再度深く押し当てて、音のするキスをしてきた。
「はっ…?」
  項やら首の側面やら耳元やらをランダムにしてくる。ちゅっちゅと触れるような、離れてはまた軽くされるだけの戯れのキスだけれど、それは一度二度とされると、後は際限ないように断続的に繰りかえされていく。
「あっ…俊…」
  と、同時に俊史が身体を揺らした。不意にまた俊史のそれが歩遊の臀部に強く擦り付けられるように当たって、歩遊はびくりと震えた。慌てて身体を逸らそうとするものの、俊史の腕の拘束は依然として解かれない。まずいと思って腰を浮かそうと身体を捩らせると、突然俊史が片手で歩遊のものを握ってきた。
「いっ…!?」
「気持ち良く…してやるから…」
  俊史が掠れたような声で言った。誰だこれはと思うほど、どこかいつもと違う生彩を欠いた声。歩遊は怖くなって声もないままちらりと背後を振り返った。俊史の熱っぽい視線ともろに交わった。
「あ…」
  瞬間、同じだと思った。自分の身体が変に熱いのと同様、俊史も全く同じようになっている。それが何を意味しているのか、そこまでは考えが至らないものの、歩遊はただ「同じ」だと思って、少しだけ身体から力を抜いた。
「歩遊…」
  するとそれを了承と受け取ったのか、俊史の手の動きがより明確となった。
「ふ……んあッ」
「歩遊っ」
  また後ろから別人のような声が聞こえる。けれど紛れもなく俊史のものであるそれは、小さく呼びかけながら歩遊のものを丁寧に包み込むようにしてから、ゆっくりと湯船の中でそれを扱き始めた。湯の中にいる分、激しい摩擦による痛みが少ない。むしろ淡い鈍いその刺激に禁忌な想いとが交わってぞくぞくと快感がせり上がる。歩遊はぶるりと背中を震わせ、折角途中まで堪えていた声を我慢出来ずに外へ漏らした。
「やあっ…」
  それに俊史が反応して手を止めた。次いで「嫌か…?」と探るような声が囁かれた。同時に耳朶を甘噛みされ、歩遊はひゅっと首を竦めた。
「んんっ……あ、俊……」
「嫌か? やめて…欲しいか?」
「あ…、あ…? んっ…ん、あぁッ!」
  けれど歩遊がそれに対して考える間はなかった。俊史は自分からそう訊いたくせに、不意にまた手淫を再開させ、歩遊の熱情を煽り始めた。
「ひっ、ん、んーっ」
  恥ずかしいという言葉も出ない。俊史に中心を握られたまま、歩遊はきゅっと目を瞑った。指先でくりくりと先端を弄られる。また、歩遊がそれにじりじりと身体を揺らすと、更にその快感を助長すべく、全体への刺激が開始された。強く擦られる。と、同時、俊史が背後から歩遊の両足の間に己のものを擦りつけるようにして挟みこんでくるのが分かった。
「あっ、あ…んっ」
  けれど歩遊の方は俊史からの手淫に翻弄されるのみだ。あられもない喘ぎ声は絶え間なく唇から零れ落ち、湯の熱さとも相俟って苦しさ故に腰が浮いた。
「ふっ…」
  すると俊史は更に歩遊のものを握る手に力を込め、同時、自身のものをぐいと歩遊の股に擦りつけた。
「いぁッ」
  初めて酷い痛みを感じ、歩遊は声をあげた。思わず、と言った勢いで立ち上がる。俊史もそれを助けるように自らも歩遊を支えながら腰を上げた。
「あ、ふ…っ」
「歩遊…歩遊っ」
  俊史の手の動きがより一層速くなった。歩遊は自分の決して自慢できない小ぶりのものが偉そうに欲を剥き出しにしている様を見下ろして「ひっ」と涙声を漏らした。
  けれどそれを戒めるように動いたのは俊史だ。
「歩遊…」
「あ…? い…痛いっ。俊ちゃっ!」
「気持ちいいだろ…」
「やっ! や…やぁ…いた…!」
「歩、遊…」
  けれど俊史ももう余裕のない声しか返してこない。更に己の熱い性器を押し付けるようにして腰を進め、身体を密着させてくる。歩遊も自然、自身の尻を俊史の腹に押し当てるような格好で身体を屈めた。ただ俊史から与えられる刺激に我慢がならなかった。
「んんっ。も…もう駄っ…。あ、あっ、俊ちゃあ……助けっ、助けて!」
「歩、歩遊…っ」
「あっ、あっ、もっ…もぉ、出る…っ」
「ふ…!」
「やめ…ひっ、う、んうぅー…っ。出ちゃっ、出ちゃう、俊ちゃんっ!」
「あぁ……いいぞ、いけ…!」
「ひ…―ッ!」
  俊史の声と最後の激しい一擦りで歩遊は思いきり精を放った。普段とて自慰など殆どする事がない。そういった方面に疎い歩遊にとって、俊史によってされるがままこうして欲を出した事は激しいショックだった。心臓が破ける。呼吸がままならない。ハッハッと犬のように忙しなく息を吐き出しているものの、どうしたらもっとゆっくり空気を肺に吸い込めるのかがよく分からなくなっていた。
「歩、遊…っ」
「……っ!」
  しかしボー然としていられたのも束の間、それからややあって俊史が歩遊の背後で放ったのが分かった。今さら両足の間がじんじんと熱を帯びている。強く擦りつけられて痛いと気付いた。
「あ……」
  歩遊は途端カーッと赤面して、そのままがくりと項垂れた。俊史が後ろから両腕で強く支え、先刻そうしてくれたようにぎゅっと抱きしめてきて「歩遊」と呼んだから、辛うじて意識を外に繋いだままにしておけた。―…が、しがみつくように自分を背後から抱きしめる俊史の腕は痛い。やっぱり苦しいと思った。
「熱……」
  限界だ。もくもくとたゆたう湯気の中で歩遊は小さく呻き、ごくんと唾を飲み込んだ。湯気のせいだけではない、視界がぼやけて定かでない。ただ分かるのは、熱を放ったばかりの自分のものがはしたなく白い残液をこびりつかせたまま未だ熱を帯びていること。
  背後の俊史自身も恐らくそうだろうこと。
「俊ちゃ……」
「…ああ」
  掠れ声で歩遊が何とか呼びかけると、俊史もここでやっと応えた。そうして後はもう何も言うなとばかりに歩遊を勢いよく抱き上げ、そのまま浴槽から外へ出る。ぐったりする歩遊の身体をシャワーで清めて、洗面所でバスタオルを巻きつけるのも素早かった。その頃には歩遊もようやく意識が戻ってきて自分で拭くと言い張ったのだが、けれど黙々と作業をこなす俊史はそれを決して許さなかった。
「何か飲み物持ってくるな」
  歩遊をリビングのソファにまで運んでから俊史は素っ気無くそう言ってキッチンへ向かった。歩遊はそこで未だバスタオルにのみ包まれた自分を隠す為に、意味もなく「うわぁ…」と零して、うつ伏せに頭を抱え倒れこんだ。

  一体何だったのだ、今のは?

  時間にするときっとほんの僅かな間だった。そしてそれは何の前触れもなく突然やってきて、突然終わった。特に何かの言葉があったわけでもない、ドラマチックな予感があったわけでもない。ただお互い冷たい雨に濡れていたし、早く温まらなくてはいけないのに俊史が歩遊にだけ先に風呂へ入れというから。
  だから歩遊も一緒に入ろうと言っただけだ。
  でも気付いたら、何だか二人で身体を擦りつけあって精を出して。訳も分からず快感に身を任せ、声を上げていた。
(恥ずかしい……猛烈に……)
  両手でこめかみを強く抑え付けながら、歩遊はぐるぐると回る視界を留めようと目を瞑った。ただでさえ何をやるにも遅い性質なのに、頭の整理まで追いつかないとえらい事だ。
(頭めちゃくちゃだ…。でも、とにかく…言わなくちゃ…)
  そろりと顔を上げて、歩遊は俊史がいるだろうキッチンへと目を向けて心の中でそう呟いた。
  そう、まずは「俊史が好きだ」と伝えなければ。まだ何も言えていない。この困惑も、胸の高鳴りも。心の整理が出来ないまま俊史に頼るような感情の投げつけは、もしかすると良くない事かもしれない、迷惑かもしれない。
  けれど、言わなくては。身体だけ興奮している、こんなのは嫌だ。
(さ、さっきより…緊張する…)
  歩遊はごくりと唾を飲み込み、濡れた髪の毛をぶるぶると左右に振った。既に冷たくなりかけている水滴が辺りに散り、歩遊の晒されたままの半身も冷え始めている。
  けれど、寒くはない。
(言うぞ……俊ちゃんが好きだって…。言わなくちゃ)
  歩遊は自分の為にジュースの入ったグラスを持ってくる俊史を見上げながら、ぐっと唇を噛んで気合を入れた。



To be continued…




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