―14―



  昔、何の照れもなく「俊ちゃんが好き」と言うと、歩遊は無駄に叱られた。
  当の俊史から。

「気持ち悪いこと言ってんじゃねえよッ!」

  元々生粋の「おばあちゃんっ子」で素直な性格の歩遊は、生まれた頃から親よりも一緒に過ごしていた俊史を「好き」という事に、全く疑いの余地を挟まなかった。好きか嫌いかと訊かれたらそれは「好き」に決まっている。誰も彼もが、歩遊のことを愚図でのろまで一緒に遊んでいても足手まといだと邪見にするのを、俊史だけは、口でこそきつい事を言いつつも最後には絶対に見放さなかったし、傍にいてくれたから。歩遊にとって俊史が絶対の存在であるのは間違いのない事実だったのだ。
  だから「俊史のことが好きか?」と問われれば、それは「好きに決まっている」と答えてきた。尋ねてくる相手は亡くなった祖母だったり、歩遊や俊史の両親だったり、或いは二人の関係を微笑ましく見ていた近所の人間だったり。学校のクラスメイトに訊かれた事もある。

「相羽っていつも俊君の後ばっかりついているけど、俊君のこと好きなの?」

  それは時に悪意ある質問だったかもしれないが、歩遊はそれにも「うん」とすぐに頷いて真摯に回答してきた。

「うん、好きだよ。当たり前だよ、そんなの」

  そういう風に。
  けれど。

「気持ち悪いこと言ってんじゃねえよッ! お前、何くだらないこと、クラスの奴に言ってんだよ!?」

  それは小学3年か、或いは4年生の頃だったか。
  いつものように誰かから訊かれた事をサラリと答えただけだったのに、歩遊は何故かその時に限って俊史からこっぴどく叱られた。

「迷惑なんだよ!」

  俊史の吐き捨てるような言葉は歩遊の心をあっさりと傷つけた。ただ思っていた事を、当たり前の事を正直に話しただけなのに責められた。これまで俊史からは「嘘はつくな」と言われてきたのに。隠し事もしてはいけないし、思っている事はうじうじとしていないでしっかり話せと。むしろ沈黙する方こそ厭われていたから、まさかこうまで怒られるとは、歩遊は想像もしていなかった。
  第一「それ」は、今初めて言い出した事ではない。それこそ、もっとずっと昔から何度も繰り返してきた「いつものセリフ」なのだ。
  それなのに。

「め、迷惑…?」
「そうだよ! 二度と人前で言うなよ、そんなこと!」

  怒鳴られる事などしょっちゅうだし、失敗したと思う事もしょっちゅうだ。
  しかし、「歩遊が俊史のことを好き」というのが、俊史にとってそれほど負担を強いる事なのかという事実は、歩遊にとっては大きな打撃だった。
  ……とはいえ、それ以降も歩遊は懲りずに「俊史が好きだ」という気持ちを消さなかったし、祖母や両親から「ホント、歩遊は俊ちゃんが好きだよねえ」とからかわれるように指摘されても、「うん」と素直に頷いてきた。そうしてきて「しまった」。どうやら、俊史も同年代の仲間たちにさえ言わなければ、あの時のように怒る事もないと分かってきたし。
  迷惑だの何だのと言われても、いつも一緒で、いつも守ってくれる俊史を早々「嫌い」になどなれるわけがない。好きなものは好きだ。それを出すなと言われれば、そうしなければと思いはするが、心の奥に潜む本音の部分だけはどうにもならない。
  だから歩遊は今の今まで、「やっぱり俊史が好き」なことを「当たり前」として捉えてきた。

  それでも、それを心のもう一方の片隅で「申し訳ないこと」と理解もしている。己を自虐的に苛み、「俊史の負担にならないように」とびくついている。プスプスと燃えきらない、中途半端で小さな炎が胸の中で燻っている。
  俊史にとって自分は厄介な存在。だから極力迷惑をかけないよう過ごさなければ―…それは歩遊の中で長い間ずっと掛けられている解けない暗示だ。





「ほら、飲めよ」
  ぞんざいな所作でジュースの入ったグラスを渡してきた俊史に礼を言って、歩遊はソファでそれを飲んだ。それに少し口をつけると「さっさと着替えろ」と、新しいトレーナーとスウェットパンツも渡されたから、グラスをテーブルに置いた後は急いで着替えも済ませた。
「……………」
  人心地つくと、先刻まであれほど暑いと思った空気もどことなくヒンヤリしていると感じた。もう一口ジュースを飲もうかと迷ったが、歩遊はそれを思いとどまり、ソファの上でそっとため息をついた。
  ちらり、と横目で同じソファに座る俊史を見やると、俊史の方もどこか所在ない様子で意味もなくテラスの方向へ焦点の合わない視線を向けていた。歩遊同様、濡れた髪の毛が適当に拭かれたままで、然程長くない髪とはいえ、それが却って寒々しそうで少しだけ気になった。
「……何だよ」
  けれど俊史にとってはそんな濡れた髪など全くどうでもいい事案らしい。そわそわと自分を見る歩遊の視線にも当然のように気づいていたのか、すぐにぐるんと顔ごと横を向いてきて、どこか睨みをきかせたような鋭い眼差しを向けてくる。
「うっ……」
  それがどこか殺気立っているように思えて、歩遊は咄嗟に顔を逸らした。
「あ、あの…」
  それでも歩遊には使命がある。つい先刻自覚した想いを告げるのだ。
  “どうやら自分は俊史が好きなようだ”…と。
「実は……その……」
  しかもそれはこれまでに何度も言ってきた「好き」とは少し、否、恐らくは大分違う。従来のそれと同じ類のものなら、例え相手には「迷惑だろう」と分かってはいても、親たちへも正直に告げていた時と同様、そう戸惑わず口に出せる。ここまでドキドキする必要はない。
  今しようとしているのは、これまでとは違う「好き」の告白なのだ。
「えっと……」
  先ほど風呂場で起きた不可解極まりない出来事――まるで嵐のようにあっという間に起きて、あっという間に終わった――あれが頭に浮かんで、歩遊は咄嗟に顔から火を噴いた。どうしてあんな事になったのか分からない。それも俊史に訊いてみたいが、どういった流れであれ、あれによって歩遊の身体はとてつもなく熱くなった……。そしてそれによって自分が俊史を好きなのだと、改めて己の気持ちを認識した。
「……っ」
  歩遊はもう何度目か分からない、ごくりと唾を飲みこんだ。
  早く告げなければと思う。ワケも分からないまま身体だけが熱いのはダメなのだ。歩遊の正義に適って考えると、ああいう事は気持ちを告げて、それからのもののはずだ。
  迷惑でも言わねばならない。俊史が好きみたいだ、どうしよう?と。
「実は、何だよ」
  一旦は口にしたものの、なかなかその先の言葉を出さない歩遊に、俊史が憮然として返してきた。
「何だよ、言いたい事があるならさっさと言え!」
  俊史が焦れている。歩遊は焦った風に肩を跳ねあがらせ、思わず「ごめんっ」と声を張り上げて謝った。
「ごめん、その…!」
「何がごめんだ!? イライラするな、何なんだよ!? あわあわ口開けたり閉じたり! 早く言えッ! 何なんだ!?」
「うん、そのっ! さ、さっき…! 実は本当についさっき、の事なんだけどっ! その、思った事が、あって!」
「思った事?」
  俊史が眉をひそめて聞き返す。歩遊は急いで何度も頷いた後、「ごめんっ」とまた意味もなく謝った。
  謝るのは歩遊の癖である。殆ど条件反射みたいなものだから、そこに特別深い意味はない。言葉を出すのが遅くてごめん、はっきりしなくてごめん―…そういう気持ちが込められた「ごめん」だ。俊史の方もそれには十二分に慣れているはずだった。
  歩遊のごめんに大した意味などないと。
「……だから、何がごめん、なんだ」
  けれど俊史は何度となく紡がれる歩遊のごめんに、何故かこの時だけは敏感に反応した。
「何度も何度も謝りやがって…。そんなに嫌だったのか…? だからもう勘弁してくれとでも言いたいのか? けどお前、さっきは全然逆らってなかっただろ…!」
「え? 何が…」
「さっきの事だ! 嫌だったのかって訊いてんだよ!?」
  いきなりぐいと手首を掴まれて、歩遊は思わず顔をしかめた。俊史が怒っている。まだ告白もしていないのに怒っている。歩遊は思い切り困惑したが、とにかく自分の事で俊史が相当頭にきている事だけは分かったから、思わず口を閉ざした。まじまじとその顔を見つめる。どことなく顔の赤い俊史が不思議だった。困惑している。苦しそうだ。どうにかしなければと思うのだけれど、俊史が何に対して腹を立てているのかがいまいち分からない。
「さっきの…」
  さっきの事と言ったら、それは「さっきの事」だろう。あれが嫌かと訊かれれば、驚きはしたし猛烈に恥ずかしいという気持ちは未だ強いけれど、「嫌ではなかった」。いきなり始まっていきなり終わったから戸惑いは大きいが……俊史のことが好きだから、嫌かどうかと訊かれれば、それは「嫌ではない」が正解だろう。
「僕は、そんな…」
  ただ、あんな事は普通ならやらない行為には違いない。そう、あんな事、フツーの関係なら絶対やらない。歩遊は俊史にはあからさまなところがあって、精通した時も一番に俊史に相談したし、先だっては自分の体毛が薄い悩みも打ち明けた。風呂にだって何度も一緒に入っているのだから、今さら裸を見られてどうのと言った事も勿論ない。
  けれど幾ら幼馴染でも、家族に近くても、やはりさっきの「あれ」はおかしい事だ。
  歩遊は俊史を好きだけれど、まだきちんと告白していないし、俊史自身の気持ちも聞いていないから、手放しで「あれ」を肯定する気にはなれない。そんな事は出来ない。
  何故俊史はあんな事をしたのだろう?
「……何なんだよ」
  そんなぐるぐるとした歩遊の混乱を読んだのだろうか、俊史が酷く居た堪れないような顔をして唇を噛んだ。それから更に歩遊の手首を掴む手にぎゅうと力を込めて、相手が痛がって眉をひそめるのも構わずにそれを捻り上げた。
「痛っ…!」
  さすがに声を出すと、俊史は余計に激昂したようになってそんな歩遊の手を握り直し、身体ごとソファの上に押し倒した。歩遊は勢い余ってソファの肘掛に後頭部をしこたまぶつけたが、そこではあまりの痛みに声を出す事すら出来なかった。
「あれだけよがり声あげていたくせに、今更否定する気かよ…。まだお前は怖いとでも言うつもりか。俺を受け入れる気がないのか…だから謝ったのか」
「う……」
  肘掛は比較的柔らかいものだったが、思った以上に衝撃が強くて一瞬意識がぼうっとした。そのせいで歩遊は俊史がぶつぶつと独り言のように囁くその声を聞き取る事が出来なかった。
「何がごめん、なんだ。謝ったところで今更俺が逃がすと思っているのか…? お前はもう…俺のものになってんだよ…。とっくの昔に、そんなのは……決まって…!」
「俊ちゃ……ごめん、さっき……」
  俊史が何か言っているのをまだ責められていると思った歩遊は、朦朧としながらもよせばいいのに再度謝罪し、それでも「好きだ」と言おうとした。頭が痛い。たかがソファに頭を少しぶつけただけなのにこの痛みは何だろうと思う。じわりと涙が浮かんだところで、別に悲しくもないのに「これはまずい」と意識の遠くでそれだけ思う。
「煩い! お前の戯言なんてもういい! 喋るな!」
「な……んっ!」
  突然唇を塞がれて歩遊は息を止めた。呼吸が出来ない。ただでさえ頭が痛いのに。俊史のキスは嫌ではないけれど、ちょっと待ってほしいと思う。迷惑でも告げようと思っているのに。きっとまた怒られるのは分かっているけれど。
「あ……」
「感じてんだろ? 素直に認めろ!」
  俊史が唇を離した隙にさっとそう言った。トレーナーの中に手が差し込まれてびくんと身体が揺れる。その反応に俊史はバカにしたように笑った。
「ほら見ろ、感じてんだよ、お前は! 俺に! 恥ずかしい奴、何を言おうが、もう無駄なんだよ!」
「…ひっ…俊…」
  俊史の意地悪な瞳に歩遊はズキンと胸を痛めた。感じる。それはそうだ、俊史が好きだから、好きな俊史に触ってもらったら歩遊の身体は熱くなる。
  でもそれは、やっぱり恥ずかしい事で。
「俊ちゃん…」
「煩いっ。喋んなって言っただろ。これ以上俺をイラつかせんじゃねェよ!」
「…っ」
  迷惑なんだよと、言われた気がした。
「ふっ…んっ…」
  立て続けにされる口づけを歩遊はこの時初めて真剣に嫌がって逆らった。俊史が迷惑な事は嫌だ。俊史にとってこれが軽蔑に値する行為ならやめてほしいと思う。
「や…っ」
  そう、考えなくても分かっていた。俊史に好きだという事は俊史には迷惑な事なのに、自分の言わなければ気が済まないなどというエゴで無理やり告白しようとした。
  それをやめろと、俊史は言っているのだ。きっとそうだ。そうに違いない。
「も…もう言わない、から。だから、や…やめ…!」
「煩い…! 嫌がってないんだよ、お前の身体は…!」
「うっ…あ、あ…」
  俊史の手が下半身に伸びる。歩遊はぎくりとして膝を立てた。さっきのような事がまた行われるのなら嫌だ。止めたい。告白できないのに身体だけが熱くなる。俊史だって嫌なはずなのに、意地悪する為だけに、自分に思い知らせる為だけにこんな事をするならやめてほしい。
「嫌だ、俊ちゃん、やぁっ…!」
「んだよ、暴れ、やがっ…て!」
「いっ…!」
  怒る俊史に構わず無理やり身体を起こそうとした歩遊は、突然ずきんとした痛みを頭に感じた。ひっと小さく呻いて顔を歪ませる。
「あ…」
  俊史はすぐさまそんな歩遊の異変に気づいて慌てて身体を離した。
「うぅ…」
  歩遊は自由になった身体にほっとして両手を後頭部へもっていった。ずきずきしている。先刻感じた程もう痛くはないけれど、胸の痛みと相俟って全身に鈍い痛みが浸透していくような気がした。
  再びじわりと目元が潤む。
「どうした…」
  俊史が呆然としたように訊いてきた。歩遊は心配をかけまいとすぐに緩く首を振ったのだが、俊史はそれを咎めるように額にそっと触れた。
「無理に揺らすな。頭……痛いのか?」
「違う…ちょっとだけ」
  平気だと訴えたものの、俊史は納得しなかった。すぐに手が伸ばされて歩遊が先刻手を当てていた所に触れる。歩遊は痛かった部分に触られるのが怖くて一瞬は嫌がるそぶりを見せたが、俊史はそれを許さずにそっとした手つきでそこに手を当てた。
「…痛いか? 痛いのか? さっきの……俺のせいか」
  俊史の声に精彩がない。歩遊はすぐに慌てて「大丈夫!」と大きく答えて情けない笑顔を浮かべたが、それはやや震えていた。痛みというより俊史の顔に歩遊はたじろいだ。俊史の心配そうな顔を見たら頭の痛みなど何ほどのこともない。実際もう痛くなかった。俊史の蒼褪めた顔を見たくない。歩遊は取り繕うようにまた笑んで、「ごめん、もう大丈夫だから」と繰り返した。
  そして何故かするりと、そのついでみたいに言葉を零した。

「あのさ、僕、俊ちゃんが好きだから」

  言った後、歩遊は「あっ」と自分で自分の言葉に驚いて口を開いたまま暫しフリーズした……が、確かに「告げた」。つい数分前まで、言わなければ、言いたい、でもやっぱり迷惑なんだ、言ってはダメなんだ…そんな葛藤を重ねて、すっかり意気消沈していたのに。告白など止めようと思ったのに。
  まるで何かの発作のように、本当につるっと言ってしまった。
  冗談のようだ。
「あ、えっと…」
  けれど歩遊は焦りまくってあたふたとしながらも、やはり言えた事自体には相当満足した。心臓はドキドキと怖いくらいに早い鐘を鳴らしているけれど、自分の想いを俊史に内緒にし続けるという苦痛は回避出来たし、一番大切な事をきちんと告げられた。俊史の「迷惑」を考えたら、これが勝手な行為だとは重々承知しているが、でも言えた自分は凄い、そう思えた。過去に好きだと思った女の子たちには告白しようとすら思わなかったのに、やはり相手が俊史だからだろうか、好きな気持ちを素直に伝えられた事が嬉しかった。

「………頭は?」

  けれど暫くしてから紡がれた俊史の第一声はそれだった。
「え?」
「頭は大丈夫か?」
  しかも俊史は、二回目には更に言葉を付け加えてそう訊いた。
  頭は大丈夫か?と。
「えっ…えっと……頭は、大丈夫、だよ…?」
「もう痛くないのか」
「うん…。さっきちょっとじんとしただけ」
  そもそもそれほど強くぶつけたわけではないのだから、と。歩遊が戸惑いながらもそう答えると、俊史はようやく納得したように頷いた後、もう一度頭を撫でて「もう寝ろ」と偉そうに命令した。
「え? あの、でも」
  自分の告白に対する返事がまだなのだが。
  よくは分からないが、普通告白したら「俺も好き」とか、「悪いけど、俺はお前を好きじゃない」とか、何がしかの反応があるものじゃなかろうか。歩遊はそう思うのだが、俊史のリアクションは至って「無」に近い。まるでいつもの挨拶をされた時のように無反応で――、もしかして「頭が大丈夫か」というのは、先刻の物理的打撃を心配しているセリフというよりは、「そんなバカな事を口走るなんて、どっかおかしくなったんじゃないか?」という意味で捉えられたのかとすら思った。
  だから歩遊はここまでくるともう自棄というかで、真っ直ぐその疑問をぶつけてみる事にした。
「あの、俊ちゃん。僕、好きって言ったんだよ?」
「あ? ……ああ、何か言ったな」
「な……何かって。その。だから」
「だから何だよ」
「え」
  無碍もなく返されて歩遊が再び動きを止めると、俊史は心底嫌そうな顔をして眉をひそめた。
  そして繰り返した。
「知ってんだよ、そんな事。今さらだろ、そんなの。だから何だ」
「え?」
  ぽかんとする歩遊に俊史は本当に憮然として、「頼むからこれ以上喋ってくれるな」とでも言うような顔を見せた。
「え、じゃねえよ。俺がちょっとムキになって怒ったからって……、適当に甘えて機嫌取ろうったって無駄だからな。……確かにお前がさっき頭ぶつけたのは、俺が悪かった。けど、お前も悪い。あん時は逆らわなかったくせに、終わった後でむかつく態度取るからだろ」
「…………俊ちゃん」
  歩遊は自分が人と相当噛み合わないずれた人間だと自覚しているが、この時は真剣に茫然とした。聡い俊史にこうも話が通じない事など今までに経験した事がなかったからだ。
  確かにソファに無理やり押し倒されてキスされた時は、こんなのは違うと思ったから真剣に逆らったし、その前に無駄に謝ってしまった事もまずかった。
  でも、それら全部を掻き消す想いで「俊史が好きだ」と告げたつもりだったのに。
「あ…」
  あぁでもその前に、俊史に向かって「あれ」が「嫌ではなかった」とはっきり伝えないのがそもそも悪かったのか。
「あの、俊ちゃん!」
  そこまで考えて歩遊は思わず声を張り上げたが、しかし俊史の方はもう歩遊の言葉に耳を貸そうとはしなかった。俊史はひどく憔悴しているようだった。らしくもなく顔色を失くし、どこか歩遊を避ける素振りすら見せて不意に身体を離す。
  そうしてもう一度、「もう寝ろ」と歩遊に命令した。
「………俊ちゃんは?」
  だから歩遊もどうにも出来ず、ただ縋るように問いかけた。
「あ? 俺が何だ」
「ね、寝ないの……」
「……もう少ししたら寝る。お前は先行ってろ」
  俊史は歩遊に背中を向けたままそう答え、リビングを出て行ってしまった。
  その間、一度も歩遊を振り返ろうとはしなかった。

  それで歩遊は半ば反射的に俊史からの命に従うべく、フラフラとベッドのある寝室へと向かい、そのまま機械的に傍のベッドに横たわってゆっくりと目を閉じた。
  そうして、たった今起きた出来事をとつとつと反芻した。

  どうやら。
  というか、絶対的に。
  あの突拍子もなく飛び出した告白は不発に終わったらしい。

(よく考えたら、自分でも分からないまま無意識に言っちゃった感じだもんな…。俊ちゃんだって分かるわけないよな…)
  それに俊史も言っていたように、歩遊の「好き」など前から「知ってる」事なのだから、「今さらお前は何を言ってるんだ?」と言うのもごくごく自然な返しだろう。
「はあ…」
  けれど俊史だって、「あれは嫌じゃなかったのか」とさんざ問い詰めてきていたのだから、あの通常ならあり得ない「フツーではない行為」に関して、歩遊が必死に考えて紡いだ言葉を理解してくれても良さそうなものなのに。
  確かに、問われて「嫌ではなかった」とはっきり言えなかったのも悪いけれど。
  それとも、俊史にとって歩遊の告白はやっぱり迷惑で、だからわざとシラバックレタのだろうか? …歩遊はその考えを「ありえる」と思い、くっと苦しくなった胸元を片手で掴んだ。
「はあ…」
  再度ため息が漏れた。歩遊は全く眠れないのに布団を深く被り、無理やり、既に瞑っている目を更に固く閉じようとして顔をしかめた。

  俊史のことが好きだ。
  でも、ああいうタイミングで言うのはダメらしい。

「今度はもっとちゃんとした場面でちゃんと言おう…」
  その場のノリとか、勢いで言うのじゃダメなのだ。もっと考えて、「しっかりした」告白というやつを目指そう。
  あまり深く考えると、たった今思い至った「迷惑だからわざと流された」という悪い方向へ思考が落ち込みそうだったので、歩遊はなるべく前向きに「今度は頑張る」という結論を下した後、勢いよくごろりと寝返りを打った。眠れる気など全くしないのに、「寝よう寝よう」などと呟いて。

  けれど何だかんだと、その夜は色々あり過ぎて疲れていたのかもしれない。

  寝るのは絶対無理だと思っていた歩遊は、しかしいつの間にか深い深い眠りに落ち、翌日俊史が遠慮がちに起こしにくるまで一度も目を開ける事がなかった。
  そしてそのせいで、当初予定していた初日の出を見逃した事は勿論、勉強する為に来た別荘なのに、未だ一度もノートを開いていない事態が結局1日半以上続いてしまった。
  更に悪い事には、目覚めた時、歩遊の後頭部にはぷっくらと小さなたんこぶが出来ていた。



To be continued…




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