―17―



  夕飯までにはまだ時間があるという事もあり、歩遊たちは歩いて行ける近くの神社まで初詣に出掛けた。
「お、屋台結構出てる! 歩遊、帰りに何か買ってこうぜ!」
「うん」
  元気はつらつの耀につられて歩遊も何とか笑顔になったが、この状況で今を楽しむことは少し、というか、かなり無理があった。
  何せ一緒に歩いている俊史の機嫌がお世辞にも良いものと言えない。全身から発している不機嫌オーラは、如何な歩遊でも容易に感じ取れる。普段の俊史なら例え自分にとって面白くない事があっても、そういったところは(歩遊以外には)見せないはずなのに、ことによると「喧嘩」をしている佳代にわざとあてつけているのかもしれなかった。
「やっぱりお正月ねえ。前に来た時には人なんて全然いなかったのに」
  一方、その佳代はと言うと、人の入りで賑やかな境内を涼し気な様子で眺めている。
  然程広くもない神社の敷地とその周辺では、耀が言ったようにヤキソバやたこ焼きといった屋台が石畳みの通りに幾つも並んでいて、ある種お祭りのような騒ぎだった。境内の奥には樹齢千年を超す杉の木があり、それが観光の目玉のようにもなっているらしい、歩遊たちのように地元民ではない者らしき姿もちらほらと見受けられる。
  佳代はそんな中を一人すいすいと先に進んで行き、歩遊たちがその後を追う形になった。
「佳代さん、足はえ〜なあ」
  耀が額に片手を当てて佳代を眺める仕草をするのを、歩遊もためらいがちに頷いた。
「うん。お母さんは凄くせっかちなんだ。何でも早く済ませたがる」
「あー、分かる! それって母親共通の特徴か? 俺んとこもそうなんだよ、何でもかんでも早くしろ早くしろって! 部活から帰った時だって、俺は疲れてるからのんびり風呂に浸かって、その後だらだらテレビとか観ながら飯を食いたいわけよ。けど、風呂入っても『早く出ろ』、飯を始めても、『片付かないから早く食え』だよ〜」
「はは…」
  耀の大袈裟に文句を言う様に笑いながら、歩遊はちらりと背後を歩く俊史を振り返り見た。
  いつもはこうして自分たちが並んで話すのを嫌がるのに、今は視点を何処か別の場所へやったまま特に何も言わない。近くにいるから会話は聞いているのだろうけれど、それに参加する気配はない。背中が痛い。耀は何とも思っていない風に至っていつも通りの態度なのだけれど、歩遊は終始落ち着きがなかった。
  そうしてつい先刻、母から言われた話をどこかどんよりとした気持ちで振り返る。

  俊史と耀が佳代の停めた車へ荷物を取りに行っていた間。

「進路は別々って…何で?」
  歩遊が茫然としながらそう言うと、母は既に吊り上がっていた眉を更にぴくりと動かしてから「何で?」と聞き返した。
「それこそどうしてよ。どうして一緒になるの?」
「だって…」
「俊ちゃんが言ったから? 自分と同じ大学を受けろって言ったから? だからあんたは特に自分の意志もなく、俊ちゃんが受ける所を一緒に受けるって言うの?  大体あんた、学部はどうするつもりなのよ」
「学部…? それは…一応、文学部…」
「文学。どうして?」
  思えば歩遊は両親と自分の進路について一度もまともな話をした事がなかった。大学は当たり前のように行くものだと思っていたが、当然のことながら進学するにはお金がかかる。
  そしてその出資者は親である佳代たちだ。
「僕……音楽とか芸術の……ぶ、文化や歴史の勉強がしたいんだ…。音大で本格的に楽器を弾いたり歌をやったりするのは無理だから、それなら、文化研究がいいと思って。それで、文学部……」
「……それ、自分で調べたの?」
  たどたどしくも何とか説明を試みる歩遊に、佳代の怒りの表情は明らかに緩まった。
  それで歩遊もほっとして後を続ける。
「自分でもガイドブック見たりしたけど、個別面談の時に木村先生に相談したら、『それなら英米文学科とかにして、文化と一緒に外国語の勉強にも力を入れたらどうか』って。文系だと男は大抵就職を考えて経済とか法学を選ぶけど、ご、語学をやるなら、卒業後も潰しが利くだろうからって…。本当は、英語あんまり得意じゃないけど…」
「ふうん…」
  佳代は必死に話す歩遊をじっと見やってから、少しだけ安心したように息を吐いた。
「ちゃんと考えているじゃないの。意外にも」
「そ、そりゃ…考えるよ。何も考えないで受験勉強なんて出来ないよ」
  実際歩遊は俊史を待っている間、学校の図書室で大学関係の資料を閲覧したり、パソコンで検索をしたりして、自分なりに都内の大学を色々と調べていた。あの膨大な待ち時間を全て勉強に充てるのはさすがにきつかったせいもある。お陰で歩遊は「数学が苦手だから文系」という単純な思考回路から、今は大分脱却していた。
「で、俊ちゃんにはそれ言ったの?」
  佳代の質問に歩遊はハッと我に返り、慌てて頷いた。
「うん、勿論言ったよ。文系っていうのは前から言ってたけど、学部も早く決めた方がいいって言われていたから。……あ」
  これではまた「俊史に促されたから考えた」と言っているようなものではないか。歩遊は決まりが悪くなって押し黙った。
「そしたら?」
  けれどここで佳代からの思ったような攻撃はなく、逆に急かされて歩遊は焦ったように先を継いだ。
「そ、そしたらって? 『そうか』って……答えてた、けど」
「………」
「何?」
  黙りこむ佳代に歩遊はそわそわとした気持ちになり、今度は自分が逸るように問いかけた。
「何? 何でそこで黙るの?」
「……別に。で、あんたは、俊ちゃんがどういう進路を選ぶかっていうの、訊いたの?」
「え? 俊ちゃんは理系でしょ?」
「何でそう思うのよ。いや、まあ、それはいいけど。普通に考えたら、そう思うものね。でも、それならどうして、文系と理系のあんたたちが同じ進路って言う風になるのよ?」
「だって……別に、文理両方ある大学なんて、いっぱいあるじゃん……」
  確かに学ぶ校舎は別になってしまうかもしれない。大学によってはキャンパスが違う所もあるかもしれない。
  けれど、当初は本当に無茶に思えた俊史の提案――同じ大学へ進む――というのは、今の歩遊にとっては無理でも何でも、どうしても叶えたい夢だった。
  これからも俊史と一緒の所へ行きたい。
「でも、大学にもそれぞれの特色ってものがあるでしょ」
  佳代が言った。
「文系で有名な大学とか、この研究をしたいならこの大学!とかさ。やっぱりあるんじゃないの。私だってそんなに詳しくはないけど、あんたのやりたいその音楽研究だって、どこの大学の文学部にもあるわけじゃないだろうし」
「うん……」
「その時に、俊ちゃんがここを受けろって言ったら、音楽が勉強出来ない文学部でも受けちゃうの? 妥協するわけ?」
「そ、そんなこと…」
「じゃあ俊ちゃんの方に妥協させるの? ……例えば、生徒会役員の俊ちゃんに良い大学の指定校推薦の話が来ていたとしても、俊ちゃんはあんたと同じ大学を受けたいが為に、その申し出を断るの?」
「え」
  思わずどきんとした。
  その手の話はつい最近も戸部から聞いた事だったからだ。今のような例え話までされたわけではないけれど、俊史が歩遊の為に推薦を蹴るだろう事は戸部も言っていた。
「一緒にいる時間が長い割には、あんた達は意思の疎通が出来てない」
  佳代は真っ直ぐに歩遊を見やっている。
「……とにかくね。ああ、そんな情けない顔しなさんな、私がいじめたみたいじゃないの。またミキさんに怒られちゃうわ。でもとにかく、あんたも俊ちゃんが考えている進路、訊いてみなさいよ。俊ちゃんばっかりあんたの話聞いてあげて、あんたは俊ちゃんの話を聞いてないでしょ。そういうこと」
「………」
  佳代の言葉に歩遊は何も返せなかった。
  確かに、俊史からは「同じ大学を受けろ」と言われて、今の歩遊にはとんでもない高望みと思われるところを既に幾つか挙げられていた。うち半分は詳しく調べたら歩遊のやりたい音楽の勉強はあまり出来なさそうなので、その点は相談しなければとも思っていた。
  けれど歩遊は、反対に俊史の方がそこでどんな勉強をしたいと思っているのか、どういう学科を専攻するつもりなのか、まともに訊いた事はなかった。ただガイドブックに示されている偏差値が高いから、だから俊史が「如何にも受けそうだ」と納得しただけで。
  いつも歩遊は自分ばかりが質問攻めにあっててんやわんやで、逆に自分から俊史はどうするのか尋ねなかった。そういった習慣がないと言ったら変だけれど、確かに歩遊はこれだけ一緒にいる俊史の将来の夢も、やりたい勉強も、或いは普段熱中している「趣味」ですら満足に知らないのだ。
  その事実に、今さらながら愕然とする。
  俊史は何でも軽くこなしてしまう。出来ない事などない。けれど、その中で例えば歩遊のように好きな音楽だったり動物だったり甘い菓子だったり。そういった物に固執する姿を見た事がない。スポーツとて、俊史は中学を卒業するまでは球技だの武道だのと色々手をつけていたのに、そのどれ一つとして高校では続けようとしなかった。その度、それらに関わっていた周囲の大人からは「もったいない」、「極めるべきだよ」と忠言されたのに、俊史はいつも「どうでもいい」と、ばっさり切り捨てて終わらせてしまった。そんな姿に俊史の父・貴史などは「堪え性のない奴」と怒ったりもしたし、「結局、こいつが熱中出来る趣味は《歩遊ちゃんの面倒を見る事》だけなんだな」などと、笑えない冗談を言ったりもした。

「歩遊! おみくじ引こう!」

  そんな風に、ついつい物思いに耽っていた時。
「えっ?」
「行こうぜ! おみくじ!」
  再度耀に呼ばれて歩遊は弾かれたように顔を上げた。
  見ると、目の前には既に参詣を終えて護符売り場へ向かって歩いている母の背と、同じくそちらへ向かおうとしつつも自分を待ってくれている耀の姿があった。俊史はと思ってきょろきょろすると、「何だよ」と声がして驚いた。俊史は歩遊のすぐ後ろを歩いていた。
「しゅ、俊ちゃん、おみくじだって」
「興味ない」
「い…一緒に、引こうよ…」
  お参りの間も仏頂面で黙りこんでいる俊史に、歩遊はこうして折に触れ声を掛けたが、色良い返事は全く返ってこなかった。『何をお祈りした?』、『別に』。『俊ちゃんは寒くない?』 『別に』。……そんな不毛な会話の繰り返しだ。
  しかし今度もめげずに、歩遊は俊史の手を遠慮がちに掴みながら努めて強気に言ってみた。母に何と言われようと、自分が言葉足りずで勝手であろうと、いつでも考えているのは俊史の事だ。それだけは間違いない。
「ね、俊ちゃんも引こうよ。一緒に行こう?」
「……分かったよ」
「え!」
  全く期待していなかったのが良かったのだろうか。
  意外にも俊史は諦めたような顔をしながらもすぐにそう言って並んで歩き始めた。歩遊によって咄嗟に掴まれた手を振り払う事もない。心からほっとして歩遊が思わず笑顔になると、俊史はやや戸惑った顔を見せながらもぼそりと口を開いた。
「さっき言われた事、後で教えろよ」
「え?」
「俺がいなかった時だ。おばさんに何か言われただろ。その時の事だよ」
「あ……うん」
  俊史の突然のそれに歩遊は驚いたが、とりあえずはすぐ頷いた。この初詣の間中、俊史もずっと不機嫌だが、歩遊は歩遊で始終ぼうっと考え込んでいたから心配されたのかもしれない。そう思い、歩遊は無理に笑って、(この機会に俊史の進路も後できちんと聞いてみよう)と心に決めた。
「俺さあ、今までおみくじって大吉しか引いた事ないんだよな!」
  売り場では先にくじを選んでいた耀が得意気に言った。
  歩遊はそれに「本当!?」と驚きながら、自分も精々良さそうな物を真剣に一つを選ぶ。
  その後に俊史もさっと一番上にあったものを摘まんだ。
「よっしゃ、大吉、記録更新! 歩遊は?」
  《生まれた時からラッキーボーイ》のような耀は当然の如く良い結果だ。嬉しそうに自らの「大吉」を晒しつつ、歩遊の手元を覗きこむ。
「僕は……あ」
  歩遊は四角く折りたたまれたそれを広げながら、同じく「大吉」と書かれたそれにぱっと表情を明るくした。
「おっ、歩遊も大吉じゃんか! やったな!」
「うん……いつもは大体吉なのに。大吉って珍しい」
「そうなんだぁ! で? 瀬能、お前は何だった!?」
「俺に気安く話しかけるな」
  おみくじに目を落としながら憮然として言う俊史。
  しかし耀は全く挫けなかった。
「またまたぁ。歩遊、聞いたかぁ? こいつ、さっきからずっとこう! 俺なんか明日で帰るんだから、それまでくらい仲良くしようぜって言ったのによ。『今すぐ帰れ』ってばっかだもん。嫌になるよなぁ! で? 何だったんだよ、お前も大吉?」
「大凶」
「………は?」
「え?」
  俊史が平然と漏らしたその台詞に、耀と歩遊は一斉に目を点にして暫し黙りこくった。
「わは、はは……嘘だろ?」
  耀はひきつった笑いを浮かべながら無理やり俊史の手からくじを奪い取った。それで歩遊も慌てて耀の手元からそれを覗きこむ。――と、なるほど紛れもなくそこには《大凶》という文字が記されていた。
「ほ、本当だ……」
「俺、大凶なんて嘘かと思ってた。ホントに存在してたんだ、マジで初めて見た……」
  耀がぼそりと遠慮がちにそう呟くのを、当の俊史は相変わらずの不機嫌顔で眺めていた……が、特に何も言う様子はない。
  そしてそのまま、俊史は一人先に出口へ向かって歩き出した。
  歩遊はすっかり慌ててしまった。
「俊ちゃん!」
「おい、瀬能! こういうのはちゃんと括り付けといた方がいいぞー! って、しょうがねえなあ、じゃあ俺が――」
  耀が背後でそう言う声が聞こえたけれど、歩遊は俊史を追って小走りになった。俊史は歩いているからすぐに追いついたが、なかなか話しかけられず、恐る恐るその顔を横から覗き見る。
「しゅ、俊ちゃん……」
「……歩遊。綿あめ食うか」
「えっ」
「ほら、あそこにある」
  けれど俊史はおみくじの事などなかったかのような様子で急にぴたりと立ち止まると、前方にある屋台の一つを指さした。歩遊は呆気にとられてその促された方を見やったが、すぐに急いでまくしたてた。
「俊ちゃん、おみくじなんか気にする事ないよ! あんなの、お正月の遊びみたいなものだしさ!」
「あ? 別に気にしてねーよ」
「ほ、本当?」
「お前やあのバカじゃあるまいし。どうでもいい。……それに、ある意味当たってるだろ」
「え?」
  歩遊が怪訝な顔で聞き返すと、俊史はさっと眉をひそめながらもすぐに綿あめの屋台まで近づいて行って一つ買い、それを歩遊に突き出した。
  それから腹が立ったように言う。
「最悪だろ。当たってるよ。佳代さんは来るし、あのバカまでいるし。何なんだ? 最悪以外に言葉があるかよ? ここに誰もいなかったら、多分、俺は絶叫してる」
「しゅ――」
「お前といたいから来たんだ、俺は。ここに。お前と2人きりになりたかったから」
「え……」
「……最悪だろ」
  俊史は表情の見えない顔でそれだけを言うと、後はさっさと歩いて本当に一人で境内を出て行ってしまった。
「……………」
  歩遊は持たされた綿あめを手に暫し呆然としてしまって、すぐにそんな俊史の後を追う事が出来なかった。
「歩遊! あいつ、先帰っちゃったの?」
  その後すぐに耀がやって来て、既に姿の見えない俊史を追うように前方へ目をやりながら訊いた。
「佳代さんを待とうって気が全然ねーな。まぁ…あの調子じゃ、しょうがないか」
「うん…」
「お、綿あめ。何? 瀬能が買ってくれた?」
「うん…」
「はは。あいつってホント……歩遊のこと、大好きだよなぁ!」
「そんなわけないよ……」
  歩遊は機械的にそう答えたが、目は俊史が去った方向から離せずに、ただじっとした視線を向け続けた。
  耀はそんな歩遊に呆れたような顔をした。
「まだそんなこと言ってんのか。好きじゃなきゃ、あんなになるかよ。俺と佳代さんが来たもんだから不機嫌全開じゃん。それでいて、完全にいじけて歩遊から離れるって事も出来ないから、こんな来たくもない初詣にも付き合ってさぁ。さっきなんか笑ったよ、歩遊がおみくじ引こうってあいつの手ェ引っ張って誘ったらさ、さっきまで人殺ししそうな顔だったのにあっさり鎮まるし。――で、これまた、引きたくもないおみくじも一緒に引いてんだぜ? 歩遊中心じゃん、あいつって。いっつもさ!」
「いっつも……?」
  歩遊がゆるりと首を動かして耀を見上げると、その親友はにこりと笑って頷いた。
「そうだよ。あいつが歩遊以外のことでこんなに怒ったりムキになったりしたところ、見た事あるか? ないだろ?」
「……………」
「俺さあ」
  歩遊が黙りこむのを一瞬覗きこむようにしてから耀は言った。
「正直さ、最初はそういうのってちょっと理解できなかったから。男が男を好きになるとか、そういうの」
「え」
「うちの学校って、瀬能と戸部のせいか何か知らないけど、妙にそういう話が当たり前みたいに受け入れられてるだろ? でも俺は最初、そういう話を聞いても何だかよく分かんないって言うか、まぁ『何だ、それ?』って素で変に思ってた。差別するつもりはないけど、今まで生きてきた俺の中の常識には、そういう世界って入ってなかったから」
「うん……」
  それは実際歩遊とてそうだ。歩遊だって中学生までは普通に自分に親切な優しい女の子が好きだった。
  それとは別の意味で「大好き」だった俊史が高校で外部組の戸部と噂になって、それで初めて「そういう事もあるのか」と思ったくらいで。
「けどさ」
  耀が言った。
「俺は歩遊とこうして仲良くなってさ。で、瀬能の歩遊に対する態度とか見て。それから段々、そういうのも分かるようになったよ。『そういうのもありなのかも』って」
「そういうの……」
「うん。そういうの。例えば、歩遊みたいに可愛い奴だったらさ!」
「よ、耀君?」
  何の照れもなくそう言われて歩遊はぎょっとしたのだが、その言葉を発した耀の方は相変わらずのほほんとしている。
  そうして突然自分も屋台へ近づいて行って綿あめを一つ買うと、それを頬張りながら世間話のように続けた。
「でもさぁ、俺ホントは、お前を男として目覚めさせてやんなきゃって、何か変な使命感持ってた部分もあるんだ。あ、勿論、歩遊は今のまんまの歩遊でもいいと思うぜ? 思うけど。でもお前らが、特に瀬能がいつまでもあんなんだったら、歩遊にも良くないって思ったし。それで、まあホント浅はかだったと今は思うけどさ。AV見せようとしたりもしたし」
「え」
「あ! けど、姉貴のあれは違うから! 俺はフツーに綺麗な胸デカお姉さんのHビデオ見せるつもりだったんだから! あれは全然俺の意図するところじゃなかった! っていうか、うわあ、あれ思い出したらまたブルーになってきたぁ…」
  一人でわたわたとした耀は、実際あの画像を見た時の衝撃を思い出したのか、ばちんと片手で顔を覆った後、心底落ち込んだようにがくりと項垂れて見せた。
  けれどすぐに指の間からちらりと歩遊を見て、こそりと言う。
「……まぁ、とにかくさ。俺は、歩遊が幸せじゃなきゃ嫌だって話」
  歩遊が何かを答える前に耀は続けた。
「だから俺、佳代さんが心配して色々口出す気持ちも分かるんだよな。瀬能からしたら、きっとウザイ親なんだろうけど……って、これは佳代さんが行きの車で言ってたんだけどな。ははっ! でも、俺から見てもお前らって何か危なっかしいし。ずっと一緒にいて、お互いが必要な存在だって言うのはよく分かるけど、でもあんまり寄り過ぎてて、却ってお互い見えなくなっているところもありそうでさ」
「寄り過ぎて……」
「本当に、こんなの、余計なお世話だけどな!」
「そんなこと……」
  色々な事が一気に頭を巡って混乱しながらも、歩遊は何とか首を振った。
  耀の優しさは痛い程に伝わったし、佳代の事まで思いやってくれて嬉しかった。
  それに耀はやっぱり凄いと思った。自分は俊史のことが分からない。自分自身のことすらも。俊史を好きだと気付いたのだって昨日のことで、母に指摘されて初めて、己が俊史の話を全然聞いていない事に気がついた。お互いに会話不足なのだという事も。
  それなのに、耀はそれら全て何でも分かっているみたいだ。
  ……ただ、俊史が「歩遊のことが大好き」というその一点だけは、それだけはどうしても確信が持てない。

  俊史は確かに、「お前と2人きりになりたかった」と言ってくれたけれど。

「僕……ちゃんと俊ちゃんと、話してみるよ」
  歩遊がようやっとそれだけ言うと、耀はすっと目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
「ホント?」
「うん…。ちゃんと面と向かって」
「歩遊はいざとなったらすぐびびりそうだけどなぁ」
「こ、今度は大丈夫だよ!」
「そうかあ? ま、それならいいけどさ!」
「うん…耀君、ありがとう」
  心からの礼がするっと口から出ると、耀はそんな歩遊に急に赤面して、「やめろよなあ」と照れたような声を上げた。
「ねえ、あんたたち」
  その時、いつから傍に来ていたのか背後に佳代が立っていて、手に提げていたビニール袋からガサガサとそれは大量のお守りを見せながら嬉々として言った。
「見てよ、色々可愛いのが売っていたからたくさん買っちゃった。耀君は、はい。サッカーの大会勝ち進めるように、勝負運が上がるお守り」
「え! ありがとうございます、スッゲー嬉しい!」
  矢の形をした、やたらじゃらじゃらとした大きな鈴飾りのついた派手なそれに、しかし耀は大喜びして目を輝かせた。
  佳代はそれに実に満足気に微笑み、「これは俊ちゃんの」と次なるお守りを袋から出した。こちらはいやにだぶっとした紺色の袋にふさふさの毛玉が2つついていて、中央に「安心」と書かれている。いやに怪しげだ。
「これは健康運が上がるお守りだって。あの子は、歩遊のことでいつもストレス溜めてるからね」
「なっ…」
「常に血管切れそうだし。あ、でも今回のその原因は私か」
「あははは、佳代さん、それ最高にウケる〜!」
  淡々と話す佳代に歩遊は絶句し、耀だけがけらけらと能天気に笑っている。
「で。歩遊にはこれ」
「な、何これ?」
  そして最後に鼻先にぐいと突き出されたのは、歩遊の為のお守り。
  どこからどう見てもただの黒猫を象った陶器だが、母の手のひらにすっぽりと収まっているそれは尻尾がいやに長くて、そこに経のような文字が刻まれていた。
「な、何て書いてあるの、これ」
  歩遊の質問に佳代は無責任にも「さあ?」と首を捻った後、不敵に笑った。
「よく分かんないけど、これは交通安全のお守り。出会いがしらの事故には気を付けないとね」

  その後、3人は先に帰った俊史と揃って盛大な焼き肉パーティを開いた。
  「じゃんじゃん肉を食べよう!」と声を出す佳代に、一緒に気合を入れるべく箸を持った手を振り上げて呼応する耀。歩遊は次々と皿に盛られる肉や野菜にアップアップ状態だったが、それでも久しぶりな大人数の夕食に自然笑顔を浮かべる回数も増えた。
  俊史は終始言葉少なだったけれど、いつまでも一人でいじけても情けないと思ったのかもしれない。食事の後、庭で佳代が持ってきた花火大会に移行した時には、明らかにわざとであろう、耀に向かって何度もねずみ花火を仕掛けて遊んでいた。耀はそれに散々文句を言っていたけれど、歩遊にしてみれば少しは打ち解けたかのように見える(?)2人の姿が嬉しくて、やっぱりここでも意図せず笑顔になってしまった。



To be continued…




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