―18―



  真冬なのに妙に暑くて寝苦しく、歩遊はぱちりと目を開いた。
「う……」
  傍の時計に目をやったが、ようやく空が白むかどうかという頃だ。室内もしんとして薄暗く、もう一度寝直そうかと考えあぐねた末、歩遊は結局起き上がった。
「重い……」
  暑さの原因は無駄に被せられた厚手の掛け布団だ。既にぬくぬくとした毛布を羽織っていたのに、この羽毛布団を更に2枚も被せられた。苦しいはずである。
  ハアと息を吐いてから、段々と目が慣れてきた暗闇で辺りを見回す。元々ここの家人の一人娘に併せて用意された寝室にはベッドが一つしかないが、部屋自体はかなり広い。それで歩遊たちはそこにあと2組の布団を敷いて3人で一緒に休んだ。
  3人。
  そう、歩遊と俊史、それに昨日突然現れた耀である。
(耀君って寝相いいんだな……)
  何の乱れもなくベッドで規則正しい寝息を立てている友人を見ながら歩遊はそう思い、次いで自分の隣にいる俊史へ目をやった。最近は一緒の部屋で寝泊まりし合うこともなかったから、久しぶりに見るその寝顔は何だか珍しかった。
  しかし、こうなるまでは本当に大変だった。
  修学旅行みたいだなとはしゃぐ耀とは裏腹に、俊史は3人が同じ部屋で眠ることを最後まで嫌がった。「折角なんだから皆で寝ればいいでしょ」と軽く言う佳代にも鬼のような形相を向ける始末だ。歩遊は終始ハラハラして、「それなら自分は独りでも…」と呟いて、「何でそうなる!」と、俊史だけでなく、耀からも無駄に怒られた。
  歩遊は最初から3人でいたかった。「修学旅行みたいだ」と言った耀の台詞が殊の外嬉しかった。同年代の友人と一緒にわいわいやる事は歩遊の昔からの憧れであり、大人に叱られながら夜更かししてお喋りを楽しんだり、お菓子を食べたり、或いは怖い映画を観るのでもいい。学校の教室でクラスメイトがそんな話をして盛り上がっているのを耳にする度、歩遊は独りの席でぽつんと机を見つめながら、その如何にも楽しそうな風景に自分も混じっている場面を想像した。
  本当に羨ましかったのだ。
「あら。早いのね」
  のそのそと階段を下りて行くと、キッチンの小さな丸テーブルでは佳代がパソコンを開き、何やら忙しなくキーボードを叩いていた。
  歩遊はその姿をぼんやり見ながら「仕事?」と返した。
「うーん。ちょっとね」
「今日、帰るんだよね」
「そう。あんたはどうするの」
  佳代は、手は止めたものの、ディスプレイを見つめたまま実にさらりとそう訊いた。
「……僕は俊ちゃんと一緒に帰るよ」
「そう」
  返答もあっさりしたものだ。
「お母さん」
  けれどそれには歩遊の方が釈然とせず、傍に寄って行って焦れたように問いかけた。
「それだけ?」
「うん。何で?」
「いいの? ……ここにいても」
「あんたがいたいんなら」
  佳代はそう言った後、ふと顔を上げてまじまじと歩遊の顔を見つめた。
「それは俊ちゃんが命令したからじゃないんでしょ。歩遊がいたいって思ったから、 言ってるんでしょ?」
「うん」
「それならいいのよ」
「どういう意味?」
  歩遊が更に一歩近づいて訊くと、佳代は「別に」と一瞬だけ不貞腐れた顔をした後、がくんと頬杖をついてそっぽを向いた。
「あんた達を信じてなかったわけじゃないけどね。でももし万が一、あんたは嫌なのに、俊ちゃんから無理やり命令されたのを怖くて断れないとか……、そういう状況になっているんなら、それは嫌だと思っただけよ」
「そんなわけないよ」
  驚いて歩遊がすぐさま否定すると、佳代はどこか疲れたように笑った。
「そうだよね。歩遊は俊ちゃんが好きなんだもんね? まぁそんな事とっくに知っていたけどね。でも……あのね、歩遊。私はさ、あんまり話してこなかったけど、私がこういう人間だって分かるよね?」
「うん…?」
「私はね、本当に自分のしたいようにしかしないヒトだからさ。あんたの大好きなおばあちゃんにも、その他大勢のいろんな人たちからも。ホント、そりゃあ自分勝手な奴だ何だって言われてきたよ。実際その通りだからね。あんたの面倒も全部ばあちゃんと俊ちゃんに任せっきりだったし」
「別にいいよ…。お母さん、仕事人間だし」
  一体何の話だろうと戸惑う歩遊に、しかし佳代は苦笑して片手を振った。
「うんまぁ、今さら懺悔とかするつもりはない。これからだって、私はきっと好きなようにするんだろうし。その代わり、それで何か面倒が降りかかってきたとしても、私は私の責任でその片をつけるつもり。……要は歩遊にも、そうであって欲しいって思うだけ。全部俊ちゃんから与えられるんじゃなくて、俊ちゃんにおんぶに抱っこじゃない、自分で歩ける子になって欲しいってこと」
「うん…分かってるよ」
  ああ、昨日の話の続きなのだなと歩遊は得心して頷いた。
  進学にしても、単に「俊ちゃんが受けろと言ったから」ではなく、自分の意志でもってきちんと選ぶ。妥協はしない。
  「俊ちゃんが言ったから」というその台詞はとても危険だ。全てを他人に委ね任せる事は、自分自身で考える力が落ちるだけでなく、その分何かが起きた時の責任を全て相手に押し付ける事でもある。そんな風にはならないでと言いたいのだろう―…、母の言葉をそう解釈して、歩遊はもう一度分かったという風に頷いた。
  そんな素直過ぎる息子に佳代は一瞬だけ目を窄め、そして言った。
「だからさ。……私も、これまで歩遊に友だちが出来なかったのを『全部俊ちゃんのせい』って思うのは、もうやめる事にするよ」
「え?」
「これまで全部、ばあちゃんと俊ちゃんに任せていただけのくせに、私はどこかで俊ちゃんを責めていたんだ。俊ちゃんのことは大好きだよ? でも私には、あの子があんたや世間が思っているような《まっとうな優等生》とは、どうしても思えなかったからね」
「な、何言っているの?」
  これまでは散々「俊ちゃんは凄い」、「俊ちゃんは本当に何でも出来ていい子ね」と、誉めてばかりの佳代だったのに。
  戸惑う歩遊に、けれど佳代は構わず続けた。
「だから、もしも今、あんたが俊ちゃんの事でちょっとでも迷ったり怖がったりしているようなところがあれば……、それなら、その時はすぐに連れて帰ろうと思っていたの。だから来たのよ。それだけよ」
「それだけって…。い、意味、意味分かんないんだけど」
  歩遊がおたおたとしながらそう口を継ぐと、佳代はここで心底脱力したように笑った。
「その天然はある意味奇跡だね。ホント、あんたって凄いわ。でもそう考えると、こんな珍しい生き物に育て上げた俊ちゃんは、やっぱり正しかったってことなのかな?」
  他人事のように佳代は言い、それから「まだ時間早いし、もう一回寝てきたら?」と言うと、後はもう今度こそパソコンの画面から目を離さなくなってしまった。
  歩遊はそんな母に何も言うことが出来なかった。





  二度寝を促されたもののどうにもそんな気がしなくて、歩遊は「海岸を散歩してくる」と母に言い置いて、一人で外へ出た。
  冬の海は静かで、朝も早いだけに人の気配は一切ない。
「寒い……でも、気持ちいい…!」
  俊史から借りているジャンパーの襟元に一度だけ顔をうずめるようにした歩遊は、それでも人気のない砂浜に目を細め、穏やかに打ち寄せるさざ波を暫し見つめた。
  たった数日であまりに色々あり過ぎて、歩遊は自分の気持ちを整理する事に到底追いついていなかった。元々整理整頓は苦手である。俊史からもそれでよく叱られるのだが、「どうしてそれをそっちにやる!」とか、「無駄な物を何故捨てない!?」等、掃除下手の典型な事をやらかしていつも怒鳴られてしまうのだ。心の整理も実際の掃除と似たところがある。歩遊には俊史のようにうまく感情をコントロール出来ない。無駄だと思う事でもすぐに切り捨てられない。だからこうして一人になって海を眺め、少しでも気持ちを落ち着かせられたのは良かったと思った。
「あ……そういえば」
  そうしてひとしきり海を堪能した後、歩遊はふと、元旦に見ようとしてすっかり忘却の彼方だった初日の出を今こそ拝めるのではないかと気が付いた。空の色合いから言っても、きっともう少しこうしていたら海岸線から太陽が顔を出すはずだ。一度引き返して、俊史や耀を起こしてこようか。折角の日の出を独りで見るのも空しいし、2人とも喜んで一緒に来てくれそうだ。
  ぱっとそんな楽しい考えが頭上に浮かび、歩遊は慌てて踵を返し、元来た道へ戻ろうとした。
「あっ!」
  けれど、ダッシュをしながら視線を上げたその先だった。

「……っと、び、びっくりしたぁ……」

  歩遊の振り返ってきた勢いがあまりに凄かったからだろう。
  その「彼」は思い切り戸惑った顔を見せながら、同様に驚きでその場を駆け出そうとした飼い犬のリードを「駄目だろ」と窘めつつ力強く引っ張った。犬は黒のレトリーバーでかなりの大型犬だ。愛犬と朝の散歩を楽しんでいたのか、その青年―年は二十代前半に見える―は、突然自分たちが歩いていた方向に飛びかかるようにしてきた歩遊にぱちぱちと瞬きして見せた。
「お、はよう、ございます…?」
  それでもそんな自分たちより余程驚きで固まってしまったような歩遊に、青年は人の良い笑みを浮かべてそう言った。意図せず面と向かう形となった相手を無視するのも気が引けたのだろう。
「良い朝ですね。君も散歩?」
「…………」
  けれど歩遊はそんな善意の人に満足な挨拶を返す事が出来なかった。
  何故ってその人があまりにも似ていたから。
「……シュウさん?」
  だからようやく掠れた声でそう呼んでみたのだが、青年はそれに対し「えっ?」と、今度こそたじろいだ顔をしてから、犬のリードを思わずといった風に再びぐいと引っ張った。
  そしてまじまじと歩遊の顔を見つめる。
「あ…いえ!」
  けれど歩遊はその直後「全然違う」、「思い切り人違いだ」と思い至り、慌てて首を振った。
「すみませんっ、間違えました!」
  シュウには如何にも異国の空気を感じさせる雰囲気と、何より銀の髪と緑の瞳があったが、彼は明らかに日本人だ。黒い髪も短くまとまっていて、背丈も二十歳前後の若者としては普通の部類に入る。一瞬「シュウか」と思ったのもおかしい程に、彼の容姿は「普通」だった。シュウとはまるで違う。
  それでも歩遊は一瞬視界に入ったこの若者を何故かシュウだと思ってしまった。
「あの、この近所の人ですか?」
  すると黙りこくってしまった歩遊に青年がそう訊いた。歩遊ははっとしてすぐに「ごめんなさい!」とまた謝ったのだが、それによって相手は逆に緊張を解いたようで、「いえ」と短く答えてから、最初に見せた笑顔を浮かべてくれた。
「あの、俺は君を知らないのに、急に名前を呼ばれたから驚いただけで。でも俺も昔はこの辺りに住んでいたんだから、地元の人ならうちの事を知っている人がいてもおかしくはないですよね」
「あ、いえ…その。僕、地元の人じゃ、ないです」
「え?」
「すみませんっ。ちょっと…知っている人に似ているかもと思って…!」
  恥ずかしさでカッと赤面すると、青年の方は暫くぽかんとしたものの、「ああ、そう、なんですか?」と言った後、大丈夫だという風にまた笑った。
「ああ、それならそれで、別にいいんですけど。それなら、凄い偶然です。俺の名前もシュウというから」
「え?」
「季節の秋って書いて、シュウ。香月秋って言います」
「シュウ、さん」
「はい」
  にこりと微笑まれた顔に歩遊はまた動揺した。
  やっぱり、どこか。
  シュウの雰囲気を感じると思った。
(どこだろう…うまく言えない…でも)
  秋はシュウと似ていない。けれどあの時、独りきりでずっと寂しかった気持ちを優しく穏やかに埋めてくれたシュウの面影を、歩遊はこの秋という青年に見る想いがした。
(でも、あのシュウさんがここにいるわけない…。きっと一昨日シュウさんだと思った人も、この人だったんだ)
「ここには旅行で来たの?」
  ぼうとしていると秋がまた話しかけてきた。歩遊が自分よりも明らかに年下だと思ったからだろう、段々気安い気持ちになっているのか口調も大分くだけていた。
  歩遊はそんな秋に慌てて頷き、家は東京だけれど、今は友だちの親戚の家に遊びに来させてもらっているのだと簡単に説明した。
「そうなんだ。楽しそうだね」
  秋はそう言って笑いながら、傍で退屈そうにしつつも行儀良く座っている犬の頭をさらりと撫でた。
「俺も大学が向こうだから今は東京で独り暮らしだけど、正月だから里帰り。戻って来たのは春以来なんだ。……で、ここの海はやっぱりいいなって。何も変わらない場所があるって最高だよ。ここを出る前は東京へ行くことしか考えてなかったのに」
「そうなんですか」
  それは何ということもない、ただの雑談だった。
  だから歩遊も何ということもなく聞き返した。
「うん。家が凄く嫌いってわけじゃなくて、むしろ好きな方だったとは思うんだけどね、どうしてか離れたくて堪んなくてさ。ずっと変わらない同じ風景に飽きたっていうか。……同じく、ずっと一緒の面子とも離れたかったし」
「面子?」
「地元の仲間とか。友だち」
  秋はそう言って笑ってから、「ごめん、初めて会った人にこんな話して! でも、君はそういう事ない?」と訊いてきた。
「僕は…」
  歩遊に仲間と呼べる人間などこれまでには一人としていなかったから、「一緒にいた」で真っ先に浮かぶ顔といったら、それは俊史しかいなかった。
  しかし歩遊は俊史と離れたいと思った事などなければ、家を出たいと考えた事もない。家族仲が特別良いというわけではないし、俊史からもいつも邪険にされ小言ばかりぶつけられていたけれど、家族も俊史もやっぱり大好きだから。
  だから離れたいだなんて思わない。
  けれど普通は、秋のように思うものなのだろうか?
「ずっと一緒にい過ぎると分からなくなる事もあるしね」
「え?」
  ふっとそう紡いだ秋の台詞に歩遊は何故かどきりとしたが、それとほぼ同時、遠方から強く呼ぶ声が聞こえて、見上げた視界の先に俊史がいた。
「俊ちゃん…」
「何してんだ、歩遊!」
  俊史は朝っぱらからまた怒った顔をしていた。そして猛然とした勢いで駆け寄って来る。戸惑ってその姿をただ凝視していると、秋は「友だち?」と訊いたものの、「それじゃあね」と、まるでこちらに寄って来る俊史を避けるかのように、犬を連れてその場を去って行ってしまった。
「歩遊!」
「俊ちゃん。お、おはよ…」
「おはようじゃねえよっ! 何してんだ、お前!」
  会った早々怒鳴られたが、歩遊はびくつきながらもその空気を何とか和らげようと引きつった笑みを浮かべた。
「何って…。その、早起きしたから、ちょっと散歩しようと思って。お母さんには言ってきたんだけど…」
「今の奴は何だ! 誰だあいつ!」
「あ、俊ちゃんも見えた? ……そりゃ見える、よね」
「はぁ!? 何バカなこと言ってんだ、お前は!?」
  歩遊の素っ頓狂な質問に対し、実にもっともな疑問を吐き出す俊史は、しかし秋がすぐにいなくなった事とひとしきり怒鳴り散らした事とでとりあえずは落ち着いたのか、歩遊を目の前にしてようやく一つ息を吐いた。
「何なんだよ、あの男は…」
  そうして今度は静かな声で問い直す。そうしなければ歩遊がびびりまくってロクな返答が出来ない事も、俊史とてよく分かっているのだ。
「この辺りに家がある人だって。僕が人違いして声を掛けちゃって。あ、その前にぶつかりそうにもなっちゃったんだけど」
「お前が…? 誰と間違えたんだ?」
「えっとそれは……その、シュウ、さん……」
「は!?」
「あ! でもよく見たら全然違ったんだ! 普通の人だったんだ、当たり前だけど! 実は一昨日シュウさんを見たような気がしていて、そ、それでちょっと気になっていたから…それで間違っちゃったんだと思うんだけど! でも、聞いてみたらあの人は本当に普通の大学生で、こっちにはお正月だから里帰りしているんだって!」
「……そんな事まで話したのか」
「そんな事って…普通の、その、世間話っていうか……」
「知らない奴と話なんかするな!」
「ひっ!」
  思い切り恫喝されて歩遊はひゅっと首を竦ませた。
  いつもの事ではあるが、歩遊には俊史の怒りどころが分からない。こんなに長く一緒にいるのに、歩遊は俊史を全くと言って良い程掴み切れていないのだ。毎度の事ながら、それを実感する度に自己嫌悪に捉われるし、だからこそもっと俊史を知りたいと思う。
  好きな気持ちを自覚したから余計だ。歩遊は俊史のことをよく知りたいし、分かりたい。
  離れたいだなんて絶対に思わない。
(俊ちゃんもそうだったらいいな……)
  不意に昨日の俊史の言葉が思い出されて、歩遊はカッと首筋に熱が走るのを感じた。
  俊史は歩遊と二人きりになりたかったからここへ来たのだと言ってくれた。それがどういう意図を持っての発言だったとしても歩遊は嬉しい。嬉しくて堪らない。何故ってそれは歩遊も同じだから。少しでも俊史と長く一緒にいたいし、こうして面と向かう時間をたくさん作りたい。
「あ! あの…俊ちゃん!」
  そしてふと、歩遊は再び「よく考えたら、これはまた告白のチャンスなんじゃないだろうか?」と思い立った。この間は空振りしたが、今度は大丈夫な気がする。前のようにどさくさ紛れというシチュエーションでもないし、歩遊自身、確固とした覚悟を持ってきちんと言える体勢にある。
  よし言おう。もうこの際さっさと言ってしまおう。
「あの、俊ちゃ――」
「結局お前はどこへ行っても同じだな」
「え?」
  しかし意を決して口を開きかけたところで俊史が先に言葉を出した。
「お前は、いつもいつの間にか誰かといる。誰かがお前の傍にいる。お前もその誰かのことを気にしてる。シュウなんて不確かな存在にも、未だに心を持っていかれてる。……こっちばっかり必死で、本当にアホらしくなる」
「え? あの――」
「今日の午前中におばさん達は帰るって言ってる。お前も一緒に帰れば?」
「そ……」
  俊史は怒っても何だかんだでいつもすぐにそれを収めてくれるから今もそうだと思っていた。
  しかし今回は未だその感情の高ぶりは持続していたらしい。
  歩遊がボー然として俊史を見やっていると、俊史の方は酷く冷めた目をしてくるりと踵を返した。歩遊を迎えに来てくれただろうに、一人でさっさと戻って行ってしまおうとしている。
  しかも佳代たちと一緒に帰れ、とまで。
(や、やっぱり……邪魔なのかな……)
  けれど、二人でいたかったと言ってくれた、あの言葉は嘘ではないはずだ。今もこうして心配して来てくれたのだ。歩遊は一瞬挫けそうになる気持ちを無理やり奮い立たせて、俊史の背中に向かって精一杯大きな声で呼びとめた。
「ぼ、僕は、いたいんだけど!」
  俊史がぴたりと足を止め、振り返った。歩遊の珍しい大声もさる事ながら、殆ど紡がれる事のないその自己主張に意表を突かれたらしい。
  俊史がこちらを向いてくれたので、歩遊はますます勇気が出た。
「お、お母さんにも言ったんだ、さっき! 僕は俊ちゃんが帰るなら帰るけど! 俊ちゃんがまだここに残るって言うなら、それなら僕も一緒にいたいって。あ! で、でもそれは俊ちゃんがそうするから自分もとか、そういう全部俊ちゃんのすること真似するとか後をついてくとか、そういうんじゃなくて! ぼ、僕自身がそうしたいんだ! だ、だって、僕だって俊ちゃんと、げほっ…!」
  あまりに勢いこんで喋ったものだから途中で喉が詰まって歩遊は咳き込んだ。
  それでも喉を押さえながら何とか呼吸を落ち着かせ、歩遊は必死に続けた。
「しゅ、俊ちゃんと、一緒に、いたいし!」
  それは好きだから。
  ――と、その台詞を最後につけ足そうとして、けれど歩遊はその先を言う事が出来なかった。
  つかつかと怒ったような足取りで向かってくる俊史の勢いが恐ろしく、歩遊は「一緒にいたい」と言ったその舌の根も乾かないうちに後ずさり逃げようとした。
「歩遊」
「ぶっ!」
  けれど歩遊の逃げはその距離をあっという間に縮めた俊史のぎゅっとした拘束により封じられ、見事未遂に終わった。
「く、苦し…」
  こんなにきつく抱きしめられては窒息する。
  それでも歩遊は必死にもがきながら俊史の胸元に向かって口を開いた。
「あ、あの…僕、帰らなくて、いい?」
「……………」
「俊ちゃん。僕、帰りたくない」
  すぐに返事がなかったので心臓の音はより速くなったが、今さら後に引く事も出来ない。歩遊は自分こそがぎゅっと俊史にしがみつきながら再度強い調子で言った。
「俊ちゃんと一緒にいたい…! こ、ここに一緒にいちゃ…駄目?」
「――…しろよ」
「え?」
  掠れた声でよく聞き取れず、歩遊はぎくりとして顔を上げた。抱きしめられる腕の力は弱まらないけれど、首を上へ向ける事は案外簡単だった。
  俊史の顔は仄かに赤くなっていた。
  歩遊はそれを「どうしてだろう」と不思議に思った。
「お前がいたいなら勝手にしろよ!」
  そして俊史はようやくしっかりとした声でそう言った。
「………うん!」
  けれど歩遊はその俊史の発言が殊の外嬉しくて、「何故」と抱いたその疑問をあっという間に飛び散らせた。「勝手にしろ」は「そうしていい」の合図だ。これくらいは分かる。歩遊は忽ち笑顔になって、「ありがとう俊ちゃん!」と元気いっぱい礼を言った。
「ぼ、僕さ、なるべく迷惑かけないように――」
「――その代わり」
「え?」
  酷く低い声で発した俊史の言葉に歩遊はきょとんとして言葉を止めた。はしゃいだ気持ちのままだったから未だ顔には笑みが貼りついていたのだが、俊史の何やら真剣な眼差しには自然呼吸が止まった。
「その代わり」
  その俊史が言った。
「ここにいるって……お前が選んだんだ。お前がそう決めたんなら……もう俺に逆らうな」
「そ……それは……もちろん……?」
  何を言い出すのかと思ったら。
  未だかつて俊史に逆らった記憶など殆どないと言って良い歩遊は、どうして俊史がわざわざそんな事を言うのかさっぱり分からなかった。
  けれどとりあえずは「分かった」と素直に了承し、歩遊は俊史がそれでも納得していないと見ると、もっとしっかりと頷いた。
「当たり前だよ、そんなの。……うん、当たり前だ」
  ただの言うなりでは母・佳代が心配する末路になってしまうが、これはそれとは違う。別荘で歩遊はあくまでも居候の身だし、俊史と一緒にいたいと選んだのは俊史が言うように歩遊自身だ。だから俊史の要求に応えるのは至極当然だと、歩遊は「俊史が意図している事とは違う方向で」深く納得した。
  そうして、そうと決まるとまだ続けられる俊史との正月休みが俄然楽しくなってきて、歩遊はまんまと浮かれ、そのまま今しようと思っていた告白の件はさっぱりと忘れてしまった。

  その後、晴れやかな朝の日差しの中で4人は賑やかな朝食を済ませ、佳代と耀の2人は一足先に東京へと帰って行った。
  その頃には俊史も耀への態度を明らかに軟化させており、耀が帰る間際に煩く言ったせいもあるだろうが、歩遊の携帯を歩遊の元へと返してくれた。歩遊はそれをジャンパーのポケットに入れて、俊史と去って行く2人を途中の道まで見送った。
  帰り道に俊史がぎゅっと歩遊の手を握った。歩遊はそれが単純に嬉しかった。
  二人は帰り道までの十分程を手を繋いで帰った。



To be continued…




戻る19へ



オフ本をご存じの方、この秋はオフの彼とは性格が全然違います。別人解釈でもOK。