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「ほら、そっちも貸せ」 「あ、でも…」 「いいから!」 俊史が有無を言わせず歩遊の手から奪い取ったもの。 それは俊史が歩遊の為に買った、衣服の入った紙袋だ。既に俊史の手にもそれらの物はぶら下がっていたが、歩遊が両の手にそれらを提げてひいひいしていたら、俊史はひょいとそのうちの1つを取り上げてしまったのだった。 別に、荷物が重かったから疲れた顔をしていたわけではないのに。 「ありがとう…」 それでも、情けない事には変わりない。 俊史の予告通り、2人は自宅近くの駅から少し離れたショッピングモールへ繰り出して、「俊史の旅行の為」と称した買い物に勤しんでいた。朝早くからの出発で眠い目を擦り擦り連れて来られたそこは最近出来たばかりのアウトレットパークで、若いカップルや家族連れが多く訪れる有名なショッピングスポットだった。 歩遊はそこで案の定というか何というか、俊史からたくさんの服を買ってもらった。ちょっと高いブランド物のジャケット、デニム。着回しの利くシャツ、靴下、マフラー、それに下着も少々。誰が見てもおかしい。気付けば俊史が選んで購入している殆どの物は歩遊の衣類で、自分の物はほんの僅かしか買っていない。俊史はとにかく熱心に「これ着てみろ」とか、「あれはどうだ」と勧めてみては、歩遊に似合いそうな物を見繕うのに夢中になっている。 おかしい。どう考えても、この展開はおかしいと思う。 (戸辺君はどうしたんだろう…) はじめは駅で待ち合わせているのかと思ったが、歩遊が幾ら身構え続けてみても戸辺は現れなかった。駅でないのなら現地に直接集合かと、辺りをきょろきょろ見回していたら、「何を余所見しているんだ」と俊史に怒られ、無理矢理引っ張られるようにして、2人だけの買い物は始まってしまった。いつまで経っても戸辺が来る気配はなかった。俊史に「今日、行けなくなった」とキャンセルの連絡が入ってきた様子もない。歩遊が気付かないうちにそういう連絡を取り合っていたのか、そうでなければ元から約束していなかったのか。 「疲れたのか」 ぼうとしている歩遊に俊史が言った。 「飯食うか。あそこでいいか?」 「あ、うん…」 俊史が指差したのはちょうど通りの先に見えていたお洒落な洋風レストランで、赤い扉や、どことなく外国の外装を想起させるような木造りのテーブルと椅子がとても可愛らしい店だった。絵画や小物、それにさり気なく飾られている小さな花も程よいアクセントを与えていて好感が持てる。 昼時を微妙に過ぎていたせいか、2人は然程待たずにテーブル席の一つに着く事が出来た。 「何食べる?」 「えっと…」 差し出されたメニューをそのまま受け取り、歩遊は焦ったようにそれに見入ろうとして、しかし、はたと顔を上げた。 水とお絞りを運んできてくれた店員がなかなかテーブル席を離れなかった事に不審を感じたからだが、それによって歩遊はその女性店員だけでなく、周囲の客までもが自分たちのテーブルに注目している事に気がついた。 (みんな…俊ちゃんを見てるんだ…) それは鈍い歩遊にもすぐに分かった。俊史は歩遊にメニューを渡したきり、自分はそ知らぬ顔で店内の内装を何ともなしに眺めていたのだが、そのどこか遠くを見ているような何気ない仕草や表情が周囲を見惚れさせる原因になっていた。 俊史はカッコイイ。 そんな事は歩遊も知り過ぎるくらいに理解しているつもりだったが、こういう時はそれを更に実感してしまい、何となく一緒にいる事が申し訳なくなってしまう。 「どうした、ぼーっとして。決まったのか」 「えっ? あ、まだ…」 「ったく、何やってんだ」 ばっとメニューを取り上げられて、歩遊はあっとなったものの黙って口を噤んだ。俊史は意地悪そうな笑みを浮かべていたが、それが本気のものではない事は分かったし、むしろ俊史は今「かなり」機嫌が良いように見受けられた。それを瞬時に感じ取ったから、歩遊もその空気を壊したくなくて沈黙した。 「ほら、この蟹のパスタのランチセットとかどうだ? 蟹、好きだろ?」 「あ……」 そうして俊史は歩遊が迷ったせいで決められないとでも思ったのか、ご丁寧にメニューの一つを指差しながらそう言ってきた。歩遊は慌てて「それでいい」と頷いた。実際何だって良かった。俊史とこうして一緒に買い物をしたり、外で食事をしたり。決して初めての事ではないけれど、とても楽しいし、嬉しい。 だから食べる物なんて本当に何だって良かったのだ。 (でも……) 戸辺は本当にどうしたのだろうと思う。歩遊がどっと疲弊している部分はまさにそこだった。大体、今日買ったものだって、まるで歩遊が俊史と一緒に旅行するかのような「完全装備」だ。何度か「こんなのおかしいよ」と言おうと思ったが、折角俊史が機嫌良く服選びをしてくれているのに、余計な事を言ってまた怒られるのも嫌だ。 また、好んで戸辺の事を持ち出す事とて、歩遊の本意ではない。 「歩遊。ほら、口にソースついてるぞ」 「えっ? あ、ごめん」 ぼうと考え事をするのを止められない。 食事が始まってからも歩遊は俊史から再三チェックを入れられ、いちいち注意を受けた。俊史に注目している周囲はこんな自分たちをどんな風に見ているのだろうと気恥ずかしくなる。きっと年の近い兄弟くらいに想っているのだろうけれど、それは歩遊にとって何とも複雑で、そしてやっぱり情けない事だった。 決して「嫌」ではないのだけれど。 買い物をして、一緒にお昼を食べて。 帰りには、駅前のいつもの洋菓子店で、歩遊は俊史にお気に入りのケーキをまた3つも買ってもらった。至れり尽くせりだ。歩遊は会計の度に何度か自分もお金を出すと言ったのだが、それは一度も許されなかった。 結局、歩遊は電車代も含めて全て俊史に払わせてしまった。 「またお父さんたちに叱られちゃうよ」 ケーキの箱に目を落としながら、歩遊は帰りの道すがら、ようやく遠慮がちにそう言った。 「何だよ」 すると俊史は別段怒ってはいないものの、むっとしたようにくぐもった声を出し、少し先を歩いている位置からちらりと歩遊を顧みた。 「お前が黙っていれば済む事だろ」 「え?」 「ミキさん達には言うな」 「そんなの…」 歩遊は思わず反論しかけ、しかし口ごもった。両親にはまた困った顔をされるだろうが、今日の事はすぐにメールででも報告するつもりだった。そうしなければまた俊史の払い損になってしまうと思ったし、自分とて偶には俊史に何か返したいのだけれど、如何せん軍資金が心許ない。だから今度は俊史ではなく、自分を事務所のアルバイトとして使って欲しいとも頼むつもりだった。 きっと、特に母親は「あんたじゃ戦力にならない」と突っぱねるだろうけれど……。 「とにかく、言うな。色々めんどくさい」 けれど俊史は歩遊の意を正確に読み取ったようにそう言って、「いいな」ともう一度強く念を押してきた。こうなると歩遊も弱い。流されるように了承させられてしまい、後はもう黙って後をついて歩くのみだ。 未だ夕暮れ時には早かったけれど、朝早くから出かけて随分と疲れていた。俊史も歩遊の体力を想って早めの帰宅を考えてくれたか、それとも戸辺のいない外出に目的以外の意味を見出せなくて早々に切り上げたか。後者についてはあまり考えたくなかったが、それでも歩遊にとって今日の1日は、「早い終わり」ではあるけれど、「大満足な時間」であった事も間違いがなかった。 本当に楽しかったから。 「俊ちゃん」 だから家の前に着き、俊史が当然のように歩遊の方の家に入ろうとした時、歩遊は思い切って背後から呼び止めた。 「ん…」 俊史はそれに何だという風な顔をしつつもすぐに振り返ってきた。鍵を持った手もそのままだ。周囲を魅了したこの整った顔で凝視されると、慣れているはずの歩遊でもやっぱり緊張してしまう……それでも何とか焦った風に声を継いだ。 「あのさ、今日……ありがと」 「…何だよ急に」 俊史は面食らったように驚いた目を向けたが、歩遊はあわあわとなりながらも更に続けた。 「いや、だってさ。今日、楽しかったから」 本当は憂鬱だった。戸辺と3人で出掛けるなんて嫌で堪らなかったから。 けれど結果的に戸辺は現れず、まるで歩遊が俊史と買い物デートしたような1日を味わう事が出来た。 戸辺には申し訳ないけれど、棚から牡丹餅とはこの事だ。 「いっぱい買ってもらっちゃったのは悪かったけど…、でも、それも嬉しかったから」 俊史だけなのだ。こんな風に歩遊の事を気遣ってくれて、歩遊の為に歩遊の似合う服を一生懸命選んでくれる。そうして一緒にいてくれる。歩遊の好きな食べ物の事もよく知っているし、歩遊がパスタをうまく食べられない事だって知っている。よく注意して見てくれて、はぐれそうになると、しっかり手を取ってくれる。「お前は俺が見てないと本当に駄目だ」なんて憎まれ口も叩くけれど、実際それは本当の事だし、それに俊史は心底から意地悪なわけじゃない。 歩遊にとって俊史はなくてはならない存在だ。絶対的に必要で、大切で、そして、大好きな存在なのだ。 「俊ちゃんとこういう風に出掛けるの、凄く好きなんだなって改めて分かった。だから、ありがとう」 歩遊は素直な気持ちで俊史にそう言った。本当に感謝しているから自然に出てきた言葉だった。戸辺と俊史が付き合っている事とは別に、偶にでもいいから、自分ともこういう風に一緒にいてくれたらいいのになと、幼馴染なのだからそれくらいは許されるんじゃないかなと、そんな欲張りな考えも出てきてしまって。 だからするっと口をついて出た言葉だった。 「……何、いきなり恥ずかしい事言ってんだよ」 けれど俊史は歩遊のそんなあらたまった感謝に明らか途惑ったようだった。らしくもなく視線を逸らし、ぽつりと漏らした毒にも力がない。歩遊はそれで「何かまずい事を言っただろうか」と忽ち焦ってしまったのだが、当の俊史がそれを打ち消すようにすかさず片手を伸ばしてきた。 「あ…?」 「…今日、楽しかったのか? 歩遊」 そうして俊史は歩遊の頬にその手を添えると、そっと近づいてそう訊いた。 「え? …うん」 歩遊がそれに驚いたようになりつつも何とか頷くと、俊史はじっと何事か考えるように暫くは黙っていたものの、やがて顔を寄せちゅっと触れるだけの口づけをした後、「俺も」と言った。 「え?」 歩遊は突然のキスに赤面したものの、その呟かれた台詞にも目を丸くして思わず聞き返した。 「バカ、何度も言わせるな」 すると俊史も心なしか頬に熱を灯し、もう一度誤魔化すように歩遊の頬を撫で、今度は鼻先にキスを落とすと。 「わ、わわっ」 直後、その行為を全部打ち消すみたいに、歩遊の髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。 「俺も楽しかったって言ってんだよ」 そうして俊史は、当初は歩遊の家に入るはずだったろうに、何故か「夕飯の時間にまた来る」と言い捨てると、 そのまま自宅へ帰って行ってしまった。 「……え?」 歩遊は玄関先で取り残された格好で暫し硬直したのだが、やがてじわじわと俊史の言ってくれた台詞―俺も楽しかった―が身体の中に染み渡ってきて、どうしようもなく胸がどきどきしてくるのを感じた。 「俊ちゃんも楽しかったんだ…?」 自分でも声に出して繰り返してみると、それはますます嬉しいものになった。自然、頬が緩んでしまい、唇に笑みが浮かんだ。どうしよう、堪らなく嬉しい。そう思って、歩遊はその場で飛び跳ねてしまいたいくらいに喜びでじっとしていられなくなった。 ただ、 いつものように2人で歩いただけなのに。ただ、いつものように2人で出かけただけなのに。初めてじゃない、別にこんなこと、初めてなんかじゃないのに。 何だか過ぎ去ったあれらの事が掛け替えのない素晴らしい時間に思えた。 「凄い……」 何だかよく分からないままに、歩遊はそう呟いていた。 はたと気付いてようやく荷物を持って家に入ったのは、だからそれから数分もした後のことで……。 耀がポストに入れてくれた「例のブツ」について思い出したのは、もっとずっと後になってからだった。 時は少し遡り、耀が歩遊の家へビデオを持って行く前夜のこと。 「歩遊君、来られないんだって? 残念ね」 「また人の電話立ち聞き? 姉ちゃん、ちょっとそういうのどうにかした方がいいんじゃない?」 耀が歩遊との電話を切った直後、姉の日向(ひなた)が殆ど間髪入れずに部屋に入ってきてそう言ったものだから、耀は心底呆れたような目を向けた。 「偶然よ偶然。はい、りんご」 これを持ってきた所で偶々聞こえてしまったのだと、日向は綺麗に剥かれたりんごののった皿を椅子に座る弟へ差し出し、自分はその脇にあるベッド上に腰をおろした。スポーツマンの耀は標準的な高校2年よりも背が高くがっしりとした体格をしているが、姉の日向は、見た目は如何にもインドア派の文系人間だった。黒く長い髪をだんご頭でうまくまとめ、野暮ったい地味な服装に縁なし眼鏡を掛けている。イメージ的にはどこぞの図書館司書、と言ったところか。 実際は大手化粧品メーカーで香水などの開発に力を注ぐバリバリの理系人間だったりするのだが。 「ようやくナマの歩遊君に会えると思ってたのになぁ。年末年始のお楽しみってそれくらいしかなかったのに」 日向の大袈裟な言葉に耀は思い切り苦笑した。 「不健康だなぁ、弟のダチ見るのだけが楽しみだなんて。新しい彼氏とか出来ないの?」 「出来ないんじゃなくて、作らないの。あんただってそうでしょうが」 「俺は出来ないだけだよー」 「そうなのう?」 何か厭味に聞こえるけどーと、間延びした言い方をした日向は、しかしそんな話は別段どうでも良いのか、ふと机の上にある四角い紙袋に気付いてニヤリと笑った。 「それね。明日歩遊君家に投函するという例のお勧めビデオってやつは。ちゃんとデビューにふさわしい良作なんでしょうねえ?」 「たぶん。マニアの西野が絶賛してたヤツだから間違いないと思う。俺はあんま違いとかよく分かんないけど、シチュエーションは割と凝ってる方だったかなー。演技もまあまあだったし」 「えっらそうに」 「それに胸! 主役のおっぱい、半端なくデカかったしさ!」 「ふうん?」 「何?」 最初こそ興味深そうに聞いていた日向がどうにも乗り気ではない。耀は不思議そうな顔をして小首をかしげた。 以前から、2年になって親しくなった歩遊の話は、仲の良いこの姉・日向にも折に触れ聞かせていた。必然的に「在り得ない俺サマ」な幼馴染・瀬能俊史の話題も持ち出す事になったのだが、日向は2人の話を聞く度に、「面白い」とか「見てみたい」としきり口にしていた。…確かに通常ならあまりお目に掛かれない「変わり種」な2人だし、耀の目から見ても歩遊たちの関係は明らかに曲がっており、おかしいものだ。姉が興味を抱くのも分かる気がした。 けれど耀としては、当然ながら、面白半分で歩遊と関わっているわけではない。不憫な歩遊を何とか助けてやりたい、そう思っていた。俊史が理不尽な怒りをぶつけながらも、実のところ歩遊をとても大切に想っている…というか、「執着している」事は明らかに分かるのだが、だからと言ってあのやり方は横暴だし、大体当の歩遊に全く通じていない。だったら、ちょっと弱々しいけれど、優しい歩遊に「男」としての自覚を喚起してやりたい。歩遊はとてもいい奴だし、顔だって本人は卑下して始終俯いているが、それが勿体ないと心底思うくらいに可愛い。瀬能の呪縛から解放されれば、彼女だって容易に作れるはずなのだ。歩遊にだってまっとうな高校生らしい生活を送る権利がある。 だから、というわけでもないのだが。 こういうビデオも一つのきっかけになればと思った。 「あのさあ、これも一緒に持ってって」 すると、何故か急に部屋を出て行った日向が再び戻ってきて、耀に同じような紙袋に入った四角い包みを渡してきた。 薄いそれは同じく何かのDVDソフトだろう。耀が目だけで「何?」と訴えるのを、日向はどこか憮然としたように肩を竦めて言った。 「本当はうちに来て反応見たかったけど。しょうがないよね、用があるんじゃ。ま、とりあえずあんたのお勧めの後にこれも見てみてって。それで、後で感想聞かせてねって言ってみて」 「何? 違うAV?」 「んー…。これはアニメ」 「アニメ? 別に歩遊ってそういうのあんま好きじゃないと思うけど」 「まあ、いいからいいから」 日向は強引にそう言うと耀にそれを押し付けて部屋を出て行ってしまった。何かを仕掛ける時にこうして何も言わずにやってくるなど珍しい。 「ま、いっか」 それでも耀はあまり深い事を考えなかった。歩遊が自分の貸すAVに途惑って恥ずかしい想いをした後にほのぼのとしたアニメでも見てもらえたら、それはそれで気が紛れるかもしれない。そんな事を考えながら、耀は二つの紙袋を更に新たな袋に入れて、それを鞄にしまった。 |
To be continued… |
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