―５―



　 音を立てないようにそうっと玄関を開け、それからダッシュで階段を駆け上がると、後ろから「歩遊っ！」という怒号が投げ掛けられて、歩遊は危く階段から転げ落ちそうになった。
「な、なに…」
　 それでも何とか平静を装ってそろりと後ろを振り返ると、階下には鬼のような形相をした俊史が未だ携帯を耳に当てた状態ながら、歩遊の事を激しく睨み据えていた。
「どこ行く」
「え…っと。部屋」
「ふざけんな、来い。話は終わってないって言ったろ」
「うん…」
　 しかしながら、今現在歩遊の服の中には耀が置いていってくれたアヤシイビデオの入った紙袋がある。顔だけを向けている状態だからまだバレてはいないが、正面を見せたら確実に不審がられる。「食べ過ぎた」と言い訳するには、あまりに歩遊の腹部は不自然に膨らんでいた。
「……あぁ、だから無理だって言ってんだろ。いい加減切るぞ。……あぁ！？　ざっけんな！　来るなっ！！」
　 しかしオロオロしている歩遊に、この時ばかりは戸辺らしき人物の電話はありがたかった。
　 俊史は再び携帯の方に意識を向け、何やらムキになって怒っている。どうしたのだろう、俊史が戸辺にここまで怒るなんて本当に珍しい…というか、初めて見た。いつでも２人にはどこか入り込めない親密な雰囲気があって、俊史は歩遊には決して見せない優しい顔を戸部に見せるし、戸辺も俊史には特別甘えるような仕草を見せる。だから例えちょっと喧嘩する事があったとしても、歩遊の中で２人は噂の通り、否、それ以上のお似合いカップルなのだ。
（折角戸辺君が電話してきたのに。俊ちゃん、仲直りする気ないのかな…？）
「ああ！　ああ、だから、そんなのお前らで何とかしろよ！　とにかく、俺は休み中は生徒会と関わらない。俺は自分の仕事はちゃんと終わらせてんだから――」
　 遂に俊史は完全に歩遊から視線を逸らし、携帯に集中し始めた。
　 今だ！
　 歩遊はハッとした後、今度は思い切り勢いよく階段を駆け上がり、そのまま自室へ飛び込んだ。
「歩遊ッ！」
　 俊史の怒鳴り声がドアを閉めても聞こえたが、とにかく部屋にまで来られた。後は当面俊史の目をごまかせる所にＤＶＤを隠すだけだ。
「ど、どこにしよ…っ」
　 自分の部屋なのに勝手が分からないという風に歩遊はオロオロとして辺りを見回した。モタモタしてはいられない。俊史が未だ歩遊の名を呼びながら、ドンドンと大きな音を立てて階段を駆け上がってくる。
「ひぃっ」
　 まるでホラー映画だ。バカな事を考えながら、歩遊はぎくりとして閉じられたドアの向こう、今にもやってきそうな俊史を思って本気で震えた。どうしようどうしよう。パニックになった歩遊は服から取り出したＤＶＤを抱えたまま、殆ど反射的にベッドの中に潜り込んだ。
「歩遊！」
　 それとほぼ同時だ。俊史が勢いよくドアを開いて部屋に入り込んできたのは。
「……っ」
　 歩遊は布団を頭から被り、懐に紙袋を抱え込むようにしてぎゅっと目を瞑った。
　 けれど気配だけで容易に分かる。俊史はベッドのすぐ横に立っている。そうしてすぐさま、「歩遊、起きろ」――問答無用な迫力ある声でそう言った。
「………うん」
　 そんな風に命令されて逆らえるわけがない。どうか見つかりませんようにと祈りながら、歩遊はゆっくりと布団をめくりあげ、顔だけそろりと外に出した。
「いっ……」
　 俊史の顔が怖い。完璧に整っている美形なだけに、こういう時はそれが余計に映えて却って恐ろしく見えるのだ。歩遊は無意識のうちに再び布団を被ろうとしたが、それは俊史にがつりと掴まれて阻止された。
「歩遊」
「はいっ」
　 ぴんと張り詰めたよく通る俊史の声。歩遊は意図せず敬語で返答した。
「何隠れてんだ。ちゃんと起きろ」
「う……」
「……っ！　何びびってんだよお前は！　いいから、起きろ！！」
「分かった！」
　 観念して歩遊は上体を起こした。さり気なくＤＶＤの入った紙袋は布団の中に置き去りにして。
「何で逃げた」
　 ベッドの上でしょんぼりとしている歩遊に俊史が訊いた。見下ろすようなその視線は歩遊を射殺さんばかりに鋭い。
　 歩遊はそれだけで泣きそうになる。
「答えろ歩遊」
「で……電話、もう終わったの？」
　 よせばいいのに歩遊は全く関係ない事を口にした。俊史の手元に携帯がないのが気になったのだ。階下に置いてきたのか、いずれにしろ俊史は戸辺との会話を放棄して歩遊の自室へ上がってきた事になる。恋人と喧嘩したままだというのに、いいのだろうかと心配になる。
「そんな事、今関係あるか？」
　 しかし案の定、歩遊の発言は大失敗だった。
「どうなんだ？　今、俺たちにその事関係あるか？」
「え…いや…」
「あ！？　何だって？　聞こえねーよ、ないんだろッ！？」
「ない！」
「だったら、くだらない事訊くんじゃねーよッ！」
　 歩遊の些細な質問はこうして一蹴された。俊史は酷く不機嫌な様子だ。自分の問いに答えない歩遊に単純にむっとしたのだろうが、この時はそれだけではない、俊史の苛立ちの元は他にもあるように感じられた。
　 だから歩遊はぐっと唇を噛んだ後、恐る恐る答えた。
「逃げてないよ…。た、ただ、会話の邪魔しちゃいけないかなぁと思って……」
「俺は話があるから来いって言っただろ」
「うん…」
「なら何でそれ無視してこんな所来てんだ。俺から逃げてるって事だろ」
「そ、そんなわけじゃなくて……」
　 まさか「耀から借りたＡＶをひとまず部屋に隠したかったから」などとは口が裂けても言えない。歩遊は途方にくれた。
　 が、俊史は逃がしてくれない。
「……そんなに俺が怖いのか」
「え」
「そんなに俺の事が怖いのかって訊いてんだ」
　 俊史の表情にはどこか翳りがあった。歩遊はそんな相手に途惑いながら、遠慮がちに声を紡ぐ。何にしろ俊史に嘘はつけない。
「そ、そりゃ…怒ってる時の俊ちゃんは……怖いよ」
　 それはもう、何者にも比較出来ないくらいに怖い。それは事実だ。それこそ歩遊は、所謂怪奇現象などよりも俊史の怒りの方が余程恐ろしいと思っているし、その他、テストの点数だの、いつも独りきりで教室にいる事だのよりも、俊史から与えられる負の感情の方が手痛いと感じる。
　 何故って歩遊にとって俊史は絶対の存在だから。
「お前が怒らせるような事しなきゃいいんだ」
　 歩遊が悶々としていると俊史が言った。
「俺だって好きでいつもお前に怒鳴ってるわけじゃない。こっちだってこうしょっちゅうキレてちゃもたない。真面目に血管切れるぞ。お前、俺が怒りで倒れたら責任取ってくれんのか？　取らないだろ？　びびって逃げたまま俺の事見捨てるだろ？」
「そ、そんな大袈裟な…」
　 俊史が倒れたりするわけがない。自分が恐怖で卒倒するところはいくらでも想像できるが―…歩遊はすぐさまそう思った。
　 けれど俊史の方はどうやら大真面目だ。
「大袈裟じゃねーよ、バカ！　さっきはい…怒りで、真面目に眩暈がした…。お前が『年末年始は暇だ』なんて言いやがるから！」
「え？」
　 “何故そこに？”と、歩遊はきょとんとして目を丸くした。
　 俊史はそんな歩遊のリアクションを今度は想像していたようだ、別段驚きも怒りもせず、ただ盛大に大きな溜息をついた後、心底疲れたかのように自らもベッドの端に腰をおろしてきた。
　 歩遊はぎくりとした。俊史とＤＶＤとの距離がぐっと縮まったから。
　 そんな事には気づかず、俊史は歩遊に顔を近づけて静かに言う。
「いい加減、気付け」
「え？」
「いい加減、分かれ」
「な……」
　 何を、と問おうとしたところで唇をあわされた。
「んっ」
　 歩遊は思い切り意表をつかれて目を白黒させたが、俊史は逆に随分と落ち着いてきたようだ。互いの唇をしっかりと重ね合わせた後は、少しずつ角度を変えながら歩遊の口を食むようにして貪ってくる。
「んん…っ」
　 その執拗なキスに歩遊は翻弄された。
　 俊史とはもう幾度もこんな口づけをしているけれど、慣れるという事がない。それどころか回を重ねる毎に身体が熱くなってじんじんとして、下半身の辺りが燃えるような気すらするのだ。
「ふ…ぁ…」
　 俊史の舌が容易に歩遊のそれを捕えてくる。歩遊は困惑した。俊史はまだ口づけを止めない。歩遊の頬に片手を添えて、ぴちゃりと卑猥な音を立てながら何度も唇を離してはすぐにまた重ねてくる。
「ふ…っ」
　 堪らなくなって歩遊は逃げるように身体を動かした。バランスが崩れて、思わず布団の上に片手を置き、傾いた体勢を整えようとする。
　 けれどその刹那、思い切り「ガサリ」という、明らかに不自然な音が立った。
「……っ」
　 歩遊が片手を添えたせいで、布団の下に隠していた紙袋が擦れたのだ。音はそのせいで発せられたものだった。
「……何だ？」
　 俊史も違和感に気付いたらしい。唇を離した後、さっと視線を今しがた不審な音のした方へ落とす。
「う…」
　 歩遊は忽ち顔を青くさせた。殆どフリーズ状態だったが、咄嗟に漏れた口からはあからさま「まずい」といった様相が伺えたものだから、余計俊史に疑惑を与えた。
「何の音だよ」
　 俊史はそういった疑念をそのまま放っておくような性格ではない。改めてまじまじとした視線を下に投げ掛け、すぐ傍にある布団の、何やら異様な膨らみ具合にようやく気付いて、眉を寄せる。
「あ…」
　 そうして歩遊がどうにも出来ないでいるうちに、俊史はおもむろに腰を浮かし、自分たちの下敷きになっていた掛け布団をさっとめくった。
　 不審物、発見。そこには何やら怪しげな紙袋が、ちょこんと己の存在を主張していた。
「………何だこれ」
　 当然の質問である。布団の中にこんな異物があれば誰でもおかしいと思うだろう。
「え…あ…その…」
　 そして歩遊がその問いに対し、咄嗟にうまい嘘や言い訳を思いつけるわけがないというのも、最早必然であった。
　 歩遊は俊史が黙ったまま紙袋を手にし、それをおもむろに開けて中を見やる姿を、まるでスローモーションの映像でも眺めるかのような思いで見つめていた。それは恐ろしく長い時間に感じた。俊史が袋の中の物―どうやらそれらは更に違う袋にも包まれていたらしいが―を取り出し、２つのソフトを交互に眺めている。不審な物を見る目が徐々に驚きに変わり、そしてとんでもない怒りの表情へと変化していく。それらが全てスロー映像で歩遊の視界に入るのだ。
　 変なのと、歩遊はそれを他人事みたいな気持ちで眺めた。「まずい」という気持ちがピークに達した事で、歩遊は現実逃避を決め込み、俊史からの雷に対する自己防衛を図ろうとしたのだ。
「歩遊。これは何だ？」
　 俊史が言った。
　 歩遊はぱちぱちと瞬きをした後、質問に答えなければと思って俊史が取り出した２本のケースを眺めやった。
　 １本はパッケージを見ただけで「それ」と分かる物だ。でかでかとどぎついピンク色で印字されたタイトルは、あまりにあんまりな、『ポッキーボッキー』。アイドルのような可愛らしい顔立ちをした女性が豊満な胸を惜しげもなく晒して微笑んでおり、歩遊にしてみればそれだけで十分赤面ものだった……が、裏は更に露骨な性描写の写真が幾重にも並べられている。
「う…わ」
　 歩遊は二の句が継げなかった。
「こっちは何だ」
　 露骨に視線を逸らした歩遊に、俊史が容赦なくもう１本のソフトを掲げる。仕方なくそろりと目を向けると、それは透明のケースに入っていて１本目のような露骨なタイトルや写真はなく、ディスクに「声の出演」やら「ＩＳアニメーション」やらといった記述があり、どうやら何らかのアニメ作品らしい事が分かった。
「な、何かのアニメみたい…」
「何のアニメだ」
「し、知らない。お勧めビデオ貸してくれるって」
「誰が」
「………それは」
　 歩遊にそんな事をしてくれる「友人」は耀しかいない。俊史も分かっているだろう。
　 けれど「耀」という名前を出す度にいつも俊史は烈火の如く怒り出すから、さすがに学習し始めた歩遊は言い淀んだ。それに、状況が状況である。これ以上俊史の怒りに火を灯すような真似は出来ない。
　 本来なら、このアダルトビデオのパッケージを見た時点で怒鳴り声を上げて然るべきところだが。
「お前、観たいのか」
　 けれど俊史は意外や意外、あからさまに怒り狂う事はなく、至って静かな口調でそう訊いてきた。
「え？」
　 だから歩遊も意表を突かれて、答えるのが何拍も遅れた。
「観たいのかって言ってんだ。こういうの、観たいのか」
　 女性の裸が映っているパッケージをひらひらと掲げながら俊史は尚もそう訊いた。
　 歩遊はそれを目にしただけで顔を真っ赤にさせて視線をあちこちへ移したが、俊史はそれを許さず、更に顔面間近にまでそれを近づけて「観ろよ」と言った。
「観たいんだろ？　観れば？　再生してこいよ、俺は別に止めねーよ」
「えっ…」
「何をこそこそ隠しているかと思えば…。どうせあのバカにそそのかされて、無理矢理押し付けられたんだろ。サッカー部のバカ共が学校にもこういうもんを持ちこんで物々交換しているのは前から知ってた」
「そ、そう、なの…？」
「けどお前も、こうまでして隠したって事は、俺に隠れて後で独りで観る気だったんだよな？」
「え……う……それ、は……」
　 何やら雲行きが怪しくなってきた。気のせいか俊史の眼も虚ろだ。
「押し付けられようが何だろうが、お前はこれを受け取った。そして俺からこうして隠した。それだけで十分だ。あ？　観たいんだろ、お前は！　このエロビデオを！　女のハダカを！　単なるヤラれまくりのセックスビデオをよ！」
「しゅ……俊ちゃん、やっぱり怒って――」
「怒ってねーよッ！！」
「わあっ！」
　 やっぱり怒っていた。
　 鼓膜が破れるのじゃないかと思う程の至近距離で怒鳴られて、歩遊は思わず両手で自らの両耳を抑えた。ぎゅっと目を瞑ったものの、しかし興奮した俊史からすぐにその手を解かれて、無理矢理ＤＶＤのソフトを顔に押し付けられる。
「ぐっ」
「おら、観ろよ！　観たかったんだろうが、しっかり観ろ！　そんで、このくだんねえビデオ観て、せいぜい勝手に抜いてろよ！　それとも手伝ってやるか！？　お前、そもそもこういうの観ながら抜いた事なんてないだろ！？　だったら教えてやんねーとな、お前は俺が何でも教えてやんねーと分かんないんだもんなぁ！？」
「や……やめ……俊ちゃ……」
「それともまさか、お前既に太刀川のバカと一緒に見た事あるなんて言わないだろうな！？　あいつの事だ、貸すだけじゃなく一緒に観ようって誘ってきた事もあんだろ！？　正直に答えろ！」
「あ……」
「あぁ！？　聞こえねーよっ！」
「あるよ、ある…！　耀君ちに遊びに来ないかって言われて……それで、一緒に観ようって！」
　 ようやく押し付けられていたＤＶＤを自分が手に取り、歩遊はそれをベッドの隅へと押しやった。苦しくて、たったそれだけの動作でぜいぜいと荒く息を吐く。歩遊は既に涙目だった。
　 案の定俊史に怒られた。おまけに今は、多分酷く軽蔑されている。
　 その事が堪らなく悲しかった。
「あいつんちに…！？　それでお前、行ったのか！？」
「行ってないっ。ここ最近は、ずっと俊ちゃんと一緒だったじゃないか…！　本当は今日来ないかって言われてたんだけど、俊ちゃんと出掛ける約束あるからって断ったんだっ。そ、そしたら……ビデオ貸してくれるからって！」
「………さっき外へ行ったのはその為か」
　 俊史の声が一段小さくなったので、それに併せて歩遊も口調を緩めた。
「うん…。ポストに入れておいてくれるって言ってたの、忘れてたんだ。だからさっき取りに行って…」
「で、ここに隠した」
「うん……。俊ちゃん、怒ると思ったし」
「……………」
　 歩遊の言葉に俊史は一瞬だけ黙りこくったようになった。
　 けれども直後、俯く歩遊の頭に容赦なく氷のような声を降らせる。
「怒ってねーよ。勝手に観ろよ。俺はそう言っただろ」
「もういいよ…。もう観ない」
　 ただ、歩遊も既にヤケクソだった。いじけているわけではないが、俊史にこっぴどく叱られて本気で憔悴したし、心底、もうこのビデオを観たいとは思えなくなっていた。
　 パッケージだけで十分だ。こんな風に……女性が複数の男性に囲まれ、襲われているかのような写真は、それだけで十分血の気が引く。
「興味あったのは本当だよ…。ちょっと…観たいな、とも思った。でも、これ観たら、何か凄そうだし。もういいよ」
　 ぽつとそう答えると、俊史はしんと黙りこくった後、歩遊が横へ除けたＤＶＤを再び入っていた紙袋にしまい、更にもう一つの袋に入れた。
「俊ちゃん…？」
　 歩遊がその所作を何となく眺めて最後に問いかけるように呼ぶと、俊史もどこか大きく息を吐き出したように肩を上下させてから、歩遊に普段の冷静な瞳を向けた。
「もういいんだろ。だったら、これは俺があいつに返しとく」
「……うん」
「こっちは普通のだろ？　こっちだけ受け取っとけ。大体……こんなの、お前に向いてないんだよ」
　 俊史はそう言った後、透明のケースに入っていた方のアニメだけ歩遊に渡し、心底腹が立ったという風にもう一度大きく深呼吸した。歩遊もぐったりだったが、俊史の方も今のたった数分の出来事でげっそりとやつれたようになっていた。
　 歩遊にはそれがとても不思議だった。成人用ビデオを高校生が鑑賞するなど確かにいけない行為だが、両親とて歩遊がアダルトビデオを隠れて観ようとする事にここまで騒ぎはしないだろう。俊史だけが歩遊をとても心配して、歩遊にとって良くないと思しきものを遠ざけようと躍起になるのだ。
　 それはとても不自然で、通常ならありえない事なのだろうけれど。
　 けれど、歩遊にとっては掛け替えのないものだ。
「俊ちゃん」
　 だから先に立ち上がり、一人部屋を出て行こうとする俊史に、歩遊は思わず声を掛けた。
「隠し事してごめん。もうしない」
　 俊史は振り返って暫しそう言った歩遊の顔を見つめたが、特には何も言わなかった。
「下」
　 ただ、代わりとでも言うように。
「まだケーキ残ってるぞ。ちゃんと食べるか、冷蔵庫に入れるかしろよ」
「あ。うん」
「ちゃんと歯、磨けよ」
「うん！」
　 俊史の過保護に過ぎる言葉が歩遊には嬉しかった。自然笑みが零れて、安心で全身から力が抜けて、歩遊は心から「良かった」という表情を浮かべた。

　 だから、というのも変だけれど。

　 安堵した歩遊は「まだ話が終わっていない」と言っていた俊史がその話をしないまま自宅に戻ってしまった事をまるで疑問に思わなかった。



　
To be continued…
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