聴いて、触れて



  相羽歩遊(そうわ ふゆ)は、隣の家に住む幼馴染の瀬能俊史(せのう としふみ)には子どもの時分から「バカとは遊ばない」、「邪魔、煩い」、「どっか行け」とさんざん邪険にされてきた。他の同級生たちと比べて頭の回転も速く何でもソツなくこなす俊史と比べれば、確かに歩遊は何をするのも遅く、いちいちドジを踏んでは学校でも放課後の遊び仲間からからかいの対象とされていた。
「お前といると俺まで恥をかく。近づくな」
  俊史はその度形のよい眉をひそめ、ろくでもない者を見るように歩遊の事を蔑んだ。
「ごめん…」
  だから歩遊はただ項垂れ謝った。俊史は常に仲間の中心的存在であり「偉い」存在。彼に嫌われたらこの先安穏とした生活を送る事はできない。子ども心にその事を知っていた歩遊は、だから俊史には絶対服従で怒られると真っ先に頭を下げ、謝った。
  その度に、俊史の歩遊への当たりは何故か一層強まっていったのであるが。
「俊(シュン)ちゃんは本当は歩遊ちゃんの事が大好きなのよ。だから意地悪するの。本当よ」
  歩遊が中学2年の時に他界した祖母は、歩遊が俊史に苛められ泣いて帰ってくる度にそう言って笑っていた。歩遊はそんなの嘘だと祖母に八つ当たりをしては更に酷く泣いたものだったが、それでもそう言って慰めてくれる人がいるというのはとてもありがたい事だった。
  だから祖母が亡くなった時歩遊は悲しみのあまり1週間以上学校を休んで引きこもってしまったし、それに対して「いい加減うじうじするな」と部屋にまで怒鳴り込んできた俊史にも「煩い!」と怒鳴って追い返したりもした。

  今思うと。

  歩遊が俊史にあんな反抗的な態度を取ったのは、後にも先にもあの日1度きりだった。







「歩遊。何処へ行く」
  授業を終えて帰ろうとする歩遊を昇降口の所でそう呼び止めたのは俊史だった。
  エスカレーター式の中高一貫校に通っている2人は小学校の頃から事あるごとに顔をあわせていたが、高校2年に上がった今年の4月、初めてクラスが別々になった。元々歩遊を邪険にしていた俊史であったから、これを機に歩遊はもう自分が構われる事もないだろうと思っていた。
「歩遊」
  けれど歩遊が俊史にこうして呼び止められる回数は、事によると同じクラスだった昨年よりも格段に増えていた。
「どこって…帰ろうかなって…」
  生徒会に所属している俊史とは違い、歩遊は部活にも入っていない。常に周囲に人がいて忙しそうな俊史とは対照的に、歩遊は帰る時もいつも独りだった。
  ただ最近はそれを悲しいとも思っていないのだが。
「いつも何処へ寄っているんだ」
「え…」
  そんな歩遊に俊史は更にイライラを募らせたような顔になり、威嚇するような鋭い眼で睨みつけてきた。ただでさえ釣り目勝ちの俊史がそうやって見下すように見据えてくると、歩遊はそれだけで竦み上がってしまう。子どもの頃から「俊史には逆らうな」という暗示を掛けられている事もあり、歩遊はただでさえ小さな身体を一層縮め、背中を丸めてぼそぼそと言った。
「どこって…特に、どこも…」
「嘘をつくな。真っ直ぐ家には帰ってないだろ」
「な、何で…」
  そんな事を知っているのだというような顔をして見上げる歩遊に俊史はちっと軽く舌打ちした後、ふと横を向いた。それで歩遊も何となくその視線の先を追うと、その方向からは俊史と同じ生徒会に所属する同級生の戸辺優(とべ ゆう)がやって来るのが見えた。戸辺はその容姿外見から喋り方、性格までもがどことなく男子高校生らしくなく、一部の「可愛いもの好き」な生徒たちの間では男女を問わず人気があり、密かにファンクラブが出来る程の人気者だった。
  その彼は同じ生徒会に所属している俊史とは非常に仲が良く、巷でも「2人は付き合っているのではないか」という噂が流れていた。そんな戸辺が近づいてくるものだから、歩遊は更に気持ちをどんよりと沈ませた。
  高校に上がってからというもの、歩遊は俊史から何かというとこの戸辺と比較され、更なる厭味を言われていたのだ。

  「歩遊は戸辺と違って可愛くない」とか。
  「歩遊は戸辺と違って気が利かない」とか。
  「歩遊は戸辺と違ってやることなすことバカ」……だとか。

  そんな風に比較する事自体が間違っているのだと、そもそも自分は俊史にとって「そういう対象」ではないのだからと、本音ではそう叫びたい歩遊だったが、恐ろしい俊史を前にそんな反抗的な台詞など吐けるわけもなく、いつも黙って俯いていた。
「どうしたの、俊(とし)。早く行かないと会議遅れるよ」
「ああ、今行くよ」
  戸辺が近くにやって来てそう言うと、歩遊に対するのとはまるで違う声色で俊史はそう答えた。そうしてまるで見せ付けるかのように戸辺と肩を並べると、俊史は後は歩遊の事など忘れたかのように黙って去って行ってしまった。ついでに横を歩いている戸辺も何故かちらと嘲笑うかのような視線を歩遊に向けてきたが、歩遊はそれには敢えて気づかないフリをした。「そういう事」をあまり深く考えたくなかった。
「………」
  歩遊は俊史の背中を暫くぼうと見送った後、のろのろと靴を履き、校舎を出た。
  早く「あそこへ」行こうと思った。また胸が痛くなっていたから。



  歩遊の家は両親が共働きだったから、祖母が亡くなってからはいつも独りでいる事が多かった。元々内気な性格に加え、外に出ても俊史に苛められ居場所がなかったから、何をする事がなくとも歩遊は家の中でうじうじとしているしかなかった。唯一趣味らしい趣味に音楽鑑賞があったが、それも自分で楽器を弾くまでの情熱と根性はなかったから、もっぱらCD屋で好みの音楽を漁り部屋で聴くといった程度だった。
「つまらない奴」
  それこそが、俊史が歩遊に下した評価の全てであり、また歩遊をより一層周囲から隔絶させるきっかけとなった棘だった。
「俊ちゃ…瀬能君、何であんなに怒ってたんだろう…」
  誰が聞いているわけでもないのにわざわざ呼び方を変え、歩遊はぶるりと背中を震わせた。
  家に閉じこもり大人しくしていても「つまらない奴」となじるくせに、こうしてたまに外へ出ても、あんな風にキツイ眼をして不機嫌になる。大体、どうしてここ最近学校帰りに寄り道をしていた事が分かったのだろう。先刻はすっかり聞きそびれてしまったが。
「はあ…」
  放課後とは言っても今日は5時限目までだった為まだ陽は高い。駅の通りの商店街も天気のせいもあって賑やかだし明るかった。
「はあ…」
  それなのに歩遊の心はどこかいつまでも重く沈み、暗かった。
  俊史に睨まれると重く鬱々とした気持ちになる。それを何とか振り切ろうと、歩遊は賑やかな大通りを一気に猛スピードで駆け抜けた。







「今日は遅かったんですね」
「シュウさん!」
  歩遊は自分を優しい笑顔で迎えてくれたその青年に嬉しそうに笑い返した。
  そこは歩遊が子どもの頃俊史ともよく遊びに来た場所だった。
  元は海沿いの河川とも繋がっていた奥まった小山ともいうべき所で、戦時中はあちこちに防空壕なども掘られていたらしい。危険だと言って大人はそこにバラセンや鉄柵を設けたけれど、深くて暗いそこは子どもらにとっては絶好の遊び場であったし、その周囲を探検するだけでも臆病な歩遊にはとんでもない大冒険だった。
  それが数年前の大規模な都市整備の際に砂利道が舗装され周囲に広い国道が造られると、その外観も大きく変わった。山は削られ川も埋め立てられて、その面積は半減した。幸い歩遊が俊史とよく行った磯城(しき)山麓にあるブナ林はその原型を留めていたが、周囲に続々と建つ高層マンションや人口公園は何処か別世界を感じさせ、特に祖母が亡くなってからはめっきり近づかなくなっていた。
  それが高校1年の終わり、歩遊は思い出したようにフラリとそこへ向かったのだ。
  その日は歩遊が「俊史と戸辺が付き合っている」という噂を初めて耳にした日だった。
「待っていましたよ、歩遊」
  そんな時だった。
  あの懐かしい場所で歩遊はシュウと出会った。
「いつもの時間を随分と過ぎていたから、もしかして今日は来てくれないのかと心配していたんです。…何かあったのですか?」
「何でも…。ごめんなさい」
「謝る事なんかないです」
  にっこりと笑うシュウに、こんな時歩遊はいつも困ってしまう。ただ何度も何度も首を振った。
  異国の人間だからだろうか、瞳に宿るその緑色も絹糸のようにさらりとした銀の髪も、シュウは何もかもが美し過ぎた。だから歩遊は余計にうろたえて俯いてしまう。元々人と話す事が不得手な上に気の利いた面白い話ができるという自信もないから、心配されたり気遣われたりするとそれだけで歩遊の身体は硬直し、冷や汗が流れてしまう。
「歩遊」
「あ…?」
  けれどそれでも、歩遊が毎日ここへ来てシュウに会いに来る理由が「それ」だった。
「………綺麗」
  大木の根元に腰を下ろしているシュウの隣に自らもゆっくりと座り、歩遊はうっとりと呟き目を閉じた。
  シュウはいつも傍にある葉を使って音楽を奏でてくれた。それは全く知らない曲だったりどこか懐かしさを感じさせる歌だったり、色々だ。
  シュウは草笛吹きの天才だった。その音は繊細なようで力強く、そよ風のように軽いようでいて耳に心地良い感覚をいつまでも残してくれる。
「………」
  今吹いてくれている曲が何というものなのか歩遊には分からなかったけれど、それがどんな無名の音楽家が作曲したものでも、たとえばシュウの自作でも、そんな事はどうでも良かった。歩遊はこの音に誘われてここへ戻った。そしてそこに異国の人シュウがいて、歩遊を温かく迎え入れてくれた。歩遊にはそれだけで十分だった。今まで自分をこんな風に歓迎してくれ温かく包み込んでくれる人はいなかったから。
「歩遊」
  一曲奏で終えるとシュウは歩遊をそっと抱き寄せ囁いた。
「眠いんですか」
「ううん…。あんまり良い曲だから目を瞑ってただけです。シュウさん、いつもありがとう」
「ふふ…。歩遊のように素直にお礼を言ってくれる可愛い子が相手ならば、いつでも何度でも吹きますよ」
「シュウさん。いつも不思議だったんだけど、シュウさんて何をしている人なんですか?」
「私ですか」
「うん…あ、はい。えっと…いつもこの時間にここに座って本を読んだり笛を吹いたりしているでしょう? だから普段は何をしているのかなって」
  シュウは歩遊が見た感じでは成人は越しているように思えた。けれど単なる留学生という風にも思えない。俗人離れしているというか、たとえていうのならば…。
「シュウさんって、何処かの国の王子様みたいですよね」
「王子様…?」
  歩遊の発言にシュウは不思議そうな顔をして首をかしげた。
  歩遊は笑って頷いた。
「うん。だって凄く綺麗だし。ファンタジーの世界からそのまま飛び出してきたみたいな…。あ、へ、変なこと言ってるかな」
「……そう見えるのは」
  シュウはすうっと目を細めて唇の端を上げると、歩遊を自らの胸元に引き寄せ微笑した。
「シュウさん…?」
「歩遊」
「あ…」
  癖のかかった柔らかい髪を何度か撫で付けられた後、歩遊は不意に唇を寄せてきたシュウにキスをされた。驚き目を見開くとシュウは依然として変わらぬ笑みを口元に浮かべたままそっと言った。
「私が綺麗に見えるのは歩遊が綺麗だからですよ。……試しにお友達を連れて来てご覧なさい。そう…歩遊に似つかわしくない、心の奥に暗い闇を棲ませているあの者を」
「え? 誰…?」
「お友達ですよ、歩遊の」
「友達…。僕、ちゃんとした友達っていないから…」
  自分で言ってズキリと胸を痛める歩遊をシュウは静かに眺めた後、再度唇を寄せてきた。
「わ…シュウさ…」
「好きですよ、歩遊」
「……っ」
  どうしてかシュウに逆らう事が出来ず、歩遊はされるがまま唇を重ねた。誰かとキスをするなど勿論これが初めてだったのだけれど、不思議な事にシュウにこうして抱き寄せられる事も唇を寄せられる事もとても初めてとは思えなかった。シュウに包まれていると感じると歩遊は落ち着き、そして先刻まで緊張していた気持ちもどこかへ消え、ただじっと身を寄せ目を瞑った。

  帰りが遅くなったらまた俊史に叱られる。

  いつでも心に引っかかるその制約があるというのに、歩遊はシュウに縋って離れる事ができなかった。
「心配なら」
  するとシュウが心を読んだようになって囁いた。歌っているような声だった。
「それなら彼も連れて来なさい。…私も楽しみだ」
「どうして…」
  言いかけたものの、歩遊は突如襲ったまどろみにそのまま目を閉じた。気持ちが良い。シュウの傍にはいつでも素敵な魔法が掛けられているようだった。
  温かな昼下がり、歩遊はとても幸せな気持ちで暫しの深い眠りに入った。







  家に帰り着いた時、辺りはもう真っ暗になっていた。
  もっとも両親共に帰りは遅いし、ひどい時は帰ってさえ来ないのでそれを咎める者は家にはいない。
  家の中には。
「歩遊」
「わっ…」
  けれど、ドアの前で鍵を出そうとカバンを漁っていた歩遊の後ろから俊史が声を掛けてきた。歩遊は驚いて飛び上がった。
「何処へ行っていた。こんな時間まで」
「瀬能君…」
「………」
  眉をひそめ、むっとした顔を見せる俊史に歩遊は恐ろしさで竦みあがった。ただでさえ俊史の事は怖いと思っているのに、この夜の闇だ。相手の顔もただ不快なオーラだけが強くて後はよく見えないし、それがより一層恐怖心を煽った。
  だから歩遊は意味もなく「ごめん」と先に謝り、項垂れた。
「どうぞ…」
  鍵を開けドアを大きく広げると、俊史は当然のように中に入ってきた。
  パチリとリビングの電気をつけ、これまた偉そうに革張りのソファに腰を下ろす。歩遊は所在なさ気に部屋の入口に突っ立っていたものの、たぶんこうして何もしていないとまた俊史に怒られるだろうからと、仕方なくカバンをそこへ置いて自分もソファに歩み寄った。
「座れよ」
  我が家のような振る舞いで俊史は自分の隣を指し示した。
  そうして歩遊が大人しく腰を下ろすのを見届けてから続ける。
「さあ聞いてやる。何処をうろついていた」
「……し、磯城山のとこ」
「磯城山?」
  怪訝な顔をする俊史をちらちらと見ながら、一体どうしたのだろうと歩遊は思った。去年まではそんな事もなかったのに、クラスが別々になってから俊史は歩遊の行動をいちいち気にするようになった。部活も委員もなく逸早く家に帰り閉じこもる時でも何をしていたのかと確認し、たまに外出をすれば「何処へ行っていたのか」としつこく訊く。最近はシュウに会いにあの森へ行っていたから帰りも大分遅かったし、俊史も間近に迫った体育祭の打ち合わせで忙しいのかあまり顔をあわせることもなかったのに。
「歩遊」
  そんな事を考えていた歩遊に俊史が言った。
「何しに行っているんだ。あんな所」
「あそこ…昔、よく遊びに行ったから」
「だから?」
「だから…懐かしくて」
「……フン」
  バカバカしいと言わんばかりの顔で俊史はソファに深く座り直し、長い足を組んだ。俊史はよく「過去にしがみつく奴は嫌いだ」と言っていた。だから今更あの場所へ行っていると言う自分を軽蔑したのだろうと歩遊は思った。
  案の定俊史は嘲るように言った。
「お前はとことん暇な奴だな。何をする事もないから、昔の遊び場探索か? けど、あんな所、今なんか余計何もないだろう。木も大分削られて慰み程度の公園が傍に出来たんだろ」
「うん…。でも、奥の方の木はまだあるよ」
「木?」
「うん。一番大きくて落ち着く木。名前は知らないけど」
  俊史に苛められ仲間からも除け者にされた時、歩遊はよくその太い根の張った大木の下でぐずぐずと泣いたものだった。その根に身体を預け目を閉じると、柔らかい風と清浄な空気の中でひどく落ち着いた気持ちになれた。そこで一眠りすると先刻まで暗くいじけていた心も晴れ、「いつまでいじけてるんだ」と偉そうに迎えに来る俊史にも笑って一緒に帰る事が出来た。それでいつも1日を無事終えられていたのだ。
  それは歩遊にとって寂しくも心地良い思い出だった。
「そういえば…。シュウさんはいつもあの木の近くにいる。シュウさんもあの木が好きなのかな」
「シュウ?」
  俊史が尖った声を上げた。歩遊は気づかずに頷いた。
「最近知り合ったんだ。シュウさんって外国の人。草笛が凄くうまくて、あと歌もうまいんだ。優しくて凄く綺麗な人だよ。……友達なんだ」
  どうしようかと躊躇いながらも、歩遊は「友達」という言葉を使った。シュウとはそういった関係ではないような気もしたが、他に表現の仕方を知らなかった。
「……何だそれ」
  すると俊史が今日一番の殺気立った声で呟いた。
「シュウ? 外人? 草笛がうまいって…歩遊。お前は一体何を言っているんだ」
「何って…だから、いつも会ってる…」
「いつも?」
「う、うん…」
  組んでいた足を解いてこちらに顔を寄せてきた俊史に歩遊は驚き思わずどもった。何かまずい事でも言ってしまったのか。どぎまぎしていると、キッとした眼が鋭く歩遊の怯えた双眸を捕らえてきた。
「どういう奴なんだ。何をしている奴だ。毎日って…お前は馬鹿か」
「な…何で?」
「何で? 何でじゃないだろ。そんな得体の知れない奴と森で会っているだと? お前、そいつに何かされてんじゃないのか? ただ会ってるだけなわけないだろ」
「何で…ただ会ってるだけだよ…。ただ…あ…」
  しかし今日はキスをされてしまった。
  抱き寄せられ「好き」だとも言われたが、あれは…あれは今思うと一体どういう意味だったのだろうか。
「…………」
「……何かされたのか」
  黙りこみ考えあぐねたようになる歩遊に俊史が今にも怒鳴りちらしそうな顔で凄んできた。
  歩遊ははっとして慌てて首を振り、それから「何でもない」と繰り返した。
「シュウさんは良い人だよ。いつも僕の話聞いてくれて、笛教えてくれたり…。僕は耳がいいって。僕、人に誉められた事なかったから…」
「だからほいほいと見知らぬ輩に懐いて何されても従ってるのか」
「ぼ…僕、別に…!」
「別に何だ。お前はそいつが何者かも知らないだろうが。それに何だ、その顔は。俺に文句があるのかお前は。え、歩遊?」
「………」
「これだからお前は…。戸辺の方が数倍可愛い」
  呆れたようにため息をつきそんな事を言う俊史に歩遊は唇を噛んだ。
  また彼と比べる。
  意味のない事だ。どうして俊史はいつもこんな時、歩遊にとっては友達でも、ましてや知り合いですらない戸辺の名前を出すのだろう。気が利いて可愛くて、友達も多い、人気もある…何でも持っている彼を引き合いに出されると、歩遊は既に慣れたつもりでいてもやはりずきりと痛む気持ちを抑えられなかった。
「………瀬能君には関係ないじゃないか」
  だから思わず呟いていた。
「何だと?」
  ぴくりと肩先を揺らす俊史をなるべく視界に入れないようにして歩遊は言った。
「だって……そうでしょ。何で瀬能君、そんないつも煩く訊くの? ただ幼馴染ってだけじゃないか…隣に住んでるってだけで…」
「……お前のお袋さんに頼まれているからだ」
「………」
  これも俊史の常套句だった。歩遊は下を向いたまま首を振った。
「そんなの適当に答えておけばいいよ…。僕だってもう子どもじゃないし…。同じ年の瀬能君に面倒見てもらわなくても平気だよ。瀬能君だって僕なんかとこうしてる時間があるなら戸辺君と一緒にいればいいじゃないか。その方がいいだろ」
「……歩遊。テメエ」
「…っ!」
  俊史が「テメエ」と言い出したら臨界点だ。歩遊はそれをよく知っていたから思わず座っていたソファから腰を浮かした。
「あ…っ」
「歩遊」
  けれど素早く察した俊史に腕を掴まれ、再びソファに引き戻された。
「う…」
  近づいてきた顔をまともに見られず、歩遊はぎゅっと目を瞑った。
  けれど俊史はそれすら許してはくれなかった。
「歩遊。俺を見ろ。歩遊のくせに、よくも俺にそんな口を利いてくれたなぁ?」
「だ……」
「関係ない? 煩いだと? この野郎…」
「だっ…て…」
「歩遊、答えろ。そのシュウという奴に何かされたのかされてないのか。正直に答えないと酷いぞ」
「……っ」
「歩遊!」
「キスされた!」
「な…」
  絶句し力を弱めた俊史の隙を練って、歩遊は素早くそこから抜け出した。目じりに涙が浮かんでいたが、ハアハアと肩で息をしながら精一杯俊史を睨んで見せた。
「キス、したんだ…! でも、それが何? 男同士だってバカにするならしてもいいよっ。でも僕もシュウさん、好きだし…! 瀬能君には関係ないよ!」
「歩――」
「シュウさんは僕のこと認めてくれたんだ! 俊ちゃんとは違うよ!」
  居た堪れなくて歩遊はそのままリビングを飛び出した。
  一段飛ばしで2階へ駆け上がり、自室に閉じこもって布団を被る。怒り心頭の俊史がいつドアを蹴破ってやってくるかと最初こそ恐怖で丸くなっていたが、俊史はいつまで経っても歩遊の所へやって来ようとはしなかった。
  歩遊はそれを不思議に思いながらも安堵し、やがて深い眠りに落ちた。



 

後編へ…