―2―



  俊史にも買いたい本があるなど、嘘だろう。
  翌日、昼食を一緒に済ませてから2人は本屋へ向かったが、歩遊がどれにしようかと悩む間もなく、俊史がざっと何冊かを物色して「これにしろ」と決めてしまった。いつも歩遊の勉強を見ている俊史が選ぶものなのだから間違いはない。ないのだけれど、歩遊が取り組む問題集なのに俊史が一方的に決めてしまうのはどうなのか…とは、恐らく大勢の人間が思うところだ。
「ありがとう」
  しかし当の歩遊は素直にそれをありがたがった。単純に、「俊史に選んでもらえて嬉しい」と思えるのだ。俊史が良いと言うのだから良いに決まっている、これでまた今日から頑張ろう、今から解くのが楽しみだと張り切った気持ちにすらなれる。
  ただ、折角来たのだからと、その後も歩遊は傍にあった大学受験ガイドをちらりと眺めたり、買う予定のなかった英語の問題集にも手を伸ばした。現時点で、歩遊は文系進学を考えているから、本来なら数学よりも英語や国語の方が大事だ。昨年末から急に数学が楽しくなって、実際成績も伸びてきたから、国公立大学も視野に数学の勉強も引き続きするつもりではあるが、これからはもっと英語に力を入れねばならないと分かっている。
「これも」
  そんな考えが伝わったのか、不意に俊史が隣から、歩遊が手にしていたものとは別の長文問題集を差し出してきた。数学ほどではないにしても、英語の読解問題も苦手だ。分厚くはないがレベルの高い塾が出している有名な本だったので歩遊が躊躇すると、俊史が推し量ったように言い添えた。
「今のお前ならこのレベルでも解ける。これにしろよ」
「えっ…本当? 僕でも解ける?」
「そんなこと嘘言ってどうするんだよ」
「だって1月の模試も悪かったし…」
  あの別荘から帰ってすぐの模試はロクに勉強できないまま挑んだこともあるが、とにかく壊滅的な出来であった。それを思い出して歩遊がしゅんとすると、俊史はそれも全て分かっていると言わんばかりの速さで、「あれはお前の実力じゃなかった」と即答した。
「あの時の結果は忘れていい。春休みにまた私大模試あるだろ、あれ受けろよ。俺も受けるから」
「え、あ、うん。でも…」
「何だよ」
  直接的な言い回しではないにしろ、「俊史から評価されている」ということがよく分かり、歩遊は調子を狂わせて口ごもった。何だろう、嬉しいのだが、それ以上に戸惑ってしまう。俊史からはいつもお前なんか全然駄目だ、もっと勉強しろ、油断するな――。そんなことばかり言われ続けてきたのに。
「俊ちゃん…」
  そんな風に、次の模試で結果を出せる、だから大丈夫だと思ってくれて嬉しい。問題集も敢えて難しいものを選んでくれて嬉しい。…そう伝えようと思い、ドキドキしながら歩遊が顔を上げると、しかしそれとほぼ同時に、俊史の尻ポケットに入っていた携帯のバイブが震える音がした。
「…………」
  店内だからというのもあるだろうが、俊史は携帯を取り出しはしたものの、すぐまたそれをしまってしまった。どうやら問答無用に切ったらしい。しかし電話は今だけでなく、歩遊の家にいた時も何度か鳴っていたのに、俊史はそれらを悉く無視していた。
  だから歩遊は「触れて欲しくないかも」とは思いつつも、つい口を開いて訊いてみた。
「出なくていいの?」
「ああ」
「でも、出掛ける前も電話あったみたいだし…大丈夫? もしかして本当は今日用があったのに、僕が本屋付き合って欲しいって言ったから――」
「お前は関係ねーよ、余計な心配してんな」
「でも」
「いいんだよ。それより、他に何か買うものあるか? 問題集だけでいいのか?」
「え、うん、僕は…。俊ちゃんは?」
「俺もいい。欲しいのなかった」
「そ、そうなの…? あっ」
  歩遊が言いかけている間に、俊史はさっさとレジへ行ってしまった。気づけば歩遊が持っていたはずの問題集が2冊ともない。ハッとした時にはもう遅い、俊史はいつものように自分が会計を済ませると、そのまま振り返りもせず店を出てしまった。
  歩遊はその後を慌てて追った。
「しゅ、俊ちゃん、お金!」
「帰ったらな」
「そう言って、また受け取らない気でしょ!?」
「受け取るよ。お前、ヤなんだもんな、俺に買われるの」
「分かっているなら―…」
  何でも買ってくれるのはやめて欲しい、そう言おうとした瞬間、再び俊史の携帯が震えた。
  歩遊がそれに驚いて固まると、さすがの俊史もあまりのしつこさに辟易したのか、舌打ちしながら今度は電話をとった。
「うるせーな!」
  第一声があまりに乱暴なそれだったので、電話の主は戸部だろうとは歩遊にもすぐ分かった。俊史は大人しく待つ歩遊から背を向けて、依然として乱暴な口調で「知るか」とか「俺には関係ない」などと言っていたが、戸部も珍しく食い下がっているのか、その不穏な問答は暫し続いた。ただその会話の中で俊史が、「だから俺は、今日は用があるって言ってんだろ!」と怒鳴ったので、これには歩遊もぴくりと反応し、まじまじとその苛立つ背中を見つめてしまった。
  やはり俊史は、もしかしなくとも今日、予定があったのだ。それなのに歩遊が昨夜になって急に本屋のことを持ち出したから、俊史は戸部との約束をいきなり反故にした?
「俊ちゃん…」
  思わず不安そうに名を呼ぶと、俊史も「しまった」と思ったのだろう、一瞬罰の悪い顔を見せると、「とにかく俺は知らねぇ!」と電話向こうの戸部に叫び、また一方的に電話を切ってしまった。
  長閑な休日の商店街通りだが、2人の間にだけ気まずい空気が流れる。歩遊は一歩だけ俊史に歩み寄り、未だ自分から背を向ける恋人に恐る恐る訊ねた。
「俊ちゃん、今日本当は戸部君と会う約束していたの?」
「……だったら?」
「僕のせい? 僕が本屋行きたいって言ったから。だから戸部君との約束破ったの? それで戸部君は怒っているの?」
「別に怒ってねーよ、俺とだけ約束していたわけじゃねーし。ただ、そいつも1人でどっか行ったらしくて家にいないから、俺に何か知らないかって訊いてきただけだ。俺が知るわけねーっての…」
「そいつ? 戸部君だけじゃなくて、他の人とも約束していたの? あ、やっぱりアメリカから来た子の案内があったの?」
「ねーよ、今日のは義務じゃない。戸部たちが勝手にそいつと約束しただけで、俺は元から行くつもりなかった」
「でも最初に戸部君たちと約束していたのなら…」
「お前はいいのかよ?」
「え?」
  強く言い返されて歩遊は驚き、思わず口を噤んだ。
  すると今度は俊史の方が勢いこんで、歩遊の元へぐいと近づき訊いてきた。
「俺がお前放っておいて、別の奴の所へ行ってもいいのかって訊いてる。先とか後とか関係ない。ここでは俺が、お前かあいつらか、どっちを優先するかってことが問題なんだろう」
「どっちを…?」
  歩遊が狼狽して口ごもると、俊史はもどかしそうに身体を揺らした後、自ら先に答えを言った。
「俺はお前を優先した。俺がそうしたいから、そうした。それが何か悪いか」
「…………」
  悪いことなど何もない。とても嬉しい。歩遊は率直にそう思った。
  それでも何故かその「嬉しい」という一言をすぐに伝えられなかった。何故だろうと思う。急に昨日の戸部の言葉が蘇った。お前は俊史に甘え過ぎている、俊史はこんなにもお前のことを考えて何でもしてやっているのに、お前はどうなのか。恋人という称号だけを貰って、しかしそれに見合ったことを何ひとつしていないのじゃないか?と。
「歩遊、ちょっと待ってろ」
「…え?」
  ただ、俯いて困っていると、不意に俊史が口調を変えてそう言い、どうしたことかサッと歩遊の横を通り過ぎて行ってしまった。
「俊ちゃん?」
  歩遊が慌てて振り返り、その方向を見ると、明らかにこちらを見ているひとりの人物がすぐさま視界に入った。歩遊は驚いた。休日ということもあり、通りにはたくさんの人が行き交っている。歩遊たちがいるこの商店街通りは特にそうで、忙しなく歩く人々やウィンドウショッピングを楽しむ人など、基本的にごった返している。
  それにも関わらず、こちらを真っ直ぐに見つめていた彼女のことは、まるでそこだけ切り取られたかのように目立っていて輝いていて、自然と目が吸い寄せられた。
「綺麗…」
  歩遊は思わず呟いた。彼女は黒のキャップを目深にかぶっていて、実際遠目からは然程はっきり顔が目視できるわけではない。けれど、「分かる」。細身のすらりとしたモデル体型に目鼻立ちの整った小さな顔。さらりとした黒髪を背中にまで垂らし、ただのどこにでもある街角にいるだけなのに絵になっている。
  その少女は、俊史が近づくとあからさまほっとしたような顔を見せた。先ほどからこちらを見ていたようだから、少女と俊史は知り合いなのだろう。彼女は痩身の身にぴたりと合うスキニーパンツを履き、黒のスニーカー、黒のモコモコアウターを着ていた。可愛らしい花のついたピンクのショルダーバッグがなければボーイッシュ寄りのファッションだが、どこからどう見ても可愛らしい。背の高い俊史が並ぶと余計に映える。現に、道行く人たちも半ば驚いたようにちらちらと二人を見ながら通り過ぎて行く。誰もが思っているのだろう、何てお似合いな美男美女カップルなのかと。
  実際、遠目で2人を見た歩遊とてそう思ったのだ。お似合いだ、と。カッコイイ俊史と可愛い女の子。何を話しているかは知らないが、少女は俊史に話しかけられて明らか嬉しそうに照れ笑いを浮かべているし、俊史も先刻歩遊に怒ったような顔は見せていない、柔らかい表情で接している。
(う…何だろ…)
  歩遊は咄嗟に自分の手を胸元に当てた。少しそこが痛いような気がしたからだ。
「歩遊」
  そうこうしている間に、俊史が少女を連れて戻ってきた。歩遊はどぎまぎした。元々人見知りだが、俊史の知り合いと対する時の緊張はより大きい。しかもその少女は、俊史よりは低いが、歩遊よりは背が高い。しかもこの強烈なオーラ。ああそうかと、ここで歩遊はようやく気がついた。この子こそが噂のアメリカから来た美少女仮入学生だと。黒髪のせいで思い至るのが遅くなったが、近くで見ると彼女の瞳は青みがかっている。それがまた美しくて、引き寄せられるような色で、歩遊は不躾にもまじまじとその瞳を覗きこみ、ぽーっとしてしまった。
「何見てんだよ」
  しかし当然の如く、俊史からは頭を叩かれ怒られた。ハッと我に返ると、彼女は歩遊に見られ過ぎたせいか、困ったような様子で頬をひきつらせていた。無理に笑おうとして失敗したようだ。
「ご、ごめんなさいっ」
  慌てて謝り、頭を下げると、少女は同じように焦ったのか身体を揺らし、「イーデスイーデス!」と日本語で言った。驚いて顔を上げると、彼女は未だぶんぶんと大袈裟に両手を振り、「ダイジョブデス!」と、やや発音に違和があるものの、歩遊にも分かる言葉を繰り返した。
「日本語…っ」
  ほっとしたが、意表をつかれて戸惑う気持ちが全く引かない。歩遊が助けを求めるように隣の俊史を見上げると、そこには実に嫌そうな、苦虫を噛み潰したような顔があった。自分で彼女を連れてきたくせに、俊史は明らかこの状況を好ましく思っていないようだった。
  それでも2人を引き合わせた手前、だんまりを決め込むわけにもいかないのだろう、俊史は「イヤイヤ仕方なく」という態度で両者を紹介した。「こいつは歩遊、この人はライリー」と。それは本当に適当としか言いようのない紹介の仕方で、当の2人も唖然としたほどだ。しかしどちらも俊史に文句を言おうとは思わないのか、それぞれが頭を下げて「こんにちは」「ハジメマシテ」と言いあった。
  先に安心して気が緩んだのは歩遊だった。美少女ライリーが少なからず日本語を話せると分かった上、最初に感じた派手そうな印象とは裏腹に、彼女が歩遊を気遣うような所作を見せてくれたから。人見知りとは言え、元々人好きのする歩遊である。気持ちを落ち着かせると、歩遊はライリーにいつもの笑顔を見せることもできた。
「ライリーさんは、ここで何をしていたんですか? 家…、あ、ホテルかな? 泊まっている所、この近くなんですか?」
「イイエ、違イマス。家、モチョット遠イ。私、ショッピング。買イ物、ニ、来マシタ」
「買い物!」
  歩遊は感心して思わず声が大きくなった。自分だったら外国へ行ったとして、いきなり地理も分からぬ街を独りで歩こうと思うだろうか。ライリーは日本語が分かるようだから、その点では然程臆せずに済むのかもしれないが、歩遊なら例えその国の言葉が分かったとしても、早々できることではないと思う。
  第一、少し落ち着いて接すると、ライリーは歩遊が思う「外国人」とは少し違って見えた。もっと明るくグイグイ話すような人を想像していたが、むしろ伏し目がちで恥ずかしがり屋に見えるし、声も、とても上手な日本語なのに、消え入るほどに小さい。自信がないのだろう。先ほど焦っていた時に出していた声は多少大きかったが、今は歩遊とも俊史とも目を合わさない。要は、堂々と臆せず街を探索するタイプには見えない。
「買い物って、何を買おうと?」
  だから歩遊は親切で訊いてみた。もし何か目的のモノがあってそれを探しているのなら、連れて行ってあげた方が良いと考えたからだ。
  しかし、その親切心を。
「お前、うるせーよ」
  俊史がまた歩遊の頭を叩いてきた。如何にも「余計なことは言うな」と言わんばかりの顔だ。歩遊は頭を抑えながら多少恨めし気に俊史を見上げ、「だって…」と言いかけたが、それはものの見事にスルーされてしまった。俊史はライリーの方に向き直ってしまったから。
「戸部……優、呼ぶ? あいつら、探しているみたいだよ」
「ヒャア! Don't do that! ヤバイ、ヤバァーイ!!」
「………」
  俊史が絶句して黙るところを歩遊は初めて見たと思った。実際歩遊もライリーの突然の絶叫にぎょっとしたわけだが、彼女は彼女で、戸部の名前を聞かされた途端いきなり挙動不審となり、先刻とは比べ物にならないくらいの動揺を見せ、両手や頭をぶんぶんと振った。そんなとんでもないことは絶対にやめて欲しいと言わんばかりのリアクションで、その理由は分からないながら、訴えたいことだけは実によく分かる態度だった。恐らく昨日してもらった案内の際に彼らと何かあったのだろうが、当然のことながら歩遊にその訳を訊く余地は与えられない。俊史は「ああ、そう」と素っ気なく返すと、「じゃあ」とそのままライリーに別れを告げて踵を返した。
  それに対して歩遊とライリーはまた同時に驚き、「エッ」と思わず声を上げてしまった。
「……っ。何2人で合わせてんだよッ」
  これには俊史も予想していなかったようで、ツッコミ返すように声を上げた。しかしツッコミたいのは2人も同じで、これまた同時にしどろもどろながら各々が言う。
「だってライリーさん、独りだけで買い物するの、分からないかもしれないのに」
「トシ、案内、オ願イ…!」
「え?」
「Oh…」
  そしてこの言葉に歩遊とライリーは思わず顔を見合わせた。どうやら歩遊はライリーを独りにさせては可哀想だと思ったし、ライリーも実は道が分からず困っていたというのが発覚したから。しかもよくよく聞くと、ライリーは昨日の帰りに俊史の家の最寄り駅を知り、俊史を頼ってここまで来たのだと言う。それなのに電話に出てくれないから途方に暮れていたと知り、歩遊は咄嗟に俊史を見やった。戸部はともかく、右も左も分からない女の子を放置する気だったとは。さすがに信じられないと責める気持ちがしたが、当の俊史は罰が悪いのか歩遊の方は見ず、「どうせお前なら独りで行けるだろ、執念で」と訳の分からないことをぼそりと言った。
「俊ちゃん、案内してあげようよ。ライリーさん、わざわざ俊ちゃんを頼ってきたのに」
「フユ、アリガト〜…」
  ライリーが感動したように礼を言って微笑んだ。歩遊はその笑みに思わず赤面してしまい、腑抜けたように笑い返したのだが、勿論、その空気が長く続くわけもない。
「分かったよ!」
  あからさま2人の間に割って入った俊史が「だから嫌だったんだ」と言わんばかりの顔ながら観念した台詞を吐いた。そうしてキッと歩遊を見やると、「来い」とライリーの手を取り、歩き出す。歩遊は驚いて固まり、後を追うのが遅れた。ライリーを道案内することは歩遊も望むことだし、ライリーもあんなに喜んでくれた。だからそれで良いはずである。しかし、俊史は不機嫌だし、その俊史がライリーの手を握って歩き出すし。
  そんな2人を見てしまうと、忘れていた先刻の痛みがまたぶり返すような気がして。
「何だろこれ…」
  嫌だなと歩遊は思った。それでもグズグズしていては2人と距離ができてしまう。歩遊は慌てて2人の後に続いた。





  ライリーが行きたい場所というのは、アニメやゲーム、漫画のキャラクターのフィギュアが売っている繁華街の一角、10階建てビルの地下にある小さな店だった。何故アメリカに住んでいるライリーがこのような、日本人でさえ一握りの人間しか行かないような店を知っているのか甚だ謎であったが、今はネットでいろいろな情報が探れるし、それを元に知ったのかもしれない。
  駅までとは言われたものの、入り組んだこの店を土地勘のないライリーが一人で探すのは骨だったに違いない。結局、電車を乗り継ぎ、店の前まで案内してやった俊史は、「帰りもどうせ分からないだろうから」と、通りの前にある喫茶店で待っているからとライリーに言った。彼女はそれに大いに感謝し、買いたい物はもう決めてあるから然程長くはかからない、すぐに行ってくるからということを恐らく言い置いて店内に消えて行った。そうした早口は英語だったので歩遊には何を話していたのか分からなかったが、おおよそはそういうことだろうと思ったのは、俊史がちらりと時計を眺めた後、「嘘つきが」と呟いたからだった。
  俊史は珈琲、歩遊はクリームソーダを注文して窓際の席でライリーの戻りを待ったが、1時間ほど過ぎても彼女は店から出てこなかった。歩遊は段々とそわそわしてきて、俊史を伺い見た。
「お店に行かなくて大丈夫かな?」
「放っておけ」
「でも何か遅くない? 買う物、決まっているって言っていたんでしょ? あ、お金の支払い方法が分からないとか…」
「カード精算できる店だから大丈夫だ。遅くなっているのはどうせテンション上がって店員とでも話しこんでいるんだろ。あの店見たら分かるだろ、あいつは正真正銘のオタクなんだよ、しかも相当濃いオタクだ。そんな奴があんな店に入って、30分で出て来られるわけないんだよ。30分って自分で言ったくせによ。ったく、あの大ウソつきが…。そもそも昨日も…」
  ぶつぶつと文句を言う俊史の話を総合すると、ライリーはその華やかな見た目とは違い、実際は独りの部屋で大好きなアニメのフィギュアを眺めたり、写真を撮ったりするのが趣味とのことで、それを知らない理事長からは俊史たち生徒会の人間をあてがわれたものの、彼女にしてみたら、「自分とは明らか種類の違う人間たち」に囲まれて大変困惑したのだと言う。必死に外向けの顔で対応したし、外見の可愛らしい戸部は「目の保養」でそこはありがたかったが、「ずっと一緒にいたら精神がもたない」と、帰り道が最後まで一緒だった俊史にだけ、彼女は「自らの素性」を告白したとのことだった。
「おたく…なの? 何の…って、あぁフィギュアのか。そういうのが好きなのか」
「元々母親の母親が日本人だとかで、一家揃って日本フリークなんだと。だから小さい頃からこっちのアニメとか漫画が好きだと言っていたな。親の仕事の都合で日本に来ること自体は初めてらしいけど、あいつの日本語、結構上手かっただろ」
「結構なんてもんじゃないよ。僕、安心したもん。英語しかできなかったらどうしようって、会った時は緊張したし」
「嘘つけ、あいつの顔見てぼーっとしていたくせに」
「え!? だ、だってそりゃあ…あれだけ綺麗なら見惚れたりするでしょ?」
「俺はしない」
  きっぱりと言う俊史に驚いて歩遊が目を瞬かせると、当の俊史の方は歩遊を真っ直ぐに見やったまま、さらに追い打ちをかけるように続けた。
「お前はするのかよ。別の奴に見惚れるのか。俺はしない。例えお前が、俺以外の奴に意識を逸らしても、俺は絶対、そうはならない」
「しゅ…」
  どうしたのだろう。俊史がおかしい。こんなにストレートに言う人だっただろうか。歩遊はどぎまぎした。直接口にはしないが、さすがの歩遊にも分かる。俊史は、歩遊以外の人間に見惚れたり、意識を逸らすことなどないと言いたいのだ。例え歩遊が別の綺麗な女性に視線を向けたとしても、自分がそういう風になることはないと。
「……っ」
  いろいろと後ろめたくて歩遊は思わず俯いた。歩遊は昨日戸部に言われたことが心配だったし、実際、今日、俊史とライリーが向かい合って話しているところを見たり、手を繋いで自分の前を歩いているのを見ただけで胸が痛んだ。歩遊とて俊史が他の人に目を向けたり親しくしたら嫌なのだ。それなのに、自分はライリーの美しい外見にぼーっとしたり、微笑みかけられて赤面した。
  そのくせ、俊史とライリーとの間にモヤモヤとするなど勝手にも程がある。
「ごめん…」
  だからぽろっと謝罪の言葉が口に出たのだが、俊史は当然のことながら納得しない。「何が」とソファ席に寄り掛かり、圧を掛けるように腕組みをする。
  となれば、歩遊はもっと正直に告げるしかない。恥ずかしくとも情けなくとも、包み隠さず言うしかない。
「僕、俊ちゃんが、さっきライリーさんと手を繋いで駅まで行くのを見た時、ちょっと胸が痛かったんだ」
「……は?」
「昨日、戸部君に、綺麗な転校生が来て、その子が俊ちゃんのこと好きになって、俊ちゃんもその子を気になったりしたらどうするって訊かれて…その時はよく分からなかったけど、やっぱり嫌だなって思ったよ。それなのに僕はライリーさん綺麗とか思ったし、見惚れたり…酷いよね。だからいろいろ、ごめんって思って」
「……嫌だったのか? 俺とあいつが手を繋いだのを見て?」
「うん。そう思っちゃった。ごめん」
「バカ、謝るな」
  俊史は組んでいた腕を解いて身を乗り出してきた。心なしか焦っているような顔だ。
「俺は、お前とあいつが目を合わせて仲良さげにしたから、だからあっちを引っ張ったんだ。お前から離そうと思って。昨日の時点で、お前とあいつは絶対気が合うって分かったからな…。下手したらお前らの方こそがくっつくと思って…」
「え?」
「あいつ、オタクの話している時以外は、基本引っ込み思案だし、いろんな意味でノロマだから、お前と合うと思った。実際お前、あいつと会ってすぐに親近感わいたろ」
「え、うん、それは…。気を遣ってくれて優しいなって思ったし」
「俺の前で別の奴を誉めるな」
「えっ」
  怒られたと思い、歩遊がいつもの条件反射で背筋を伸ばすと、俊史の方はふうとため息をつき、ごまかすように珈琲カップの中身をスプーンでがちゃがちゃとかきまぜ始めた。
  それから少し目元を赤らめてボソリと言う。
「お前……けどさっき言ったこと、本当なんだな?」
「え? さっきって…」
「馬鹿。俺とライリーが一緒なのを見て嫌だと思ったことだ。さっきそう言っただろ」
「あ、うん。それに、手を繋いだことだけじゃなくて、俊ちゃんがライリーさんのこと、もし好きになって付き合うってなったら嫌だなって…」
「……お前、そういうこと、言えるようになったんだな」
「え?」
  歩遊が聞き返すと、俊史はふわりと笑った。これには歩遊の方こそ驚いた。俊史も歩遊が今まで言わないようなことを言ったと驚いたようだけれど、それは歩遊とて同じだ。今日の俊史は何だかいろいろおかしい。俊史基準ではあるが、かなり自分の気持ちを伝えているし、全体的にどことなく素直である。
「俊ちゃん、もしかして今日、機嫌がいいの?」
  だから歩遊は実に見当違いの探りを入れたのだけれど、これは物の見事にスルーされた。しかし俊史はやはり上機嫌なのは間違いなく、「あのオタクに付き合って満更全部が悪いことでもなかった」と呟き、「それにしてもおせーけどな」と、別段怒っている風でもなく窓の外を見やった。
「迎えに行く?」
「ん…まぁ、そうだな。さっさと送って解放されたいしな」
「………」
  俊史の明るい顔を、歩遊はまじまじと見やった。そしてそんな俊史の表情にそれこそ見惚れてしまった。同時に自分の気持ちもぽっと温まる。正直に話したことが良かったのだということも分かった。あんな風にヤキモチを妬いたことを伝えるのはどうかとも思ったが、やはり心にしまうよりも、俊史には隠し事をせずに真っ直ぐ向かうのが正解なのだ。
  気持ちもすっきり、頼んだクリームソーダで身体までスカッとした気分で、歩遊は俊史と一緒に店を出た。
  店内まで迎えに行くと、ライリーも実に清々しい顔をしており、どうやら俊史たちを待たせていることを完全に失念していたようだった。俊史の予想通り、店員らと嬉々として話し込んでいた彼女は、日本で初めてできた友人の不機嫌顔に「アッ」となったが、平身低頭謝りまくった割にはいつまでも腑抜けていた。最初に街角で受けた「美人インパクト」はどこへやら、彼女の「ニヤケ顔」はまるで別人で歩遊もあんぐりしたほどだ。しかもライリーは帰り際も歩遊にしきりと買ったフィギュアを見せつけながら、その一体が「優ニ似テル」と熱弁した。何でも戸部がライリーの好きなアニメのキャラクターに似ていて、だからこそ彼女は戸部と一緒にいると緊張してしまって落ち着かないのだと。
「戸部に夢見過ぎ。現実知ったら絶対ショックを受けるぞ」
  ライリーを理事長宅まで送った後、俊史は帰りの道すがら歩遊に笑いながらそう言った。それで歩遊も可笑しくなって笑い返した。誰かのことを一緒に話してこんな風に2人で笑いあうことなど、これまであっただろうか。歩遊はそれに有頂天で、思わずといった風に俊史の手をぎゅっと握った。暗くなっているとはいえ、まだ通りにも人がいる公道だ。俊史の方が驚いて歩遊を見たが、歩遊は無頓着だった。だから暫くして俊史がその手を強く握り返してくれたことも、ただ嬉しいとしか思えなかった。




後編へ…