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カララン、と。
乾いた鈴の音と共に入ってきたその日の客は、いつもと大分勝手が違った。
「酒」
店の入口から一番近くの席に腰かけて、その青年はメニューを持ってきた雪也をちらとも見ずにそう言った。
「酒…くれよ」
青年は埃っぽい黒のジャケットにTシャツ、膝の破れたジーンズを穿いていた。足元には小さなボストンバッグが1つ。テーブルにだらりと置かれた手の甲は、何処で何をしてきたのかだらりと赤い血が出ていてひどく痛々しかった。
雪也はどうしようかと一瞬迷った顔をしたが、青年の前にメニューを開いたまま一旦その場を去ると、カウンター席にいる女主人に声を掛けた。
「救急箱お借りします」
「ん…? ああ、奥の部屋にあるよ」
熱心に読書に勤しんでいた気のいいその店のオーナーは雪也の問いかけにあっさりと答えた。
しかしそれを咎めるように、席に座っていた青年は突然顔を上げるとぶっきらぼうに言った。
「酒、まだ?」
余計な事をするなと言わんばかりの様子で雪也を睨みつけた青年は、しかしひどく端麗な顔立ちをした所謂美形であった。相手を威嚇する激しい眼光すら周囲を魅了するような光を放っている。
「……っ」
雪也はそんな青年に再度困ったような顔をして、何事か物言いた気にちらとテーブルに置いてきたメニューに視線をやった。
「……? …何だよ」
青年は不機嫌そうな顔をしつつ、雪也の様子に気づいて目を落とす。
メニューに書かれてあるものは、1つだけ。
「特製コーヒー・トウドウブレンド…? これしかねえのかよ…」
不服そうに言う青年に女主人は知らぬフリで本を読んでいる。
雪也は急いで救急箱を取りに行き、戻ってきて青年の前にそれを置いた。
「別にいい」
「でも…」
「それより、コーヒー」
「………」
「酒、ないんだろ?」
「………」
雪也は開きかけた救急箱から手を離すと、分かったというように再びカウンター席に向かった。
が、しかし。
「……それと、もう1つ」
「……?」
青年の呼びかけに雪也は振り返った。
青年はそんな雪也を見つめながら言った。
「ここの主人の背中。見せてくれ」
「!」
「……見せてくれ」
「……オーナー」
青年の台詞に雪也が驚きながらも主人を振り返ると、先刻まで読書に勤しんでいた主人はすっと立ち上がり頷いた。
「来な…。部屋に案内するよ」
こうしてホテル「淦」に新しい住人が加わった。



To be continued…