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「朝食と夕食の時間は決まっているから、いらない場合は事前に言って下さい」
2号室の窓を大きく開いて換気しながら、雪也は自分の後ろからやってきて部屋を物色している青年にそう言った。
「それから洗濯物がある場合は下のランドリーに出しておいてくれれば洗います」
「有料?」
「いえ、サービスです」
「あんたがやるの?」
「はい」
幾つかの問答を交わした後、青年は部屋の中央にある緑色の椅子に腰をおろし、てきぱきと動く雪也をじっと見つめた。荷物は入口の所に放り投げている。
雪也はその新しい住人の為に洗い立ての白いシーツでベッドを整え、それから部屋に上がる時に一緒に運んできた救急箱をテーブルに置くと遠慮がちに言った。
「やっぱり傷の手当てはした方が…」
「……別に痛くないんだ」
「でも血が出ているから」
「もう止まった」
「でも…」
「……何なのあんた?」
心配する雪也に青年はひどく胡散臭そうな顔をした。
ふうと大きくため息をつき、傷ついた手の甲をもう片方の手でさする。
「本人が大丈夫だって言ってんだから大丈夫なんだよ。余計なお節介はやめろ」
「あ…は、はい…」
心底迷惑そうな青年のその態度に雪也は俯き、一礼すると慌てて部屋を出た。
あまりに慌てて主人から借りてきた救急箱を青年の部屋に置いてきてしまったのだが、その事に気づいたのは階下に下りて夕飯の支度をし終えてからだった。



「ツルギ? へえ、剣涼一っていうの、あの新しい人。サムライの国の出かな」
「そういうアンタもサムライの国の人なんじゃないの」
「さあどうだろうね」
朝から夕刻までにかけてはただのコーヒーショップである「淦」も、夜も大分遅くの夕飯時になると、ホテル「淦」に住む客たちの食事場になる。
カウンター席の向かいにあるテーブル席、古ぼけた黄色いソファが並ぶ場所にいるのは、1号室の住人・創(はじめ)と4号室の住人・康久(やすひさ)である。各々雪也が作った夕飯に舌鼓を打ちながら、今日来たばかりの新顔について会話している。
カウンター席にいるのは皆の為に果物を剥いている雪也に主人の藤堂。それと1号室の小さな住人・うさぎだ。
話好きの康久はそちらの3人にも話を振りたくて声を大にする。
「この梅雨時に来る客って大抵長くいないんだよな。何だろ、休養かな? 見たところイイトコロの出って感じするし、人生の疲れを癒す為のちょっとした息抜きってところか」
「君はいつまで息抜きしてるつもりだい」
「うっ、何だよその早く出て行けってなオーラは。俺はいいの! 俺はここにいて雪也に構ってるのが幸せなんだから。な、雪也?」
「え? あ、あの…」
「康久。雪也を困らせるんじゃないよ。いい加減、外で彼女でも作りな」
途惑う雪也の代わりに主人・藤堂がびしりと康久に声を掛ける。
また、先刻までもくもくと食事をしていたカウンター席のうさぎが手にしていたフォークをいきなり康久めがけて投げつけてきた。うさぎは康久が雪也にちょっかいを出そうとすると突然凶暴になるのだ。
慣れっことはいえ、テーブルに突き刺さる勢いで飛んできたフォークに康久は大仰に飛び退った。
「うわっち! こ、こらテメエうさぎ! あ、危ないだろーがっ!」
しかし文句を言う康久にうさぎは無表情のまま知らぬフリだ。
「うさぎ」
けれど雪也がたしなめるように呼ぶと、うさぎはぴくりと反応して顔を上げた。
「駄目だろ、そんな危ない事したら。もう絶対にしちゃ駄目だ」
「うん」
「こ、こいつ…雪也にはめちゃ素直なんだよな」
「人徳ってやつじゃない」
「創! 煩ェよ、お前は!」
食ってかかる康久に飄々としている創。その光景にふっと笑む藤堂に、再び食事を再開するうさぎ。
そんないつもの穏やかな光景を見やりながら、雪也はふと、まだ手つかずになっている2人分の食事に目をやった。
2号室の新しい住人、剣涼一と。
3号室の那智(なち)の分である。
「……那智はいつもの事として、あれは食事を摂らない気かね」
雪也の心配そうな表情に気づいた主人がさり気ない口調でそう言った。
「俺、運んで行きます」
多分誰かのその声を待っていたのだろう。
雪也は果物を剥いていたナイフを置くと主人にそう言い、食事の載ったトレイを持ち上げた。
自分の作った料理が口に合うといいのだがと雪也は思った。



To be continued…