(1)
雨のひどい夜だった。
春先にしては肌寒く、吹く風も冷たい。
如月は借り物の傘を差し、やや足早に家路へと向かっていた。
知り合いの古物商と少しばかり話し込んでしまった後だった。普段は近所では勿論のこと、学校でも言葉の多い方ではないから、我ながら珍しかったと如月は心の中で自嘲した。
「 ん……」
そんな帰り道だった。彼と出会ったのは。
闇の中に独り、佇んでいた。
「 君は……?」
知るはずもない。 知った顔ではないということは瞬時に分かった。同じ高校生だということは彼が制服姿であることから分かりはしたが、しかしあの学校は―。
新宿、真神学園。
あの学校に知り合いはいないはずだった。
それなのに如月は声を掛けていた。 見咎めるように、 ただ雨夜の中、暗い道端に立ち尽くす青年を、如月は無意識のうちに呼び止めてしまったのだ。
それが何故かは分からなかったけれど。
「 …………」
如月に声をかけられ、その高校生はゆっくりと振り返った。
質の良さそうな漆黒の髪が艶やかに光って、如月は一瞬目を細めた。 そしてこちらを向いた彼の表情にも。
目を奪われた。
「 …………」
濡れる身体を厭いもせずに、青年はただ黙って如月のことを見つめた。そして長い前髪から見える濁ったような、しかしそれでいて鋭い眼光が、暗に如月に「何か用」と問いただしていた。
「 あ、いや………」
柄にもなく、 如月は言葉を失っていた。
目の前の人間からは敵意があるわけではない。こちらに対する嫌悪があるわけでもない。それでも、拒絶されている。そう感じた。
「 ……すまない。呼び止めるつもりはなかった」
気を取り直して、如月はそれだけを言った。いつまでも呆けているわけにはいかない。相手はこの強い雨の中、ひどく身体を濡らしているし、もし自分の返答を待って立っているのだとしたら、自分はそもそも何を言うつもりもないのだから、待たせるのは忍びない。如月は軽く一礼して、そのままその青年の横を通り過ぎようとした。
けれど、その時。
「 ………翠」
「 ……っ!?」
声が聞こえた気がした。彼が声を出したような気がした。それも自分の名前を呼んだような、そんな気がして、如月ははっとして振り返った。
しかし、彼の姿はもうなくなっていた。
如月翡翠が祖父からこの『如月骨董賓店』を任されるようになってから、 もうどれくらい経ったのだろうか。実は如月当人がその事を当に忘れていた。仮に人から訊かれでもすれば思い出す事くらいは容易なのだろうが、しかし如月にしてみればそんな事はどうでも良いことだから、無理に意識したりはしない。
如月は古い物が好きだ。
何故好きなのか、その理由を語ることも簡単である。しかしこれもまた、如月は誰かに訊かれでもしない限り、好き好んでその理由を語ることはしない。
如月は人と話をすることが嫌いなのだ。 「好きではない」とか、「苦手」とかいう部類のものではないと如月は自分で思っている。
如月は人間が嫌いだ。
話せない者がいないわけではないが、いずれにしろ、心のどこかで遠ざけている。煩わしいと思っている。
だから自分からは近づかない。こちらに近づく者にはそれなりの相手もしようが、自分からそんな面倒な事をしようとは、如月は思わない。
だからだろうか。人からは冷たいとよく言われる。
それでも、店をやっているからには客は来る。人間が来る。
「 おーっす」
如月が戸棚の整理をしていると店の引き戸がガララと勢いよく開いて、1人の客がやってきた。如月は無表情でやってきたその人間を見やった。
その人物は赤い髪をした背の高い高校生だった。この辺りの制服ではない。この制服は。
新宿、真神学園。
「 …………いらっしゃい」
「 あ、おう。ここって色々なもん買ってくれるってホントか?」
赤い髪の高校生はそう言って、きょろきょろとやっていた視線を如月にあわせてきた。肩に木刀を掲げて、何やら陽気そうな表情が印象的だ。
「 物によるが」
如月が素っ気なくそう言うと、その人物は「まあ見てくれよ」と言って、木刀と一緒に持ってきていた大きな袋をどさりと下に置いた。それから如月に背を向け、ごそごそと中の物を物色し始める。
如月はその姿を黙って見やった。
「 まずはこれだ! どうだ、怪しげな面! 仲間うちじゃみんな気持ち悪がって持たなかったんだけどよ、俺はこれ結構な値で売れると思って取っておいたんだ」
嬉々としてその人物は如月に汚れた面を突き出した。
追儺の面か。
「 こういうところってこういう古いもんは値打ちもんなんだろ」
「 ……割れているな。残念だが、二束三文にもならない」
「 へ?」
如月に冷たく言われて赤髪の高校生は呆気に取られた顔をしたが、やがて手にした面を見てショックの声を上げた。
「 げ、げえっ! 本当だ…くそう、気がつかなかった。 じゃ、じゃあこれはどうだ!!」
血石の指輪。
安全ブーツ。
春日甲。
ハンバーガー。
「 ………何処で拾ってきたんだ?」
次々と袋から物を取り出す青年に如月は半ば呆れたように問いただした。これだけの執念を出されてはそれなりに引き取らねば相手も引き下がらないだろうが、それにしてもどこかしら傷がついたりガラクタだったり。
保存状態が極めて宜しくない。もし何処かで手に入れてから何も知識のない高校生がこれらの物を価値のないものにしているのだとしたら、随分惜しい話ではあった。
しかしそんな如月の思いには気づくはずもなく、青年は得意気な表情のまま言った。
「 へへへッ。すげえか? だが、それは企業秘密ってやつだ。あ、それからよ、もうすぐ仲間もここへ来るから、その前にこっちの鑑定全部頼むぜ」
「 仲間?」
如月が怪訝な顔をして問い返した時―。
再び、店の扉が開く音がした。
「 お、何だもう来ちまったのか。おい、早かったな!」
「 お前がさっさと一人で走ってっただけだろうが」
「 おい、京一! 君、まさか先にアイテム売り払って、そのうちの幾らか自分の懐に入れる気だったんじゃないだろうなッ!」
「 バ…ッ! 馬鹿かこのオトコオンナ! 俺がそんな卑劣な奴だと思ってたのか、お前は!」
「 思ってた」
「 こ、この野郎…」
「 どうでもいいけど、ボクは男じゃないって言ってんだろッ!」
「 いてぇー!」
「 こらこら、お前ら。店の中で騒ぐな」
「 …………」
一体何だと言うのだ。
いきなり賑やかになった自らの店内で、如月はやや唖然として事の成り行きを見守った。制服からいって後から入ってきたこの2人も真神の生徒なのだろうが…それにしても何という騒がしさだ。
「 お? そんで、美里と緋勇はどうした?」
戸惑う如月には構わずに、 赤髪の青年―先ほど元気な女子生徒に「京一」と呼ばれていたが―が不思議そうにもう一人の男子生徒に訊いた。こちらはがっしりとした風体をした、やや堅そうな感じの人物だった。
「 ああ、もうすぐ来ると思うがな。緋勇の奴、どうも気分が悪いようだ。やたらと歩くのが遅かった。美里は心配して付き合っているんだろう」
「 へえ。やるな、緋勇」
「 どういう意味だよッ」
「 馬鹿、小蒔。てめえ分かンねェのかよ? 作戦だよ、作戦。ひ弱な感じの美青年ってのは、いつの時代にも女心をくすぐるもんなんだぜっ」
京一にそう言われた「小蒔」と呼ばれた少女は胡散臭そうな目で相手を見てから、ふうと大袈裟にため息をついて見せた。
「 つまり君は緋勇君が葵の気を引くために、わざと気分悪くしているって、そう言いたいわけだね」
「 そうか? 緋勇はそういう事をする奴には思えんが」
「 ばか、醍醐。お前、あいつらどう考えても怪しいじゃねえかよ。戦いの時だっていっつもくっついてるしよ。美里にしたって、おかしいじゃねえか。今まで男になんざ目もくれなかったくせに、緋勇が来た途端自分から話しかけるわ、やたらと嬉しそうだわでよ」
「 まあ…葵がまんざらでもないってのはボクも認めるけどね」
「 だろっ!? ありゃ、絶対そのうち付き合うぜッ! 俺は賭けてもいいね!」
「 こら! 君はまたそういう馬鹿なこと言う!」
「 へッ、小蒔。お前、実は緋勇の事気に入ってるから、美里に取られて面白くねえんじゃねえのか? さすがに美里相手じゃお前も諦めるしかねえもんな」
「 な、何だと!」
「 京一! お前、いいから黙れ!」
「 げっ…ふ、2人で怒鳴るなよ…」
小蒔はともかく、いきなりがたいの大きい醍醐にまですごまれて、さすがに京一も色を失くして押し黙った。それでようやく店内も落ち着いたようになり、醍醐がごほんと咳払いをして店の外に目をやりながら言う。
「 緋勇の調子がおかしいのは本当だぞ。戦いの時もどこか苦しそうだったしな。お前も馬鹿なことばかり言っていないで少しは心配しろ。新しい仲間じゃないか」
「 けどよ、あいつ、全然喋らないから何考えてんのか分からねえしな」
「 ……君たち、そろそろいいかな」
「 わっ! びっくりした!」
ようやく声を出した如月に、3人は一斉に驚いた顔を見せた。どうやら、自分たちからこの店に入ってきたくせに、店主の存在をすっかり忘れ去っていたようだ。
如月は済ました顔のまま言った。
「 君たちが持ってきた物の鑑定は全て済ませた。これらの物を不要品の物も全て引き取ってやったとして、代金は…これくらいだ。どうだ、不服か」
「 は、早ェなお前。仕事」
「 うむ。スマンな、すっかり騒いでしまって」
「 いいから、さっさと決めてくれないか」
如月は不快な表情を隠す事もなく冷たくそう言い放った。
「 ………どれどれ」
3人は如月が提示した数字を見ようと彼が手にした計算機に一斉に顔を寄り添わせた。…3人の顔はみるみる萎む。
「 ……うそお」
「 ふ、む。こんなものなのか」
「 マジかよ!? 何で!? こんなあるのに、何でそれっぽっちなんだよっ!?」
「 不満なら他を当たってくれ。言っておくが、僕はこれでもかなり譲歩したつもりだ。何処へ行っても、ここまで出すところはないだろうな」
「 本当かよ?」
「 疑うなら、他所へ行けばいい」
「 いや、そんな事はない」
何故か客である醍醐の方が恐縮して如月をなだめようとした。
小蒔の方も焦ったように取り繕う。
「 ああ、いいんじゃない、これでっ! ボクたち、あんまりこういうのの価値って分からないからさ。てっきりイッセンマンくらい貰えるのかと思っちゃってたんだよねえ、あはは」
「 ……それは残念だったな」
如月は素っ気なく言ってから京一の方も見た。
「 君もそれでいいのか」
「 ……あ? ちぇっ、ああいいぜ。どうせまた取りに行くだろうし、ここが売るには一番近いしな」
「 ………」
どうやらただの高校生ではないらしい。
如月は自分のことを棚に上げて、彼らのことを黙って見据えた。
その時だった。不意に、妙な感覚が如月を捕らえた。
「 ……っ!?」
氣が近づいてくる。
誰だ? 分からない。けれど、懐かしい氣。どこかで会ったような、そんな感じの…。
「 あっ! 葵! 緋勇君!」
「 おう、やっと来たのかよ」
「 大丈夫か、緋勇」
3人も一斉に店にやってきた新たな人間たちに視線を送った。
そこには髪の長い女子生徒と。
彼が、いた。
「 君は………」
如月はあの時と同じように彼を見、そしてまた言葉を失っていた。
漆黒の髪に、濁った瞳。けれど、どこか鋭くて。
どことなく、哀しそうな氣を持つ青年。
「 ………ごめん、遅くなって」
青年はそう言って自分を出迎えた3人に視線をやり。
そうしてゆっくりと視線を如月の方を見やってから、ぺこりと頭を下げた。
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