(2)
「 こんにちは……」
声と共に店の引き戸がガラリと開き、 如月は慣れたようにやってきた相手を見やった。
緋勇龍麻。
「 あの……」
「 ああ、どうぞ。好きに見てってくれて構わないよ」
如月がいつもの調子でそう言うと、 相手はやや困惑したような顔を見せつつも、
黙って店の中に入ってきた。
如月と龍麻がこんな感じの「知人」になったのは、ごく最近のことだった。
真神の学生である蓬莱寺京一を始めとした5人が、如月の店に何やらたくさんの物を売りに来たことから話は始まる。
彼らの学園にある「旧校舎」という場所が何やら得体の知れぬ所で、蓬莱寺たちはそこでそういった珍しい物を見つけるのだということだったが、彼らは故意なのか特に意図はないのか、自分たちの《力》のことを如月に話すことはなかった。
だから如月も特にそれ以上の追及はしなかった。
「 如月さん」
「 何だい」
ただ、この人物が。
緋勇龍麻。
「 あれ…新しいですね」
「 …ああ、知り合いが譲ってくれた物でね」
彼は皆と一緒に店に来て、そしてその日は何を言うでもなくそのまま去ったというのに、後日またこうやって今度は一人で店を訪れて来たのである。
そして如月に、「ここにいていいか」と訊いてきた。
別段害のない客を拒む店主はいない。如月が黙って頷くと、緋勇はそれから頻繁に如月の店に来て、このように店の品を珍しそうに眺めては、色々と質問をしてくるのだった。
「 …綺麗です」
龍麻が指し示した物は年代自体はそれほど古くもない東洋の椀で、昨日店に飾ったばかりの品だった。
「 近くで見るかい?」
「 あ、いえ、いいです」
しかし緋勇は如月が動こうとした途端、妙に恐縮してかぶりを振った。如月は何だか腰を折られたようになり、起こしかけた身体をがくりと崩した。直後自然にふっとため息が出てしまったのだが、そこはなるべく冷静なフリをして、如月は再び視線を先ほどまでやっていた帳簿に戻した。
しんとした空間の中、動くのは緋勇だけ。
軽い足取りでまるで気配を感じさせず、緋勇は狭い店の中を物珍しそうに眺めては、うろうろと歩き回っていた。その表情は別段楽しそうでもないが、一方で退屈というわけでもなさそうで、ただ静かに繰り返されていた。
「 緋勇君」
「 え…っ」
意表をつかれたように、緋勇が如月を見た。如月はどことなくそんな緋勇に違和感を抱きながら、相変わらずの仏頂面で素っ気なく言った。
「 いつも言うようだけど、ずっと立ったままじゃ疲れるだろう? そこに掛けないか。お茶でも淹れるよ」
「 あ。ありがとうございます」
「 それと、妙な敬語はやめてくれないかな。本当言うと『如月さん』ってのも、あまり嬉しくはないんだよ。君、僕と同じ年なんだろう?」
「 あ、そうみたいですけど…。じゃあ、如月さんも『緋勇君』っていうのやめてくれますか?」
「 ……ああいいよ、緋勇」
「 ………」
やや笑んで、緋勇は言われた通り傍にある椅子に腰を下ろした。
「 毎日、熱心だね」
茶を淹れながらそう言う如月に、緋勇は少しだけ首をかしげてから「別に…」と何となく口ごもった。
「 骨董に興味があるんじゃないのかい」
「 ないです…あっ」
思わず「ですます調」で話してしまった自分に苦笑して、緋勇は恐々とした感じで如月を見やった。
まただ。
しかしその表情に、如月は再び違和感を覚えた。
あの雨の夜に会った緋勇龍麻は、「こんな男」ではなかった。
殺伐としていて、何かを蔑んでいて。
冷たい、荒涼とした雰囲気を持ち合わせた人間のように、如月には感じられた。それなのに、今この目の前にいる緋勇龍麻はひどく弱々しく、そして儚げだった。
同じところといえば。
どことなく淋しそうな瞳だけだ。
「 あの……」
「 ん…ああ、すまない。どうぞ、少し熱いが」
緋勇に声をかけられたことで如月ははっと我に返り、慌てて声を出した。
「 ありがとう」
そんな如月の思いも知らず、緋勇は礼を言って如月から湯のみを受け取ると、ふっと息を吹いてからそれを口につけた。白く細い喉が上下に揺れる。如月はその姿を黙って見やった。
「 美味しい」
言って緋勇は、ここでようやく笑った。引きつったような強張ったそれだが、一応感謝しているらしい。それで如月はこの人物と話をしてみる気になった。
「 骨董には興味ないのかい」
「 え?」
「 さっき言っただろう」
「 あ、ごめんなさい」
「 別に謝る必要はないよ。じゃあ、何故ここへ来るんだい」
「 ……迷惑ですか」
「 言ってないだろう、そんな事は。どうでもいいけど敬語はやめてくれと言ったはずだが」
「 ………急には」
緋勇は言った後、また困ったように俯いた。
多少の苛立ちを感じながら、如月はしかし何故かそう言った自分の方が居心地の悪さを感じて、彼から視線を逸らせた。
「 …君は人にはない《力》があるね」
だから、何となくそう言った。別に深く訊くつもりはなかったのだが。
しかし緋勇はあっさりと頷いてから、「如月も」と言った。
「 ……やはり、同じ人間にはそういう事が分かるのかな」
如月がそう言って暗に緋勇の指摘を肯定すると、相手はまた戸惑ったようになってから言った。
「 如月は…街で俺に声をかけたでしょう」
はっとして如月が顔を上げると、そう発言した緋勇の方はますます困惑した顔を見せた。
「 違ったかな…?」
「 いや。覚えていたのか」
「 忘れない」
緋勇は珍しくきっぱりと言ってから、しかし下を向いた。
「 あの時の俺…今と違うかな?」
「 ああ、違うね」
本人の方から言ってきてくれたので、如月は意表をつかれながらもすぐに答えた。
「 だから最近の君を見ていると、やはりあの時出会ったのは君じゃなかったんじゃないか…とすら思っていたよ」
「 俺も……」
「 え?」
怪訝な顔をする如月に、龍麻は顔を上げてから遠慮がちの笑顔を見せた。
思わず引き込まれた。
「 俺、この店に如月がいた時、本当はすごく驚いた。あの時俺に声をかけた如月と今の如月は違って見えた」
「 どういう事だ?僕は別に―」
「 違う風に見えたのは、きっと俺が違っていたからだね」
「 何を言っているのか分からないね。もう少し丁寧に話してくれないかな」
「 俺、如月にお願いがあるんだけど」
「 ……君は勝手な男だな。人の話をまるで聞かない」
「 うん」
龍麻は悪びれもせずにそう言って、また笑った。
態度が。
少しずつ、変化していた。
「 もしまた俺があの時のような感じだったら、声をかけてほしいんだ。今度は通り過ぎないで、ちゃんと捕まえていてほしいんだ」
「 ……君は一体……」
「 駄目、かな……?」
「 それを頼むために、ここへ来ていたのかい? なら、最初からそう言えばいいだろう」
「 言ったでしょう。あの時の如月なのか、確信がなかった」
「 あの時の僕はどう見えたんだい、君には」
如月が訊くと、緋勇は実にあっさりと答えた。何も感じていないみたいに。
「 ………俺を見る目がね。異形を見る目、みたいだと思った」
「 な……」
「 違う、如月。それは、正常の目だよ」
そして彼はすぐにそう言い、それからまた困ったような顔をした。
緋勇はその後、急いで椅子から立ち上がると、まるで逃げるようにすぐさま店を出て行った。
如月は呼び止めることができなかった。まだ訊きたい事があったのに。
君はあの時僕を呼び止めなかったか、と。
如月が自分の《力》に気がついたのは、東京に流れる妙な氣を感じ始めたのとほぼ同時期だった。
それからは一族の使命に忠実に、玄武としての血のままに、如月は出会う異形のモノたちと戦ってきたわけだが―。
緋勇龍麻。
あの男をそれと同じにしたつもりはなかった。
ただあの時は―。
あの雨の中、身体を濡らすことも厭わずにただ立ち尽くし、何かを嘆いているような、そんな姿に目を奪われたのだ。ただそれだけのはずだった。それにいくら自分が人間嫌いだと言っても、街を不穏な空気で満たす異形たちと同じレベルで見るなどとんでもないことだ。ましてやあの緋勇にそんな眼を向けたつもりなどまるでなかった。
それなのに。
『 俺を見る眼が――』
そんなに殺気立っていたのだろうか、それとも警戒していた? あの緋勇という男に。
如月は一人で悶々とそんな事を考えつつ、あのどこか惹かれずにはいられない人間のことばかり考えている自分に気がついていた。
翌日――。
「 よーっす、如月!」
「 ……また君か」
「 むっ! またってのは何だまたってのは! てめぇ、客商売だろうが! もうちっと愛想良く振舞ったらどうだよ?」
「 不満なら他の店を当たってくれても構わないんだよ」
「 出たよ、常套句…」
如月の毒づきを慣れたように聞きつつも、来店客―蓬莱寺京一―はやや顔をひきつらせながら相手を憎々しい顔で見やった。
「 ま、いいや。今日はこれ買ってくれ」
「 ……相変わらずめちゃくちゃに持ってくるな、君は」
「 へへへ…それだけ毎日働いてるってことだよ!」
「 今日は……」
「 んー?」
「 他の連中は来ないのかい」
如月は京一が持ってきた品に目を通しながらさり気なく訊いた。
「 ああ、今日は俺だけ。あいつら体力ねぇからな! へへ、その分今日の取り分の5割は俺の懐に入るって寸法だ」
「 5割? 君も随分がめつい人だね」
「 ……何か俺、お前にだけは言われたくねぇ……」
「 緋勇は―」
「 あん?」
如月は自分で何を言っているのだろうと思いながらも、
何故か止めることができなかった。
「 緋勇は…その、転校生だと聞いたが」
「 はあ? 何、お前あいつと喋ったことあんの?」
京一は思い切り不審な顔をして如月に訊ねた。
「 あいつ、この間来た時だって、ここでは一言も喋らなかったよな」
「 ……その後偶然街で会ってね」
如月は敢えて嘘をついた。後に1人で店に来たことを、どうやら緋勇はこの友人に話していない。ならば黙っていようと思ったのである。
京一は如月のその言葉を聞くと「へーえ」と何やら煮え切らない声を出してからあっさりと言った。
「 4月にな。来たばっかだぜ。あいつあの顔だろ? 最初は女子の奴らがきゃーきゃー言ってよ、こりゃマズイのが来ちまったなと思ったんだけどさ。ま、なかなか良い奴だぜ。無口だけどな」
「 どこから来たんだい」
「 さあどこだったかね。関東圏のどっかだったとは思うぜ? それよりお前何なんだ? アイツに興味でもあんのか?」
「 え」
如月は思わず声を詰まらせた。
「 美里とかよ、あのオトコオンナとか。女子のこと訊くなら分かるけど、何だって野郎のことなんか訊くんだよ。あ! それともお前!」
「 何だ」
京一のにやにやとした顔が何だか嫌で、如月は眉を潜めた。
「 お前、もしかして武術とかやるのか?」
「 は…?」
「 そんな細っこい身体してっから気づかなかったけど。だから緋勇の強さに気づいたとか。そんなとこか」
「 あ、ああ……」
自分は今この蓬莱寺に何を訊かれると思って不快になったのだろう、
と如月は一人心の中で赤面した。京一はそんな如月には気づかずに続けた。
「 あいつさあ、実は俺も驚いたんだけどよすっげー強いんだよこれが! この間一緒に来たガタイのある男いただろ? あいつ醍醐ってんだけどよ。あいつなんか恥ずかしいこと極まりないことに、闘いを挑んどいて一撃でやられてたぜッ!」
「 そうか……」
「 もし手合わせしたいってんならやめとけよ。あいつ鬼みたいに強ェから」
「 鬼?」
その言葉を、如月は繰り返していた。京一は平然としているのだが。
「 そ。鬼だよ鬼。戦闘の時なんかそりゃあもう――」
「 誰が鬼なの?」
その時、明るい声が後ろからかかった。
「 わっ!!」
店の戸がいつの間にか開いていた。引き戸だから何かしら音がしても良いはずなのに。
そこには緋勇龍麻が穏やかな笑みと共に立ち尽くしていた。
「 び、びびったあー。何だよ、緋勇。お前も来たのか」
「 ほらこれ…。蓬莱寺、忘れて行っただろ」
「 おお、これは割れてない追儺の面! そっか。大事に保管しようと思ってしまっといたんだった。サンキュな!!」
「 うん」
緋勇は静かに微笑してから、如月の方を見て「こんにちは」と挨拶をしてきた。優しい顔だ。屈折したところなど何もないような。そして、昨日のことなど全て忘れてしまったかのような顔だった。
「 でもその代わり桜井さんが蓬莱寺の取り分を5割にするのやめさせようって」
「 げ、げえ! 何でだよ…ッ! ったく、 あの野郎はいっつもそうやって俺に嫌がらせを…!」
「 俺は別にいいから」
緋勇が悔しそうな友人の顔を見ておっとりとそう言うと、蓬莱寺はそれは嬉しそうな笑顔をぱあっと閃かせた。
「 ホントか緋勇ッ!? やっぱお前っていい奴なッ!!」
「 鬼だけどね」
緋勇はさらりと答えてから、慌てて何か取り繕うとする京一にただ微笑んでいた。それから如月の方を再び見やり。
穏やかに、笑った。
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