(7)
「 なぁなぁ、如月! これ高く売れるか!?」
京一が暗い洞窟の中で嬉々とした声で訊いてきた。如月がかったるそうな顔のまま聞こえないフリをしていると、傍にいた桜井小蒔という少女が尚もしつこくがなりたてる同級生を怒鳴った。
「 こら京一! 不謹慎だろ、こんな時に! そんなガラクタ拾ってばっかいないで、もうちょっと危機感を持ちなよね!」
「 うるせェなあ。俺は真面目にやってンだよ。ただ、鈍いお前らと違って俺は目敏いからな。こういうお宝は自然と目に入っちまうんだよ!!」
「 お宝かどうか分からないくせに〜」
「 何か言ったか!?」
「 おいおいお前ら、いい加減にしろ。さっさと先に進むぞ」
京一と桜井が言い合いをして、それを醍醐がたしなめる。これが彼らのパターンのようだ。傍で緋勇がゆったりとした笑顔を見せ、さらにその横にいる「菩薩眼」である少女が同じような微笑を向けている。
如月は真神メンバーの5人を無表情のまま見やった。
如月が龍麻らと地下水殿に潜ることを承諾した時、彼らは快くそれを受け入れ、新しく仲間が増えたことを素直に喜んだ。
「 一体どうした風の吹き回しだ〜?」
京一がやや探るような目で尋ねてきたが、如月はいつもの態度でそれをかわすと、あとはただ自分の前方に立ち、先の様子を伺う人間に目をやった。
今の緋勇龍麻は、やはり皆のリーダーたる存在で、頼りになる男の姿に見えた。
その前日。
思わず背筋を襲った悪寒に、如月は龍麻と重ねていた唇を咄嗟に離した。
「 ひ、翡翠……?」
さすがに意表をつかれ、目を閉じて如月の口付けを受け入れていた龍麻は困惑したような声を上げた。
「 ……………」
それでも如月はそんな龍麻に答えることができず、ただ不意に蘇った過去の記憶に混乱し、表情を歪めた。
幼い龍麻の声が聞こえた。
『 僕を護るために――』
「 緋勇……」
「 翡翠、どうしたの…?」
「 君は……」
途端ズキンと痛む頭を抑え、如月は必死に自分の中の雑然とした思いを整理しようと試みた。
自分には「玄武」の血を持つ人間として、東京を護る使命と。
それから――。
「 翡翠、具合悪いの…?」
龍麻が横から心配そうな声をかけてくる。けれど遥か遠くで聞こえるようなその声に、気を配る余裕がなかった。
「 大丈夫、翡翠?」
それどころか、そんな小さな微かな声なのに、如月は龍麻のその言葉に胸がむかつき、身体全身がざわつくのを感じた。
うるさい。
そう、思った。
「 翡翠……」
だから龍麻が自分の腕にそっと触れてきた時、
如月は反射的にそれを思い切り振り払っていた。
「 やめろ!」
「 翡―」
「 少し黙っててくれ!」
「 …………」
相手の傷ついた顔が見えた。それが分かっているのに、止められなかった。どうしたことだろうか。彼を引き止めて、キスをしたのは自分なのに。 先刻まで、彼を知りたいと言ったのは自分なのに。
それなのに。
もうこれ以上、この人間に関わりたくない。
そう思ってしまっている自分も、この時には確実に存在していた。
「 ……翡翠」
しばらくして、再び龍麻がそんな如月の名前を呼んだ。如月はじくと湧き上がるイラつきを抑え、自分を呼んできた相手に視線を向けた。綺麗な瞳が視界に入る。けれども如月はその光を畏怖の目で見つめ返した。
「 ……翡翠」
再び、相手が呼んだ。くたりと倒れこむように如月の胸に頭をもたげかけ、本当にゆっくりとした動作で抱きついてくる。
しかしそれによって、如月に再度悪寒が走った。
自分はこの人と「こういう風に」近づいてはいけない。
瞬時、そんな思いが脳裏をよぎった。
「 ……離れてくれ」
本当はこんな乱暴な口調も許されないのだろう。彼が何者なのか、それはまだはっきりと分からない。けれど身体全身で感じてしまった相手の存在感に、如月は自分が彼にとって「従者」であるということを思い出したのだ。
「 離れてくれ」
もう1度言った。龍麻の腕を掴み、引き離そうとしたが、龍麻は意地になったようにぎゅっと目をつむったまま、如月に抱きつく自らの腕に力をこめた。
「 緋勇……」
「 嫌だ……」
「 …………」
「 今日はここにいていいって…お前が言った」
「 …………」
「 なのに何で急に…離れろなんて言うんだ……」
「 ………分からない。分からないが僕は――」
「 嫌だ…。ここにいる。今日だけはここにいる。ここに…いる」
「 ………緋勇」
「 前みたいに呼んでよ」
「 …………」
その「前」の記憶とやらが自分には曖昧だ。
そう思ったが、口には出せなかった。これ以上昔のことを訊いたり考えたりすれば、また嫌なことを思い出しそうな気がしたから。
何なのだろう、この違和感は。
「 翡翠。呼んで。……『龍麻』って呼んで」
ああ、そうか。
龍麻。
確かに、そう呼んだことがあった。
如月の中でふっとその時のことが浮かんだ。すぐに消えてしまったが。
「 ………龍麻」
「 …………」
それでも言われた通りにすると、呼ばれた相手は微かに震えたようだった。それでも自分にすがってくる力は弱まらない。
「 抱きしめて……」
そして龍麻は掠れる声でそう言った。自分がこんなに彼を嫌悪しているのに、どこかで避けているのに、何故この相手はこうまで自分に縋り付いてくるのだろうか。
如月は怯えたように強く自分に抱きつく畏怖すべき存在を見やった。
そして、ゆっくりと龍麻の背に腕を回した。
「 ………」
触れると、やはり龍麻はびくりと震えた。けれど抱きしめてくれた如月に応えるように、自分も更に強く身体を相手に押し付けた。顔は上げない。決して見上げない。
ただ、近づいて。
「 翡翠…今日はここにいていいでしょう?」
「 ………」
「 翡翠の傍にいてもいいでしょう?」
「 ……ああ」
拒絶できなかった。
「 …ありがとう」
それに対して龍麻は心底ほっとしたようになり、それからただ困惑しているような如月のことをようやく見つめた。そして、そっと如月の唇に触れるだけのキスを施した。
如月は動けずにいた。
「 翡翠、どうした?」
はっとすると、すぐ傍に龍麻の顔があった。
皆の後をついてはいるが、先ほどから一言も発しない「新しい仲間」に気を遣うような、優しい口調だった。
「 ……何でもないよ」
「 氣の気配からして、多分もうすぐだ。でも敵が出てきても一人ですぐに向かっていくなよ?」
「 ああ……」
「 ひーちゃんもなっ! いっつも一人でずんずん攻めていくンだからよぉ」
京一が如月に忠告した龍麻を逆にたしなめるようにそう言った。龍麻はそんな相棒にも柔らかい笑みを向け、「分かってる」と答えた。
そんな彼からは、どことなく神々しさすら感じた。
この人を護るために自分は――。
「 ……っ!?」
その時。
不意に上方から耳をつんざくような破壊音と共に、巨大な岩壁が龍麻のまさに頭上に崩れ落ちてきた。
「 龍麻…っ!」
如月は咄嗟に龍麻に飛びつき、そのまま倒れこんでくる岩石を避け、京一たちがいる反対方向の地面に倒れこんだ。
「 ……ひ、翡翠…っ」
突然のことで、さすがの龍麻も思い切り意表をつかれたようだった。美里や桜井をカバーしながら歩いていたせいもあったのだろう。龍麻が自分の身の安全にはひどく無頓着になっていることに、如月はこの時初めて気がついた。
龍麻を抱きしめたまま倒れこんでいた如月は、ゆっくりと身体を起こしてから、自分の下にいる相手に目を向けた。
「 ……大丈夫かい」
「 うん。ありがとう、翡翠」
「 ……いや。君が無事ならそれでいい」
「 …………」
本当にそう思ったから言った。如月が身体を起こすと、そんな自分をじっと見つめてくる龍麻の視線を感じた。居心地が悪くてすぐに傍を離れ、「仲間」たちがこちらに駆け寄ってくるのも見ないで前へ進もうと歩き出した。
「 おいおい、大丈夫かよ、二人共!!」
「 ケガはない、龍麻?」
「 ひーちゃん! 如月君も! 大丈夫!?」
皆がそれぞれに声をかける。龍麻は「平気」と簡単に言い、それから制服についた埃を落としてからまた笑んだようだった。
「 おい、如月! お前もホントに大丈夫か?」
京一が慌てて如月の背後から駆けてきて、心配そうに声をかけてくる。
「 ああ、何ともない」
「 そ、そっか。ああ、びびった。まあ、とりあえずサンキュな」
「 ……何故君が礼を言うんだ」
何だか心に引っかかるものがあって、如月は歩を止めた。すると普段は陽気な剣士が真面目な顔をして言った。
「 ひーちゃんを護ってくれただろ。アイツに何かあったら大変じゃねェか」
「 …………」
「 いや、それはひーちゃんに限らねェけどよ。けど、アイツは本当に無茶する奴だし、俺らでちゃんと見ててやらねえとな」
「 君は……」
「 うん?」
きょとんとする相手に、如月は思わず訊ねていた。
「 ……緋勇のことをどう思っているんだい」
「 どう? どうってどういう意味だ?」
「 ……何でもない」
如月が自分自身まとまりのない頭を整理しようとしていると、 京一は実にあっさりと答えた。
「 相棒だな。戦いのパートナーってやつだ」
「 相棒……」
「 そ。俺もアイツも、一人でも相当強ェけどな。二人揃えば無敵だぜ! だから、どっちも欠けちゃいけねェんだ」
「 ………」
「 お前こそ、アイツのことどう思ってンだ?」
「 ……どういう意味だ?」
「 いや、ひーちゃんがお前の事気に入ってンの、相棒としてはよーく分かっているつもりだからよ。いつの間にか『翡翠』なんて呼ばれているしよ」
「 ……彼が勝手にそう呼んでいるだけだ」
「 ふーん。ま、いいけどな」
京一は如月の返答に煮え切らないものを感じながらも、いつの間にか先を行ってしまっている4人に気づいて、慌てて歩を進め始めた。如月も黙ってその後を追った。
如月と一緒にいると頑なに言い張った龍麻は、本当に翌日太陽の日が昇るまで、如月の傍を離れなかった。ぴたりとくっついたまま離れない。如月の腕に自らのそれを絡めて、相手が黙っているのを良いことに、何を言うでもなくただずっとその体勢を続けていた。
「 ……食事の支度もできないな」
如月が不平を述べると、その胸に顔をもたげていた龍麻は目をつむったまま「そんなのいらない」とだけ答えた。
「 僕はいるよ」
如月のその言葉に龍麻はだるそうに目を開いた。それからじっと見つめた後、少しだけ寂しそうに笑った。
「 じゃあ俺も一緒に作る」
「 どうあってもその手を離さない気かい」
「 うん」
「 …………」
「 翡翠」
そして、今日一体何回目だろうか、 龍麻は如月の唇に顔を近づけると、そのままそっと軽いキスをした。
「 …………」
如月が何の反応も示さないと知ると、龍麻は意地になったように何度も何度も相手の唇に自らのそれを当て続けた。
「 好きだよ……」
そして口付けの合間にそうつぶやいてきた。その度に如月の顔が曇るのを、龍麻も気づかないわけはないのに、それでもその言葉は何度も繰り返された。キスも何度も繰り返された。
「 ……もういいだろう」
いよいよたまらなくなって、如月は龍麻の行為を片手で遮ると、嫌悪を隠すこともなく顔を背けた。
「 嫌だ…」
龍麻の泣き出しそうな声。
分かっているのに。龍麻が傷つくのが分かっているのに、如月は哀しそうな顔をする相手から目を逸らし続けた。
龍麻がそれでも如月の首筋にキスをする。シャツのボタンに手をかけて、如月の服を脱がそうとする。
「 緋勇……」
呼びかけに応えない龍麻は、はだけたシャツから覗いた如月の胸にも唇を当てた。舌でぺろりと舐め、更に何度もキスを続ける。
「 やめろ……」
「 してあげるよ」
「 何言っているんだ……」
「 翡翠のこと、気持ち良くしてあげるから」
「 やめろと言ってる」
如月はいよいよ気持ちが悪くなって、龍麻のことを無理やり突き飛ばし、それからきっとした目で睨みつけた。
「 そういうのは嫌いだと言っただろう」
「 …………」
如月に思い切り拒絶された龍麻は、それでも意地になったように、自らの制服のシャツに手をかけた。ボタンを取り、今や目に涙をためつつも、きっとした視線を如月に向ける。
「 緋……」
「 嫌いでもいい…嫌いでもいいから、抱いて」
「 緋勇………」
「 今夜だけでいいから」
「 何でだ…。バカを言うな」
「 バカでいい」
「 君は……そういう事をしちゃいけない」
「 どうして」
「 ……君は、そういう人じゃない」
「 …………」
龍麻は如月のその言葉をじっと聞いていたものの、
初めてかっとなったように顔を紅潮させ、怒ったような目を閃かせてから、脱いだシャツを傍に投げ捨てると如月にぎゅっと抱きついた。
「 緋勇……」
「 そうじゃないだろ」
「 …………」
「 名前で呼べって言っただろ」
「 …………」
「 抱けよ。俺のこと、抱けって言ってる」
口調が変わっていた。
口付けをした時に蘇った記憶と重なる。
「 命令だよ。これは、命令なんだ。だから……」
「 龍麻」
如月が呼ぶと、龍麻ははっとしたようになって顔を上げた。それからひどくバツの悪い顔をしたが、またすぐに強気の目に戻ると、再び自ら唇をあわせてきた。
「 ……っ」
「 ……翡翠」
そして龍麻はまた苦しそうな顔になると。
それでも笑顔でそっと言った。
「 もう駄目だよ。俺、もう抑えられない。どうにかなってしまいそうな自分が……怖い」
「 …………」
「 俺のこと見てて……お願いだから」
龍麻から、もう如月は目を逸らせなかった。
だから、翌日。
如月は龍麻らと共に地下神殿に潜ることになった。
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