(8)
実際に龍麻の《力》を間近に見たのは、この時が初めてだった。
「 ………ッ!」
肌を切り裂く突風が如月を横切り、目を細めてその出所を伺うと、その方向には龍麻がいた。身体から凄まじい光を発し、悠然とそこに在る。その姿は、襲いくる何物をも凌駕する雰囲気を漂わせていた。
「 ひーちゃん、あんま一人で前出過ぎるなって!」
剣を振るいながら蓬莱寺京一が叫んでいる。別段相棒の暴走を心配する口調でもないが、明らかに困惑したような、たしなめるような感じではあった。
「 な、如月。あいつ、別人だろ」
そして京一は如月と交錯しながら敵を倒した時、やや苦笑しながらそう声をかけてきた。しかしそれはどことなく楽しげな様子でもあった。
如月はそんな京一に応えることができなかった。
龍麻の戦い方には容赦というものがない。
「 わ…ッ」
小蒔が一瞬目をつむり、 飛び散った血から逃れるように後退した。 龍麻の傍にいると、
敵の断末魔と血飛沫をもろに浴びることになる。 京一や醍醐といった戦いに飢えた男たちはともかく、小蒔や美里には多少きついところもあるかもしれない。
「 桜井、もっと下がってろ」
それでも龍麻は攻撃の手を緩めない。 優しい言葉もかけない。素っ気無く
「傍にいるな」と暗に示すだけ。
龍麻はただ爛々とした眼を閃かせ、目の前の敵を砕くことだけを考えているように見えた。
異形のモノが熟れた果物のように簡単に潰されていく。
「 ………ッ」
仲間たちの顔が歪んだ。如月は龍麻から目を離すことができなかった。
これは戦いなのだろうか。
これでは。
「 翡翠!」
その時、前方で龍麻の呼ぶ声が聞こえた。如月ははっとして、龍麻によって投げられた瀕死の敵にとどめの一撃を与えた。
「 ナイス」
龍麻が振り返って笑顔を見せた。口の端を上げて、やや目を細める。そんな仕草すら美しいと思った。
けれど。
「 翡翠、みんな。怪我……ないか?」
そして辺りがようやく静寂に満ちた頃、龍麻は実に静かな声でそう訊いた。いつもの、穏やかな表情だった。
皆を護れてほっとしたような、優しい微笑。
けれど。
如月は思う。
これでは、一方的な虐殺ではないか。
「 翡翠が仲間になってくれて、嬉しい」
帰りの道すがら、 龍麻は如月の数歩前を歩きながらやんわりとした口調でそう言った。
「 だからかな。今日は特に……《力》が出せた感じ」
あれが。
如月は心の中でつぶやきながら、黙ってその声を聞いていた。
仲間たちがそれぞれの家路へと向かう中、龍麻だけが
「要る物があるから」と言って如月と帰りを共にした。
それが自分と一緒にいるためであろうということは如月にも、そして仲間たちにも容易に分かった。龍麻がどうしてか如月のことをいたく気に入っていることは、龍麻の様子を見れば一目瞭然であったから。
「 翡翠。今日も泊まっていっていい?」
「 ……………」
「 翡翠?」
「 あ…? ああ、すまない。何だい」
「 ……………」
龍麻は何事が考えこんでいるような如月のことを伺い見るようにしてから、
すぐに明るい笑顔を見せた。
「 翡翠、疲れたの?」
「 いや……」
「 でもさっきから全然喋らないね」
「 ……そんな事はないよ」
如月はどうしてか自分に微笑みかける龍麻の顔を直視できなくて、 さり気なく辺りの街並に目をやりながら答えた。龍麻はそんな如月に一瞬だけ物憂げな表情を見せたが、それもすぐにかき消すと、たっと歩み寄って如月の横に並び、相手の腕に自分のそれを絡めた。
「 緋、勇……?」
「 いいじゃない。今……誰もいないし」
「 …………」
眉をひそめてそれを嫌がる如月の方は見ずに、龍麻は更に身体を密着させるとそのままぐいぐいと引っ張るようにして歩き続けた。
夜の人気のない道筋とはいえ、妙な姿だった。
2人の男子高校生が腕を組んで一緒に並んで歩いているのだから。
ただ、如月に腕を絡ませてくる龍麻は、 そのしなやかな姿態から一見女のそれに見えなくもなかった。1度その《力》を表に出せばその威力たるは想像を絶するものがあり、誰も龍麻を「女性」とは見ないだろうが、今のこの如月に全てを預けるようなその姿は、戦闘の時とはまるで別人だった。
「 翡翠……仲間になってくれたんだよね?」
その時、龍麻が不意に言葉をかけてきた。相変わらず如月の方は見ない。
訊ねてきた声も、どことなく恐る恐るのようでもあった。
「 これからもずっと一緒に戦ってくれるんだよね?」
「 ああ……」
「 本当?」
「 昨夜……そう言ったじゃないか」
「 うん…でも……」
龍麻はその先を言おうとして、 しかし口をつぐみ、それからまたしばらくして言葉を発した。
「 昨日はごめん」
「 ………」
「 あんなさ…俺、ちょっとおかしくなってたんだ」
「 ……いいさ」
「 ……もうしないから。あんなマネは」
「 分かった」
「 だから翡翠も昨日のことは忘れていいから」
「 分かったと言っているだろう」
「 …………」
「 …………」
「 ………うん。ごめん」
「 …………」
龍麻はしばらくしてからそう言い、それから如月にすがる手に力を込めた。
「 嫌いでもいい…嫌いでもいいから、抱いて」
昨夜そう言って、無理に如月の肌に唇を寄せた龍麻。
それでも、如月はそんな龍麻を抱くことができなかった。
これは、命令なんだ。
龍麻はそうも言い、最後には怒りの色すら浮かべて如月に迫った。
それでも、如月に残るのは彼への拒絶だけで。
そんな態度を取る龍麻に、嫌悪すら感じた。自分は龍麻にそんな気持ちを抱くことなど許されないというのに。
何故、そう感じてしまうのか。
何故、素直に彼の気持ちを受け入れることができないのだろうか。
「 緋……龍麻。やめてくれ……」
如月は自らもシャツを脱ぎ、自分の胸に裸体を寄せる龍麻をそっと引き離してからそう言った。
「 頼むから…やめてくれ……」
「 本当に俺のこと嫌いなんだね……」
「 そうじゃない…そうじゃないんだ……」
如月は痛む頭を抑えながら半ば懇願するように龍麻に言った。
「 ただ僕は…君にこんな事をしてほしくないんだ……」
「 ……さっきも聞いたよ」
泣きそうになりながら、龍麻は押し殺すような声を出した。そっと如月の腕に手を触れる。
「 翡翠……思い出したの……?」
龍麻は俯きながらぽつりと言った。
「 使命のこと…思い出したの?」
「 ……僕は君を護るために生まれた……」
「 …………」
如月の言葉に、龍麻は何も言わなかった。
怒りも哀しみも全て押し隠したような顔をしていた。
そうして、しばらくしてからようやく言葉を出した。
「 じゃあ……俺のこと見ていてくれるね」
「 …………」
「 離れたりしないね」
「 ああ。約束するよ」
如月がやっとのことでそう答えると、龍麻は瞬間、ふっと自嘲の笑みを浮かべた。
「 ……だから……俺のことを愛してはくれないんだね」
「 !!」
「 いいよ、それでも」
龍麻はそう言うと、やっと顔を上げ、如月の頬に手をやった。
「 その代わり…俺の傍にいてよ。ずっとだよ。約束だからね」
こうして如月は、龍麻たちと仲間になることになった。
「 翡翠、お腹空かない? 俺、何か作るよ」
龍麻は如月の家に着くと、まるで我が家のようにさっさと敷居を跨ぎ、台所の方へと進んで行った。彼はこんな自分と一緒で本当に嬉しいのだろうか。ほのかな疑問を抱きつつも、如月は妙にうかれたような龍麻の後を追った。
「 俺、一人暮らし長いから結構料理とか得意なんだよ」
「 いいよ。僕が作るから」
「 あ、翡翠も一人暮らしは長いんだよね」
「 ああ」
「 じゃあ一緒に作る?」
「 いいから君は居間にいろよ。僕が…やる」
「 …………」
龍麻は少しだけ寂しそうな顔をしていたが、やがて思い直したような顔になり、「分かった」と笑んで見せておとなしくその場を下がっていった。如月はキツイ口調を発した自分も、そんな自分に無理に笑って見せる龍麻にもイラつきを禁じ得ず、眉間に皺を寄せたまましばしその場に立ち尽くした。
彼には、余計なことをしてほしくない。
彼は、そういう事をしてはいけない。
ましてや自分のために何かするなど、とんでもない。
「 …………」
如月は冷蔵庫を開けながら、瞬時湧き上がるそんな思いをかみ締めるように、その思いを何度も頭の中で反芻した。
けれど。
「 ………ッ!」
如月は中から何も出すことなく、力任せにドアを閉めた。
気持ちがざわついた。
頭では分かっている。彼は自分の主なのだと。彼のために生まれた自分は、彼を護るために全てを奉げていかなければならないのだと。
けれど、一方で。
( 僕は…彼をそんな風に見ていたくない……)
そう思う気持ちも確かに存在していた。
( 僕は彼と…対等でありたい)
そうでなければ。
そうでなければ、自分は…。
「 翡翠」
その時、如月の様子を覗いていたのだろう、
龍麻が困ったような顔をしつつもそっと言った。
「 俺はさ…お腹空いていないんだ。だから…無理して何か作ってくれなくてもいいんだよ」
「 …………」
如月は遠慮がちにそう言ってきた龍麻に応えることができなかった。
そして、その晩も二人は共に寄り添って眠った。
何をするでもない。 ただお互いが近くにいることを感じながら、並んで眠るだけ。肌が触れ合うこともない。キスもしない。
けれど、龍麻は如月の胸に顔を押し付け、縋るように抱きついて目を閉じていた。如月もそんな龍麻の肩を抱きかかえるようにしてぼんやりとほの暗い中に見える天井を眺めていた。
「 翡翠……眠った?」
その時、龍麻がそっと声を出した。如月はそちらには目をやらずに「ああ」と掠れた声を出した。
「 翡翠、暑い?」
「 え……?」
「 俺がさ…こんなにくっついて。暑くない?」
「 ああ……。平気だよ」
「 …………」
「 君は?」
「 俺はしたくてしているんだから」
龍麻は答えてから微かに笑ったようだった。そうしてふっと息をもらしてからやや身体を動かし、改めて如月の身体に自分の身体を近づけた。
「 今日さ……」
龍麻は感情の見えない平坦な声でぽつぽつと語った。
「 昔のこと思い出しちゃった」
「 昔?」
「 ん…。翡翠が初めて俺の戦いを見た時のこと。翡翠は忘れているんだよね。でも俺は覚えてる。俺は戦っている時は結構理性が飛んじゃうから、あまり途中のことは分からないけど…。でも服から何から血まみれになった俺のこと、翡翠はすごく驚いた顔で見つめてた」
「 ……すまない。思い出せない」
「 うん。 いいんだ。でもね、あの時の翡翠も、今日の翡翠みたいにずっと俺のこと見つめててくれた。ちゃんと逃げないで、恐れないで俺のこと見ててくれたんだ」
「 ………」
「 嬉しかった…。 嬉しかったなあ…。だってみんなアレを見ると逃げるからさ…。でも翡翠は俺の傍にいてくれたんだ。使命だからってこともあったかもしれないけど」
「 ………」
龍麻の言いように、如月は眉をひそめた。
そう、使命のために。
自分は龍麻の動向を見やり、そして見守っていなければならない。それ以外の感情など決して抱いてはいけないのだ。
恐れずに、と言えばそれは嘘になるだろう。
あの絶対的な龍麻の 《力》を見た時、正直如月は戦慄した。 あの破壊力は、あの表情は、何何物をも拒絶し、そして壊していくような陰的な空気があった。
でも自分は龍麻の…いや、黄龍のために。
「 翡翠がいてくれたら、俺頑張れそうだから…。嬉しい、翡翠が近くにいてくれて」
「 ……でも僕は」
言ってはいけない。
頭では分かっている。けれど、止めることができない。
「 僕が傍にいるのは――」
「 翡翠?」
使命のために彼の傍に。
それが命令だから彼の傍に。
違う。本当は違う。
好きだ。
愛してる。
「 ………ッ」
けれど、それを口にした瞬間、自分は玄武としての責務を忘れてしまうだろう。
彼を護れなくなる。彼を壊したくなる。
「 翡翠、どうしたの…?」
「 何でも…ない」
「 本当?」
「 ああ……」
彼を抱きしめたい。自分のものにしたい。
けれど、それをしてはいけない。
自分は龍麻を拒絶しなければならない。
「 だから…か」
「 え?」
思わずつぶやいた如月に、龍麻が不思議そうな顔をした。如月は黙って首を横に振り、目をつむった。
だから幼い頃の自分は、必死にすがる龍麻に冷たい言葉を浴びせたのだろう。そして、自分自身に何度も何度も言い聞かせたのだろう。
彼のことを、好きでも嫌いでもないと。
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