(9)



  数ヶ月の後、 龍麻たちの戦いに加わる仲間の数は、如月が彼らに加わった時よりも数段多くなっていた。
「 今日潜った連中、全員帰ってきたか?」
  1番に上へ上ってきた京一が危機感のまるでない声で誰かにそう訊いている。そういう時律儀に仲間の動向を細かくチェックしているのはやはり醍醐で、すかさず「大丈夫だ、全員戻ってきているな」などと答える。
「 龍麻、大丈夫?」
  その時、 不意に如月の背後で美里の切羽詰まったような声が聞こえ、すぐさまマリイ―火を操る異国の少女―が心配そうな涙声で後に続いた。
「 ごめんネ、お兄ちゃん。マリイを護るためにコンナ怪我しちゃって…」
  見るとそう言われた龍麻の腕からは真っ赤な血がだらりと流れ、それがそのまま地面にしたたり落ちていた。傍目からも痛々しい。
  これには多くの仲間たちも龍麻の傍に寄り、各々気遣いの声をかけた。 美里が傍で回復技をかけているが、それでも皆の顔から不安の色が消えることはなかった。
「 大丈夫だよ、これくらい。見た目より大した事ないんだから」
  龍麻はいつもの温和な声と笑顔で仲間たちにそう言い、マリイにも「全然痛くないんだよ」などと優しく言ってやっていた。
  如月はそんな龍麻の様子を数歩離れた所からじっと眺めていた。
「 そんじゃ、ひーちゃんの怪我が早く良くなるように、これからラーメンでも食って帰るか!」
「 京一ィ! 君は何かっていうとラーメンラーメンってさ、それしか頭にないわけ〜?」
「 うるせェな! 来たくなきゃ来なくてもいいんだぜ!」
「 行くに決まってんだろ! ね、みんなも行くよね!!」
  京一と並ぶ真神のムードメーカー的存在の桜井小蒔が、他の仲間たちに愛想の良い笑顔をふりまく。これから夜勤があるからと帰って行った高見沢舞子を除き、ほとんどの者がこれに賛同しているようだ。
「 お? 如月、どうした?」
  その時、 一人距離を取り、その群れから完全に離れようとしている如月に、すかさず京一が声をかけた。如月はいつもの無表情のまま「悪いが」と口を開いた。
「 仕事が残っているので、僕は失礼するよ」
「 あーん? そっか〜。ま、じゃあ気をつけて帰れよ!」
「 じゃあね、如月君!」
「 如月、わざわざすまなかったな」
  どこをどうとっても付き合いの悪い仏頂面の自分に、皆がそれぞれ人のいい笑顔を作って見送ろうとしてくれる。
  如月はひどく居心地の悪い思いを抱きながら、そこから離れて行こうとした。
  しかし、その瞬間――。
「 待ってよ、翡翠」
  龍麻が、呼んだ。
「 …………」
  黙って振り返ると、美里の治療のお陰で血も止まったらしい龍麻が、にっこりと笑いながら自分の元に駆け寄ってきていた。
「 俺も一緒に帰るよ」
「 え……」
「 えー! ひーちゃん、ラーメン行かねェのかよ!!」
「 そ、そうだよ、ひーちゃん!!」
「 龍麻……」
  京一は勿論、桜井や美里の残念そうな顔。如月は彼らの表情を一つ一つ確かめるように見回した後、当の龍麻を黙って見やった。龍麻は心底申し訳なさそうな顔をしてから、それでもやはり憎めない優しい笑顔をして、皆に両手で拝む真似をしてから言った。
「 ごめん。また今度な」





「 段々寒くなってきたよな」
  龍麻は如月の少し前を歩きながらそう言った。 薄暗い街灯と月の光くらいしかない夜道を、やや見上げるようにしてつぶやいている。如月はそんな龍麻には特に応えずに後に続いた。
「 なあ、知ってた? 今日の戦利品、遂に追儺の面が1個も取れなかったんだぜ」
「 今日は最初から奥に潜っていたからだろう」
「 うん、そうなんだよなあ。でも懐かしいよな。あの頃、京一が馬鹿みたいにあのお面を拾ってさ。それでしつこく翡翠のところに売りに行ってたじゃない」
「 そうだったね」
「 本当…翡翠が仲間になってくれてからも…結構あっという間なんだよな、月日が経つのって」
「 …………」
「 な、翡翠。今日も泊まっていっていいか?」
  突然話題を変え、ぐるんと振り返って自分の方を見てきた龍麻に、如月はひどい違和感を抱きながらもぶっきらぼうに答えた。
「 元からそのつもりなんだろう」
「 うん。へへっ、まあそうだけどね」
「 …………」
「 でも翡翠が駄目だって言うなら、帰るつもりだけど」
「 別に駄目じゃないさ」
「 そう? 良かった」
  龍麻はまたいつもの人好きのする笑顔でそう言うと、再び如月に背を向け、歩き始めた。
  如月は黙って龍麻の後を追った。

  そんな毎日が繰り返されていた。

「 ……龍麻」
「 ん?」
「 怪我は……大丈夫か」
「 ………」
  龍麻はすぐには答えず、しばらく歩く速度もそのままに夜の道を進み続けていた。 如月も再度訊こうとはせずにそのままその後ろをついていたのだが、しばらくして案の定声は返ってきた。
「 大丈夫じゃないよ」
「 …………」
  やはりか。
  如月は心の中でそんな思いを抱きながら、それでも黙って龍麻の次の言葉を待った。けれども龍麻はすぐにはその後の言葉を返さず、結局「如月骨董品店」が見えるまで無言で歩き続けた。



  如月が龍麻の傍にいると約束をしてから、数ヶ月。
  如月は以前よりも頻繁に以前の記憶を呼び覚ませるようになっていた。元々意識して忘れていたことだ。1度その扉を開けてしまえば、その周辺の事柄を思い出すのは容易い。
  幼くして己の護るべき存在―龍麻―と出会っていた如月は、当初こそその使命を知らずに彼と接していたが、やがて共にいることが多くなるにつれ、彼の力、彼の尊大さに気づくようになっていった。そして同時に、龍麻が自分とは相容れぬ世界の住人なのだと認識していくようにもなっていた。
  その頃の自分を、如月はよく夢に見た。


『 ついてくるな! 』


  あんなに拒絶したのに、それでも龍麻は如月と遊ぶと言ってしつこく後を付け回した。


『 君のその媚びたような目。イライラするんだ 』


  そう言うと龍麻は今にも泣き出しそうに顔をさらにくしゃくしゃに崩して、けれどもぐっと涙をこらえて如月の服の裾を掴んだ。
  そして。


『 翡翠は、僕の家来だろ!』


  ある日突然龍麻は如月にそう言い、自分に対して絶対服従するようにと言い放った。そして如月がその龍麻の言った言葉の意味と自らに課された使命の重さを理解し得たすぐ後に――。
  龍麻は、姿を消した。
  そして如月の記憶も、龍麻の姿と共に心の奥へとしまいこまれてしまった。


『 好きなんだ、翡翠のこと…… 』


  そう言って崩れそうになっていた龍麻と、あらゆるものを破壊してその上に立っていた龍麻と。
  双方を見せ付け、龍麻は如月の傍から離れて行ったのだ。
  それなのに今また――。



「 はい」
  龍麻は如月の家にあがりこむや否や真っ直ぐに居間に向かうとそこにどっかりと腰をおろし、傷を負った腕を如月に差し出して見せた。傷は美里の処置のお陰もあって、出血の痕がうっすらと見えるだけに回復していた。
「 手当てして」
  それなのに、当然のように龍麻は言った。
「 …………」
  如月が龍麻の傍に来て隣に座りこむと、龍麻はよりぐいと自らの腕を差し出した。
「 翡翠がちゃんと見ててくれないからだよ。俺が怪我したの」
「 …………」
  そっと腕に触れると、龍麻はより一層語尾を強めて後の言葉を続けた。
「 俺が怪我したの、翡翠のせいだ。だからちゃんと治してよ。ちゃんと俺のこと心配してよ」
  如月が何も答えずにその腕に触れているのもじれったいようになって、龍麻は身体を近づけると更に声を荒げた。
「 早く看てってば!」
  2人だけになると見せる、龍麻の剥き出しの感情。けれどそれはいつもではなく、本当に時々、龍麻が自らの《力》をより強く出せた後に多かった。
  如月は黙ったまま龍麻の傷口に自らの唇をもっていくと、そのままそこに軽いキスをした。
「 …………」
  龍麻は黙って如月のその所作を見つめている。如月も何も発せず、ただ唇を当てた状態から、徐々にゆっくりと、龍麻の傷痕にそって舌を這わせていく。
「 ………もういいっ」
  そうしてそれがしばらく続けられた後、龍麻はそう言って如月に差し出していた腕を引っ込め、代わりにだっと目の前の相手に抱きついた。
「 翡翠……ッ」
  縋るようにしがみついてくる手。声。
  如月は慣れたようにそんな龍麻の背中に両腕を回した。強く抱きしめてやると、龍麻はもっとというように自らもより近くにと身体をこすりつけ、顔をうずめた。
「 ねえ、何で…今日はあんなところで戦っていたんだよ」
「 あんな……?」
  如月が言われた言葉の意味を掴み損ねて訊き返すと、龍麻は思い切り気分を害した様子で言った。
「 俺からすっごく離れてた! それに俺は見てたのに翡翠は背中向けて。だから俺―」
「 ………わざと怪我したのかい」
「 別に、違うよ」
「 龍麻」
  如月の抗議するような声に龍麻はがばりと顔を上げてから、不安そうな顔を見せた。けれどもすぐに強がるような眼を閃かせたかと思うと、如月の胸をどんと叩いて声を荒げた。
「 何だよ…ッ。俺に文句あるの」
「 ………いや」
「 翡翠の馬鹿ッ!」
  龍麻はいたたまれないような顔をしてから、更に強く如月の胸を叩いた。如月は無機的な目のままそんな龍麻をただ見やった。
  本当は怒ってやりたいのに。
  優しくしてやりたいのに。

  感情を出してしまえば龍麻に知られる。自分の、この気持ちを。

「 ……翡翠……ごめん」
  そんな事をぼんやりと考えていると、突然龍麻が謝ってきた。如月が夢から覚めたような目で龍麻のことを見やると、その目の前の愛しい人は今にも崩れそうな顔をして、耳に痛いくらいの震えた声で言った。
「 ごめん、翡翠。怒った…?」
「 いや……」
  如月がすぐに答えると、龍麻は少しだけ安堵したような顔を見せた。
「 本当?」
「 ……怒っていたのは君だろう」
「 今日も一緒に寝てもいい?」
「 …………」
  戦った日の夜は決まって龍麻はそう言った。そして如月の横で目をつむった。如月がそれを想像してまた深く心内でため息をつくと、龍麻はそんな相手の様子に気づいたような顔をしつつも再びがばりと縋りついてきた。
「 嫌だって言ってもそうするから」
「 嫌じゃないよ」
「 ……嘘つき」
  龍麻は言ってから、自分自身を卑下するようにふっと笑った。





「 如月君、これ買ってくれる?」
  数日後、 珍しく一人で「如月骨董品店」にやってきたその客は、相変わらずの美貌を携えて店主である如月に愛想のよい笑みを向けてきた。
「 いらっしゃい。珍しいね」
「 一人で来ることが?」
「 ああ」
「 うふふ。でも私、本当は京一君よりもずっとがめついの」
「 ?」
  見たところ、手には学校鞄と小さな紙袋一つしかない。菩薩眼であり、龍麻とは特別なつながりを持つ彼女―美里葵―は、実に涼し気な顔で、怪訝な顔をする如月に持っていた紙袋を差し出した。
「 これ、幾らで買ってもらえるかしら」
「 ……失礼」
  如月は上目遣いに美里を伺い見てから、すっと近づき、紙袋を手にとって中身を覗いた。
  そこには懐かしい追儺の面があった。
「 ……君もこれかい」
「 偶然よ。この間一緒に潜ったでしょう? ふと足元を見たら落ちていたの。戦利品を集めていた時に一緒に出そうかとも思ったのだけど、風呂敷包みを持つ京一君があまりに大変そうだったから」
「 そうかい」
  自分にはどうでもいいことだ。如月はそう思い、素っ気無く返した。
  この誰にでも平等の笑みを送る菩薩眼、美里葵という女性が、如月は好きではなかった。
  ただならぬ空気を纏った彼女は、ただの美しい慈悲に満ちた「分かりやすい」人物とは少し違うような気がした。龍麻を見やる目も他の人間たちとは明らかに違い、全てを理解し、全てを許容しているかのような感じだった。
「 …龍麻は如月君と一緒に暮らしているの?」
  その時、突然美里がそう訊いてきた。如月がはっとして顔を上げると、そこには相変わらずの微笑みを見せている美里がいた。
「 何のことだい」
「 如月君は龍麻のことが好きなの」
「 ……何を言っているのか分からないんだが」
「 私は、龍麻が好き」
  美里はそう言い、ここで初めて一瞬だけ悲しそうな目をしてみせた。それすら彼女の演技だったのかもしれないが、しかし如月は美里のその表情一つだけで動けなくなってしまった。
「 彼の強いところも優しいところも」
  美里は言いながら、店の中を物色するようにゆっくりと歩き始めた。そしてそれと共に彼女の唇も軽やかに動く。
「 綺麗なところも賢いところも。全部が好きなの」
「 ……随分とはっきり物を言う人だったんだね」
「 そうは見えなかった?」
  美里はくるりと如月を振り返り、楽しそうに笑うと「うふふ」とまた笑声をたててから、同じ楽し気な口調で続けた。
「 でも如月君がそう思っていたのなら、その大人しい控えめな私も本当の私よ。……そして今の私も、本当の私……」
「 ……?」
  如月が眉を顰めると、美里の方は敢えてそれを見ないようにするためか、再び背中を向けた。
「 だからね、龍麻にもきっと多くの顔があって当たり前なのよ」
「 え…?」
「 私は、彼の全部が好き。そう言ったわよね」
「 ああ……」
「 如月君。私はね――」
  美里は相変わらず如月に背を向けたまま続けた。
「 彼の弱いところも、冷たいところも――」
  1度区切り、美里は言葉を一つ一つ確かめるようにしながら声を出した。それは一つの音楽のようだった。
「 醜いところも馬鹿なところも…全部が好きなの」
「 龍麻が醜い…?」
  違和感を抱いて多少の反論も込めて如月がつぶやくと、美里はそれには答えず、ここでようやく身体を相手の正面に向けるように振り返った。
「 痛いくらい如月君のことを好きな彼も――全部好きなの」
「 美里さん」
「 だから私は、煮え切らないあなたが嫌いなの」
「 ……………」
  何もかも分かっているのよ、という顔で美里は如月を真っ直ぐに見つめた。それは、龍麻を苦しめているのは全部お前だと言わんばかりの視線だった。
「 龍麻を護ることだけが、貴方に課された使命なの?」
  美里は言った。
「 それさえできれば、彼がいくら傷ついても構わないの?」
「 帰ってくれないか」
  ようやく口を開いて、如月は言った。
「 君には分からない。帰ってくれ」
「 ………気分を害したのなら、ごめんなさい」
「 思ってもいないことを口に出すのはよしてくれ」
  如月は初めて不機嫌な感情をもろに表に出し、吐き捨てるようにしてそう言った。
「 龍麻が君に何を言ったのか知らないが。僕は彼を傷つけているつもりなどない」
  この感情を抑え続けて彼と接している自分の気持ちなど、誰が分かるものか。
  ましてや、生まれながらにして彼と対等に並ぶことが定められたこの女などに、何が。
「 ……宿命と個人の感情を同じラインに並べないでね」
  美里は憤った様子の如月を静かな目で見つめたまま、そう言って店を出て行った。
「 ……くそっ!」
  如月は手にしていた面を思い切り地面に叩きつけ――。

  はあ、と息を荒くついた。





『 ねえ、翡翠。約束して 』


  その夜、如月は再び過去の自分と龍麻の夢を見た。


『 僕がまたおかしくなったら―― 』


  おかしく? どういう意味だ? 彼がどうなるというのだろうか。
  過去の自分はそれを龍麻に訊ねたようだったが、龍麻はそれには悲しそうな顔をして笑っただけで、解答はくれなかった。
  そして意味の分かっていない自分に何度も言った。
  別れる間際にも、何度も。


『 僕のことを呼んでね 』


  翡翠の声を聞いたらちゃんと帰ってこられるから。


『 僕のことを呼び止めて 』


  約束だからね。



To be continued…



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