(1)
「 …失礼します…」
控え目な音を立てて職員室のドアを開けた男子生徒を笑顔と共に迎えたのは、年配の男性教諭だった。
「 やあ、お早よう。転校生の緋勇龍麻君…かな?」
「 はい」
名前を呼ばれた男子生徒―緋勇龍麻―は、自分の事を知っている存在に出会えて、ややほっとしたような顔を見せる。長い前髪が邪魔をしているが、高校3年生の割にはあどけない瞳をしていた。
多くの人間に、良い第一印象を与えるだろう。
「 随分早い登校だね。やはり、初日は緊張するからかな」
「 あ、いえ……」
「 何でも、こっちには一人で出てきたそうじゃないか。受験のために、東京の予備校に通うんだって?」
「 …………」
「 うちの編入試験も、全科目満点だったらしいね。我が校きっての才女、美里君と張るのではないかって、先生たちの間じゃ、もっぱら評判だよ」
「 ……はあ」
「 何にしても、これから一年間よろしく。君は私のクラス…3年A組に入ってもらうから」
「 あ、はい。よろしくお願いします」
龍麻は男性教諭に向かって軽く一礼した。
「 こらこら、そんなに矢継ぎ早に質問したら、緋勇君が困るだろう」
転校生として前に立たされて紹介を受けた龍麻は、次々と自分に色々な質問をしてくる新しいクラスメイトたちに戸惑いながらも、やんわりと笑んで頭を下げた。
何だか分からないけれど。
龍麻は促されるままに窓側の後ろの席に座ってから、ついと外の景色を眺めた。
( 東京に、来ちゃったな……)
何の変哲もない毎日だった。
綺麗な水、豊かな緑に囲まれた郷里。優しい両親。楽しい友達。
何不自由ない生活を送っていたはずだった。
けれど。
( 誰かに呼ばれた…。それが誰なのか…人なのかも分からないけど)
確かに自分を東京に呼ぶ「何か」を龍麻は感じた…。そして、言い様のない気持ちにつき動かされるままに、今までの生活を置いて、この学校に来ていた。
何故か両親は理由も訊かずに自分を送り出してくれたけれど。
「 ま…がんばってみよう」
「 ん? 何か言ったか?」
龍麻の独り言にいち早く察したのは、前の席の男子生徒だった。
「 あ、何でもないよ…」
「 そっか。でも、こんな時期に転校なんてお前も結構悲惨だよな。何? 親の転勤か何か?」
「 あ、いや、ちょっと…」
「 ……うん? まあ、縁あって同じクラスになったんだ。仲良くしようぜ」
気さくにそう言ってくれるクラスメイトに微笑んで、けれど龍麻はどことなくざわついた教室の空気に気が付いて不審の声をあげた。
「 何かあったの?」
「 あ? 何が?」
「 何か周りが騒いでいるから……」
「 ……それって、天然?」
「 え?」
呆れたようにそう自分に問い掛ける男子生徒に、龍麻は眉間を寄せた。
「 その顔を見ると、やっぱ天然なんだ。面白い奴。みんなお前のこと見てんじゃん! 特に女子の視線を感じるだろー? 前の学校でも、モテたんだろ?」
「 ………」
「 でもさ、うちの学校可愛い子結構いるけど、学園のマドンナ、美里葵にだけは手を出さない方がいいぜ?」
「 美里葵……」
「 そ。学業優秀、スポーツ万能。優しくて美人で、非の打ちどころがない聖女さ。けど、やたらと危ない野郎がバックで目を光らせててな」
「 ふうん」
「 まあそういう輩と関わらなければ、割かし住み心地はいいぜ。あーあと、妙な記者かぶれの女がいるから、それにも気をつけた方が―」
そう言って、HR中延々と話をしてくれるクラスメイトの話を耳に入れながら、龍麻は心の中でぼんやりと先刻見た空の景色を思い出していた。
放課後――。
「 あっ、帰るのか? 緋勇?」
「 うん」
「 部活とか入らねえ? 俺、剣道部なんだけどさ」
「 あ、う〜ん……」
「 はははっ、無理にとは言わねえよ。ま、考えといてくれよ。じゃあな!」
「 うん」
初日から親しく話をしてくれる人間に出会え精神的にもほっとしていた龍麻だったが、かといって流されるままにクラブ活動をするつもりはなかった。
自分が何故、この地に呼ばれたのか。
それを知りたいと思った。
( でも、今日はひとまずさっさと帰って荷解きしよう)
しかしそう思って教室を出た途端――。
「 あ、良かったー間に合った! 君でしょ、転校生の緋勇龍麻君って」
突然、龍麻を呼び止める女子生徒がいた。長い髪に眼鏡をかけた、いかにも快活そうな女の子だ。
「 ふう〜ん。成る程成る程。噂に違わず、イイ男ね。こりゃあ、そこらの女子共はほっとかないわ」
「 ……何か用?」
「 あらっ。でも、初対面の人に、結構つっけんどんなのね。それって減点一」
びしりと鼻先に指をさされて、龍麻は思い切り戸惑った。初対面の相手に十分失礼な態度を取っているのは、この女子生徒の方だと思うのだが。
「 紹介が遅れたわね。私、B組の遠野杏子。みんなはアンコって呼ぶけど。新聞部の部長をやってんのよ。よろしくね」
「 あ、どうも…」
「 早速だけど、ちょっと取材させてくれない? 噂の天才美少年・緋勇龍麻、独占インタビュー!」
「 は? あ、あの……」
「 先生から聞いたわ〜。編入試験、全科目満点だったんですってね! かなりすごいじゃない。それでそのルックス・スタイルでしょ〜? 読者様も、そういう人の情報には目がないのよね〜」
「 で、でも俺、今日はちょっと…」
「 え? もう帰るわけ? じゃあ、一緒に帰らない? その間に親交を深めて…」
困った。
龍麻は、ものすごい勢いで自分を押し負かそうとするこの遠野と名乗る女子生徒に、完全に翻弄されていた。こういうタイプはちょっと、いや、かなり苦手だ。女の子と話すのが元々それほど得意ではないから、強引な子に関しては尚更だった。
けれどその時、天の助けなのか、それとも最悪な状況なのか。
「 おら、どけよっ! こんな所でいちゃついてんじゃねえっ!」
いやにドスの効いた声が廊下中に響き渡ったかと思うと、龍麻たちに近づいて来た者たちがいた。
「 佐久間…」
遠野がつぶやく。いかにも柄の悪そうな、いかめしい面をした男子生徒だった。その者に続いて、何人かの不良たちが背後からやって来る。そして、そのうちの一人が「あぶねえっ! 気をつけろ、馬鹿が!」と言って、わざと龍麻にぶつかってきた。
「 ちょっと何よ、あんた達! 危ないじゃない!」
「 うるせえッ、ブンヤ! 目障りなんだよ、てめえは!」
「 何ですってえ〜!」
「 おいおい、やめとけよ、アンコ」
すると、佐久間という男子生徒の背後から、いやに涼し気な顔で歩いてきた人物がそう言って遠野をたしなめた。赤い髪をした、不敵な笑みが印象的の男子生徒だ。
「 あ、いいところに来たわね、京一。ちょっと、こいつら何とかしちゃってよ」
「 いやあ、頼まれるまでもなく、今からこいつらとバトッてくんのよ」
「 え!? な、何それ!?」
喧嘩をそそのかしたのは自分のくせに、それをすぐに肯定した「京一」とやらに、遠野は意表をつかれた声を出した。
「 何かよ、俺がただ単に美里と話してただけで、この馬鹿がいきなり喧嘩売ってきやがってよ〜」
「 蓬莱寺、いいからさっさと来ねえか」
「 おいおい、いきなり転校生に難癖つけて足止めしたのはお前らだろ」
そうして「蓬莱寺京一」という男子生徒は、親し気な笑みを龍麻に向けると「悪いな」と軽い口調で言ってきた。
「 来るのか、来ねえのか!」
「 はいはい、と」
佐久間に促され、京一は遠野や龍麻に「じゃあな」と軽やかに挨拶をした後、彼らの後に続いて階段を下りて行ってしまった。
「 た、大変だわ、こうしちゃいられない…っ!」
すると遠野の方もそれだけを言うと、もう龍麻の存在など忘れたかのようになって、だっとの勢いで彼らの後を追って走って行ってしまった。
一人残された龍麻は暫くその場に立ち尽くしていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「 嫌だな…」
あまり関わり合いになりたくはない。転校してきたばかりだ。できることなら控えめに、目立たないように過ごしたい。
「 でも、気になるんだよな、こういうの……」
龍麻はやや嘆息してから、彼らの後を追った。
「 何だよ、お前? 心配してついてきたのか? それとも、ただの野次馬か?」
龍麻が校舎裏にたどり着いた時には、もう勝負はついていた。
ボコボコに殴られたらしく、苦しそうに地面にはいつくばっている不良共。
それに倒れてはいないが、かなりの痛手を負っているらしい、佐久間。
そして、勝者の蓬莱寺京一は、相変わらずの余裕の態度だ。
「 おい佐久間。お前は醍醐ンところのレスリング部だし、今回はこれで勘弁してやるよ。これに懲りたら、二度とくだらねえ因縁つけてくんじゃねえぞ」
「 ふざけやがって…」
「 お? まだやるってのか?」
「 もういいんじゃない、京一。あんた、この間の卒業式に大暴れしたばっかでしょ? このくらいにしといた方が」
「 んだよ、アンコ。見物の時はやけに過激なこと言ってたくせによ。…ははあん。てめえ、この転校生の前でいい子ぶろうってんだな?」
「 …殴られたいようね、あんた」
「 へっ、図星かよ」
「 あのね〜!」
「 京一君っ! 大丈夫!?」
その時、ぽかんとしている龍麻の横をすっと通り過ぎて、一人の女子生徒が京一たちの方へと駆け寄ってきた。その後にもう一人、やたらとガタイの良い男子生徒が続く。
「 あら、美里ちゃんと醍醐君。もう片はついたわよ」
「 佐久間、お前…」
「 ちくしょう…てめえら、覚えてやがれ!」
醍醐と呼ばれた生徒を見ると、佐久間はぎりりと歯ぎしりしたものの、すんなりと引いて去って行った。その後ろ姿を眺めながら、京一が両肩を軽く上下させる。
「 あんなのを部員に持つと、部長も苦労するなあ、醍醐」
「 京一。お前もやり過ぎだ」
「 お? 何だよ、あいつらの味方か? 俺は一方的にあいつらにだな…」
「 分かっている。だが、喧嘩にも限度というものがあるだろう」
「 へーへー」
醍醐には逆らえないのか、京一はいやに殊勝になって、決まり悪そうに頭をかいた。
「 ところで君」
「 あ…」
ふいに醍醐に視線を向けられて、龍麻は戸惑った声を出した。
「 君も佐久間たちに何か?」
「 いや、俺は別に……」
「 こいつは、俺があいつらに多勢に無勢だったんで、助けてくれようとしたみたいだ。サンキュな。けどよお、悪いけど、お前ってそんなに腕が立つようには見えないんだから、あんま意地張って無理すんなよな」
「 何失礼なこと言ってんのよ。…まあ、弱そうではあるけどね」
遠野もそう言って京一と一緒にくすりと笑った。側にいる「美里」というらしい噂の美少女も、やんわりと笑んでこちらを見ている。
龍麻は、まあいいかと思いながら、うんと頷いて微笑んだ。
とりあえず、自分の《力》は見せずに済んだ。
「 じゃあ、これで…」
「 おう、じゃあな」
龍麻の去っていく後ろ姿を何となく眺めていた4人だったが、やがて京一が思い出したように遠野を見た。
「 ところで、あいつの名前、何ていうんだ?」
「 何か、散々な一日だったなあ」
部屋に散らばるダンボールの中身を一つ一つ取り出しながら、龍麻はそう言って一人でぼやいて見せた。
「 俺、騒がしいの苦手なのに。やっぱり、東京の高校は怖いよ」
そして、ふと郷里が恋しくなってしまう。
「 あーあ、何してんだろうなあ」
その時。
ピンポーン。
チャイムの鳴る音が部屋中に響いて、龍麻は驚いて背後にある玄関のドアを見つめた。こんな時間に誰が訪ねてくるというのだろう?
両隣には引越しの挨拶は済ませたはずだし。
「 はい?」
ドアの前まで歩いて行って、外にいるであろう人物に声をかける。
「 どちら様ですか」
「 ……緋勇、龍麻君ですか」
「 そうですけど…?」
「 僕は、拳武館高校の壬生と言います。貴方に話したいことがあるのですが、少しだけ時間を頂けないでしょうか」
その声にも名前にも、龍麻には覚えがなかった。
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