(2)
「 あの…一体、何の用ですか?」
まさか素性の知れない人間を部屋に入れる気もしなくて、龍麻は「壬生」という青年に誘われるまま、外に出た。
すらりと背の高い、そして鋭い眼を有したこの壬生という男に、龍麻はどことなく暗い影を感じて自然身体を強張らせた。
何だか、怖い。
龍麻はただ単純にそう思ったのだが、そんな感情を知ってか知らずか、壬生は静かな表情をたたえたまま、唐突に質問してきた。
「 …貴方がこの街に来たのは4月に入ってからですか」
「 え? あ、ああ、そうですけど…」
「 何故」
「 何故って…。そんなのいいじゃないですか。何なんですか、一体…」
さすがにむっとして龍麻が不平を述べると、壬生はしかし一向に厳しい目つきを崩さぬままに、すっと龍麻に近づいてきた。
そして。
「 失礼」
「 え…っ!?」
突然、龍麻に攻撃を仕掛けてきた。
壬生の長い足から発せられた蹴り技に、龍麻は思い切り意表をつかれた。
「 なっ!」
寸前のところで交わし、けれど体勢を崩して壬生の第二打を迎えうたなければならなくなる。無意識のうちに戦闘の構えだけはしたものの、容赦ない壬生の蹴りが激しく叩きつけられてきた。
「 っつ…!」
腕で受け止めはしたものの、ひどく鈍い痛みを感じて顔をしかめる。それでも壬生の攻撃は止まない。しかも、その全てが相手を一撃で仕留めかねない、危険な足技ばかりだった。
( こ、こいつ…っ!)
しかも次々と仕掛けてくる割には、その顔からはまったく感情が感じられない。人間としての温かい部分も、逆を言えば冷たい部分も。
この男からは何も感じられない。
「 いい加減に…っ!」
そして、龍麻がようやく反撃の態勢を取り、自らの拳を出そうとした瞬間。
そして、あの《力》を使おうとした瞬間。
壬生が、微かに微笑んだ。
「 ……っ!?」
驚いた龍麻に、壬生は初めて拳を繰り出す。
「 う…わっ…!」
やられたと思い、龍麻は目をつむった。
しかし壬生から繰り出された拳は、龍麻の目の前でぴたりと止まった。
「 ……」
たちまち、辺りは静寂の夜にかえる。
やがて壬生が独り言のようにつぶやいた。
「 もう目覚めているんだ」
「 え…?」
龍麻の問いかけに、壬生は答えなかった。代わりに違う言葉を発する。
「 いきなりこんな事をして…悪かったね」
「 ……? な、なん、だよ…?」
「 君の力が、見たかったんだ」
壬生は初めて気安い口調を発してきて、そうして自らの拳を収めた。
「 見たところ緋勇。君には武道の心得があるようだ。それをどこで?」
「 どこでって…子供の頃からだよ。近くに道場があったから」
「 そうか。その道場の師範が君をここへ…東京へ差し向けたのかい」
「 別に…。それより、お前は…っ!」
「 壬生紅葉だよ」
あっさりと龍麻の言葉を訂正して、壬生は無表情のままだ。
「 …! そんなこと、訊いてないよ! 一体、何が目的でこんな事っ!」
「 ある人に頼まれたのさ。君がこの街に来た理由と…君がこの街で生き残れる力を持ちうるかどうかということ…それを確かめてこいってね」
「 え…?」
「 その人には世話になっているからね。僕も理由は知らないが、命ぜられたから来た。それだけだよ」
「 その人の名前は?」
「 それは言えない。ただ君は、君が望まずとも、本来ならばその人によってこの街に来るはずだったんだ。なのに君は、誰にも何も言われずに、この新宿の真神に来た。そのことを知って…あの人は驚いていた」
「 ……」
「 君とは、また会うことになるかもしれない。その時まで…」
「 ちょっと待てよ!」
「 ……」
去りかけた壬生を龍麻は思わず呼び止めた。壬生が相変わらずの鉄面皮で静かに振り返る。
「 俺…俺は、自分がどうしてこの街に来たのか、分からないんだ」
「 ……」
「 ただ…誰かに、呼ばれた気がしたんだ。だから…」
「 もし、君がそう感じたというのなら」
壬生は澄んだ声で龍麻にはっきりと言った。
「 多分、君を呼んだのはこの街そのものだろう…。または、この街に住む、人々の想いか…」
「 ……?」
「 分からない? …きっとそのうち、分かるよ。緋勇、君なら」
「 じゃあ…この街に住むお前も、俺を呼んだ?」
「 僕…?」
急にそんなことを問われて壬生はここで初めて戸惑ったような声を出した。
そうして、やや自嘲気味に笑うと。
「 いや…僕は違うよ」
そうしてそのまま去って行く壬生を、龍麻は黙って見送った。
誰なんだろう。
何なんだろう。
この自分の中に眠る「何か」。得体の知れない、不思議な《力》。
いつから使えるようになったのかも、何故、感じるのかも分からない。
ただ…答えが、知りたい。
「 あれ…?」
転校3日目。放課後。
どこからともなく感じる違和感に、龍麻は首をかしげた。
何だろう。何か、ひどく陰鬱な《氣》を感じる。
「 よ、緋勇」
龍麻がその気配に気を取られていると、不意に背後からいやに親しみのこもった声がかけられてきた。
「 あ、えーと、君は…」
「 何だよ、名前、言ってなかったっけか? 俺だよ、C組の蓬莱寺京一。一昨日、佐久間の野郎を叩きつぶしてやった。忘れたのか?」
「 そ、そんな事ないよ」
「 そうか〜? 何かお前、ぼーっとした奴だなあ。お前の噂、結構うちのクラスにも届いてきてんだぜ? 女子共が『きゃー可愛い』『かっこいい』って、何かかなり印象違う感想言い合ったりよ」
「 そ、そうなんだ…」
蓬莱寺の話を聞いていないわけではなかったが、龍麻は先刻感じられた妙な氣の気配が気になって仕方なかった。思わず、蓬莱寺の話の腰を折って訊ねてみる。
「 なあ、それよりさ。あっちの方には…何があるの?」
「 んー?」
龍麻の指を示す方を見やって、蓬莱寺は一瞬だけ怪訝そうな顔を見せた。けれどすぐにつまらなそうな顔をして、「ああ旧校舎のことか」と言った。
「 旧校舎?」
「 ああ、今は使ってなくて、近々取り壊されるとか何とか言ってたけど。あそこがどうかしたか?」
「 そこへは入れない?」
「 ああ? …何かあちこちガタがきてて危ないらしいから、立ち入り禁止だったと思うぜ? ホント、お前大丈夫か? 何か、ヘンだぜ?」
「 えっ…」
蓬莱寺の言葉に、龍麻は思わずぎょっとした。
「 へ、変って…何が?」
「 んー。何かうまくいえねえけどよ。ま、とにかく、人と話してる時くらい、自分の世界にひたるのはよせや。あんまいい印象持たれねえぜ」
「 ご、ごめん」
「 へっ。別に俺はいいけど。せっかくモテる顔してんだから、あんまくだらないところで損するなよ」
蓬莱寺はそう言って龍麻の側から離れていった。
( 俺…そんなにおかしかったかな…?)
何故だか胸の奥を針で刺されたような痛みを感じて、龍麻は少しだけその場に立ち尽くした。確かにあの不思議な力に目覚めてからの自分は、今までの自分ではなくなったような気はする。でも誰かと仲良くしたり楽しく生きたいという想いは、変わらずあるはずなのに。
「 ……あーやめやめ! 暗くなるのは!」
龍麻は自分の重くなる気持ちをなぎ払うかのように、独り廊下で声を出した。
そして、迷わずに旧校舎の方へと足を向けた。
「 うわ…ホントに、気味が悪い」
まだ夕刻には早い時間だというのに、どことなく陰をなした古い建造物に、龍麻は無意識に眉をひそめた。
「 でも、確かに…ここから、何かを感じるんだ…」
どこからか入る道はないだろうかと、龍麻はとりあえずぐるりと校舎の周りを一周した。そして、この建物の側にいればいるほど、何かが自分を呼んでいると確信する。
「 何だろう…すごく、寒いや…」
ぞくりと悪寒を感じて龍麻が身震いした時。
すぐ側で、物音がした。
「 ……!」
ぎくりとして振り返ると、旧校舎に入れそうな隙間から今まさに出てこようとしている人影が見えた。かなり狭い入り口に見えたが、そこから出てきた人物は、軽い身のこなしでひょいと表に姿を現すと、何事もなかったかのようにぱんぱんと身体についた埃をはらっていた。
( だ、誰なんだ…?)
どうやら高校生のようだが、真神の人間ではない。見慣れないネクタイをした、華奢な身体つきの青年だ。横顔しか見えないが、実に端麗な顔つきをしている。そして、どことなく不思議な雰囲気…。
「 ……君」
「 えっ!」
彼を見ていたのは龍麻で、向こうはこちらになど視線すら向けていないのに。
正体の知れない高校生は、龍麻の存在にとっくに気づいているようだった。
いきなりぶっきらぼうに声をかけると、ついと龍麻の方を見てきた。
「 僕がここに入ったこと…他言はしないでくれないか」
「 え…?」
「 別に悪いことをしているとは思わないが、周りに知られると色々面倒だから」
「 べ、別にいいけど…」
「 ありがとう」
笑顔のかけらも見せずに、しかしその男子高校生は龍麻に一応礼を言うと、やがてつかつかと歩みよってきて素っ気なく言った。
「 礼と言っては何だが、気が向いたら店の方にでも来てくれ。良い品を用意しておくよ」
「 み、店…?」
「 北区の方で骨董品店を営んでいるんだ。興味があったら来るといい。特に、君みたいな力を持つ人間には…役に立つものもあると思うよ」
「 ……!」
龍麻の驚きをよそに、それだけを言うと、その骨董品店を営んでいるらしい謎の高校生はすっと消えてしまった。
「 な、何なんだ…一体…」
しばし茫然とした龍麻だったが、けれど彼のおかげで旧校舎への入り口を見つけることはできた。
龍麻は、その中へと歩を進めて行った。
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