(10) 「 悪いが、僕は君たちと手を組むつもりはない」 如月はきっぱりとそう言った。冷たい眼だった。 「 それに、そもそも君たちにもこの件からは手を引いてほしい。これは僕が片付けるべき事件なんだ。僕の仕事だ」 頑なな態度だった。 自らの使命を重んじる如月らしい態度といえばそれまでだったが、その言い様は周囲の者を完全に拒絶しているような感じだった。 港区で起きている失踪事件――。 龍麻が倒れてしまったため、芝プールの調査は一日日延べされたが、その赴いた日に丁度現場で事件を感じさせる異臭騒ぎが起こった。 そして龍麻たちがそこへ向かおうとした先に、如月はいた。彼は龍麻たちの行く手を阻み、そうして先刻の言葉を吐いたのだった。 君たちは関わるな…と。 そしてそれまではちらとも視線を向けなかったのに。 去り際に、一瞬だけ。 龍麻に瞳を向けた。 「 何なんだ、あの野郎はッ! えっらそーによ!」 一旦現場から離れた後、落ち着いた矢先に京一がまず一言そう言い放った。 「 京一」 怒ったような京一を醍醐がなだめる。 「 だってよ、せっかくこっちが心配して言ってやってんだぞ? それをあの傲慢な態度! 何様だっての!」 「 まあ、この馬鹿の言い方はともかく、やっぱり如月クンが心配だよ。それにさ、彼はああ言うけど、これはボクたちにだって関係のある事件だよ。ほっとくなんてできない」 小蒔が真面目な顔をしてそう言った。 「 そうだな。俺も桜井の意見に賛成だ」 「 けっ…」 「 でも、どうする? こっちはこっちで勝手に調査していく? ボクはやっぱりもう一度如月クンを説得したらどうかと思うけど」 「 そうだな。…龍麻」 そこで醍醐はすぐに龍麻のことを見やって言った。 「 お前は俺たちよりあいつと付き合いも長いし、一言言ってはくれんか」 「 えっ…」 「 別に群れるのが嫌いならそれもいいとは思うのだが。俺たちはこの件から手を引く気はないし、それならこの事件だけでも協力した方が互いのためだということをお前から言ってほしいんだ」 「 俺が…」 「 ひーちゃんと如月クンは仲いいもんねッ」 「 まあ…奴もひーちゃんの言うことなら聞くだろうぜ」 「 でも嫌ならいいのよ、龍麻?」 美里だけが3人と正反対なことをさらりと言って笑っていたが(京一でさえ醍醐の意見に賛成しているのに)、龍麻は困ったようになって俯いた。 「 俺が言っても…聞かないと思うけど。あいつ、頑固だし」 「 まあ駄目で元々だ。それにああいう言い方をしていたが、如月が俺たちのことを気遣って言ってくれたのは確かだ。それなのに俺たちがあいつの忠告を無視したと思われるのも何だしな」 「 そうそう。それにこれからもお店に行くことあるしさ。あ、そういえば回復アイテム、もうないよ! ついでに買いに行こうよッ」 小蒔は良いことを思いついたように手を叩き、軽く言った。 「 しかし、皆で行くとまたあいつが警戒しそうだしな。龍麻、お前行ってくれるか?」 醍醐の意見に龍麻はまた面食らった。 「 俺…一人で?」 龍麻が躊躇したように小声で言うと、京一が口を挟んだ。 「 駄目だ! ひーちゃんを一人であいつン所に行かすなんて! 俺も行く!」 「 あのねえ…。ひーちゃんはボクたちと一緒に行動する前は、如月クンの所には全然一人で行ってたんだよ?」 呆れたように事実を言う小蒔に、京一は憮然としている。 「 だからそのハンディを今俺が一生懸命補ってんだろーが! それをお前らが邪魔してだな…」 「 はあ? 何言ってんだよ、この馬鹿ッ!」 小蒔がそう言って京一の頭をはたく。その横で女神のような笑みを浮かべていた美里が一言。 「 じゃあ、私も行くわ」 「 ……ん?」 「 な、何ィィィ!」 「 あ、葵…?」 3人が呆気に取られて美里を見る中、女神は落ち着いた微笑でさらりと言った。 「 だって龍麻が心配なんですもの」 「 あ、あのさ? でも葵? さ、3人で行くのは多いんじゃない?」 「 そ、それにその面子はなあ…」 醍醐と小蒔にしてみれば、如月のお気に入りである龍麻だけを行かせて、彼を自分たちの仲間にしたいと考えているのに、余計なのが京一だけでなくもう一人、しかもそれがモノスゴク強力なお方となると、この作戦は失敗したも同然だ。 「 …俺と龍麻で行くか」 醍醐がため息をつきながら言った。 京一と美里はかなり渋ったが、最終的に当の龍麻が醍醐の促しに頷いたので、2人は仕方なく小蒔と共に帰宅して行った。 「 よし、じゃあ暗くなる前に行くか」 「 …醍醐」 「 ん?」 「 …いや、何でもない」 4人の茶番を他人事のように見ていた龍麻は、とうとう自分が本当に如月の所へ行かなければならなくなって茫然とした。幸い、醍醐が一緒と言うが、まともに如月と面して、話すことなどできるだろうか。 あれ以来、会っていないのだ。向こうからも連絡はない。 それでいて、今日会った時のあの冷たい眼―。 あの時全面的に悪いのは自分だと如月は言っていた。龍麻は悪くない。悪いのは如月自身だと言っていた。だから後ろめたいことなどあるはずもなかった。 でも、それでも今日の如月を、あの態度を見てしまうと、龍麻はやはり自分がいけないのだろうかと考えてしまう。そしてそう思ってしまう自分に腹が立つし、そう思わせる如月にも苛立たしさを感じた。 けれど。 『 悪いが、僕は君たちとは―』 如月の拒絶の言葉。胸が痛い。あの時もひどく胸が痛んだと、龍麻は思った。 店は閉まっていた。 …と、言っていいものかどうか、とにかく店の戸にはひどく乱雑な字で「準備中」という張り紙がしてあった。いつもは閉まっている時でもそんなものはないから、龍麻と醍醐はお互い不審に思って顔を見合わせた。 「 …まあ、別れたばかりだしな。まだ戻っていないんだろう。しかし、それにしても」 醍醐は顎に手をやってから少しだけ戸惑ったように言った。 「 その、何というか…。まあ人を見かけで判断するのも何だが、如月の奴はもう少し巧い字を書くというイメージがあったがな。これは何とも…」 そう言って醍醐が言いにくそうにしている張り紙「準備中」という文字は、確かに贔屓目に見てもうまい字だとは言えなかった。どちらかといえば適当に殴り書きしたような感じのものだ。 「 …いないんだから帰らない?」 龍麻は言った。ほっとしたような、がっかりしたような複雑な気分だった。 「 そうだな。ん? いや、待て。中に誰かいるぞ」 醍醐は言って、店から離れようとする龍麻を声で止めた。ガラス戸の向こうには確かに人の気配があり、それは何度か逡巡したように動いてから、やがてこちらに近寄ってきた。 ガラリ、と戸が勢いよく開けられる。 「 何だ、おめーら。客かよ?」 乱暴な言葉遣いだったが、出て来たのは龍麻たちと同じ高校生らしかった。しかも女子高生だ。見慣れない高校のものだが、制服を着ている。茶色の髪を上で結わえた、快活そうな雰囲気を有した人物だった。 「 この文字が見えねえのかよ。今は店はやってねーんだ。分かったら、さっさと帰った帰った!」 「 君は? 俺たちは如月に…ここの店主に用があるんだが」 醍醐がそう言うと、相手は不機嫌そうな顔をした。ずいと醍醐に近寄って言う。 「 おいおい、人に名前を訊くなら、まずてめえが最初に名乗れよな。翡翠のダチなのかもしれねーけど、俺はあいつに義理立てしなきゃならないもんはねーんだからな」 「 あ、ああ、そうだな、すまない。俺は真神学園の醍醐というものだ」 醍醐がやや気圧されながらそう言うと、相手の少女はぴくりと反応してから、不快な表情を消した。 「 …へえ、あんたが醍醐かよ。小蒔のダチの」 「 桜井を知っているのか」 「 まあな。っていうと、そっちが…ん? 京一ってやつじゃなさそうだ。黒髪だから…緋勇龍麻?」 「 あ、ああ…」 龍麻が頷くと、相手は物知り顔で笑った。 「 ふ〜ん、あんたが緋勇ね。この間は妹の雛乃が世話になったな」 「 妹?」 「 ああ。俺は織部雪乃。雛乃の姉…ってやつだな、一応」 そうして雪乃は如月とは腐れ縁だよ、と簡単に雛乃が言ったことと同じようなことを話した後、怒ったように喋った。 「 ったくよ。雛乃が頼むから来てやったけど、あのやろー、ずっと俺にこんな訳の分からねえ店の番なんかさせやがってよ! ここんところあいつは出掛けてばっかなんだぜ」 「 …し、しかし店は閉めているようだが…」 「 ああ!? さっきまでは開けてたよ。けど、俺だってあいつが帰ってくるまでは待ってらんねえからな。丁度帰るとこだったのさ。それより…」 雪乃は一人で早口にまくしたてた後、ちらと龍麻の方を見やった。 「 緋勇は最近、翡翠の奴とうまくいってないのか?」 「 え…」 「 あいつ、妙だからな。様子がよ」 「 ……」 「 ま、俺には関係ねえことだけど、最近まで馬鹿みたいにあんたの話をしてたあいつが、このところぴたりとお前の話をしなくなったし…ま、これは雛乃が言ってただけで、俺は別に気にならなかったけどな。喧嘩でもしたかよ」 「 そうなのか、龍麻? だからお前、さっきから様子が変だったのか」 醍醐が慌てたように龍麻の顔を覗きこんだ。龍麻は二人の視線が急に自分に集中したことで、ひどく居心地の悪い気持ちがして俯いた。 「 別に…してないよ。あいつと喧嘩なんてできない」 実際そうだった。こちらが怒っても向こうは怒らない。一方的にまくしたてたのは自分だけだし、全面的に悪いと認めたのもあいつ。 だから、喧嘩なんかできようはずもないのだ。 「 な〜んだ、つまんねえ」 すると、急に雪乃がそう言って皮肉な笑みを浮かべた。龍麻が怪訝な顔を向けると雪乃は素っ気なく応えた。 「 いや、お前も俺らと一緒だなと思ってさ」 「 何が…」 「 お前、あいつのこと理解ってないんだろ? どういう奴かって」 雪乃の言葉に龍麻は声を詰まらせた。如月がどういう人間か? それが分かったら苦労はしない。 「 分からないよ…。あいつの考えてることなんか。そっちこそ、小さい頃から一緒なんだったら俺なんかより…」 「 馬鹿馬鹿。んなこと関係ねえって。俺らだってあいつのこと全然分からねえよ。ま、あいつはガキの頃からここの爺さんに自分の感情を消すよう躾られてたし、ひょっとするとそういう大事なものが欠けてるのかもな」 「 えっ…」 「 おい、それは」 醍醐が眉をひそめて雪乃の発言を否定しようとすると、先んじて雪乃が言った。 「 こんなこと言ったら雛乃あたりに怒られるんだけどな。でもそれくらい、あいつが自分の感情を表に出すのは少ないってことだよ。いや、今までなかったんじゃないかな。…緋勇、あんたがあいつと知り合うまでは」 「 俺と……」 「 まあ、あいつも今何か忙しいみたいだし。使命感のやたらと強い奴だから、今はちょっとだけ昔のあいつに戻ってんのかな。まあ、それが終わったら、とにかく仲良くしてやってくれよ。余計なお世話だけど」 最後にそう言って照れたように笑った顔は、どことなく優しいもののように龍麻には感じられた。 結局、龍麻と醍醐はまた明日出直す約束をして、如月の店を後にした。 『 忘れるな 』 柳生の声が龍麻の頭に響く。 『 お前は独りだ。お前は、敗れる者――』 眼をつむると、その声はより鮮明に龍麻の脳に語りかけてきた。 あの紅い存在は、きっと自分よりも遥かに強固な意志と力を持ち。 そしていつか自分を殺しに来る。 その時、自分はどんな顔をしてあいつと対するのだろう。 龍麻は全身から湧く悪寒を振り払うように、2、3度頭を振った。 そうして、名前を呼んでみた。 翡翠…。 龍麻がアパートに戻ってきた時は、すっかり夜も更けていた。 時計がなかったから何時なのかは判らない。ただ、風もなく蒸し暑い気温にうっとおしい汗を感じながら、龍麻は多少イラついたように下を向いて家路へと向かっていた。 だから建物の前に来るまで気がつかなかった。 そこに如月が立っていたことに。 「 ………え」 「 お帰り」 如月は龍麻とは違い、龍麻の存在には当に気がついていたようだ。 視線が合うことを待っていたかのように、じっとこちらを見つめてきていた。 「 な…」 完全に意表をつかれてしまい、龍麻には言葉を出す術がなかった。 何を言って良いのか判らない。どう接して良いのか判らない。昼間会ったばかりだ。何ということはない。頭ではしきりにそう言っているのだが、どうしても行動がそれに追いついていこうとしない。 「 龍麻、君に話があってね。待っていた」 「 ……何……」 「 昼間にも言ったことだが、あの事件に関わるのはやめてくれ」 如月は日中と変わらず、頑とした眼を向けてそう言った。 「 これは僕が解決する問題であって、君たちが出てくる必要はない。醍醐君たちにも昼間言ったね。だが、あの様子だととてもあのままおとなしく引っ込んでいるとも思えなかったので、君にもう一度忠告にきた」 「 ……忠告?」 「 君の言うことなら、彼らも聞くだろう。君が一言、この件は僕一人に任せようと言ってくれれば、彼らも納得するはずだ」 如月の口調は淡々としていた。その話し方は以前とどこも変わりないようではあったが、それでも龍麻にはひどくよそよそしく感じられた。 一気に不快な感情が表に出てくる。 如月から視線を逸らすと、龍麻は何も言わずに2階の自分の部屋へと向かおうとした。とにかく、ここにはいられないと思った。 「 龍麻」 しかし、如月がそれを善しとせずにそんな龍麻の手首をつかんだ。 龍麻の胸の鼓動がとくんと鳴った。 「 触るなッ!」 けれど出て来た言葉は。 如月を拒絶する言葉だった。 言われて如月もはっとしたようになり、すぐに龍麻への拘束の手を離した。一瞬だけ辛そうな顔をしたが、すぐにそれをしまうと静かに声を出した。 「 すまない。だが、龍麻―」 「 うるさい! 俺にそんな話をするな!」 龍麻は如月の話を遮断するとそう叫んだ。 「 そんなことは俺は知らない! 何でそんなこと俺がみんなに頼まないといけないんだ! お前が独りで戦うのは勝手だけど、俺はみんなが行くと言えば行くし、どっちだっていいんだ、そんなことは!」 「 そんなこと…?」 如月の非難するような声に、龍麻ははっとして黙りこんだ。 これは以前、自分がなりたくないと言っていた姿ではなかったか? 「 龍麻」 「 うるさい!」 如月の顔を見ることができなくて、龍麻はただそれだけを言い、下を向いた。何だか自分が惨めでつらくて、泣き出しそうなのに涙が出ない。如月の前から消えたいのに動けない。そんな自分を無性に許せなく思う。 「 俺はお前の顔なんか見たくないんだよ! 言っただろ!」 「 ああ」 何故今こんなことを自分は言っているんだろう。頭の片隅で不思議に思ったが止められなかった。 「 なのに、何で来たんだよ。お前なんかに会いたくなかったんだよ、俺は!」 「 分かっている。そのことは謝る」 こいつは何だってそんな風に謝るんだ。むかつく。 「 謝るなよ! そんな言葉、欲しいんじゃない…っ」 じゃあ自分は何が欲しいのだろう。分からない。何が言いたいのかも分からない。 「 お前なんか…いっつもそうやって俺を見下して、馬鹿にしているんだ。そうだろう?」 「 違う」 初めて如月は表情を曇らせてそれだけ言った。苦しそうだったが、龍麻は気づいていないようだった。 「 違わない! 俺に謝っているフリをして、ホントは全然悪いなんて思ってないんだ。俺がこんなに…」 こんなに、お前のことで苦しいのに。悲しいのに。 「 ……」 たまらなくなって如月のことを見た。途端に、涙がこぼれた。 「 何で…来たんだよ…」 「 ……」 「 会いたくないって…言っただろ…」 「 僕は会いたかった」 如月が言った。 「 君に会いたかった。だから来たんだ。でも、泣かせてしまった」 「 ちが…お前のことなんかで…」 「 君に避けられるのが怖かった。会いたくないと言われて、馬鹿みたいにそれを守ったのも自分のためだ。君に見てもらえないくらいなら、会わない方がマシだと思った」 如月が遠慮がちに龍麻の頬に伝う涙を指で拭ってきたが、龍麻は抵抗しなかった。 「 だが、今日君たちと…君と出会ってしまったら、もうどうしようもなかった。…あの事件に関わってほしくないのは本心だが、本当は…今ここにいる理由は他にある。僕はただ、君に会いたかっただけなんだ」 「 …勝手なこと言うな」 「 ああ」 抑揚のとれたその返事に、龍麻はまたきっとなった。 「 そうやって分かったような返事もするな! イラつくんだよ! 何でも冷静に受け止めているような感じが!」 「 龍麻…。僕は、こういう時どういう態度をとって良いのか判らないんだ」 如月の言葉に龍麻ははっとして口をとざした。 「 君を怒らせたくない。悲しませたくない。だが、僕は何故君がそうやって苦しそうなのか判らないんだ。僕には人としての感情が欠落しているのかもしれない」 雪乃と同じことを如月自身が言った。いたたまれない気持ちになるのを龍麻は感じたが、それでも衝動のまま、如月に背を向けると冷たい言葉を口にしていた。 「 俺はお前のことなんか嫌いだ!」 違う。そんなことは思っていない。 一方でそう思ったが止められなかった。 「 大嫌いだ!」 違う。そんなことはない。 「 だから…だから、そんな事言われたって、俺はお前のことなんて知らない!」 違う。本当は如月のことを知りたい。理解したい。 「 帰れよ! 今度こそ、本当にもう会わない! お前となんか、会いたくない!」 違う。違う。本当は、本当は…。 「 ……分かった」 如月が言った。そして、最後に。 「 でも、君を愛してる」 龍麻がその言葉で振り返ると、如月はもう龍麻に背を向けていた。 歩いて行く。 去って行く。 嫌だ。 翡翠。 心の中で、泣いている自分がそうやって如月を呼ぶのを龍麻は聞いた。でも、声は出ない。出したい。声を出したい。 《声》を――。 自分の中の《力》。何のためにあるのか分からない《力》。それに導かれて、それを持つ者に導かれて、この街に来た。どこからくるのか分からない《声》だけを頼りに。誰にも聞こえないのに、自分には聞こえた。あの《声》に導かれて、自分は―。 今度は自分がその《声》を出したい。あいつとは違った声を―。 そばに、いてほしいから。 「 龍麻…」 その時、如月が振り返った。龍麻の顔を見てからか、それとも振り返ってからか、そこには驚いたような困惑したような表情があった。 ゆっくりと如月が近づいてくる。いつの間にかその場に座りこんでしまっていた龍麻の元までくると、自分も片膝をついてそっと自らの手を差し伸べた。 龍麻の頬をそっと撫でて、こぼれる涙を拭う。 「 ひ…すい…」 声が出た。やっと。そう思ってより大きく瞳を開くと、すぐ目の前には如月がいて。 そっと唇を重ねられた。 優しいキスだった。そして、如月は言った。 「 今度は…聞こえたよ。君の声」 「 …翡翠」 「 すまない…。あっ、謝ってはいけなかったか…」 焦ったように如月は言ってから、いつもやっていたように龍麻の前髪に触れると、そこにもキスをした。 「 愛してる、龍麻。僕は、君のそばにいてもいいんだろうか」 「 俺…嫌いって言ったのに…」 「 そうだね」 如月は言ってから、龍麻を驚かせないようにゆっくりとその背を抱いた。龍麻はそれに身体を預けながら目をつむり、言った。 「 俺、会いたくないって言った…」 「 ああ」 「 お前のことなんか知らないって…」 「 聞いたよ」 「 でも…」 「 龍麻、愛してる…」 「 ……」 如月の龍麻を抱く腕に力がこもった。龍麻はまた新しい涙をこぼして、ぎゅっと如月の肩ごしでそれを拭った。 「 俺も…好きだよ…」 「 おい、如月! ひーちゃんからも少し離れろ!」 京一はきっとなってそう言うと、無理やり2人の間に入りこんでそう不平を述べた。 「 おいおい、こんな所でやめないか京一」 醍醐が親友をなだめるように言ってため息をついた。地下回廊に潜りこみ、事件の真相をつかもうという場面だった。京一のまったくもって事件に身の入らないような言動が、リーダー醍醐としては気になったようだ。 「 そうだよ京一。君はちょっと不謹慎だぞ!」 小蒔も醍醐の味方をして京一を非難した。 「 そうよ、2人共。龍麻から離れて」 にっこりと美里が言い、それから「ああっ」などと言って、貧血の真似事をして龍麻に倒れかかったりしている。 「 み、美里、大丈夫?」 馬鹿正直に龍麻が焦ったように言うと、美里はこれ以上ないような美しい微笑を作りだしてこう言ったりして。 「 ええ、大丈夫…。龍麻、ありがとう」 「 ……」 「 ……葵」 「 くそ、どいつもこいつも」 真神のメンバーのそれぞれの反応に多少面食らいながら、如月は、けれど行動を共にすることになった彼らに不思議な興味を抱く。 そうして、自分にとって一番の存在―緋勇龍麻に、苦笑したような顔を向けられて、そっと自らも微笑した。 この感情は日を追うごとにどんどん大きくなる。 龍麻を好きだという気持ち。護りたいという気持ち。 龍麻の《声》を聞いたあの日から。 「 おい、如月」 すると不意に京一の声が聞こえた。美里に捕まっている龍麻を横目で見ながら、この不敵な剣士が「ひーちゃんは渡さねえぞ」などと言ってきていた。この真っ直ぐな男に、自分は敵うのだろうかと内心で思いながら、如月は相変わらずの無表情で答えた。 「 僕も君などに龍麻を渡す気はないよ」 「 んだとおー!」 そして、京一はやっぱり真っ直ぐに受け止めてきて。 「 はいはい、そこ喧嘩しない」 まだ戦ってもいないのに、小蒔が疲れたように2人の間に入ってきた。醍醐はやれやれと言って、先にどんどんと歩いて行く。 龍麻は。 横に美里。目の前に醍醐、京一、小蒔。そして――如月を見つめて。 向こうもその視線に気づいて、微笑してくれて。 とても安心する。 自分はもっと強くなれる、そう思う。 そうして――。 あの《声》をまた再び聞いた時、自分は…自分はきっと大丈夫だと、強く思えるのだった。 自分を呼んでくれる声は、他にもあるから。 |
<完> |
9へ/戻 |
■後記…私は魔人小説二作目も如月×龍麻だったのですが(つまりこれ)、これでもう如月氏への【愛】は決定的になったものと思われます。そして相変わらず京一が可哀想と。如何だったでせうか?本当は柳生をもっと重要な役にしたかったんですが、う〜ん、ただの悪い奴だった…。 |