(10)



  平日だからとか、師走の忙しい時期だからとかは一切関係なく、『如月骨董品店』は閉店だった。表には「休業」という札が不躾にぶら下がっている。
  龍麻は構わずその戸に手をかけた。
「 翡翠」
  ガララ…と、戸板のこすれる音と共に彼を呼ぶ声は店内に響いた。中は暗かったが、意味不明な品物や武具・調度品などが所狭しと置かれているのはぼんやりと見えた。
「 翡翠」
  もう一度呼んだ。一体何度この名を呼んだことだろう。
「 今行く」
  すると奥の方からそう答える如月の声が聞こえた。
  どきり、と胸が鳴る。
  やがて徐々に近づく足音がすぐ側まできて、ぴたりと止まった。
  目の前のガラス戸を開けようとしている。龍麻は思わず叫んだ。
「 翡翠…っ。そのまま、聞いてくれるか?」
「 …………」
「 ごめん、ちゃんと顔を見て言うべきだろうけど…。今は、これが精一杯だから……」
  龍麻の思いつめたような声に、扉の向こうの如月は動きを止めて、戸を開こうとしていた手を元に戻した。
  けれど、龍麻の方を見つめているのは分かる。
「 昨日、翡翠に帰ってほしくなくて…傍にいてほしくて、翡翠のこと好きだっ…て、言ったけど…本当は、あの時はまだよく分からなかったんだ…。自分の気持ち」
「 ……昨夜、君はそのこともきちんと僕に言っていたよ」
  冷静な声が返ってくる。龍麻はふっと顔を上げて輪郭の定まらない影を見つめた。
「 だから僕は待つと言っただろう。君の気持ちがはっきりするまで、この戦いが終わるまで、待つと言ったよ。聞いていなかったのかい」
「 もう…待たなくて、いいよ」
  龍麻は言い、恐る恐る前方にいる如月の姿を見つめた。
  影は微動だにせず、その場から動かない。
「 分かったから…。自分の気持ち、分かったから」
「 ……どう、分かったんだ」
「 翡翠が、好きだ」
「 ………」
「 好き、なんだ。翡翠のことが好きだ。こんな気持ちになったことない。自分以外の誰かのことが、こんなに気になるなんて、初めてだった…。俺…もしこの戦いでお前が死んだらって考えたら…息ができなかった…」
  龍麻は息堰切って言葉を出した。うつむきながら、必死になって。こんな感情が自分にあるなんて、今まで知らなかった。
「 初めて…自分以外の誰かのために戦ってもいいって思った。こんなこと言ったら翡翠は怒るだろうけど。でも俺は、自分の使命とか、運命とか関係なく、この力をお前のために使いたい。お前に死んでほしくないから。こういうことでしか、自分の気持ち、伝えられないと思うから」
  今でも本当はどうやってこの気持ちを伝えていいのか、うまく言葉にできえるかどうか不安だった。ただ、夢中になって喋るだけで。 
「 きっと俺は、今までこういう気持ちを知らなかったから、それを知っているみんなが羨ましくて、眩しすぎて…重かったんだと思う。でも、今は分かる。何かを大切にしたい気持ちとか…誰かを護りたいと思う心とか…今は、分かる」
  だから、と龍麻は一つ置いてぽつりと言った。
「 だから、翡翠が昨日怒ってくれて…俺は、嬉しかった」
  死んでもいいと思った自分を怒ってくれた如月が。ひどく厳しい眼をしてそれを責めてくれた如月が。それは、自分のことを大切に想ってくれている証拠だから。
「 冗談じゃない」
  初めて声を荒げて、如月はその場で身体を揺らした。我慢できなくて戸を開きたいのに、それができずにもどかしがっているような仕草だった。
「 勝手に喜ばないでくれ。昨夜は本当に…君に対して、呆れて、腹立たしくて…どうしようもなかった」
「 うん……」
「 この僕の気持ちなど考えもせずに、勝手に死のうとした君だ。どれだけ許せなく思ったか…君には分からないだろう」
「 うん…ごめん……」
「 それに」
  ここで如月は一度区切り、そうして大きく息を吐いたようだった。
「 僕がどれだけ、そんな君を愛しく思ったか…」
「 翡翠……」
「 君には、分からなかっただろうな」
  温かい声だった。あまり聞かない如月の優しい声音。龍麻は見えない如月に必死に言った。
「 分かりたい…。これからは、翡翠のこと、分かりたいと思う」
「 ……そろそろ開けてもいいのかな。いい加減、君の顔が見たいんだが」
「 あっ…。あと……」
  龍麻は焦ったように言葉をつぎ、如月の行為を止めた。
「 俺はっ…京一と…」 
  ガラリ。
「 ………!」
  言おうとした瞬間、如月が龍麻の前に姿を現した。驚く龍麻を尻目に、無機的な表情のまま、つかつかと龍麻の傍に近づく。
「 翡、翠……っ」
「 本当に――」
  言いながら、けれど如月は言葉を閉ざし、そのまま龍麻の唇に自らのそれを重ねた。
「 ……っ…」
  強く掴まれた腕。拘束される身体。
  深く求められ、如月の唇が幾度も龍麻の唇を捕らえてくる。いつも冷静沈着で。落ち着いた物腰の如月とは、別人のようだった。
「 ………」
  やがて身体も唇もを開放されたが、如月がじっと自分の方を見つめてくるのを、龍麻は何とも居心地が悪そうにうつむき、視線を左右に揺らせた。如月の唇は未だ龍麻の唇の至近距離にあり、それを強く意識している自分がいることを龍麻は自覚していたから。
「 本当に君にはあきれる……」
  そっと如月が言った。龍麻が顔を上げると、そこにはひどく優しい瞳があって。
「 ひどく冷淡なくせに、同じくらい優しいから」
「 なっ、何だよ……」
「 僕には君を責める手段がないよ。本当はどうにかなってしまいそうなほど、その時の君のことも蓬莱寺のことも許せないが」
  淡々と発せられた言葉だけに、龍麻はぐっと胸を突かれた。
  けれど、泣きそうになった龍麻を如月はもう一度優しく接吻して。自分を見上げた龍麻に如月はそっと言った。
「 だが、傍にいなかった僕の責任だ。……君は悪くないよ、龍麻」
「 翡翠……」
「 それに」
  如月はさらに強く龍麻の腰を抱き、自分の元に引き寄せた。
「 もう君は僕のものだ。誰のものでもない、僕だけのものだ。そうだろう、龍麻?」
「 うん……」
  龍麻が頷くと、如月は今までで一番熱い口付けを施してきた。



  あの初めて出会った時を思い出す。あの夏の日のことを。
  あの時は、こんな風に相手のことを想うことになるなんて、想像もつかなかった。
  ただ、いつもと同じように、表で笑い。裏で無感情だった。
  でも今は、すべてが自分のものになればいい。すべてを与えられるといい。そう、思ってしまう。
「 翡…翠…っ」
  必死に名を呼ぶと、優しく抱いてくれていた腕が強く身体を包み直してきてくれた。
  如月は龍麻に何度も熱いキスを与え、龍麻は如月に自らの全てを与えた。それには痛みが伴いはしたが、それ以上に、自分を見つめてくれる如月の視線が龍麻には嬉しかった。
「 龍麻……」
  耳元に唇を当てられてそっと囁かれ、龍麻はぞくりと身体を震わせた。
  断続的に如月が自らの熱を内に放ってくる中で、何度も意識を飛ばしそうになる。それでもその如月の声は記憶に鮮明に残った。

  愛しているよ。

  うっすらと瞳を開くと、如月はもう当にこちらを見つめていた。
  両腕を如月の首に巻きつけて、龍麻は更に強く自らの元へと抱き寄せた。





  1999年元旦――。
「 今年もコスモレンジャーは絶好調! 後でおれっちたちのショー絶対観に来てくれよな!」
  いつもの真神のメンバーで初詣に行くことになった龍麻だったが、恒例のヒーローショーをやっているという紅井たちに会い、またしてもかなりの高テンションに当てられた。
「 …ったく、あいつらもよくやるよなあ」
  呆れたように京一がつぶやき、「なっ、ひーちゃん」と同意を求めてきた。
「 ああ。でも、楽しそうだよ」
  龍麻は言い、それからそわそわしている醍醐に声をかける。
「 醍醐、どうしたんだ?」
「 ん? い、いや。美里たちが遅いと思ってな…」
「 『小蒔たち』の間違いじゃねえの?」
「 なっ…! 京一!」
「 まあまあ。…どうせ、振袖にでも着替えてんだろ。あいつらの考えそうなことと言ったら…」
  言いかけて、京一はふと口を閉ざした。それから、焦る醍醐を尻目に、龍麻にそっと囁く。
「 お前さ。何で俺らと来たんだよ」
「 何が」
「 初詣だよ」
「 前から約束してたじゃないか」
  龍麻があっさり答えると、京一は明らかに気分を害したようになってきっとした口調になった。
「 お前の『好きな奴』と一緒に行けばいいだろ! っていうか、行くべきだろうが! 俺らは、この後生死をかけた戦いを―」
「 大丈夫だよ。俺たちは、死なない」
  龍麻は言って、驚く京一に静かに笑んで見せた。
「 この間は、きついこと言ってごめんな。俺、京一には感謝してるから」
「 …そういうことを言うのはやめろ。俺は結構、いや、今だってかなり無理をしてるんだ」
「 うん。分かってる」
「 かなりぎりぎりの線だぞ」
「 知ってるよ」
「 ……あー、やっぱお前ってひどい奴」
  京一は言った後、けれどその表情は龍麻に見せずぽつりと言った。
「 けどまあ…。今のところはいいか。お前、憑き物が落ちたみたいな顔してるから。ふっきれた顔してやがる」
「 うん」
「 けど、俺はお前を諦めたわけじゃねえからな」
「 知らない」
「 このっ…!」
  京一が言いかけた時、「みんな! お待たせ!」と言う元気な声と共に、振袖姿の2人がこちらにやってくるのが見えた。
「 …2人とも、可愛いじゃん」
  龍麻が何ともなしにそうつぶやくと、京一はそんな親友の腕をぐいと引っ張って、こっそりと言った。
「 お前さ、自分のこと散々偽ってきただ何だ言ってたけどよ」
「 ん…?」
「 女の方がよっぽど怖いんだぜ? 特に、美里はな」
「 美里がどうしたんだよ」
  龍麻が問うと、京一は苦虫をかみつぶしたような顔をしつつも、その本人が近づいてきたことによって、より一層警戒の目を見せた。当の美里の方は、相変わらずの菩薩スマイルで、三人に対峙している。
「 あけましておめでとう、龍麻」
「 うん、おめでとう」
「 …俺らにはなしか?」
  つぶやく京一に、美里はにこにこしながらあっさりと言った。
「 京一君、その後、傷の具合は如何?」
「 ぐっ…ま、まあまあかな」
「 そう。良かった」
  美里は笑んだまま、すぐに視線を龍麻に向け。
「 さ、お参りに行きましょう」
  そう言って歩き出すのだった。
  そういえば、あの六道の戦いの後、京一と一緒に帰ったのは…?
  ふとそんな思いが龍麻の脳裏によぎったが、すぐに4人の自分を呼ぶ声に反応し―。
「 今、行くよ」
  龍麻は害のない笑顔を見せるのだった。





「 翡翠」
  如月の腕に抱かれたまま、龍麻はそっと口を開いた。
「 俺、今までの自分が嫌いだったけど、今は…。ちょっとは、好きになれるかなって…そんな風に思える」
  黙って自分の話に耳をかたむけてくれる如月に、龍麻は目をつむったまま続けた。
「 だってさ…。そのおかげで、俺、翡翠に会えたと思うから。翡翠が俺の近くにいてくれたと思うから。…他の、みんなも」
「 そうだね」
  翡翠は頷き、そうして言った。
「 君が君であり続ける限り、僕はずっと君の傍にいるよ。だから君は―」
「 安心してていい、だろ?」
  龍麻が嬉しそうにそう言うと、如月はふっと笑んで、愛しい人の唇をそっと奪った。



<完>



9へ



■後記・・・この作品が記念すべき魔人SSの一作目!です。如何だったでしょうか。初プレイ時、京一に冷たいまでにあしらわれた復讐(?)として、彼にはかなり悲惨な役どころをやってもらっていますが・・・。でも京一がすっごく好きなので、途中でかなり肩入れしたりで、若旦那には苦労をかけました。でもこれを書いたお陰でますます如月氏への想いも強くなっていったんだったなあ…。今読み返すととても懐かしいです。