(9)



  最終決戦―柳生宗崇との戦いは、もう間近に迫っていた。
  先日の六道との戦いの疲れを取るためもあり、今はそれぞれが英気を養うため、束の間の休息を「義務」づけられていた。
「 ア、ニキ〜!」
  駅前で劉と待ち合わせをしていた龍麻は、聞き慣れた元気な声で顔を上げ、微笑んだ。待ち人が息を切らせながら、こちらに向かって駆けてくる。
「 えーっ、待ったか、アニキ!? わい、めっちゃ早くに来たつもりやったんやけど」
「 いや。俺が早く来過ぎたんだよ。お前が改まって俺を誘うなんて、何か気になったし」
「 え〜? あははっ。せやけど、わいは、前からこうやってアニキと二人っきりでデートしたいて思ってたんやで」
「 へえ」
「 ま〜た、軽くかわす〜」
  劉はおどけたように笑い、それから「う〜ん、そやな。この先にある公園にでも行こか」と嬉しそうに言い、すたすたと歩き始めた。
  血はつながっていないけれど、弟のような存在の劉。
  龍麻は楽しそうに学校の話をする劉の背中を見つめながら、少しだけほっとする自分を自覚していた。



  あの晩。
  如月は、本当に龍麻の傍にずっといてくれた。なかなか寝付けない自分の横にいて、優しい瞳で見つめていてくれた。
  けれど。
  龍麻に触れてくることはなかった。
  龍麻はどこかで如月がそうしてくれることを期待していた。そうなることで、自分の曖昧な彼への感情を確かめたいと思った。
  にもかかわらず、彼は龍麻を求めてこなかった。



「 アニキ」
「 ん…あ、ああ…」
「 ここ、すわろか?」
  劉は言って、公園の一角にあるベンチを指し示した。言われるままに腰を据えると、しかしそう持ちかけた劉の方は、傍に立ったまま気持ち良さそうに伸びをして辺りを見回した。
「 え〜え、眺めやな。こういう風景は、やっぱ落ち着くわ。春の方が花もぎょうさん咲いてるんやろうけど、わいはこっちのが好きや」
「 うん」
「 アニキも? やっぱ、わいらは気が合うな!」
  劉は嬉しそうに言って、それからようやく龍麻の隣に腰掛けた。
「 でな、アニキ」
「 ん…」
  いつもの明るい口調の劉に、龍麻は相手の方を見ずに何ともなしに答えた。
「 わいな、最近思うんや。アニキ、何や変わったなあって」
「 …俺が?」
「 そうや」
  劉がにっこり笑って言う。その顔を直視して、龍麻は戸惑いの色を隠せなかった。
「 前のアニキは、ほんまに強くて頼りになって…。何や、わいらの力なんかなくとも、奴を…倒せるって感じがした」
「 今は…弱くなった?」
「 うん!」
  臆面もなく劉は頷き、それから龍麻の顔を覗きこんではははと笑った。
「 勘違いせんといてな。『力』のことを言うてんのやない。アニキの『ここ』のことを言うてんのや、わいは」
  言って、劉は自らの胸の部分を指で指した。それから、ふいっと視線を前方へと向ける。その涼しげな目元が、今の龍麻には何だか窮屈だった。
「 初めてアニキを見た時…わいな、想像通りの男やて思うて、ほんまに嬉しかった。アニキはわいと同じで…誰にも頼らん、独りで戦う男の眼をしてた。…嬉しかった」
「 劉……」
「 ずっと、自分だけやて思ってたから。独りで戦うのも、独りで死ぬんも。わいだけやて、思ってたから。アニキの、何や冷たいくらいの眼が、わいは好きやった」
「 ………」
「 アニキはみんなに優しいけど、でも相棒の京一はんにさえ心を開いてない。アニキが仲間のこと好いてんのは間違いないで? けど、自分を護るんは自分。そんで、死ぬんも…自分だけて、思ってたやろ?」
「 そんなこと…」
「 アニキ、わいのことは怒ったくせに、自分ばっか、カッコつけすぎやで〜って思ってた。…そんなアニキやから、ついていこうて、思たんやけどな」
  それから劉は子供のように足をばたばたと忙しなく動かし、今度はついと空を見上げた。
  晴天。雲ひとつない、晴れ渡った空だった。
「 けど、今のアニキには、いっぱい迷いがあるな」
「 ………」
  黙りこくった龍麻に、劉はくるりと視線を向けて、ころころと笑った。
「 わい、アニキのことなら何でも分かるで! 何せわいらは、他のみんなにはない、兄弟の糸で結ばれてるんやから」
「 …血、繋がってない」
「 ひ〜! つ、冷たいで〜アニキ!」 
  大げさなリアクションに、龍麻は思わず笑みを浮かべた。そんな龍麻の表情を覗きこんで、劉も嬉しそうに笑んだ。
「 劉は、俺のことが分かるんだ?」
「 分かるで!」
「 …俺自身が分かってないのに」
「 得てしてそんなもんやで。自分の分からないとこ、他人がよう知ってるなんてこと、ザラやんか」
「 …前にも、俺のことなら何でも分かるって言った奴がいた」
「 ………」
  龍麻は劉に言うでもなく、つぶやくように声を発した。
「 そいつ、本当に自信ありげにそう言うんだ。何を根拠にそんな事が言えるんだろうって思った。むかついたけど…どっかで、安心してた」
  龍麻は自嘲気味な顔で劉を見つめた。劉は笑っていなかったが。
「 そいつといると、安心したんだよ。無理に自分を作らなくて良かった。黄龍だなんだって、そんな宿命どうでもいいって思いたかったけど、そんなわけにもいかないだろ? 毎日何か起きて、それに追われて。正直、ウンザリしてた。でも、あいつの…自分の宿命も何もかも受け入れた上での、あの落ち着き払った自信に満ちた眼を見ていると、俺はほっとしたんだ。だって、そんな奴が、俺なら大丈夫だって言ってくれるんだから」
  そこまで一気にまくしたてると、龍麻は、しかし嘆息した。
「 けど、そんなあいつに甘えて…俺、あいつを傷つけた」
「 何でそう思うんや?」
「 ……あいつだけじゃなくて、俺に気持ちをくれてる他の奴も、俺、本当にどうでもいいみたいに、平気で傷つけた」
「 アニキ」
「 ごめんな、こんな話聞かせてさ。…情けないな」
「 アニキ!」
  今度は多少口調を強めて、劉は龍麻に顔を近づけた。
「 あのな。わいはもちろん、他の奴らかて、こんな風にアニキに甘えてほしいって思ってんのや。アニキに弱音吐いてほしいって思ってんのや。わいは強いアニキが好きやて言うたけど、今のアニキのことは、もっともっと好きなんやで!」
「 え……?」
  劉の言葉に、龍麻は面食らった。対する劉の方はとても嬉しそうだった。
「 わい、今から皆さんの所に行って自慢してきたいくらいやで! アニキがわいに甘えてくれた! アニキがわいに愚痴聞かせてくれたてな! …けど、殺されそうやからやめとくわ。特に、菩薩の姉さんに」
  ふははと勝ち誇ったように笑いながらも、劉は美里の顔を思い浮かべたのか、少し苦い表情になった。
  それから、改まって言う。
「 アニキ、その人のこと、好きなんやろ?」
  劉の科白に、龍麻はぴくりと肩を揺らした。
「 ……分からない」
  しかしそんな龍麻の科白を、劉は一蹴した。
「 そんなわけあるか! 好きに決まっとるわ。分からないのは、アニキが今まで『そういう気持ち』になったことがないからや。だから、戸惑ってるだけや。…わいには、よう分かる」
「 ……分かるんだ?」
「 ああ、分かる!」
  自信たっぷりに劉は答えた。そのあまりの態度に龍麻は微笑し、それから「うん」と、小さく頷いた。
「 ……劉。サンキュ」
「 奴との戦いの前に、弱気なアニキじゃ困るからな」
  劉はそう言ってから龍麻に背を向け、自らの表情を隠した。





  もうしばらくここにいると言う龍麻に対し、劉は「部活の仲間と会う約束をしているから」ということで一人その場から去って行った。
  しんとした周囲の空気を肌で感じ、龍麻はけれど、すぐに自分に注がれている視線に気が付いた。この場所に入ってきた時からだったのかもしれないが、人々の自分へ向ける眼差しとは違う「何か」が龍麻の身体を刺し貫いていた。
「 京一」
  呼ぶと、視線の主はようやく龍麻の前にその姿を現した。
「 …………」
  何も言わずに歩み寄り、そうして龍麻が座るベンチの横に腰掛ける。
「 ……つけてきてたのか」
「 普段のお前なら、とっくに気が付いてただろうぜ」
  まるで、気が付かない龍麻が悪いとでも言わんばかりの言い草だった。京一はわざと視線を前方にやったまま、けれど厳しい眼をしてそこにいた。
  京一がこちらを見ない分、龍麻の方は相手のことを眺めることができた。
  一瞬、ぎょっとする。
  相棒の額や口元には、ひどく痛々しい青痣と、少し切れたような赤い傷とがあった。ふと気づくと、左腕には白い包帯までが施されている。
「 京一、その傷……」
「 ああ、転んだ」
「 …………」
  ウソなのは一目瞭然だったが、これ以上追求しても何も答えそうにない親友に、龍麻は視線をそらすとだんまりを決め込んだ。
  京一も珍しく無口で、そうしてしばらく、2人はそのままベンチに並んだまま目の前の風景をただ視界に入れていた。
  最初に口を開いたのは龍麻だった。
「 俺、今までお前のことも、みんなのことも騙してた」
  京一は何の反応も示さなかったので、一人で続けた。
「 笑いたくない時も笑って、同意したくない時も頷いて。お前やみんなに合わせてた。誰かと関わるのが煩わしかったから、ただ…表面的にうまくやれればいいと思った」
  下校時に、5人でよく寄ったラーメン屋が頭に浮かんだ。
  あれは、いつでもつまらない思い出だっただろうかと思い返しながら。
「 みんなに助けてもらっているくせして、戦いの後はいつも独りになりたいと思ってた。みんなの俺への励ましや正義感が、ひどく…疎ましかった。俺は、この街に愛着なんかない。みんなと違ってこの街を護ることなんてどうでもいいと思っていたから。…ただ、自分の身を護ることだけ思っていたから」
  知らぬ間に京一が自分の方を見ていた。ぎくりとして、けれど精一杯虚勢を張って笑った。
「 お前の言う通りだよ。俺は最低の奴なんだ」
「 だから何だよ」
「 え…?」
  やっと言葉を発した京一に、けれど龍麻は戸惑った。強く、揺るぎのないいつもの京一の声だったからかもしれない。
「 だから何だって言ってんだよ。だから俺にお前のこと諦めろって、そう言いたいわけか?」
「 何…言ってんだよ…」
「 そうだろうが!」
  ここで京一は叫び、だっと立ち上がると龍麻の目の前に立ちはだかり、凛とした眼で見つめてきた。
「 自分は最低の奴で、今までの緋勇龍麻は全部作り物。だから、本当のお前を知らない俺が、お前のこと好きなのも全部勘違いだから、だから諦めろって、お前はそういうことが言いたいんだろ!」
「 ……京一」
「 ここまで惚れさせておいて、今更お前が何を言おうが、俺は後戻りなんかできねえんだよ。たとえお前が俺のことを嫌いだろうが、他に…好きな奴がいようとな」
  京一は堰を切ったようにそれだけをまくしたて、それからようやく落ち着いたように、再びベンチに腰を下ろした。
  ひどく怒った横顔がそこにはあった。やや上気して、そうしてそれを必死に隠そうとしている顔でもあった。
  龍麻はそんな親友を黙って見つめた。
  するとまるで走馬灯のように、京一との思い出が蘇ってきた。
  初めて出会った桜の季節から。
  つらい時も、苦しい時も、そして……楽しい時も。

  そういえば、いつもこいつは……。

「 ……っ」
  思わず、笑みがもれた。
  そんな場面でないことは分かっていたのに、おかしくなった。
「 …お前って、いつもそうだよな」
「 あ?」
  意表をつかれたように、京一がこちらを向いた。そ知らぬフリをして、龍麻は視線を逸らせた。
「 いつも、自分ばかり真っ直ぐに言いたいこと言ってる」
「 ……? な、何だよ…っ!」
「 ズルイ奴。だから俺はお前を好きになれないんだ」
「 な…! 何だよ、それ!」
「 …でも、嫌いでもないって…言っただろ」
  そう言ってから立ち上がる龍麻に、京一は戸惑いながらも、憮然としつつ言葉を切った。
「 ……それだけかよ!」
  けれど振り向いた龍麻の姿を見て、京一ははっとした。
  久しぶりに見たと思った。龍麻の、静かな微笑を見たのは。
「 京一」
  そうして龍麻は、この真っ直ぐにしか物を言えない親友に告げた。
  今度は自分が、真っ直ぐに言おうと決めて。
「 俺、好きな奴がいるんだ」
  初めて抱いた、初めて感じた気持ちを、そのまま外に出した。そして京一が何かを言う前に続けた。
「 今度は、本当だよ」



To be continued…



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