傷跡



  この衝動が。
  時折、俺をおかしくする。


  龍麻が新宿の真神学園に転校してきてから、既に半年が経過していた。
  元々がすぐに一人で考えこみ、やたらと鬱的になる性質。
  そんな龍麻が「普通ではない」生活を送りながらも、何とか今日まで自己を保ち、平静を保っていられたのは、一重に同じ《力》を有した信頼のおける仲間たちのお陰だった。特に互いが「相棒」と称して疑わない京一と一緒にいることは、龍麻にとってこの上なく気の楽なことだった。京一は龍麻と違い、明るくさっぱりとしていて、「屈折」などという言葉が一番似合わない人間だったから。



「 京一。やっぱりお前ここにいたんだ」
  放課後、やや足早に校庭裏にある大木の所へと向かった龍麻は、案の定その木の上で眠りこんでいる相棒のことを呆れた顔と共に見上げた。
「 …よぉ、ひーちゃん」
「 ―じゃ、ないよ。部活の後輩が探してたよ? 『たまには部長に顔出してほしい』って」
  京一の方を見やりながらそう言う龍麻に、京一はあくびを一つしてから、やや冷笑するような顔をしつつ言葉を放った。
「 かわいい女の子の下級生がそう言ってくれんならな。考えてもいいけどよ。むさい剣道オタク共にンな事言われても、ハイそうですかって行く気になるかよ。それに、今日はこんな昼寝日和なんだぜ」
「 いっつもそう言ってんじゃないか、お前は」
「 何だよ、ひーちゃん」
  京一は不満そうにそう言うとやっと身体を起こしてその勢いのまま木から飛び降りた。そうして、目の前の、自分よりも頭一つ分低い龍麻のことを憮然として見下ろす。
「 何だって俺にそんな部活に出る事を勧めんだよ? 俺があんなのに出ちまったらよ、一緒にラーメン食って帰ることだってできねぇんだぜ?」
「 そういう問題じゃないだろ。お前、いっつもそうやって俺をダシにしてサボるから、俺は結構いい迷惑」
「 何だよ、あいつらひーちゃんに何か言ったのか?」
  やや不機嫌な顔をして京一が龍麻の顔を覗きこむ。その視線がいやに窮屈に感じられたので、龍麻はわざと視線を逸らせた。
「 違うよ。ただ…お前、頼りにされてんだから、ちゃんと応えろって思っただけ」
「 …ふーん」
  納得しかねるような返答をした京一だったが、やがてにやっと笑うと、すぐに龍麻の肩を抱き、楽しそうに言った。
「 よっしゃ! じゃ、そういう事でラーメン食って帰ろうぜ!」
「 何がそういう事なんだよっ!」
「 分かった分かった、明日は出るって! な、行こうぜひーちゃん、俺のおごり」
「 …うそ、マジ?」
「 へへっ…現金な奴」
  おごりと聞いてぱっと表情を変える龍麻に、京一は満足そうな笑みを向けた。

  ――と、二人はこんな関係で。
  お互いがお互いを理解し合って信頼し合って。そして、お互いを必要な存在と感じていて。何となく息が合う。何となく、一緒にいて居心地が良い。何となく…。
  何となく、お互いがお互いを「想って」いた。
  つまるところ、「好き」だということなのだが。
  ただ、二人ともそれを表現することを知らなかった。

「 なあ、京一。お前この間一人で旧校舎潜ったろ」
  ラーメン屋のいつもの席に落ち着いてから、龍麻は思い出したように京一に言った。
  京一は自分の目の前に来た味噌ラーメンに既に心を奪われていて、龍麻のその問いには何となく曖昧な返事を返しただけだったのだが、龍麻はそれでその話を善しとしなかった。
「 何で一人で行ったんだよ? 俺も連れて行けよな、そういう時は」
「 ああ…まあ、あん時は夜も遅かったしよ。不意に思い立っただけだったからさ。まあ、いいじゃねえか」
「 よくはないよ。危ないだろ、一人で行くなんて」
  龍麻の咎めるような言葉に、京一は動かしていた箸の動きを止め、面倒臭そうな顔をした。
「 んだよ、ひーちゃん。俺の腕が信じられないってのか?」
「 そうじゃなくて…」
「 俺がそんなヘマするわけねえじゃん。まあ、そんな心配なら、今度からは声かけるからよ」
「 …うん」
  京一の諭すような声にようやく納得して、龍麻もラーメンのドンブリに身体を向けた。
  それで、今度は京一がそんな龍麻の様子をそっと眺める。そして、ああ、やっぱりコイツはカワイイななどと思ってしまう。
  龍麻の奴は自分のことを「大切な親友」「背中を預ける相棒」として純粋にこうやって心配してくれたりするのだろうが、分かってはいても、その言葉がひどく嬉しく、胸にくる。
「 …あのよ、ひーちゃん」
「 ん?」
  ラーメンを食べる龍麻に、今度は京一が視線を逸らしてやや照れたように言った。
「 俺よ、お前のこと護るために、もっと強くなってやっからよ」
「 え…」
「 ……っ! だから! お前はもっと安心して俺に背中、預けとけばいいってことだよっ!」
「 あ…ああ、うん。…サンキュ」
「 へへっ…」
  京一の言葉に、龍麻もふっと笑んでから俯いた。
  やっぱり、二人でいると居心地が良い。
「 …ところで、何で俺が潜ったこと知ってんだよ? 俺誰にも言ってねェぜ」
  ふと思い立ったような京一の疑問だったが、龍麻はあっさりと返答をした。
「 ああ、翡翠から聞いたんだよ。京一がすごくたくさんのアイテム店に持ってきて、破格の値段提示してきて買え買えうるさかったって。だから」
「 ちっ。何だよ、あいつにもオイシイ商売させてやったってのによ」
「 結局高く買ってもらえたの」
「 わけねェじゃん! あの守銭奴! 思いっきり足元見られちまったよ」
「 あはは、京一じゃ翡翠には勝てないよね」
「 ふんっ! …って、でもそれじゃ、ひーちゃんは何で如月からその話聞いたんだ? アイツにいつ会ったんだ?」
「 ん? 一昨日だよ」
  またしてもあっさりと応えた龍麻だったが、京一の方は聞き捨てならなかった。自分の知らない所で、龍麻がそうやって他の仲間と会っているなんて、あまり考えたことはなかったから。
「 ……何で会ったんだ?」
「 ああ、夕飯ご馳走してくれるっていうからさ。すっげー高そうな料亭に連れて行ってもらっちゃったよ」
「 な、何だよそれ!」
「 …怒ると思った。だから黙ってたんだけどさあ。でもさ、ホント凄いの! 何か翡翠の知り合いがやっている所らしいんだけど、ありゃ相当高い! ホント、悪いな京一」
  龍麻は、京一が龍麻だけ美味いものを食べたことが面白くなくて怒鳴ったものと思ったらしい。面白そうに、ちゃかすようにそんな言葉を出して笑った。
  けれど、京一は笑わなかった。
「 何であいつ、お前にだけそういうことするわけ?」
「 え? …そりゃ、俺、一人暮らしだから色々大変だと思ってくれたんじゃない」
「 ………」
「 京一、どうかしたか?」
「 え? ああ、別に…」
  京一が不意に黙りこむのを不審の目で見ていた龍麻だったが、問いただす前に、丁度ポケットに入っていた携帯が鳴った。それで龍麻は京一への追求をやめて「もしもし」と電話に出た。
「 ……ああ、何だ壬生!?」
「 ……!」
「 ……うん。うん、うん。えっ? あはは、そうなんだ」
  京一の視線など目に入らないという感じで、龍麻が笑み、おかしそうに言葉を返す。京一はそんな龍麻の姿をじっと眺めた。
  今は自分といるのに、ひたすら小さな携帯電話を耳におしあて、別の人間と楽しそうに会話する龍麻の顔が視界に焼きつく。
  面白くない。
「 ――明日? うん、いいよ。分かった。じゃあ、またな」
  5分ほどの電話はそこで終わり、龍麻が携帯をしまった頃には、京一のラーメンに伸びる手はすっかり止まってしまっていた。
「 壬生だった。明日、会おうって」
  律儀にそう報告してきた龍麻だったが、京一はどうしても自分の無表情を崩すことができなかった。返答もできなかった。
「 あいつも今一人で住んでいるも同然じゃん? けど、俺なんかより全然家のことできるからさ。料理も美味いんだよ。明日ご馳走してくれるって」
「 何で」
「 え?」
「 何であいつまで…ひーちゃんにそこまでしてくんだ?」
「 …それは…やっぱり、翡翠と一緒だろ。ほっとくと、俺が飯食わなそうな感じだからじゃないかな」
  無害な顔をして龍麻はそう言ってから笑ったが、京一はもういよいよ本当に笑うことができなかった。
「 そういうこと、しょっちゅうあんのかよ?」
「 …別にそんなに頻繁じゃないけど」
「 けど、前からあるってことだ」
「 …京一、どうしたんだよ、一体?」
  さすがにたまりかねた龍麻が様子のおかしくなった京一に尋ねた。
  けれど、京一は出し抜けに立ち上がって、もう龍麻の方を見もしなかった。
「 まあ、いいんじゃねェか。俺に何か言う権利はねェしよ…」
「 お、おい、どうしたんだよ…?」
「 悪ぃけど、何か気分悪くなったからよ。俺、帰るわ」
「 え? …ちょ、ちょっと待てよ、じゃあ俺も…」
「 方向逆だろ? …ンじゃな」
「 京、京一っ!」
  慌てて呼び止める龍麻だったが、足を止めたくなくて京一はその場から逃げるように店を出て、足早にそこから去った。

  何やってんだ、俺は。何イラついてんだ、俺は。

  早く店から離れたくて、京一の足は自然と早くなった。

  龍麻は何も悪くねェじゃねェか。あいつらだってだ。如月や壬生だって別に悪くなんかねェ。俺だってひーちゃんにこうやってラーメンおごることもあるし、醍醐や美里だって龍麻にはいつも特別良くしている。それをいちいち気にしてたって仕方ねェ。
  けど…! 何なんだ一体!? 何でこんなイラつくんだ、俺は。

  京一はひたすら自分の心を整理しようとしながら、それでも尚前方へと歩みを続けていた。

  ………俺だ。

  そうして、ふと考えがまとまる。

  全部俺自身の問題だ。
  くだらない俺って人間が、龍麻のことに関係すると、てんで抑制がきかなくなる。てんで、冷静な考えができなくなる。
  あいつを、他の誰にも見せたくない。
  自覚していた。そんなこと、ずっと以前から。

  ドクン。

「 あ………?」
  不意に京一は目眩を感じ、道の真中でがくりと体勢を崩して肩膝をついた。
「 何、だ……?」

  ウバエ。

「 うっ…ぐ…っ」

  コワセ。

「 な………っ」
  声が、ひどく鬱屈とした濁ったような「音」が、京一の聴覚をいきなり刺激してきた。
  途端、ひどい頭痛に見舞われる。
  呼吸が荒くなり、いよいよ身体を起こしているのがつらくなった。
  何とか息を整えようとするのだが、うまくいかない。
「 京一!」
  その時、京一の後をすぐさま追ってきた龍麻が、親友の異変に血相を変えて走り寄ってきた。
「 京一!? ど、どうしたんだ!?」
「 た、つま…」
「 何だ? どうした…っ!? どっか、痛むのか?」

  コノオトコヲ。コウリュウヲ。

「 来…るな……」
「 な、何言ってんだよ、京一っ!?」
  いよいよ尋常でない相棒の様子に龍麻も蒼白となって、身体を屈ませて心配そうに京一の肩を両手で支えた。
  けれど京一にとっては、その肩から感じられる龍麻の手の感触にすら、自分の身体が敏感に反応を返し、全身の血が騒ぐのが分かった。はっとして、目の前の親友の顔を見つめた。

  欲しい。今すぐ、コイツが…龍麻が、欲しい。

  そんな想いにひどく駆られた。そして。
  同時に、感じた。

  このままでは、傷つける。

「 さ、わるな!」
  京一はようやくそれだけを言い、そうして力任せに龍麻の身体をはねのけた。
「 京一…?」
  ただその所作に驚いた龍麻が、目を見開いてそんな京一を見つめた。龍麻の脅えたようなその目に、京一は一瞬ズキリと胸が痛んだ。
  それでも視線は、飢えたような瞳で返してしまう。身体が心とは別に、目の前の「親友」を厳しく見据えてしまう。
「 俺に…触るんじゃねェ…」
「 京一、どうし――」
  言いかけて龍麻は口をつぐんだ。ひどく殺気だったものを京一から感じた。
  同時に、何か濁ったような「氣」も…。

「 俺に…いいか、龍麻…」
  京一が低い声を発した。
「 今は…俺に近づくな…。いいな…分かったな……」
  冷たい声だった。そして京一はそれだけを言うと、あとは自らを抑えつけるようにしてぎゅっと目をつむった。
  龍麻は言葉を返すことができなかった。



                               

To be continued…



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