(2)
「 あれ〜? 今日、京一は休み?」
HRが終わった後、真っ先にそう言って龍麻の席にやってきたのは、いつも元気で明るい小蒔だった。
「 そうみたいだね…」
「 ひーちゃんも何も聞いてないの? 寝坊でもしたかな、あの馬鹿」
「 いや、連絡はあったぞ」
二人の会話を聞いていたのだろう、醍醐がやってきて龍麻の方をちらとだけ見やってから言った。
「 何でも身体の具合が悪いと言っていたが。…何か悪い物でも食ったんだろう。あいつの事だからな」
「 ああ、そうかもね〜」
どことなく浮かない顔を見せる龍麻には気づかずに、小蒔は仕方がないなあというような顔をしてそう言った。
すると、どこからともなく不意に三人の前に現れた美里が、ころっとした笑顔と共にこう言い放った。
「 京一君、今朝はきちんと家を出ているみたいよ」
「 美里!」
「 え!? 葵、それどういうこと?」
醍醐が絶句し、小蒔が驚いたように問い返すと、美里は相変わらずの落ち着いた微笑で応えた。
「 今、京一君の家に電話をしてみたの。そしたら、お母様が出て。またサボりかしらって怒ってらっしゃったわ」
「 み、美里、お前……」
友達なら少しはうまく取り繕ってみてもいいではないか、というような意見は、この美里嬢にははっきり言って通用しない。なので、醍醐も美里の名前を呼んだっきり、口をつぐんだ。
「 どういうこと、醍醐君?」
小蒔が今度は醍醐の方を見ると、醍醐は決まり悪そうに言った。
「 俺は知らんよ。まあ実は俺も、声からして具合が悪いようには思えなかったんだが。あいつにもあいつの事情があるだろう。俺だって、たまにジムにこもって学校に来ないこともあるしな」
「 そういう問題じゃないでしょー! 何でボクたちにまで嘘つくんだよっ!」
「 いや、それはまあ…」
ちらちらと醍醐は龍麻の方を見て、また口ごもった。察して龍麻は、皆の前でぽつりと言葉を出す。
「 あいつ、俺のこと避けてんの?」
その一言で、三人は一斉に押し黙った。
その沈黙を最初に破ったのは、醍醐だ。
「 ……いや、俺は何も聞いていない。お前たち、何かあったのか」
「 何、ひーちゃん、あいつとケンカでもしたの!?」
「 龍麻、京一君が何か良からぬこと貴方にしたの!?」
女性陣は醍醐の科白の後に堰を切ったように口を開いたのだが、龍麻はそれには応えず、意を決めたように顔を上げて言った。
「 俺、今日はこれで帰るよ」
「 えっ、ひーちゃん、あいつのこと探すの?」
「 龍麻……」
「 駄目かな」
美里と小蒔二人にしてみれば、何かあったらしい二人のことが気になるし、自分たちも一緒に行きたいに決まっていた。けれども懇願するような、優しい瞳でそんな風に龍麻に言われてしまっては、嫌だなどと我がままを言うわけにもいかない。
渋々と引き下がった二人に、龍麻は一言礼を述べた。
「 龍麻」
教室を出る時に、醍醐が龍麻の背中に声をかけた。
「 …あいつは確かにお前のことを何だか意識しているようだったが、どうもいつものあいつじゃなかった。その…馬鹿な事を言うようだが、気をつけていけよ」
醍醐はそうは言ったものの、自分自身のその言葉に戸惑っているような顔をして龍麻を見ていた。
龍麻は醍醐にも礼を言って、教室を出た。
予想はしていたが、京一の携帯を鳴らしても何の反応もない。
龍麻はしばしため息をついてから、昨日の京一のことを思い出していた。
アイツは一体どうしてしまったというのだろう。
昨日の放課後、一緒に学校に出るまでは普通だった。それが、何ということもない話をしてからおかしくなった。何かその中で京一の気に障ることでも自分は言ってしまったのだろうか。色々と思いを巡らすが、さっぱり思いあたることがない。
今まで龍麻は京一のことでそういう「理解できない」ということがあまりなかった。
京一は良く言えばさっぱり、悪く言えば単純な男だったから、相手にも自分にも嘘をつくということをしない。だから、こちらが余計な憶測をせずとも、京一の考えていることは大抵分かった。
でも、昨日のあの苦しみ方は。
どう考えても尋常ではなかった。
「 旧校舎…」
はたと思い出して、龍麻はいつも自分たちが潜っている異界への扉へと視線を向けた。
龍麻のことを京一が意識し始めたのは、一体いつの頃からだったのだろうか。
初めて出会った時は、「女ウケする奴が来やがったな」という程度。
それから龍麻の腕に少しだけ興味を持って、話をしていくうちに段々いつも一緒にいないと落ち着かなくなって。
仲間内の誰もが自分を緋勇龍麻の一番の親友という位置で見ているということに、誇らりを持ったし、嬉しくも思った。
同時にその事に、憤りも感じたのだけれど。
龍麻の視線・言葉・空気に惹かれた。
そしてそれが自分だけではないことを当たり前と思いつつも、一方でそのことにイラついていた。
あいつの良さは、魅力は、自分だけが知っていればいい。他の奴らまで知る必要はない。そんな気持ちがあった。けれどそんな自分の心に、見て見ぬフリをしていた。
龍麻が望む蓬莱寺京一は、そんな面を持っていてはいけなかったから。
「 そこを…つけこまれたわけか…」
旧校舎に再び潜った京一は、先日闘った場所で独りつぶやいた。
「 ちっ…こんな所でくだらないモノに取り憑かれるとはな」
腕を磨くためにかなり奥まで潜ったとは思っていたが、実力的には一人でも十分余力を残しての戦闘だった。けれども、昨日のあの得体の知れない「音」には、龍麻を「コワセ」と命令してきた「声」には、覚えがあった。
最後の敵が、消滅間際に直接京一の暗い部分に語りかけてきた音。
もちろん、そんな戯言などすぐにかき消した…つもりだったのだが。
「 俺も…修行が足りないってことか」
暗闇の中、京一はそう言って一人毒づいた。あんな異形のモノに精神を左右されているなど考えたくはなかったが、気持ちが微妙にあやふやになっているのは事実だった。絶えず何かが頭の中をかき回し、自分の心を刺激してくる。龍麻のことを見たり考えたりするだけで、自分の中の何かが揺れ動くのを感じる。とにかく、自我を保っていなければ危険だった。
既に消滅させたものに捕らわれていると感じる今、正直何をどうして良いのかは分からなかったが、それでも手がかりを得るために、京一はこの場にいたのだった。
けれども、その刹那。
「 京一!」
あの声が聞こえた。
「 龍麻…?」
驚いて振り返ると、龍麻がはあはあと息をきりながら、京一の目の前に立ち尽くしていた。自分を必死になって探していたのだろう、ようやく見つけたと言ってほっとしたような顔を見せる。そんな龍麻に、京一の胸は再びざわめいた。
「 何で…ここに来たんだ…?」
気持ちとは裏腹に、冷たい声が出てしまった。それでやはり龍麻は傷ついたような目を一瞬だけ向けたが、やがて怒ったように声を出した。
「 何で、じゃないだろ…。お前こそ、独りで一体何してんだよ」
「 関係ねぇよ」
「 何…?」
「 いいから、早く行け! 俺に近づくなって言っただろうが!」
ひどい言葉を吐く。頭に激痛が走った。
「 どうしたんだよ、京一!? 俺、お前に何かしたか!」
「 …してねーよ…! 何でもねぇんだ、だから早く――」
言いかけた時。また、声が聞こえた。
コイツヲ…
「 うっ…!」
「 京一!?」
苦しそうにうめく京一に、龍麻ははっとして駆け寄った。京一はそれを拒絶しようとしたが、龍麻が頑としてそれを制した。
「 何なんだよ、お前、ここに独りで潜ってからおかしくなったろ? 何かに憑かれたか!? そうなんだろっ!?」
「 た、つま……」
離れろ、という声は表に出ることはなかった。
「 とにかくここにいるのは良くない。出よう、京一」
「 ……」
「 京一……」
下を向き、うなだれる京一に、龍麻が表情を曇らせる。
しばしの沈黙。
しかし、突然それは破られた。
「 俺に…」
京一のいつもの氣ではない、と龍麻は瞬時思った。
「 俺に触るなって言ってんだろっ!」
同時に京一が力任せに龍麻を振り払い、そして真っ暗な空間の中で怒鳴り声を上げた。
「 京一…」
京一によって突き飛ばされ、じんとする身体を厭いもせずに龍麻がただ信じられないというような顔を向ける。けれど、京一はもうまともに龍麻のことを見てはいなかった。
「 近づくな…近づくなよ、龍麻」
よろよろと立ち上がり、京一は龍麻から警戒するように距離を取った。
「 俺は今…お前を殺してやりたくなってんだ…」
「 ……京ー」
「 そのお前の《力》を…奪ってやりてぇって…思ってるんだよ…」
ぎらついたような京一の視線に龍麻は心の中で震えた。見たことのない光。けれど、何故か一方でひどい違和感を抱くこともなかった。京一が何かに捕らわれ、おかしくなっているのは明白なのに、心のどこかで龍麻はあれもまた京一の姿なのではないか、とふとそう思ったのだ。
何故そう感じるのかは分からなかったのだが。
そんな龍麻の気持ちには気づかずに、京一はひどく陰りのある声で言った。
「 …お前は俺の相棒だ。そんな事は分かっている。けどな、けど…今の俺はお前のことを見るとどうしようもなくイラつくんだ…。めちゃくちゃにしてやりてぇと思っちまう…」
「 京一…」
「 …だから…俺が違う俺を出す前に、お前はここから消えろ…」
「 ……」
「 三度目はねえ。いいか、とにかく、俺には近づくな」
昨日と同じ、ふらついた足取りで京一は龍麻から距離を取ろうとした。いつもの自分を取り戻すためにここに潜ったというのに、龍麻の姿を見ただけでこんなに気分が悪くなるとは。こんなに自分の中の自分に危険を感じるとは
京一は痛む身体を抑えつけるようにしながらも龍麻から背を向けようとした。
けれどその時。
「 ……嫌だ」
龍麻が言った。
「 ……何」
押し殺したようなその親友の声に、京一は眉をひそめた。ズキズキとする頭痛。今はもう、よりひどくなっていた。
「 京一から今逃げ出すってことは…お前を置いていくってことだろ」
「 ……」
「 お前…すごい、怖いよ。けど、できない。絶対に俺…それはできない」
「 馬鹿が……」
京一はつぶやき、それからゆっくりと親友との距離を近づけた。離れなければという気持ちはもう消えていた。
力任せにぐいと龍麻のことを引き寄せる。
そしてそれから、自分との距離が近づいた龍麻を、思い切り殴りつけた。
がつ、と鈍い音が漆黒の闇の中で響いた。
「 ……!」
不意をつかれ、モロにその拳を受けてしまった龍麻は、何の防御もとれないままにその場に倒れ伏した。
「 痛…っ…」
「 ……言っただろ。お前がイラつくって」
京一は龍麻が口の端からこぼれた血を拳で拭うのを冷たい目で見下ろしながら、ひどく低い声でそう言った。
それから、それでも尚、自分に対して優しい瞳を向けてくる龍麻に、余計胸が痛むのを感じながら、龍麻の上にまたがると、再びその、胸ぐらをつかんで上体だけを引き寄せた。
「 京一…」
「 お前の血…」
龍麻の呼びかけには応えずに、京一はつぶやきながら唇についている龍麻の血を自らの舌でなめとった。びくりとする龍麻に構わず、そのまま龍麻の唇も奪う。
「 ん…っ、ふ…」
激しく貪りとっていくと龍麻がたまりかねたように京一の肩を痛いほどに掴んできた。それでも京一は行為を止めずに、龍麻の唇に噛みつくようなキスを重ね、龍麻の舌をも絡めとった。
ひどく身体が熱い。龍麻の血の味を感じる度に、抑えのきかなくなる自分を、京一は自覚していた。
「 や、め…っ! 京、一…!」
龍麻は渾身の力をこめて京一を自分から引き剥がそうと身体を動かした。それでも、目の前の親友の眼光に押され、思い切った力を出せずにいる。
「 暴れんじゃねぇよ…」
惜しむように龍麻の唇から自らのものを離した京一は、けれどその所作とは裏腹の、ひどく冷たい声を出した。
「 京一…」
「 お前が悪いんだ、龍麻。俺は離れろと言っただろ…」
京一はうわ言のようにそれだけをつぶやくと、再び龍麻に口付けをした。また意表をつかれ、龍麻もそれをそのまま受け入れてしまう。
「 ぅ…っ、あ、ふ…っ!」
激しい口づけだった。いつもおどけて、自分の肩を抱く京一とは全然違う。
…怖い、と思った。
そんな龍麻の気持ちには構わず、やがて京一は自らの唇を龍麻の首筋へと移行させていった。そしてそのまま力任せに龍麻の制服のボタンを縦に引き裂く。露になった胸に外気の冷たい風があたり、同時に京一のその乱暴な所作に自然身体がぞくりとし、龍麻は再び京一に止めるように訴えた。
けれど。
京一のぎらついた眼光に、龍麻は息を飲んだ。怖い。また、思った。
ただ、目の前の京一を怖いと思った。
「 何…見てんだよ…?」
龍麻の様子の変化に気づいたのか、京一が龍麻へのキスを止めて低い声を発した。龍麻が応えられずにいると、京一はむっとしたようになって再び噛み付くような口付けを施してきた。
「 ぅ…っん!」
「 抱いてやるよ、龍麻…」
京一が言った。
「 お前のこと…抱いてやるよ…」
初めて会った時。
明るくて気さくで、とっつきやすそうな奴だと思った。
男子生徒で最初に声をかけてきてくれたのが京一で。ほっとした。
うまくやっていけるか不安だったから。
それを全部とっぱらってくれたのが京一だった。あいつは相棒で。
親友で。
「 や…ああっ! きょ…いちぃ…っ!」
暗闇の中で。まともに息もできないような、異界の空間で。
龍麻はただ京一にされるがまま、身体をすべてこの目の前の男に預けていた。何度も京一の名前を呼んで、相手が同じように自分のことを見つめ、何か言ってくれるのを待ったが、向こうはただ殺気だった視線を向けてくるだけで、言葉を発してくることはなかった。
ただ京一が向けてくるのは、荒い息づかいだけで。
容赦なく激しく打ち付けてくる身体だけで。
「 あっ、あっ、ひぁ…っ!」
自分ばかり。自分ばかりこんな声を出して。涙が出て。その理不尽な痛みに耐えなければならなかった。
京一はろくに慣らすこともせずに男との経験などもちろん皆無の龍麻の深奥に向け、ほとんど突然自らのものを挿入させてきた。その想像を絶する痛みに龍麻は叫び、相手の皮膚を引きちぎるほどに掴んでもがいたが、それでも京一は龍麻の首筋を抱き、激しく身体を揺らしてきた。
決して龍麻を離そうとはしなかった。
「 や…んっ! …も、う…やめ…京一…っ」
一体何度頼んだのか、けれどただ懇願するしかなくて。龍麻は止めることのできない涙に構わず、濡れた瞳のまま京一に助けを求めた。それでも、京一の龍麻を蹂躙する行為は、いつまでも止むことがなかった。
京一が腰を動かし龍麻を犯す度に、龍麻は泣き、そして声を上げた。
それの繰り返し。
「 龍麻…」
その時だった。初めて京一が声を出して龍麻を呼んだ。泣きはらした瞳を開き、それに反応する龍麻に、京一はにこりともせずに言った。
「 女みたいな声出すんだな、お前」
「 ……」
龍麻が何も言えずにいると、無機的な表情のまま京一は続けた。
「 もっと泣けよ…イイ声してんじゃねぇか」
同時に、更に深く自分を貫いてくる京一に。龍麻はその現実から逃げるように、意識を遠くに飛ばした。
京一が自分の涙を唇で掬い取ってきたことには、だから気づかなかった。
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