(3)



  よお、転校生。
  俺は蓬莱寺京一。へへ…ま、仲良くやろうぜ。

  何だよ、お前すげー強いじゃねぇか! やるねー!
  これからもよろしく頼むぜ、相棒!

  龍麻、お前の背中は俺が護る。だからお前はー。

  お前は……





「 う…ん…」
  身体に熱を感じながら目を覚ますと、ぼやけた視界から見慣れた天井が映し出された。自分の部屋だと、龍麻にはすぐに分かった。
「 ……」
  未だ意識がはっきりしない中、けれど龍麻はむくりと上体を起こして辺りを見回した。ズキリ、と腰に痛みを感じて顔を歪めたが、それ以上に火照った全身が気になった。
「 熱…あるみたいだ……」
  誰もいない部屋の中でそれだけをつぶやき、龍麻はよろりと立ち上がると自らのベッドから降りた。おぼつかない足取りで洗面所まで歩き、電気もつけずに目の前にある蛇口に手をかけた。きゅ、と音がして、続いて激しく水が流れ出す。途端、胃から湧き上がる吐き気を感じて、そのまま嘔吐した。
「 ……っ!」
  はあはあと荒く息を出して、それから汚れた口を水で拭った。
  うつろな目のまま目の前の鏡に視線を映すと、ひどくやつれた自分の姿が目に入って涙がこぼれそうになった。
  けれど。
「 京一…」
  親友の名前を呼んで。
  何とかそれを我慢した。


  なあ、ひーちゃん。ラーメン食って帰ろうぜッ!
  おっ、ひーちゃん! へへへ…おはよう。
  ひーちゃん! すっげーだろ今の技!? 見てたかよッ!

  ひーちゃん…何でも全部、独りで背負おうとすんじゃねえぞ。
  お前には俺がついてんだからな。
  分かったな……龍麻。


  今、何時なのだろうとふと思ったが、時計を見て時間を確認するだけの、そんな些細な気力すら、今の龍麻には残っていなかった。静寂と窓から差しこむ月の光でだけで、夜も大分更けているのだろうということを何となく感じた。
  再び龍麻はよろよろと寝室に戻り、そうしてベッドにそのまま倒れ伏した。
  目をつむったが、こらえていた涙がその時ぽつりとこぼれた。
「 京一…」
  名前を呼んだが、もちろん返事はなかった。
  この部屋に自分を運んでくれたのは、間違いなく京一だろう。あの行為の後、途中で気を飛ばした自分をここまでどうやって連れてきたんだろう。遠いのにな、などとどうでもいいような考えがぐるぐると頭の中を駆け巡った。
「 京一…」
  もう一度呼んだ。やはり返答はなかった。
  その時。
  プルルルル、と。
  携帯が鳴った。
  ゆっくりと目を開き、しばらくその音を聞いていた。身体は鉛のように重く、枕もとにあるすぐそばのそれを取ることすら、今の龍麻には面倒だった。
  けれど、音は鳴り続けた。
「 ……っ…」
  意を決したようにその音源に手を伸ばす。がつりと無造作に掴んで、相手が誰かも確かめずにそれを取った。
「 ……」
  自分から声を出す気がなくて、ただ耳に当てる。
  相手からの言葉はなかった。
「 ……誰」
  仕方ないので龍麻は冷たくそう言った。ひどい言い方だな、とはちらりと思ったが、こんな時間のこんな最低な気分の時の自分に電話をかけてくる方が悪いのだと、半ば投げやりにそう思った。
「 ……誰だよ」
  もう一度、だから声を荒げて言った。それでも、相手は何も言わなかった。
「 ……」
  龍麻はようやくはっとして、今度はしっかりと目を開いた。同時にぎくっとして、身体を起こす。そしてしっかりと携帯を耳に当てて、恐る恐る聞いた。
「 京一…か…?」
『 ………』
  声が聞こえない。龍麻はいよいよ早まる鼓動を抑えられずに、声を大にした。
「 答えろ…っ! お前、京一か…っ?」
『 ……ひーちゃん』
「 ……!」
  京一の声だった。途端、胸が締め付けられるようになる。息をするのもつらくなる。
  京一の声は、京一の声には間違いないけれど、今にも死んでしまいそうな・・・そんな弱弱しいものだった。「不敵の」蓬莱寺京一が出していい声ではなかった。
「 京…」
  きちんと言おうとして、けれど声が涸れた。喉が詰まる。
『 ……ひーちゃん』
  すると、京一がもう一度自分のことを呼んできた。けれど、後に続く言葉がない。いくら待っても、京一はそれ以上のことを言おうとしない。
「 ……っ…」
  いたたまれなくなって、龍麻は必死になって声を絞り出した。
「 お前…今、どこにいるんだよ…?」
『 ………』
「 お前…一体、何やってんだよ……」
  返答がない。龍麻はいよいよかっとなって叫んだ。
「 答えろよっ! どこにいるのかって訊いてんだろっ!? 何で何も言わねえんだよ! 人のこと勝手に…あんな…! それに、勝手に運んで…それ…そのままかよ!」
  舌をもつれさせながらも一気にまくしたてると、いよいよ呼吸をするのが苦しくなった。そして、夢中になる自分の目から涙がこぼれていることにすら、気づかなかった。
「 何か言えよ! いいから、ここに来いよ! ぶん殴ってやるから…! 早く、来い…っ!」
『 何で……』
  ようやく、京一の声。
『 何でさ…そんな事言えるんだよ…?』
「 ……」
『 何で俺と話せるんだ…? こんな奴…殴るだけじゃすまないだろうが』
「 ………」
『 …俺、無理やり抱いたんだぜ…? ひーちゃんのこと、泣いてるひーちゃん、無理やり―』
「 やめろ…! やめろ、やめろやめろ…っ!」
  身体が熱くなったまま、龍麻は叫んだ。涙が止まらなくて、ようやく龍麻はそれを携帯を持たない方の手で拭った。それから、よろよろと立ちあがる。
「 お前、来ないなら、俺から行く…! どこにいるか、言えよ……」
『 ……』
「 言えって言ってんだろっ!」
  龍麻はそう言いながらも、我慢できなくなったようになって携帯を思い切り床に叩きつけた。内からこみあげる怒りを止められなかった。そうして、その激情のまま、上着もはおらずに玄関へ向かい、外へ飛び出した。京一のことしか、京一に会うことしか頭になかった。
  けれどドアを開け、階段を降りようと小走りになった背中に、刹那。
「 ひーちゃん」
  はたして、京一はそこにいた。
「 ……っ!」
  部屋のドアのすぐ横に、京一はだらりとした格好のまま座っていた。
  それに気づかずに階段を降りて行こうとした龍麻に、京一は陰のこもった声で背後から声をかけたのだった。
「 京一……」
  京一は龍麻に呼ばれてももう返答はしなかった。ただ、うつろな視線で龍麻のことを見つめるだけで。
  ただ、そんな京一の身体はぼろぼろだった。体のあちこちから血を流している。
「 お前…」
  もうやや乾いてはいるものの、その京一の額にこびりついている血にただ目がいき、龍麻は呆然としたままそんな京一に近づいた。
  そして、京一のすぐ目の前まで来ると、自分もその場にへたりと座りこんだ。
「 お前…その血…」
  何となく手を出して額に触れようとしたが、京一がすっと手を上げてそれを制した。暗に触るなという目でそうしてきた。
  また龍麻の胸がずきりと痛んだ。けれど、視線を横にそらしてつぶやく。
「 どうしたんだよ、それ…?」
「 ……」
「 また無視かよ…」
  イラついたように龍麻がぎりと歯をくいしばりながら言うと京一はようやく口を開いた。
「 あの時…」
「 ……?」
  龍麻が顔を上げると、京一は相変わらずぼんやりとした表情のまま続けた。
「 独りで地下に潜った時…最後に倒した奴が何か言いやがったんだ。『お前の欲しいものは何だ』…ってな」
「 え…?」
  龍麻が京一から目を離せずにいると、京一もうつろな目のまま、真っ直ぐに見つめ返してきた。
「 俺は奴の質問になんか答えなかった。答えたつもりはなかった。そのままぶっ潰して…消したと、思った。けど、声が聞こえた。…『欲しいなら、奪えばいい』ってな」
「 ……お前、やっぱり―」
「 違う」
  京一は龍麻の言うことをすぐに否定して厳しい口調で言った。
「 あんな奴に操られたとか…どうこうされたとか、そんなんじゃねえ。確かにあいつの思念はあそこに残っていて…お前を抱いた後も奴は出てきて笑った。 『よかったな』って」
「 ……」
「 『望みが得られて満足だろう』ってな」
「 京…」
「 けど、今度は完全に消してやった…。だからもうあんな声は関係ねえ。あんな音は、俺とは無関係だ」
  京一はいまいましそうな顔をしてから、額の血を乱暴にごしごしと拭った。血の跡は消えず、ひどく痛々しい傷跡だけが鮮明になって見えた。龍麻が眉を潜めると、京一は大丈夫だというように薄く笑ってみせた。
「 でもよ、ひ…龍麻」
  京一は呼んだ後、すっと片手で龍麻の首筋をつかんできた。そして、やや震えた声で言った。
「 俺は、俺の本心はずっとあそこにあった。お前を俺のものにって…ずっと思ってた。だから、あれは全部俺が、俺の意思がやったことだ。お前を無理やり抱いたことも、泣かせたことも」
「 やめ…ろよ」
  京一の、自分自身を傷つけるような言い方に、龍麻の怒りはもうとうに消えていた。
  ただ、もうそれ以上言わないでほしいとだけ思った。
  けれど、京一はやめなくて。

「 お前を傷つけたことも」
「 やめろってば」
「 お前のこと…壊してやりてえって思ったのも全部―」
「 京一!」
  龍麻は叫んで京一の胸倉を両手でつかんだ。ぐぐぐと京一の血のついた白いシャツをひきちぎるくらいの強さで掴み、そうして、目の前の親友を見つめた。京一はただ龍麻にされるがままになっていた。
「 もう、やめろって…」
「 ……あれも俺自身なんだよ。あの時の俺は―」
「 うるさい! だからっ…お前、何が言いたいんだよ…っ!」
「 もうお前とはいられねえ」
  京一は一言言った。
「 これ以上一緒にいたら…俺はお前のこと、今度こそ」
  止めて、京一は一瞬だけ龍麻の首にかける手に力をこめた。龍麻はそこから流れてくる京一の氣にぞくりとしたまま、けれど視線は逸らせずにいた。だからこちらも京一を掴む両手に力を込めた。
「 …何なんだよ? 今度こそ何なんだよっ…! お前が俺に、これ以上何をするって言うんだよ…!」
「 俺のものにならないお前なんか、もう見ていられねえんだよ」
  だったら、自分の手でお前を消してしまいたい。
  そう語っているような京一の言葉。けれど、それとは裏腹に龍麻を拘束しかけていた片手は、首から外された。京一は再び苦しそうにうなだれた。
「 いつもいつも馬鹿やって…お前の親友だ相棒だって…そう言ってた気持ちも嘘じゃねえ。けど…もうそれは、『本当』にもなりえねえ…」
 京一がそれきり黙りこくると、深い夜の闇の中、二人の間に重い沈黙が襲った。


  ひーちゃーん、頼む、宿題写させてくれ〜!
  ひーちゃんっ! 明日よ〜、どっか遊びに行こうぜ!
  ひーちゃん! 遂に地下80階制覇だぜっ、へへへ〜尊敬したか?
  ひーちゃん…。

  ひーちゃん。


「 お前は…ひどい奴だ」
  龍麻はつぶやくように言ってから、両手にこめる力を抜いた。
「 …勝手に人のこと抱いて、勝手にいなくなるって…? 何だよ、それ…俺、何なんだよ…俺、お前のこと…」
  そう言った瞬間、龍麻はまた泣いていた。京一の前では絶対に泣かないと思って耐えていたのに。けれど、涙が出てきてしまった。それを隠すように、龍麻は京一の胸に自らの頭を垂れた。
  そして、言葉を出した。
「 ごめん…」
  その声に、京一がぴくりと身体を動かした。そうして、震えた声で小さく言う。
「 何…お前が謝ってんだよ…?」
「 ごめん…京一」
「 何謝ってんのかって聞いてんだよっ…!?」
  慌てたように京一は龍麻を無理やり自分から引き剥がし、その瞳を覗いた。ぎくりとする。龍麻の自分を見る目が、ひどく悲しそうで…そして、優しかったから。
「 何で…お前は…」
  絶句すると、龍麻はそんな京一にそっと近づいて唇を重ねてきた。
  京一は目を見開いたままそれを受け入れてしまった。
「 ………」
「 俺……」
  唇を離してから、龍麻が言った。
「 お前のこと…俺は全然分かってなかった…。分かっているつもりで、いつもお前に甘えてた。お前は…全部俺のことを優先していてくれたから」
「 馬鹿なこと言うなよ…」
「 だから、そんなお前だから俺は…お前に背中預けられた。お前のこと…好きだったから」
「 …龍…麻」
「 好きなんだ、京一のこと」
「 ……」
  龍麻は言ってから、また泣き出しそうな顔になった。
「 お前のこと、許せない。全部自分ばっかり我慢するお前が。俺のことばっかり考えて自分を抑えてたお前が許せない。でも…俺…無理やり抱かれたなんて思ってない」
「 ……」
「 京一の為なら…俺は、自分なんか、いらないから」
  龍麻は言って、京一に再び身体を預けてきた。両腕を京一の腕に回し、そうして顔を隠すようにして、微かに震えて唇を京一の首筋にあてた。
  京一はがくがくする腕をゆっくりと上げて。一瞬迷ったような仕草をしながらも、けれどもうそんな龍麻の背中にその腕を回していた。ぎゅっと抱きしめて、そうして、初めて言葉にした。
「 好きだ…」
  京一からの、初めての告白。
「 好きだ。お前のこと…護りたい」
「 …うん」
  龍麻がそれに応える。それでも京一は言葉を出し続けた。
「 お前の、そばにいたい」
「 うん」
「 俺…お前の…」
「 俺も。京一といたい。だから勝手に…どっかにいったりするな」
「 龍……」
  京一はそれ以上言えなくなり、そうして龍麻のことを改めて強く抱きしめた。
  あれほどひどかった頭痛が消えたことには、もう気づかなかった。





  翌朝。
  龍麻が未だ軽い微熱を感じながら目を覚ました時、もう京一はとうに起きていたようですぐ横で目覚めたばかりの自分をじっと見つめていた。
「 京一…」
「 おはよう」
「 うん…」
「 身体…大丈夫か?」
  その問いに応えるように龍麻が微笑して京一に寄り添うと、京一は優しくそんな龍麻を抱きとめて、龍麻の前髪にそっとキスをした。そうして、いたずらするように龍麻の髪の毛を面白そうにいじくりまわす。それをくすぐったそうにしながらも、龍麻は抵抗はせずに京一の身体にさらに近づくと、そっと言った。
「 今日さ。学校、休もう?」
「 ん…?」
「 な。寝てよ? 一日中、さ」
  自分のようなことを言う、と思いながらも京一はそんな龍麻に微笑して。すぐそばにいる愛しい人を更に強くを抱きしめた。
「 へへっ…。じゃあさ。今日一日、ずーっとこうしててやる」
「 何だよ、恩着せがましいのな」
  冗談っぽく笑って龍麻がそう言うと、京一はヘヘッと笑ってから、今度は真摯な眼を向けた。そうして、龍麻のことをより近くに引き寄せる。
「 もう…離れらんねえんだからな。お前は、俺から」
  それからそんなことを平気で言う。龍麻も静かに笑ってそんな京一に応えた。
「 それは…俺のセリフ」

  窓から差し込む日の光は、穏やかにそんな二人の上に降り注いでいた。



<完>



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■後記…如何だったでしょうか・・・?途中はかなり苦しく、多分その様子が文章からも分かると思うのですが、最後はかなり燃えました。何とかこの二人を熱烈にくっつけなければー!と勢いだけはつけたつもりなのですが。「痛い京一」というのは自分のイメージと少しかけ離れているせいか難しかったです。