(4)



「 ねえ、ひーちゃん」
「 んー……」
  昼休み、何となく皆と一緒にいたくなくて屋上に避難した龍麻のことを追いかけてきたのは小蒔だった。どことなくぼんやりとした顔で外の風に煽られている龍麻のことをじっと見つめ、小蒔はそっとその隣に腰をおろした。
  そしてらしくもなく大きなため息をつく。
「 どうしたの?」
  さすがに不審に思って龍麻が訊くと、小蒔は自分も同じように屋上に吹く風に身を任せながら空を見上げてぽつりと言った。
「 今、葵がすっごい荒れ…落ち込んでいるの。ひーちゃん知らないでしょ」
「 え?」
  最近は色々なことがあったからというのもあるが、確かに同じクラスメイトの、そして仲間の美里のことを気に掛けてやる余裕はなかった。小蒔の発言に龍麻は怪訝な顔をした。
  しかし小蒔は最初から龍麻のその反応を予想していたのか、軽く片手を振ると「いいの、いいの」と投げやりに応えてから素っ気無く言った。
「 ボクたちはひーちゃんが幸せならそれでいいんだ。葵もそのうち上昇すると思うし。同じストーカーなのにどうして自分の行動は無視されて壬…は…あー…その、気づかれたのか、なんて愚痴はそのうち消えてなくなると思うし」
「 はあ……?」
  小蒔の発言の意味が今イチ理解できなくて、龍麻は曖昧に返答を返してから小首をかしげた。しかし小蒔はその美里の落ち込みの原因とやらを詳しく説明する気はないのか、もう一度ため息をついてから空を見上げた。
「 いいの、いいの。大丈夫。葵のことはボクたちで何とか押さえておくからね。ひーちゃんは気にしないで壬生君と仲良くしていて」
「 え……」
  突然壬生の名前が出たことで、龍麻は動揺を隠しきれなかった。確かに最近は仲間たちとの付き合いも断って壬生と一緒にいることが多かったが、まさか自分が壬生と会っている事が知れていたとは思わなかったのである。
  しかし混乱する頭の中を整理できず落ち着かない様子になった龍麻に、小蒔は逸早く気づいて再び「大丈夫」と言った。
「 いいんだよ、ひーちゃん。ひーちゃんが壬生君と仲良くしたいと思ったならさ。でもさ…ひーちゃん…本当に幸せなんだよね?」
「 桜井……」
  小蒔の最後の台詞にどきりとなって龍麻は咄嗟に目を逸らした。どうしてそんな風に訊かれるのか、困惑を隠せなかった。小蒔のことだから「仲良し」うんぬんは友達という意味の範疇を出ることはないだろうと思ってはいるのだが、何だかこの純な仲間にまで本当のことを知られているようで、何だか怖くなってしまったのだ。
  それでも龍麻は何とかなけなしの笑顔で「うん」と応え、後は逃げるようにその場を去った。結局美里の落ち込みの理由は問い質さなかったが、その事は頭の中からすぐに消えてしまった。



「 じゃあ、今日はこれでいいかな」
「 うん…ありがとう」
  放課後。足の赴くままに龍麻は如月の店に行っていた。アイテムの売却という名目があったし、壬生と一緒にいるようになってから彼のいる場所からは自然と遠のいていたから、今日くらいは来てもいいかなという気持ちがあった。
  壬生は今日仕事で帰りが遅くなると言っていたから。
「 随分久しぶりだな」
  如月の台詞に龍麻は不意にズキンと胸が痛くなるのを感じた。会っても平気だろうと思ってはいたが、やはりまだ自分の気持ちの整理はできていないのか、如月の顔をまともに見ることはできなかった。
  壬生の気持ちを無視することが龍麻にはどうしてもできなかった。だから如月への想いは封印した龍麻だったが、果たしてそれは本当に壬生にとっても勿論自分にとっても良いことだったのかと、今更ながらに思えてしまうのだった。
「 どうかしたかい」
「 え……」
  その場にいても反応の鈍い龍麻に如月が声をかけてきた。龍麻はそこで初めて我に返ったようになって顔をあげ、目の前の如月を直視した。如月もまたそんな龍麻のことをじっと見やっていた。
「 元気がない」
「 そんなこと……」
「 ……これ、得意先の主人がくれたんだ。この間あげたやつとはまた違う味が入っている」
「 え……」
「 あげるよ」
  如月はそう言って、傍に置いてあったコルクで蓋をしている透明の瓶を龍麻に差し出した。それは以前に貰った飴玉の瓶よりは一回り小さい物だったが、色取り取りの飴玉はやはりそこにたくさん詰まっていた。
「 ……紫のがある」
「 葡萄だろう」
  如月は言ってから、薄く笑って「いるだろう?」と訊いてきた。龍麻は何となくそれを手に取ってから、不意に泣きたくなる気持ちを抑えてただ俯いた。
  そんな様子の龍麻に如月が言った。
「 たくさんあるから。壬生にもあげるといい」
  その言葉に龍麻が顔をあげると、既に如月は出していた帳簿をしまい、店の奥に入ろうとしていた。
「 翡翠……?」
  呼ぶと、如月は背中を見せたまま素っ気無く応えた。
「 このまま君と2人でいると…うちの店が危ない。さっさと連れ帰ってくれ、あの我がままな子供を」
「 翡……」
  訳が分からずに龍麻はもう一度如月の名前を呼びかけたが、しかしその声は唇の端に止まって消えてしまった。



  店を出ると、そこには壬生が立っていた。
「 壬生……」
  驚いて目を見張ると、壬生は相変わらずの無機的な顔で、ただじっと龍麻のことを見やっていた。龍麻が目の前にまで来てもやはり何も言わなかった。
  だから龍麻が声を出した。
「 今日は仕事じゃなかったの」
「 ……だからここに来た?」
「 ………うん」
  間はあったが素直に頷くと壬生は少しだけ眉をひそめ、それから龍麻の手を取った。それから驚く龍麻には構わずにそのままその甲に唇を当てた。
「 み、壬生…っ?」
  面食らって龍麻は声をあげたが、それでも壬生は動じなかった。ただひどく悲しそうなその目が龍麻には痛かった。
「 最近…会ってなかったし、ちょっと来たくなっちゃったんだ…。ごめん」
「 …………」
「 嫌だった、壬生?」
「 …………」
  壬生は答えなかった。ただ龍麻の手を握るその力は依然弱まることはなかった。龍麻は空いているもう片方の手を壬生のその手にそっと添えた。
「 もう黙ってこういう事しないから…ごめんな」
「 僕こそごめん」
  その時ようやく壬生がそう言って龍麻の手を離した。その顔はやはり泣き出しそうだったけれど、龍麻はその台詞で少しだけ笑うことができた。





  どちらが言ったわけでもなく、二人はそのまま壬生の家へ行った。最近は壬生が龍麻の部屋に行くことが多かったからそれはとても珍しいことのはずだったのだが、ごく自然に足はそちらへ向いた。壬生は相変わらず口数が少なかったし、龍麻も気を遣って話すのが嫌だったから黙っていた。…が、そのうち何となく惰性でつけられたテレビの話題に触れ、学校の話題に触れ、それから少しだけこれからのことを話した。それはとても静かな時間で、リラックスできるもので、龍麻にとって居心地の悪いものではなかった。壬生もそうなら良いのだが、と龍麻は思った。
「 今日、泊まっていっていい?」
  時間も遅くなった頃、龍麻は自然にその台詞を口にしていた。…が、壬生は龍麻のその声にすぐには答えなかった。台所で龍麻に出す紅茶の準備をしていた壬生は、背中を向けたままただ手だけを動かしていた。
「 壬生? 聞こえた?」
  だから龍麻は再度声をかけたのだが、やはり返事はなかった。
  もう一度呼ぼうとした時、やっと。

「 うん」
  それだけ、返ってきた。

  その夜、2人は初めてセックスをした。

「 俺…男となんて、初めて…ッ」
  上に覆い被さる壬生に龍麻はハアと息を漏らしながらそう言った。ただいいように揺さぶられて喘いでいるだけなのが恥ずかしかった。キツくて痛くて本当は声を出すだけでも精一杯だったのだが、何か話して反応が得られなければ落ち着かなかった。
  けれど壬生は龍麻のその台詞には答えてはくれなかった。
  徐々に早まるその動きは龍麻を確実に追い込んでいたが、壬生自身も限界に差し掛かっているのか、ただ余裕のない吐息だけが部屋の中に響き渡った。龍麻はぎゅっと壬生の背中をかき抱き、壬生もまた龍麻の胸元に顔を押し付けまま、自らを龍麻の深奥に叩きつけた。
「 んぅ…ッ! あっ…あ、壬…」
「 ……っ」
「 何か…言って…っ」
  苦しい息の中、龍麻は再度呼びかけた。目を開くとすぐに壬生のそれとぶつかった。不意にこぼれ落ちた涙には構わず、龍麻はただその瞳を見つめ続けた。
「 綺麗…壬生……」
  思わずつぶやくと、不意にその瞳が途惑いの色を見せたように見えた。空を仰ぐように龍麻はそれを捕まえようと片手を差し出した。そのまま壬生の額を撫でる。優しくそれを繰り返していると、ここで壬生が初めて声を出した。
「 龍麻……」
  やっぱり泣き出しそうだ、と龍麻は思った。
「 龍麻…龍麻、龍麻、龍麻……!」
「 いるよ…ここに」
  応えると壬生は龍麻の中に入ったまま、ただ俯きじっと何事かを堪えるように黙りこくった。そうして不意に顔をあげたと思った瞬間、龍麻の唇を掠め取った。
「 好きだよ…」
  龍麻からその台詞を言うと壬生はくしゃりと顔を歪め、それに応える代わりにもう一度、今度は深く龍麻の唇を貪った。龍麻はそれを目をつむって受け入れた。


  龍麻が目を覚ました時にはもう傍に壬生の姿はなかった。
  裸のまま起き上がってリビングに行くと、テーブルの上には朝食と仕事に行くからというメモが置かれていた。龍麻はそのメモを手に取ってしばらくそれを眺めた後、ふっとため息をついた。壬生が戻ってくるまでに何かひとつ…洗濯でもしておいてやるかなと思った。



<完>



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■後記…補足しないと分からないかもしれないので書いておくと(最低…)、イタ電したりピンポンダッシュしたりしていたのは壬生ではなく美里様です(壬生との会話を盗み聴きして如月にちくったのも彼女)。常に龍麻に熱い視線を送っていたのは美里様も同じであるのに、何故か報われたのは壬生だけ…。彼女の怒りは深い。ところでこの話、私如月ひいきし過ぎですか。はーもう辛かった…(爆)。リク通りになったかな、ヨシコさん(&リカコさん)。…でも駄目だし出ても書き直しはしないっ。