追いかけて
最近、少しだけ困っている。
いや、別に困る必要はないのだ。いつもの通り彼の存在など無視してしまえばいい。普段やっていることだ。誰がどんな視線を投げかけてこようが、それは自分にとっては無益で、関係のないもの。
そう判断して、捨て置けばいい。
「 みーぶっ!」
けれど、今日もその声は僕の耳に届いて「しまった」。よせば良いのに、それで視線も向けてしまった。一体何をやっているんだ、僕は。
「 ……」
「 おっす。終わったの、学校?」
「 ……見れば分かるだろう」
校門の所で対面する。彼は僕の冷たい言い方なんてまったく堪える様子を見せない。いつも馬鹿みたいにニコニコ笑っている。
「 ああ、それもそうだね。じゃあこれから帰るの?」
「 …関係ないだろ」
そう言って僕は彼の視線から半ば逃げるように―何故逃げなくてはならない?という疑問もあるのだが―彼の横を通り過ぎた。
けれども彼―緋勇龍麻という男―は、僕がどんなに冷たい態度を取っても、一向構う風もなく後ろについてきて、何やら話しかけてくるのだ。
「 関係ないってことはないだろ。俺、お前が出てくるのずっとここで待ってたんだぜ。ちょっとは構ってくれてもいいじゃん!」
子供か。構ってくれとはどういう言い方だ。
僕はそれでも彼を振り払うように歩を速めた。それでも緋勇はついてくるんだけれど。
「 待てってば! なあ、家帰るのか? それとも仕事?」
緋勇の後半の単語に僕は反応してしまい、足を止めた。彼のような人間に、気軽に僕の「仕事」のことなど訊かれたくはない。
彼のように「高いところ」にいる人間には。
「 …緋勇。一つ言っておくよ」
「 えっ、何なに?」
僕が彼に向かって話すことがあまりないからか、緋勇はこれから何を言われるのかも知らずに嬉しそうな瞳を向けた。それに多少怯みはしたけれど…僕は毅然として言った。
「 僕は君たちの仲間になるつもりはない。そう、言ったはずだよね」
「 ああ、分かってるけど」
何だそんなことかと言わんばかりの顔を緋勇はしてみせた。
「 その上僕は君の相棒である蓬莱寺京一君…それにキミのことだって、一度は殺そうとした人間だよ。それなのに、何だって君は―」
「 でも、壬生はあいつらとは違ったじゃん。鳴瀧さん側の人間じゃないか」
にっこりと笑って緋勇は言った。
癇に障る笑顔だ。そう、思った。
「 それなら言わせてもらうが…館長だって君と同じ側の人間じゃない。君は【陽】で、僕や館長は―」
常に【陰】――。暗い場所に生きる人種だ。
「 なあ、壬生。お腹空かない?」
「 …は?」
「 俺、ずっとここで座ってたから疲れたし、腹減った。どっかで何か食おうよ。へへ、俺、おごるから」
「 何言ってるんだ、僕は―」
「 言うこと聞かないと、俺、お前の後ずっと尾行るよ?」
「 ……」
「 ははっ。俺の勝ち」
「 誰が―」
言おうとしたが、言葉に詰まった。確かに緋勇なら、このまま僕が相手をしなくとも延々とついてきそうな感じはした。
何処かでまくということも可能かとも考えたけど、相手は一筋縄ではいかない。
仕方なく、諦めた。
緋勇の後を馬鹿みたいについて行くと、あいつはこの寒いのに小さなアイスクリーム屋に入ると、一人でさっさと僕の分まで注文して…「公園で食べよう」などと言ってぐいぐいと僕のことを先導していった。よせばいいのに三段重ねだ。僕のはまだ幸いにも二段だったが…それにしても恥ずかし過ぎる。
一体、何を考えているんだ。
「 壬生、チョコミント好きだった? こっちのストロベリーも一口やろうか?」
「 よしてくれ」
「 あ、でも捨てるなよ? ちゃんと全部食べろよ。何てったって俺のおごりなんだから。俺、京一にだってめったにおごってやんないんだぞ。あいつにはおごらせるけど」
そんなどうでもいいことをぺらぺらと喋りながら、緋勇は一人で笑った。
誘われるままに近くの区立公園に入って、緋勇はそこにあるベンチに腰を下ろして隣をばんばんと叩いた。
「 はい、座って」
「 ……」
仕方なく隣に座った。甘ったるいアイスクリームがひどく口の中でべたべたして気持ちが悪い。けれど、早く食べてしまいたかった。
緋勇の方もしばらくはそれを食べるのに執心しており、特に何も話しかけてはこなかった。時折僕の方のを「一口くれ」と言って口を突き出してきたが、僕は何だか気持ち悪くて、たとえ金を払ったのが彼だったとしても、それだけはしたくなくて頑として拒んだ。
「 壬生ってケチくさー」
緋勇はそう言って「そんなにそれ美味かった?」などと筋違いなことを言ったが、多分彼だって僕が何故拒んだかなど当に判っているはずだった。
僕が、緋勇龍麻――彼を嫌いなことくらい、彼自身だって分かっているはずなんだ。
彼はそれを知らぬ存ぜぬで通している。
それに何の意味があるのか分からないけれど…。
「 う〜、手ぇべとべと」
緋勇は僕よりも大分時間をかけてそれを食べていたが、ようやく食べ終わると、クリームのついた手を気にしながら僕の方に手を差し出してきた。
「 何だよ」
「 ハンカチ貸してくれ」
「 …その汚い手を拭くためかい」
「 そう」
「 ……」
何を言っても無駄なような気がしたので、素直に渡した。
本当は刺繍なぞを入れているものだったから渡したくなかったんだけど。
案の定、緋勇はそのことを指摘してきた。
「 なあ、壬生。これってお前が入れた刺繍?」
「 何でそんなこと訊くんだ」
「 だってお前って手芸部だろ? 学校の人に聞いた」
「 ……君は何だってそんな…」
「 すっげーモテるんだって? その氷のように冷たい容貌や態度とは裏腹に、やってる部活は手芸! しかも器用に美しい刺繍を張り巡らすことで有名なので、近隣の女生徒たちの間でも羨望の的だとか」
「 君は僕に喧嘩を売っているのかい」
イライラしてきて冷たくそう言ってやった。何だか最近のこのしつこさは異常でもある。僕を怒らせるためにやっているようなものだ。
すると緋勇はあっさりと僕のその言葉に反応したのだ。
「 そうなんだよな」
「 ……何?」
「 俺ね、多分お前のこと怒らせたいんだよね。だからわざとお前にしつこくしたり、嫌そうなこと言うんだと思うよ」
「 ……何のために」
「 う〜ん」
緋勇はそこで少しだけ考えるような顔をしたが、やがてにこりと笑って言った。
「 俺、お前のこと嫌いだから」
いやに澄んだ綺麗な声だった。彼の目は嘘を言っていない。
今の言葉に偽りはないだろう。
「 …そうか」
「 怒らないの?」
「 別に怒ることなんかないよ。むしろ安心したさ。君は僕を嫌いだと言う。幸いなことに、僕も君のことがひどく疎ましくて、いい加減こんな風に毎日待たれることにも嫌気がさしていたんだ。だからキミも今日限りこういうことはやめて、僕たち、お互いに他人同士でいたいもんだね」
「 だめ」
「 ……は?」
「 だから、だめだって言ってんだよ。俺、お前のこと嫌いだから。お前に嫌がらせしたいんだからさ。それに他人同士になんてなれるわけないじゃん。もう知り合っちゃったんだから」
「 そんなこと…そんなこと関係あるか! 緋勇、君は馬鹿なんじゃないのか? よくそんなんで彼らのリーダーなんかやっているね? 呆れてモノが言えないよ」
「 馬鹿、ねえ…」
緋勇は僕の罵倒などどこ吹く風で、今は違う所に視線をやってぼんやりとしている。僕は自分こそが馬鹿にされたような心持ちになって、ひどく不快な気分になった。
勢いのまま、立ち上がった。
「 悪いけど、僕は君に付き合ってる暇はないんだ。帰るよ」
「 どこに?」
「 どこだろうと君には関係ない!」
「 家に帰るのか、依頼を聞きに行くのかどっちなんだよ」
「 いい加減に―」
言って緋勇の方を見ると――彼はひどく真剣な眼差しで僕のことを見据えてきていた。
正直言って、迫力があった。気圧された。
「 ……君は」
「 壬生」
緋勇は再び視線を僕から逸らせて言った。
「 あの時、お前が俺たちの仲間にならないって言った時、さ。俺、何を思ったと思う?」
「 …さあ、分からないね」
「 興味もない? 俺の考えることなんて」
「 まあ、そうだね」
「 冷たいね」
緋勇はそう言ってから楽しそうに、くく、と笑った。
「 俺ね、お前のこと『ズルイ』って思ったの」
「 …ずるい? 僕が?」
「 そ」
「 何故」
「 気になるなら自分で考えろよな」
その言い方はどことなく厳しいものだった。先ほどまでの緋勇とは大分違っていた。校門で僕のことを、まるで犬ころみたいに待っていた彼とは…別人。
そんな彼といつまでも一緒にいるのが嫌になって、踵を返すと彼の元から去った。振り返りたくもなかったし、彼も僕に声をかけてこなかった。
仕事は相変わらずだった。
別にうまくいったとも思わない。けど、失敗もしなかった。
時々、今日みたいに気持ちの中が空っぽにならない時は、へまをして怪我をすることもあったけれど、別に痛みはない。
何ということもなかった。
こんな赤い血。自分の血など、痛くない。
ただ、今夜はとことんついていなかった。
自宅マンションの部屋の前で、また「見てしまった」のだ。
僕を執拗に追いかける彼の姿を。
「 よ。今帰り?」
彼――緋勇は、夕刻のことなどまるでなかったかのような顔をして、平然と僕の前に立ってそう言った。
「 ドア蹴破って入ってるわけにもいかないじゃん? だからここでずっと待ってたんだぜ。今日は待ってばっかりだ」
「 …何なんだ」
「 ホントはお前が素直に『今日は仕事だ』って言えば、俺お前に合鍵か何か借りて中で待ってようと思ってたんだ。なのにお前何も言わないで行っちゃうしさ。だから仕方なく」
「 そんなことは聞いていない」
「 入れてくれんだろ?」
「 断る」
「 断られたって入るけどね、無理やり」
「 緋勇、いい加減にしてくれ!」
「 興奮すんなよ。血が出るぜ?」
緋勇は冷たくそう言った後、僕の腕をぐいと掴んだ。
「 痛ッ…!」
「 …こんな怪我しちゃってさ」
緋勇は怒ったような顔をちらとだけ見せたけれど、僕がそんな彼を凝視していることに気づくと、すぐにそれをしまった。それからあのいつもの笑顔になって、「早く手当てした方がいいよ」などと言った。
部屋に入ると、緋勇は勝手にずかずかと辺りを漁って、よく分かったなと感心するほど早く救急箱を僕の前に差し出した。
「 俺、お前のストーカーだから、部屋のどこに何があるのかすぐに分かるんだぜ」
冗談とも本気ともつかないことを彼はさらりと言って…。
けれど僕が茫然としていると、今度は勝手に腹を立て始めた。
「 早く手当てしろって。俺、そういうのできないから。お前、自分でできんだろ? 慣れてんだろ?」
「 …うるさいから黙っててくれ」
「 あ! その間に俺、お茶淹れてやるよ!」
「 ちょっと、勝手に―」
言いかけたが止めた。何を言っても通用しないと思ったし、もうどうでもいいと思い始めていた。
不思議だけれど。彼が勝手に僕の空間に入りこんできても、僕はもうそれほど不快な気持ちになっていなかった。
「 な、壬生ー? このカップ使ってもいいのか?」
龍麻がキッチンで勝手に食器をがちゃがちゃといじっている。
母さんのものもあったから少しだけ気になったが、彼は幸いなことに僕の逆鱗に触れるような物には手をつけなかった。
「 あっ、何かすげー! これって高いやつじゃない? こんな良い紅茶飲んでんの、壬生って」
無視して手当てを続けていると、彼も勝手に話を進めた。
「 俺も一人暮らしだけど、こんなの飲まないよ。せいぜいインスタント。でも普段はそれすらやんない。お湯沸かすのすら面倒くさいから」
「 ……」
「 なあ、壬生って自炊してんの? 俺はね、もっぱらコンビニとか。あとは京一とかが放課後誘ってくれっから、ラーメン食って終わりにする。運がいい時は如月が…あっ、あのヘンな武器とか売ってる骨董品の若旦那ね。あいつがご飯くれたりするんだけど」
「 ……」
「 それから、壬生もあの地下鉄で会ったろ? 美里って美人。彼女が時々夕飯作りにきてくれるの。あれね、絶対俺に惚れてるんだよ。俺ってモテるから」
「 ……」
「 そりゃそうだよな〜。俺ってこんな顔良くってスタイル良くって頭もそこそこだしさ! それに何て言っても世界の救世主だし?」
「 それで?」
「 ん?」
「 そんな話を僕にして、一体何が言いたいんだ」
「 あっ、沸いた」
緋勇は僕の問いを無視して、ヤカンにかけていた火をとめた。
そして割と手際良く2つのカップにお湯を注いでいく。
「 なあ、何かお茶菓子とかないのかよ〜、お前ん家〜」
「 …キミにあげるものなんかないよ」
「 ひでー。こんな美味そうな紅茶淹れてやったのに」
緋勇は言いながら、トレイにのせたカップを2つ運んできた。
それから僕が座っているソファの隣に座って、手当ての済んだ僕の腕を覗きこんだ。
「 …へえ、うまく巻いたもんだね。すごい」
「 ……」
「 痛い?」
「 別に大した傷じゃない」
「 そう? なら良いけど」
緋勇はそう言ってから淹れたばかりの紅茶を僕に差し出した。
「 飲んでみ飲んでみ。お前が普段淹れているのより美味いからさ」
「 ……」
何を言っても無駄なので、とりあえず口にして…。
「 !!!」
「 わはははっ! やった、引っかかったー! な、美味い美味い?」
緋勇は僕の顔を見て鬼の首でもとったかのように大喜びした。
緋勇の淹れた紅茶は…ひどく塩からかった。
「 さあ〜壬生君、まだ口の中で紅茶が泳いでいます。飲むか? 吐き出すか?」
「 ……」
ふざけてくれる。ここで吐き出すなんて無様な真似は絶対にできない。
「 ……ごく」
「 …げ〜」
緋勇は自分が苦いものでも飲むような顔をして僕のことを見つめた。
「 飲みほすことないじゃん。よく飲めたな。死ぬぞ」
「 …殺そうとしたのは誰だよ」
「 だからって。そんな平気な顔してることないじゃん。もっと苦しそうな顔とか、俺を怒鳴りつけるとか何でしないの」
「 ……」
そういえば彼は僕のことを怒らせたいと言っていたっけ。
「 悪いけど、僕は自分が嫌いな人間の思惑にのるほど馬鹿じゃないんでね」
「 …そっかー」
緋勇は言ってから、僕から紅茶のカップを取って、自分のを差し出した。
「 はい、口直し」
「 誰が飲むか」
「 馬鹿、これは俺用のだぜ? こっちに塩入れているわけないじゃん」
「 信じられないね」
「 もう、ひねくれものだなあ」
「 どっちが―」
言いかけたところを、緋勇が自らそのカップを自分の口へともっていった。
美味しそうにごくりと飲んでいる。
「 …ね。こっちはフツーの高い紅茶」
「 ……ああそうかい」
「 飲めって。今、口の中も喉もいがいがだろ?」
「 いらないよ。水を飲む」
言って僕は立ち上がった。フツーの紅茶だろうが何だろうが、彼が口にしたものなんか飲んでたまるか。
けれど、いきなり僕は自分の体勢を崩して…再びソファに逆戻りしてしまった。緋勇が僕の腕を取って引っ張ったからだった。
「 な、何をするんだ!」
「 行かせない〜」
緋勇はそう言って僕をがんじがらめにすると、いきなり僕の胸にもたれかかってきて…何だか、抱きつかれているような…感じになった。
「 は、離れろ、緋勇!」
「 え〜? へへへ〜どうしようかな〜」
「 本当に怒るぞ!」
「 いいよ」
そうだった。望むところだった。くそ、癪に障る。
「 殴られたいのか」
「 お、壬生と対決!? いいね」
そうだった。こっちも彼の望むところか。
「 さあ、壬生紅葉クン、かなり困ってますね」
緋勇が顔だけをこちらに向けて、楽しそうにそう言ってきた。
僕は彼の笑顔をどうにかして変えたくて。どうにかして困らせてやりたくなった。自分だけがこんなに途惑っていなければならないなんて、不公平じゃないか。
途惑う? そう、僕は彼の態度や言葉に、いちいち途惑って、翻弄されてしまっているのだ。
そんな悔しい気持ちを、何とか彼にも味合わせてやりたい。
「 ……緋勇」
「 何?」
だから。
何も警戒していない彼に、キスをしてやった。
唐突に唇を合わせた。彼を驚かせるためなら、これくらいのことやってやれなくもないんだ。どんなに気持ち悪くても。
気持ち悪い…? そう、気持ち…悪くても。
「 ……っ!」
予想通り、いやそれ以上に緋勇は驚いたような顔を僕に見せた。
焦ったようになって、緋勇は飛び起きて僕から離れた。
形勢逆転だ。僕は冷たく笑ってやった。
「 何だよ、キミがしてほしいのかと思ってやってやったんだよ?」
「 な、何で俺が…」
「 しつこく僕に絡んでくるんだ。てっきり、不器用なキミなりの愛情表現かと思ってね」
「 ……」
「 だけど今日も言ったよね? 僕は君の、大層人が良い仲間たちとは違うんだ。君みたいな人間は一番嫌いだし、はっきり言ってうっとおしいんだよ。ちょろちょろうろつかれても」
「 ……」
緋勇は固まったまま動かない。いつもの調子ですぐに立ち直って悪態つくかとも思ったんだが。
それには、ちょっと拍子抜けだった。
「 …とにかく、分かったらさっさと帰ってくれないかな。そして、もう二度と僕に関わらないでくれ」
「 ……」
緋勇はその僕の言葉に、一気にしゅんとなったようだった。そして俯きながらぼそっと言った。
「 悪い…」
「 …何がだよ」
「 何か…色々…」
「 そう思うんだったら、もう僕には―」
「 だから、それはできないって」
「 緋…」
「 分からないんだ、俺も。分からないけど…でも」
緋勇はそこまで言ってから改めて僕の顔を見つめた。何だか切羽詰まったような顔だった。
その顔を見た時、どうしたことか胸がざわついた。目が離せなくなった。
すると、緋勇が消え入りそうな声を発してきた。
「 俺さ…お前が気になって仕方ない」
そして、今度は苦笑したようになって。
「 だから…そう言われても、ごめん。帰りたくない」
「 な…んで…」
自然と僕の声も掠れてしまった。彼の心細そうな姿が、何だか自分のことのようにつらかった。
「 何で君はそんな風に言うんだよ。僕が嫌いなんだろう…」
「 だから分からないって言ってんだろ」
緋勇はそう言ってから一旦言葉を切った。
「 けど俺…。お前…のこと見てたら、何かすっげー羨ましくて」
羨ましい? 誰が? この僕が?
人殺ししか脳のない、この僕が?
「 馬鹿なことを言うな! 君は僕を馬鹿にしているのか!」
「 馬鹿にしているのは、お前だろ」
「 …何?」
「 そうやって自分ばっかり自分の信じた道行って…。一人で頑張ってさ。それでいて、俺みたいにみんなに囲まれてのうのうとしている奴のことを馬鹿にしているんだ」
「 してなんかいない、僕はむしろ―」
むしろ、羨ましいと思っていたのは、この僕だ―。
そうだ、僕はキミが羨ましい。いつも明るい所に「高い所」にいる君が。キミは僕にないものをたくさん持っているんだ。
だから…疎ましかった。そばにいたくなかった。なのに。
「 壬生は俺がないものをいっぱい持っているから」
僕の気持ちを緋勇が言った。
「 だから…お前を見ていると自分が情けなくってさ…。俺、だからお前に怒ってほしいのかもしれない。何か言ってほしいのかもしれない」
「 ……」
「 困るの分かる。うざいのも分かってんだよ。俺だってそれほど鈍感じゃないんだぜ? でもさ…でも、いたいんだよね。ここに、いたいんだけど」
駄目かな…と、緋勇はひどく不安そうな顔をして僕に言った。
どうして、こんな人間がいるんだろう。
「 …あんなにひどい事を言ったのに、何とも思わないのかい」
僕が訊くと、緋勇はきょとんとして答えた。
「 言うの当然じゃない? 俺だってヤだよ、男に追いかけ回されてさ」
「 キスも…してしまったんだが…」
「 大丈夫。俺は全然ヤじゃなかったから。お前、巧いな」
「 ……」
「 あ、悪い。壬生は嫌がらせでやったんだよな。うん…ごめん」
「 いや…」
何だか訳が分からなくなってきた。とにかく、緋勇は僕のそばから離れる気がないらしい。僕と…いたいらしい。変わっている。
こんな僕を…認めてしまうなんて。
「 …そのうち、自分の勘違いがわかるよ、君も」
「 ええ? そうかな」
「 そうだよ」
「 じゃあさ。分かるまで壬生に会いに来てもいいか?」
「 …今までみたいにかい?」
「 ああ、あれはやりすぎだよな。うん、ちょっとは控えるよ」
緋勇はそう言って笑った。それから、思い出したように自分が飲んでいたカップを僕に差し出した。
「 あ、そうそう。これ飲めって! お前ホント塩っぽかったよ」
ホントにごめんな。
緋勇はそう言って、窺い見るように僕のことを覗きこんできた。僕はそれで思わず笑みをもらしてしまった。
「 まったく…ひどい目にあったよ」
「 だからごめんってば! 早く飲めよ」
「 ああ、分かったよ」
僕は彼が渡してくれたカップを手にとって。
一口、それを飲んだ。
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