頑張らなくっちゃね。 比良坂紗夜は緋勇龍麻に対して仄かな恋心を抱いているが、その事に気づいているのは仲間内でも親しい間柄の女性陣数名だけだ。比良坂が龍麻達の仲間入りを果たしたのは最終決戦の直前と遅かったし、そのせいで龍麻と会話するチャンスも限られていた。だから龍麻当人も含めた仲間たち―特に恋愛沙汰に疎そうな男性陣―が比良坂の気持ちに気づかないのはむしろ当然と言えた……のだが。 比良坂の気持ちを一番に見抜いた藤咲亜里沙に言わせると、それはちょっと違うらしい。 「 みんな自分らの事で手一杯なのよ。自分と龍麻の事しか見えてないわけ。これだから男ってやつは…」 喫茶店の窓際席で長い足を組みコーヒーを飲む藤咲の姿は、とても十代女子高生には見えない。同席している高見沢舞子にしてもそうなのだが、彼女の場合はキャピキャピの女子大生。OL風の藤咲とはまた違った独特の空気がある。 「 あんたも目が覚めた時に周りがライバルばっかりってのには驚いたと思うけどね。こんな事でいちいち参ってちゃ駄目よ。あいつらだって、たとえあんたの龍麻への気持ちに気づいたとしたって、『あ、そう』『またか』くらいにしか思わないんだから。もう慣れ切ってるからね」 「 は、はぁ…」 曖昧に答え、比良坂は途惑ったように目の前に置かれたオレンジジュースをじっと見やった。 今日は同じ高校―そうなったばかりなのだが―の高見沢から、病院の仕事も休みが取れたし一緒に買い物へ行こうと誘われ外へ出た。途中で藤咲とも合流し、今は一服しているところだ。 そして話の種は当然のように龍麻。 「 ………あの」 しかしその内容がどうにもおかしい。比良坂はさんざ迷った末、思い切って口を開いた。 「 あのう…。皆さん、龍麻さんの事が好きなんですよね」 「 そうね」 「 その…それって…」 「 友情としてじゃない。……ま、それもちょっとはあるかもだけど」 「 ………」 「 でも基本はあんたと一緒よ」 藤咲はきっぱりと言ってからごくりと豪快にコーヒーを飲み干した。傍を通るウェイトレスにおかわりを要求し、煙草でも吸い出しそうな勢いで椅子の背もたれにどっかと寛ぎ直す。やっぱり同年代というよりはお姉さんみたいだと比良坂は思った。 だから幾分かリラックスした気持ちでもう1つの疑問も口にしてみた。 「 前から訊きたかったんですけど、藤咲さんってどうしてそういうのが分かるんですか? その…皆さんのお気持ちにしてもそうですけど、その、私の…」 「 あんたの何?」 ぱくぱくと1人で特大いちごパフェを食べている高見沢は2人の会話を聞いているのかいないのか全く不明だ。それでも比良坂は何となく恥ずかしかった。今更だが自分の秘密を堂々と公言するみたいで。 「 その…つまり私が、龍麻さんの事を…その…」 「 好きだって事を? あのねえ、そんなのちょっと見てれば誰だって分かるわよ」 「 そ、そうですか?」 「 あー…。でも、よく考えたら龍麻も含めた男連中は全く気づいていないんだから、誰でもってのは語弊があるか…。うーん」 コーヒーを淹れ直してもらい、藤咲は一旦それに口をつけてからふっと笑んで続けた。 「 でも、少なくともアタシはすぐに気づいたわよ? だってさ、あんたってば龍麻に始終べたべたしてる美里にこれでもかって程の恨めしい目を向けてるんだもん。柳生も形無しよね、あんたにとっては世界の命運を決める戦いよりも、龍麻と美里の関係の方が重要って感じだったもの」 「 そ、そんな!」 「 いいのいいの。そんなのはアタシらだってそうなんだから」 はーあと大きなため息をついて見せ、それから藤咲は軽く肩を竦めた。 「 でもさあ、何か同じ学校って得よねえ。会う度、あいつらの距離って縮まってる感じだし? 美里の奴もわざと私らに見せつけてる感じしない? 幾ら黄龍の器と菩薩眼だからってあれはないわよ。うん、あれはない」 「 ………」 「 あー美味しかったあ!」 ぺらぺらと口を動かす藤咲に沈黙の比良坂。その合間を縫うように、突然高見沢が高い満足そうな声をあげてにっこりと笑った。 「 亜里沙ちゃんも紗夜ちゃんも食べればいいのにぃ。これ、すっごく美味しかったよ?」 「 あんたと違って私はダイエット中なの」 藤咲が素っ気無くそう言うと、高見沢はくるりと視線を横に座る比良坂に向けた。 「 じゃあ紗夜ちゃんは〜? ジュースだけじゃ後でお腹減るよ〜? これからショッピングしてぇ、夕ご飯食べるのまだまだ先だからぁ」 「 で、でも私…あんまりお金持ってきてないんです…」 高見沢と一緒に好意で働かせてもらっている桜ヶ丘病院の院長・岩山は比良坂にとっては恩人のような人だ。身寄りのなくなった比良坂に高見沢と同じ看護学校の寮に入れる手はずを整えてくれた上に、病院での手伝いもさせてくれている。学校の授業料はまだまだ返せないが、バイト代は少しずつ貯めている。 あまり無駄遣いはできなかった。 「 あー、大丈夫大丈夫。ここはアタシの奢りだし、夕飯も任せなさい。この間ちょっと引っ掛けた男からちょろまかしてあるから」 「 ちょろ……」 「 やーん亜里沙ちゃん、かっこいい〜」 ぱちぱちと無邪気に手を叩く高見沢に藤咲はどうでもいいと言うように片手を振った。 「 アタシだってねえ、もっと燃える恋ってやつがしたいわよ。けど龍麻の奴が全然素っ気無いから」 「 え…」 改めて出された「龍麻」の名に、比良坂ははっとした後再び暗い気持ちになった。瞬時、あの戦いの時も常に彼の傍に寄り添っていた人物の姿が脳裏を過ぎったのだ。 「 やっぱり…龍麻さんとあの人…付き合ってるんですか?」 「 美里のこと?」 「 はい…」 わざわざ名前を出すのは癪だったので「あの人」と言ったが、藤咲は実にあっさりとその言葉を口にした。それからキョトンとしている高見沢には視線をくれず、「さあね」と嘆息した。 「 半々ってところじゃないの。さっきも言ったけど、龍麻を狙ってるのは何もアタシら女だけじゃないし。確かに美里とは特に親しいみたいだけど、龍麻って基本誰にでもイイ顔するからさ。案外美里に言い寄られて振り切れないだけかもしれないし? アタシ的には他にも要チェックな奴が…」 「 亜里沙ちゃんは〜納得いかないんだよねえ」 「 納得?」 高見沢のツッコミに比良坂が不思議そうに問い返すと、話を途中で折られた藤咲は面白くなさそうに眉をひそめた。 「 当たり前でしょ。龍麻と美里なんて…。龍麻がね、みんなにモテて、みんなのアイドルってのは分かるわよ。だからいつかその中の誰かと結ばれるだろうってのも、ある程度覚悟してる。けどねー美里だきゃ、駄目だわ! 許せない!」 「 どうしてですか?」 藤咲の台詞を嬉しいと思いながらも疑問は疑問として口にすると、女性仲間きっての「セクシー美女」は、そんな比良坂につっけんどんな物言いをした。 「 王道過ぎるからよ」 「 王道?」 「 そうよ。つまらない」 「 はあ……」 「 何よ不満?」 「 い、いえっ。別に、そんな事は…」 もごもごと言い淀む比良坂に、藤咲はふと気づいたようになり、ニヤリと笑った。 「 そういう意味じゃ、奇跡の生還を果たした悲運の美少女も、立派に王道候補の1人だけどねえ? ……ちょっと、誰の事ですかとか言ったら鞭振るうわよ? あんたよあんた。比良坂紗夜。美里葵のライバルになれる女ってとこ? ヒロイン第2候補」 「 ふ、藤咲さん…?」 「 その割には、あんたって意外に影薄いからさ。アタシもつい可愛がっちゃうんだけど」 「 ……藤咲さんって凄くはっきり物言いますね」 「 付き合いやすいでしょ。美里よりずっとさ」 思わず恨めしそうにした表情も藤咲には軽く鼻で笑われ、かわされてしまった。 「 ………」 はあと小さくため息をついて比良坂は窓ガラスの向こうに見える外の景色へ何となく目を移した。 今日はこんなに天気の良い休日なのだ。龍麻は誰とどんな風に過ごしているのだろうと思った。 比良坂が龍麻と久しぶりに顔をあわせたのは、藤咲たちと買い物に行った日から1週間後の事だった。 「 比良坂さん、久しぶり」 「 龍麻さん!」 思わぬ対面に比良坂は驚きと感動のあまり胸に抱えていたカルテ入りのファイルをバサバサと床に落としてしまった。 「 あ、大丈夫?」 「 ご、ごめんなさい!!」 慌てて屈み拾おうとすると、それよりも先に身体を曲げた龍麻がさっとそれに手を伸ばした。 「 あ……」 「 はい」 「 あ、ありがとうございます!!」 「 ううん」 にっこりと笑んだ龍麻は本当に綺麗だった。こんな人がいるんだなと改めて思い、比良坂はそんな龍麻に意図せずうっとりと見惚れてしまった。 「 今日は日曜日なのに仕事なんだね。高見沢さんは?」 「 あ…彼女は今日は…」 「 いないの? 残念」 「 ………」 高見沢さんにも会いたかったのになあと言う龍麻に比良坂は軽く傷ついた。悪気がないのは分かるが、自分だけでは不満なのかと埒もない事を考えてしまうのだ。 「 ……今日は定期検査ですか?」 それでも龍麻との会話を終わらせたくなくて比良坂は必死に言葉を繋いだ。自分とて仕事はある。いつまでも廊下で立ち話など出来るわけもないが、どうしてもそうしたかった。龍麻と一緒にいられる事など、滅多にないのだ。 「 うん。岩山先生は大袈裟なんだ。もう全部終わったのに…。いつまでも俺の身体に触りたがるんだよ。『ヒッヒッヒ』とか言ってさ。あれ、犯罪寸前」 「 ………」 「 あれ?」 笑わせるつもりで言ったのに比良坂がちっとも乗ってこないので龍麻は不思議そうに浮かべていた笑みを消した。窺い見るような様子で口を開く。 「 どうかした、比良坂さん? 具合でも悪いの?」 「 いえ…」 「 そう? あ…俺、何か悪い事言ったかな。そうか、岩山先生を悪く言ったら気分悪いもんな。ごめん」 「 ち、違います…っ」 途端申し訳なさそうな顔をする龍麻に、比良坂は慌ててかぶりを振った。龍麻の冗談が嫌だったなど、勿論そんな事は決してない。ただやはり少しだけ悲しかったのだ。龍麻がこの病院に来る理由がなければ自分たちを繋ぐものはもう何もない。美里のように同じ学校に通っているわけでもないし、運命的な何かで結ばれているわけでもない。龍麻には仲間たちがたくさんいて、自分などその中で出逢った1人に過ぎない。 龍麻が病院に来たくないと言うのなら、それはそのまま自分にも大して会いたくはないという台詞に思えて……。 「 あ、あのさ、比良坂さん」 するとすっかり黙りこんでしまった比良坂に龍麻が困ったようになりながらも声を上げた。 「 今日は仕事何時に終わるの? もし良かったら夕飯一緒に食べない?」 「 え……」 驚いて顔をあげると、龍麻は反応が貰えた事が嬉しかったのか途端明るい表情になって続けた。 「 何時上がりか教えてくれれば俺はそのへんで待ってるし。もし比良坂さんが良ければ、だけど」 「 本当ですか…?」 「 うん。比良坂さんと話せる機会、最近ずっと少なかったし。俺、寂しいなって思ってたんだ」 「 龍麻さん…!」 胸がどきどきと速まる。夢じゃないだろうかと思いながら、しかし比良坂はもう一方では、先週藤咲たちと一緒に選んだ新しい服を思い浮かべ、一旦寮に戻ってあれを着ていこうなどと考えていた。 もっとも、そんな楽しい想像もほんの数秒程のものだったのだが。 「 あいつもさ…。きっと寂しいって感じてたと思うし」 「 え?」 龍麻の口から放たれたその台詞に、比良坂は弾かれたように顔を上げた。 「 あいつ…?」 「 うん、壬生。今日、あいつとも約束してるんだ」 「 み、壬生さん…?」 思いもよらない名前が出た事で比良坂は思わずぽかんとした顔でそのまま固まってしまった。 確かに壬生という男子学生は龍麻の大勢いる仲間たちの中でも特に親しく話をした事がある。しかし、だからと言ってどうしてここで壬生の名が出てくるのか、比良坂にはさっぱり意味が分からなかった。 「 あの…どうして…」 「 え? だって2人って付き合ってるんだろ?」 「 …………」 あまりの事に声が出せずにいると、龍麻はどことなく悲しそうな顔をして俯いた。 「 俺、そういう事にまるで気が利かなくて…本当にごめん。比良坂さんが壬生と付き合ってるなんて知らなかったから、俺、何かっていうとあいつを遊びに誘ってた。壬生といると落ち着くし、俺、あいつの事好きだから」 「 好き……」 「 あっ! も、勿論、変な意味じゃなくて!」 何故か真っ赤になった龍麻はそれを誤魔化すようにさっと口を継ぎ、まくしたてた。 「 壬生も比良坂さんの話とか全然しなかったし。俺が誘うとすぐ頷いてたからホント気づかなくてさ…。あいつも水臭いよな」 「 あの……それじゃあ、それって誰が言い出した事なんですか?」 やっとの事でそれだけを訊くと、答えはすぐに返ってきた。 「 誰って? 美里だけど」 「 …………」 「 今日なんだよ、知ったの。病院行く直前に美里から遊びに行こうって電話があって。壬生と約束があるからって断ったら、壬生は比良坂さんと付き合ってるんじゃないのかって…。あんまり邪魔したら可哀想だからって」 「 …………」 「 あ! って事は、俺が誘ったりするんじゃなくて、俺が消えればいいんだよな! バカだ俺…!」 「 あの……龍麻さん……」 「 ごめんな、比良坂さん! 壬生には俺から連絡入れておくからさ! 本当ごめんっ。それじゃ!」 「 ………あの」 しかし引きとめようとする比良坂の力ない萎れ切った声は、1人で勝手に自己完結な龍麻にはまるで届かなかった。疾風のように去って行く彼の背中をボー然と眺めながら、比良坂はあまりの事態に完全に石化していた。 |
To be continued… |
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