紅
真神学園に転校してからは、互いに顔を合わすことなど一度もなかったというのに。
「 龍麻」
不意に校門の所で呼び止められて、龍麻は多少なりとも驚きで身体を硬直させた。そういえば初めて出会った時もこの人はこうやって自分を待っていたっけ、と龍麻は何となく思った。
「 久しぶりだ。元気だったかい」
「 はい」
訊かれるままに頷いていた。真っ直ぐに向けられる視線が何となく痛い。龍麻は無意識のうちに相手から顔をそむけた。
「 …送って行こう。乗りなさい」
「 ………」
暗に示される背後の高級車。自分がその申し出を断るかもしれないなどとは、この人は微塵も考えないのだろうか。龍麻はまた何ともなしにそんな事を考えてから、目の前の師匠ー鳴瀧冬吾ーの顔を初めて直視した。
「 学校はどうだい」
月並な質問を、鳴瀧はした。
次々と変わる車外の景色に目をやりながら、龍麻は素っ気無く応えた。
「 もう二学期も終わるんですよ。さすがに慣れました」
「 そうか」
鳴瀧の視線がこちらに向いていることを意識しないようにしながらも、しかし龍麻は彼がじっと自分を見つめてきている事が気になって仕方なかった。
だから、ずっと窓の外へ身体を向けていた。
「 紅葉にも会ったようだが」
「 あ…はい」
新しく仲間になった、優しすぎる青年の名前が出たことで、龍麻は思わず肩を揺らした。
やはり鳴瀧は龍麻のことをじっと見やっていた。
「 うちの者が随分迷惑をかけたようだね」
「 別に……」
この人は何で来たんだろう。漠然と思った。
何の根拠もなく、多分この人とはもう会わないような気がしていたから、龍麻は時々思い出すことがあっても、どこかで鳴瀧という人間のことを強引に忘れようとしているところがあった。
武道の師。自分の出生を、両親を知っている人。
付き合いこそ短かったが、龍麻の中で鳴瀧冬吾という人間は自分の中で大勢を占める存在だった。頼りになり、優しく、広い心で見守ってくれた。ありがたい存在だった。
けれど。
龍麻はこの男のことを忘れようとしていた。
「 龍麻」
その時、鳴瀧が呼んだ。
反射的に振り返ってしまうと、その刹那に腕を取られ、引き寄せられていた。
「 な…っ」
「 こちらを向きなさい」
「 向いて……」
言おうとした瞬間、もう唇を塞がれていた。有無を言わせぬ激しい口付け。ぎりと腕を掴まれて、広い胸に抱かれたと思った時には、もう熱い温度を感じていた。
「 くっ…ふ…ぅ…」
何度も激しく貪られ、舌を絡めとられた。嫌がって抗おうとしたが、拘束された腕はより一層強く掴まれた。
「 ん…っ!」
「 龍麻…」
唇を少しだけ離した時、鳴瀧が呼んた。その声に龍麻はぞくりと震え、抵抗の力を止めた。瞳を閉じると、また一層激しくキスをされた。唇だけでなく、頬や瞼、耳にも鳴瀧の唇の感触が龍麻を襲った。
「 ………」
眉を寄せ嫌悪感を露にしつつも、すっかりおとなしくなった龍麻に、鳴瀧はしばらくそうやってキスをし続けた。大きな手のひらで龍麻のあちこちを愛撫し、そうして指でなぞってくる。
「 や…めてください…」
ようやく拒絶の言葉を龍麻が吐くと、鳴瀧はぴたりと動きを止めて、そう言った青年の顔を見つめた。
その時、専属の運転手が後ろを振り返ることなく、主に目的地に着いたことを告げた。
龍麻はその場所に再び戸惑った声を上げた。
「 な…んで……?」
「 降りなさい」
自分の住んでいるアパートではなかった。
龍麻は眉をひそめて鳴瀧を見やったが、当の相手の方は一切構わず、先に車を降りた。
龍麻が壬生と知り合ったのは、寒い冬の到来を告げる辺りの頃だったろうか。
「 龍麻」
待ち合わせ時間ぴったりにやってきた壬生は、ぼうと突っ立って自分を待っていた龍麻に小走りに駆けより、にこりと笑った。
「 ごめん。待ったかい」
「 ううん。来たばっかり」
うっすらと笑むと、壬生は良かったと言って再び笑った。
「 今日は悪かったね。いきなり呼びつけて迷惑だったかい」
「 別に…そんな事ないけど」
壬生が龍麻に電話をしてきたのも初めてなら、こうやってどこかで会おうと誘ってきたのも初めてだったから、龍麻はすぐにその誘いに乗ったのだった。
このどこか陰のある、けれど真っ直ぐな青年を龍麻は気に入っていた。
壬生は今上野で開催されている「中国文明展」に行かないかと龍麻に言った。別段興味もなかったが壬生がそう言うなら行ってもいいかと、龍麻は言われるままに頷いた。
壬生はいやに博識で、館内を回りながら色々と詳しい補足説明などをしてくれた。しかし龍麻は、そう言って楽しそうに話をしてくれる壬生の顔の方が珍しくて、何を教えてもらったのかまるで記憶に残らなかった。
それでも、その日はとても楽しくて。
いつもは仲間を獲得するため、人に嫌われそうな部分を見せないために、相手が望むような言葉を吐いたり行動したりしていた。けれども壬生は別だった。心からこの人のことを解りたいと思ったし、自分のことを解ってほしいと思った。それがどんな感情からくるものなのか、この時の龍麻はまだ知りもしなかったのだが。
「 今日は付き合ってくれてありがとう」
別れ際壬生は言い、それから龍麻に笑って言った。
「 君みたいな人と会えて…すごく嬉しいよ。君のことを…僕はもっと知りたい」
「 あ……」
「 え…?」
聞き返してきた壬生に、龍麻は消えいるほどの小声で言った。
「 ありがとう……」
龍麻のその言葉に、壬生はこれ以上ないほどの笑顔を見せた。
それでも。
自分の全部を知っても、彼はそう言ってくれるのだろうかと龍麻はちらとだけ思った。
鳴瀧の住処であるこの高層マンションに来たのは、これが初めてではなかった。けれど、久しぶりに見る窓からの景色は、何故だか違ったように龍麻には見えた。あの時は多少なりとも東京という街に何かを期待していたようにも思うのだが、今は殺伐とした、陰鬱な街に見えた。
「 何か飲むかね」
鳴瀧はネクタイを緩めながら龍麻に近づき、そう訊いた。
龍麻は振り返ってから首を横に振り、やっとまともに口をきいた。
「 何で来たんですか」
「 会いに来てはいけなかったか」
「 ……わざわざ来なくたって、僕がしていることなんて分かるでしょう」
「 そんな事はないさ。ああ、ただ……」
鳴瀧は言いかけてから、くるりと背を向けて酒の用意を始めた。
綺麗に整った部屋。普段あまり使っていないのだろうが、一人で暮らしている男の匂いはここにはない。
「 君が随分いい子にしているらしいという話は聞いたよ」
「 ………」
龍麻が黙っていると、鳴瀧は肩を微かに揺らした。笑ったのだろう。
「 多くの人間が、龍麻。君の下に集まり、共に戦ってくれているんだろう。それに……」
ここで鳴瀧はわざと言葉を切り、それから何かを探るように後を続けた。
「 ……正直、紅葉が君の『仲間』になったと聞いた時は…驚いたよ」
その声に、言葉に、龍麻は多少なりとも動揺した。鳴瀧は相変わらず平然としている。背中の氣だけでそれは判る。
「 どうして」
その背中に訊いた。訊かずにはおれなかったから。
すると鳴瀧はあっさりと答えた。
「 あれは正直者だからな。嘘つきは嫌いなのさ」
鳴瀧が注いだワインは、恐ろしく赤い色をしていた。2つのグラスに注がれたそれは、まるで鮮血のように光っていた。そんな色をした1つを鳴瀧は黙って龍麻に差し出した。そして龍麻が来る前に一人ソファに腰を下ろし、自分のものに口をつけた。
龍麻は鳴瀧のその様子を黙って見つめた。
「 腕もあげたようだな」
唐突に鳴瀧は言った。
「 解るよ。会わずにいたから、尚更だ」
「 毎日戦っていれば、それは」
「 いらぬ血も流しているのだろう」
鳴瀧の発言に龍麻は初めて不快の表情を露にした。
「 あんたなんかに何が分かるんだ…っ」
言葉を荒げたが相手は何も言わなかった。感情的になってもこの男は絶対に乗ってはこない。それは龍麻も知っていた。だからそれ以上言うのはやめて、黙りこくった。
「 龍麻。こちらに来なさい」
所在なく立ち尽くしていると鳴瀧が言った。
ああ、まただ。
この人はまたこうして自分に命令する。何でもあげる、何でも君のことを尊重すると口では言っておいて、絶対に自分を束縛するんだ。
「 どうした。久しぶりなんじゃないか。ここで話そう」
鳴瀧の笑顔が龍麻にはより一層不快に映った。
「 ……帰ります」
龍麻は言って、すっと鳴瀧の横を通りすぎようとした。そもそも何故来てしまったんだと、今更ながらに自分自身に腹が立った。もうこの人とは関わらない。そう決めたはずなのに。
けれどその時。
「 帰すと思うのか」
鳴瀧が言った。
「 何す…っ!」
腕を捕まれ、強引に引き寄せられそうになった。さすがに抗って身体を揺らすと、鳴瀧は立ち上がってそんな龍麻を更に抑えつけようとした。
「 は、離…っ…」
「 今夜はここにいなさい」
「 嫌だ…っ!」
しかし静かな口調とは裏腹に、鳴瀧は逆らう龍麻をがんじがらめにすると、そのまま豪奢な絨毯の上に自らの弟子を――押し倒した。
「 や、め―」
「 龍麻。お前はあの時と何も変わっていない」
鳴瀧は厳しい眼をしたまま龍麻の上に覆い被さるようにしてから、身動きができなくなった相手の首筋に唇をはわせた。
「 い…やだ……っ!」
「 おとなしくしなさい…」
「 嫌だ…やめ……離せ…っ」
「 そんな眼をして―」
鳴瀧のつぶやくような台詞、龍麻は挑むように師の瞳を見返した。
以前も。
この人は、こうやって自分を上から見下ろして。
「 君が『本当の』いい子だということは解っている。だからいくら偽っても―」
鳴瀧は独語するように言ってから今度は龍麻の唇を指でなぞり、それからゆっくりと自らのものを押し当てた。龍麻が嫌がって顔を逸らそうとするのも無理やり顎を押さえつけ、制した。
何度も重ねて舐めるように唇に触れて、鳴瀧はぎゅっと瞳を閉じている龍麻に語りかけるように言った。
「 無駄だよ。君のことは私が何でも知っている。君のことを解っているのは……私だけだ」
そして、再びキス。
何度も何度も。
そして、言われた。
「 私から離れようと思ったのか、龍麻?」
「 ………」
「 こんなに愛し合っているのに」
「 ……違う」
離れられると思った。
龍麻はぼんやりとそんな事を考えながら、うっすらと目を開いた。
相手はとうに自分のことを見やっていた。その、何もかもを見透かしているような目が嫌だった。怖かった。
自分がこんなに弱い人間だということも…きっとこの人には気づかれている。
だからもう会いたくなんてなかったのに。
「 紅葉はやめておけ。龍麻、お前が傷つくだけだぞ」
「 違う…あいつは……」
突然壬生の名前が出たことで、龍麻は心がざわつくのを感じた。
不敵な瞳の中に、自分と同じものをもつ人間。
『 君のことを……僕はもっと知りたい』
自分もだ。
彼に、惹かれていた。
「 龍麻。私が何故会いに来たのか、まだ解らないのか」
「 ………」
龍麻が黙りこむと、鳴瀧は再び唇を龍麻のあちこちに落とし始め、そうしてわざとゆっくりとした動作で制服のボタンを外していった。
「 お前は私のものだ。そう…言っただろう?」
「 知らない……」
不意に涙がこぼれた。またこの人にこうやって抱かれてしまうのだろうか。あの時は訳も解らずに、ただこの人の優しさに甘えて、強さに憧れて。父親のように感じてもいたのだ。
でもこの男はそうじゃなかった。
それ以上の。
痛い想いが。
「 苦しいか。黄龍の器であること」
「 関係ない……」
「 逃げたいんだろう。自分の運命から」
「 俺は……あなたが嫌いなだけなんです」
「 嘘だな」
鳴瀧は言ってから、龍麻のこぼれた涙を舌で舐め取った。その所作に腹の底から怒りがこみあげてきて、龍麻は鳴瀧の長い髪の毛を無造作に引っ張った。
「 離せよ…!」
「 無駄なことを」
「 嫌だ…あなたに…こんな風に抱かれたくなんかないんだ」
「 好きだと言っただろう」
「 ………嫌いだ」
それでも、鳴瀧は全く動じる様子がなかった。
はだけさせた胸にキスの雨を降らせる。龍麻の乳首にしゃぶりつくように、鳴瀧は舌での愛撫を止めなかった。そして龍麻のズボンのベルトにも手をかける。カチャリとした音がひどく耳について、龍麻は足をばたつかせた。けれどもズボンのホックを取られ、ジッパーも下げられた。
「 何で…こんな事……」
「 言っただろう。お前は私のものだからだよ。逃げようとするからだ」
「 あッ…」
思わず声をもらしてしまった。下着の中に鳴瀧の手が侵入してきて、龍麻のものを愛撫してきたのだ。
「 ぃや…だ、やめ…っ…」
「 この半年の間。君のその声が聞きたかったんだよ、私は…」
「 俺…紅葉が…好き、なんだ……」
「 ………」
「 紅葉のこと…好きだから…貴方のこと、忘れたいって…」
「 ………」
「 あいつなら…俺のこと……」
「 無理だと言っただろう」
鳴瀧は言ってから、いよいよ制服のズボンをずるりと脱がせると、露になった龍麻のものに顔を寄せた。彼の髭か、それとも長い髪か、それは判らなかったが、ざらりとした感触が下半身を襲った。不快になった。
「 んぁッ…!」
しかしその瞬間、自らのものを口に含んだ鳴瀧が龍麻に新たな刺激を与えてきた。
「 はあっ…ん! …や……ぅ…っん!」
「 かわいい声だ。もっと泣きなさい」
鳴瀧は一旦口を離してそう言った後、再び舌を動かし始め、龍麻のものを角度を変えて攻め、快楽へと導いていった。
「 ああッ!」
あっという間に達してしまうと、後はもう訳が判らなかった。
鳴瀧に良いようにされ続けて、気づくとその身体にただ翻弄されていた。
あの時と変わりなかった。初めて関係を結ばされたあの日もこうやって強引に組み敷かれて、抱かれて、意識を飛ばされた。ひどい痛みが伴って、バカみたいに泣いて頼んで、けれどこの男は行為をやめてはくれなかった。
ただ。
「 龍麻。私を見なさい」
そう言って。
「 んあ…ッ! ぃ…あッ…ああッ!!」
奥を貫かれた。
うっすらと目を開くと、下だけを露にした格好の鳴瀧が、自らの怒張したものを差し込んできていて、龍麻の深奥を激しく犯してきていた。
龍麻は目を閉じ、また新たな涙をこぼした。
開かされた両足は鳴瀧の肩にかけさせられ、抵抗などまるでできない姿勢で。ただ、受け入れさせられた。何度も激しい攻めを受けて、悲鳴をあげることもできなかった。ぎゅっと唇を結び、その痛みが遠のくのを待った。
鳴瀧の動きは止まなかった。
「 龍麻…ッ」
呼んでいる。絶対に応えるものかと龍麻は思った。それでも無理やり唇を開かされ、口腔内を荒らされて、いらぬほどに熱が高まり、顔が紅潮した。
その間も鳴瀧は龍麻の中に入ったまま、自らの熱を勢いよく放ってきた。
「 ひ…あッ…!」
さすがに声を出してしまい、強烈な感覚にまた気持ちが遠のいていく。もの凄い力だった。
この人は一体幾つだっただろう…と、どうでもいいことを考えたりもした。
中途半端に脱がされた格好のまま、行為が終わった後もただ放置されて、龍麻はその場で放心していた。
鳴瀧はシャワーを一人で浴びた後、隣室にこもって何やら誰かと電話で話しこんでいるようだった。仕事をしている時の声だ。よくもこんな風にすぐに切り替えができるものだと龍麻は呆れた。
のろのろと起き上がったが、痛みで顔が歪む。そして、ふと絨毯についた血に目がいった。
紅い。
それから呆然としたまま、暗くなっている外へと視線をやった。
紅葉。
今、彼は何をしているのだろうと思った。
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