呼ぶ風の中で



「 暇だ…」
  机に突っ伏した格好のまま、緋勇龍麻はつぶやいた。
「 何だよ、どしたひーちゃん?」
  相棒のだらりとした様子を早く察して、京一は龍麻の席へやってくると、そう声をかけた。すぐに他の仲間たち―醍醐、 小蒔、それに美里―もそれに倣い、憂鬱そうな龍麻の顔を覗き込んだ。
「 本当、どうしたの、ひーちゃん? すっごくヘナヘナな顔しているよ 」
「 ヘナヘナとは…どういう言い方だ、桜井?」
  小蒔の言い様に、醍醐が顔をしかめて問いただす。
「 だって、いっつもキラキラハキハキにこやかなのがひーちゃんじゃん。なのにさ」
「 …桜井は俺を何だと思っているわけ?」
  やはりうつぶせになったまま、顔だけを向けて龍麻は嫌そうな顔をしてみせた。
「 ひーちゃんは世界の救世主! 黄龍の器様だよっ。決まっているじゃないか」
「 …ああ、分かったよ。そうやって俺のことからかって桜井は暇潰しができるんだよな」
「 や、やだな、何言っているんだよ、ひーちゃん」
「 それは言えるな」
「 こら、京一! 余計な事言うなッ!」
「 だってそうだろーが。するってーと、何か、ひーちゃん? ひーちゃんには暇を潰せるものがなくて退屈していると。自分の青春がこんなところで浪費されているかと思うとユーウツなわけだ?」
「 ん…まあ、そんなところかな」
  それも何か違うような気がしたが、暇で退屈で何だか身体が重いのは事実だったから、龍麻は京一に指摘されるままにとりあえず頷いた。
「 戦いが終わって気が抜けたか」
  醍醐が顎に手をやってそう言った。
  そんな醍醐の方をちらりと見てから、龍麻はそれもあるのかなと、ぼんやり思った。
「 それなら龍麻。 私と何処かへ遊びに行かない?」
  美里がにっこりと笑って言った。その発言に言った当人美里と言われた当人龍麻以外の3人がややのけぞるような態度でさっと青ざめたが、やがて一番に立ち直った小蒔が恐る恐る言った。
「 遊ぶってさ…。葵、ひーちゃんと何処へ行こうっていうの…?」
「 え? そうね…特には考えていなかったけれど。映画館とか美術館とか…龍麻が遊びたいというのなら、遊園地や動物園でもいいけれど…」
「 へ、へえ…」
「 意外とまともだな」
  京一はぽつりとつぶやいただけなのだが、その後すぐに、「ぎゃっ!」と叫んだかと思うと、そのままその場に倒れこんだ。 全員気づかなかったようだが、美里が京一に見えない手刀を与えたらしい。
  醍醐がごくりと唾を飲み込んでから龍麻に言った。
「 そ、それもいいかもしれんな。 どうだ、龍麻。 卒業まであと僅かでもあることだし、久しぶりにこのメンバーで何処かへ出掛けるというのは?」
「 あっ、いいね、それ! みんなで遊べば、きっとひーちゃんのユーウツ病もどっかへいっちゃうよ!」
 美里は「私と2人で」という意味で言っているのに、 無理やり「全員で」という話に持っていこうとしている醍醐と小蒔。
 2人の言動にさりげなくちっと舌打ちした美里であったが、龍麻の手前、仕方なく沈黙を守っている。
「 どっかねえ…」
  そんな龍麻本人はといえば、床に倒れ伏したままの京一をぼんやりと眺めながら、やはりどこか気乗りしないような声をあげた。
「 俺さあ…。 うん、醍醐の言う通りなのかもしれない」
 そして、ふっと顔を上げると龍麻は醍醐のことを見てから少しだけ笑った。
「 何かさ…この学校に来てから、ホント、息つぐ間もなかったっていうか。 いつもいつも戦いの中に身を置いていたから。 柳生も倒して、全部が終わって。抜け殻になっちゃったのかなあ」
「 ひーちゃん…」
 小蒔が寂しそうな顔をした。すると、いつの間にか立ち直っていた京一ががばっと龍麻の肩を掴むと、いやに熱のこもった声で言った。
「 ばっか、ひーちゃん! 何貧乏性なこと言ってんだよ!? ひーちゃんの青春はこれからだろうが! 今までが異常だったんだ。 残り少ない高校生活をこれから思いっきりエンジョイしなくてどうするんだよっ!」
「 エンジョイって言われてもなあ…俺、 そういうのって、どういう風に楽しんでいいのか分からないから…」
「 だから貧乏性だって言ってんだよ! 仕方ねえなあ、じゃあ、今日は俺がとことん付き合ってやるよッ! なあに、俺とひーちゃんにかかりゃ、新宿どころか、東京中の綺麗なオネェチャンたちが引っかかって―」
「 ジハード!」
「 ぎゃあああー!」
「 悲しい事を言わないで、龍麻?」
  京一をもう一度床へと埋没させた後、 美里はいやに殊勝な顔つきになって龍麻の手をそっと握った。
「 龍麻、貴方はもう自由なのよ? 貴方は黄龍の器としての使命も果たして…いいえ、その自らの運命すらも乗り越えて、今ここにいるの。だから 貴方は貴方として、これから私と一緒に輝かしい未来を歩んで行くだけでいいの」
「 ……葵」
「 前半は良かったのだが」
  醍醐と小蒔が力を落としたようにため息をついたが、美里にそう言われた龍麻は最初こそきょとんとしていたが、やがてにっこり笑って美里の手を握り直した。
「 うん、そうかもね。…ありがとう。 美里ってホント、いい奴だよな」
「 龍麻…」
「 何か美里にそう言われると勇気が湧くっていうか。そっか、俺ってもう自由なんだ! 俺は俺として、これからの人生楽しめばいいわけだよな!」
「 そうよ、それで私と―」
「 じゃあさ! 俺、 これからの自分の人生って奴をよく考えてみるよ。うん、ゆっくりとね!」
「 あの、龍麻…?」
  美里があっけにとられている間に、龍麻は勢いよく立ち上がると、「今日はお先に!」と言って、さっさと一人で教室を出て行ってしまった。
  後に残された仲間たちは、最初そんな龍麻にぽかんとしていたが、やがて醍醐がはあとため息をついた。
「 …無理しているな」
  その台詞に、小蒔も神妙な顔で頷いた。
「 うん…。 さり気なく葵をかわしつつ、尚且つボクたちに心配させまいとしてあんな風に笑ってさ。ひーちゃん、大丈夫かな」
「 お、俺の心配もしろよ…」
  ようやくよろりと立ち上がった京一に声をかける者はいなかったが、龍麻の一番の理解者である京一は、ふうと醍醐たち同様ため息をついてから素っ気なく言った。
「 まあよ。 今はそっとしておいてやろうぜ。 ひーちゃんなりに色々考えているんだろうし。それに、何かあればあいつは絶対俺らに話すだろうしな」
「 うん…そうだね」
「 まあ、そうだな」
「 龍麻…どうして…? 私の胸にすがって泣いてくれればいいのに」
「 うんうん、そのうちそうなるから、ね?」
  親友を適当に慰めながら、小蒔は、確かに龍麻のような悲観的な人間には葵が一番向いているのにな、とふっと思った。





  皆の心配はありがたかったが、龍麻は彼らの励ましにより、余計に気分が重くなる自分を感じていた。
  何となく家に帰りたくなくて、龍麻は家の近くにある神社に足を運んだ。花園神社と比べればその規模は驚くほど小さなものであったが、両脇を杉の木に囲まれた長い石階段を昇りつめるた先にあるそこは、一種別空間で、人気もなく、落ち着いた景観を為している。 龍麻はこの場所が割と気に入っていた。
  別に願い事があるわけでもなかったが、賽銭箱に十円玉をごとん放り込んで、そのままその石段に腰を下ろした。
「 どっかへ行こう、か」
  先ほど、遊びに行こうと誘ってくれた仲間たちの顔が思い浮かんだ。
  皆はすごい。そう思う。 醍醐にはプロレスラーになるという夢があり、日々そのための鍛錬を欠かしていない。 美里にも教師になるという目標があるが、彼女ならきっとそれも何なくクリアしてしまうだろう。 彼女にはそれだけの才能がある。小蒔が何を目指しているのかは知らないが、毎日学校で笑っている彼女を見ていると、日々の生活が充実していると一目で分かる。
  親友の京一は先の事など何も考えていないだろうが、自分と違って奔放で、とにかく何でもやってみようというバイタリティがあり、今を思い切り楽しもうという意気込みが窺える。それでいて更に強いのだからいっそ憎たらしいくらいだ。
  自分には一体何があるのだろうか。
  今までは戦いがあった。 自分を生かせて、皆が一目置いてくれるものがあった。力を発揮してこの町を救うのは、言ってみれば自分の存在意義を確認できる自分の為の戦いでもあった。

  あなたはもう自由なのよ。

  美里はそう言ってくれた。
  俺はもう自由なのだ。
「 そうは言ってもなあ…」
  やはり自分は何をしていいのか分からない。
  これじゃあ力を振るうしか能のない筋肉バカみたいじゃないかと、心の中で自身を卑下する。
「 はあ…」
  あの戦いは…一体何だったのだろう。
「 そんな風に思いたくないけど」
  今にしてみれば、そんな事すら考えてしまう。
  自分たちの敵は確かに非道なことをしようとしていて、それを止めなければならないということは理解していた。 だが、心の底から憎んでいたわけでは決してなかった。元来、人を嫌うということがあまりなかった龍麻であるから、それは敵であろうとあまり変わりはなかった。
「 いっぱい殺したものなあ」
  他人事のようにつぶやいてから、ぞくっとした。
  嫌な人間になっちゃったのかなと思った。
  その時だった。

  風が、吹いた。

  それは一瞬のものであったが、びゅっと龍麻の頬を切り裂くような鋭いものだった。
「 ……っ!」
  途端、 酷い悪寒を感じて、龍麻は瞬時身体を緊張させた。誰がいるわけでもなかった。けれども、長い戦いの間に培われた本能が、龍麻に危険を感じさせた。
  立ち上がり、境内にぐるりと視線を送る。
  誰もいない。 龍麻を襲う者はここにはいない。
「 何…なんだ…?」
  石段を降りて、境内の真中へ移動する。視界が開ける所に移動すればある程度の攻撃には対処できると考えたからだ。
「 おい」
「 !!!」
  刹那、背後からか声がした。
「 な……っ?」
  振り返ると、龍麻が先刻まで座っていた向拝柱のすぐそばに、その人物は立っていた。
  赤い髪を一つに束ねて、あのぎらついた眼を閃かせていて。 出会った時と同じ雰囲気をその男は持っていた。
  龍麻より背が高いために、対峙した時も必ず見下ろされた。今もそれは変わらなかった。龍麻を鋭く見据えたその光は、こちらを真っ直ぐに射抜いてくる。
「 こ、九角…?」
  九角天童。
  この男との戦いなど、もう遥か昔のことのように龍麻には感じられている。実際そうだろう。鬼道衆を倒し、この男も倒し―さらに鬼に変生した時も、 龍麻は再びこの人物を自らの手で葬った。
  倒した…はずなのに。
「 お前…何故…?」
  半ば呆然としてその場から動けなくなっている龍麻に目の前の九角―過去の宿敵―は一瞬だけ不快な表情をしてみせた。 しかしそれは本当に刹那的なもので、相手は驚く龍麻には構わず言った。
「 お前。何者だ」
「 え…?」
「 何故、俺を知っている」
「 何故って…?」
  相手の質問の意味が龍麻にはよく分からなかった。この男は九角天童。それは間違いない。 現に九角もそれを認めて、 その上で何故龍麻が自分の名前を知っているのかと訝っている。
  では、何故この男は自分を知らないのだ。
  いや、その前にそもそも何故この男が此処にいるのだ。 この現世に。
  幽霊でないことは確かだ。足があるし、物言いもしっかりしているし、大体いくら鈍い自分にだって、幽霊と生きている人間の区別くらいはつく。
  龍麻はもう一度瞬きをしてから、恐る恐る相手に近づいた。 向こうは動じる様子もない。

「 お前…本当に九角だよな? 俺のこと、覚えていないのか」
「 知らねぇな。 お前のことなど、俺は知らない」
  あっさりと九角は言った。 相変わらず威風堂々としたその出で立ちに、龍麻の方が完全に押し負かされていた。
「 記憶喪失…?」
  龍麻にそう訊かれて、九角はもう一度嫌そうな顔をした。ずいと龍麻に近づく。龍麻はそれで後ずさったのだが、またすぐに距離を縮められた。
「 おい、お前。 俺に名乗る気がないのなら、さっさとここから消えろ。 俺は俺に用のない人間と長々と話してやる程、暇じゃねぇ」
「 暇じゃないって…ここで何しているんだよ」
  九角はもう龍麻には答えなかった。その代わり激しい殺気を漂わせて、龍麻を目だけで威圧した。その気配に思わず飛び退った龍麻に、九角は眼を細めるとつまらなそうに言った。
「 …《力》を持っているな。 お前か、俺を呼んだのは」
「 え…? 俺がお前を?」
「 おい、名乗れ。でなきゃここで死ね」
  そう言って再び殺気を放った九角に、龍麻は慌てて両手を胸の辺りで振った。降参という意味だったが、相手には通じていないらしい。じりと再び近づかれて、龍麻は声をあげた。
「 ぶ、物騒なこと言うなよ…。俺、もう戦いは終わったって…自由になったって言われたばっかりなんだから…。俺は緋勇龍麻。前にも名乗ったよ。そっちが俺のこと忘れておいて、もう一度名乗れはないだろ」
「 ……」
  九角は探るような目をしていたが、龍麻がようやく名乗ったことで自らの内にある《力》を表出することをやめた。そうして、龍麻がほっとしたと同時に言った。
「 緋勇龍麻か。知らねぇな。俺が忘れたというのなら、お前は所詮俺の中でその程度の男だったということだ」
「 なっ…! ひ、ひでえ言い方だなあ」
  龍麻は九角のあっさりとした物言いに正直に不平を述べた。仮にも自分を殺した相手の名前を忘れて、「その程度の奴」などと括ってしまえるものだろうか?いや、実際九角はこうして生きているのだから、龍麻が殺したというのは当てはまらないのだろうが。
  それにしても、何故九角はこうして生きているのだろう。気になる。
「 な、なあ、本当に俺のこと覚えていないのか」
「 知らん」
「 お前…じゃあ、これまでの記憶あるか? ないだろ? そうか、鬼としてのお前は死んだけど、人としてのお前はどっかで復活してて、でも記憶は失われていたとか? そういうことか?」
「 ……お前は頭がおかしいらしいな」
  一人で様々な推理を展開する龍麻に、九角は眉をひそめて独り言のようにそう言った。
  それから、もうそんな龍麻への興味を失ったように、九角は踵を返し、一人境内を後にしようとした。
「 お、おい、待てよ! 何処へ行くんだ!?」
「 ……」
  龍麻が慌てて九角の後を追ってそう訊いたが、九角は龍麻に答える気がないのか、黙ったまま階段を降りて行ってしまう。
  龍麻はムキになった。九角が生きていたという事実にももちろん驚いているのだが、それ以前にあれほどの死闘を繰り広げた相手を平気で忘れてしまっている九角に納得がいかなかったのだ。
  まるで自分の存在すべてを否定されているような気分だった。
「 待てったら! なあ、ちょっと待てって!」
  それでも九角は龍麻に構わない。龍麻の意地も最早頂点に達した。
「 こら、いい加減に―」
  けれどそう言って九角の肩を掴んだ途端――。
「 ……ってぇ…!」
  いきなりもの凄い衝撃が龍麻の頬を襲った。
  九角が振り向きざま、龍麻のことを思い切り殴りつけてきたのだった。
「 …気安く触るんじゃねぇ」
  冷たい声だった。
  龍麻は殴られた顔や、石階段に思い切り直撃した身体を厭う間もなく、そう言った九角の瞳にただ圧倒された。ぞくりと背筋を何かが走ったような感覚に襲われた。
  そして。
  思わず笑みが漏れた。

「 ……?」
  自分に殴られたのに怯える風もなくただ笑む相手を、さすがに九角も不審の目を向けた。 黙って龍麻を見つめてくる。
  それで龍麻も自らの瞳を臆するでもなく真っ直ぐに向けた。

  そしてもう一度笑んだ。
「 ははっ…。やっぱり、お前九角だ…。間違いない」
「 当たり前だ。てめえ、一体何だと言うんだ」
「 あはは…そのすっごい高飛車な言い方とかも。うん、九角だ」

  龍麻の目から、不意に涙がこぼれた。
「 何で生きているのか、なんて、どうでもいいや。お前、生きているんだ…?」
「 お前。何で泣く」
  九角が無表情のまま訊いた。龍麻は首を横に振ってから、流れた涙をごまかすようにもう一度笑んで見せた。
「 何でもないよ。 嬉しいだけだ」
  そう言った龍麻に、九角は不思議そうな顔をして、ただ黙って立ち尽くしていた。  



To be continued・・・



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