(2)
九角天童は背後を振り返って柄にもなく嘆息した。
自分の後を犬ころのようにニコニコしてついてくる男。
緋勇龍麻。
かなり思い切り殴りつけた自覚があったのに、相手は腫れた顔を厭いもせずに、ただこちらを見上げて笑い。
そして泣いた。
本当に頭がおかしいのだろうと思った。
「 なあ、九角。 何処へ行くんだ? 」
答える義理はないと沈黙を守っていた九角だったが、ここまでついて来られると怒りを通りこして呆れてしまう。
半ば根負けしたようになって、九角は素っ気なく背後の人物に返答をしてしまった。
「 帰るんだよ」
「 帰るって? 何処へ? 家、あるのか?」
「 …るせえ。てめえは本当に頭にくる奴だな」
「 だって……」
緋勇龍麻は何かを言いかけてぴたりと止めた。それからやや辛そうな顔をしたと思ったが、すぐにそれをくるりと収める、九角の横に並んでまた楽しそうに歩き始めた。
「 じゃあさ、俺もこれからお前ん家行っていいか?」
「 ……ふざけるな」
「 何で! いいじゃん、俺たち、もう知り合いだろ?」
「 俺はお前のような妙な奴と知り合いになった覚えはねェ」
「 お前になくても俺にはあるもん。俺さ、俺、すっげえ嬉しいんだ」
「 何がだ」
「 お前が生きてて! すっごくわくわくするんだ! 俺たちさ、何かすっごく良い友達になれそうじゃないか? 何かそんな気がするんだ!」
九角はますます不機嫌な顔をして自分のすぐ傍にいる龍麻を見やった。
害のない顔をしている。 だからこそ、九角には感じてしまう。
嫌な感じがする奴だ、と。
どんな根拠からかは分からないが、九角の中の本能が緋勇龍麻という人間を信用するなと言っているのだ。
九角は己のその感覚に素直に従った。
「 おい、お前」
「 緋勇龍麻だよ。もう忘れたのかよ」
「 てめえが何だろうが、もうどうでもいい」
九角はそう言った後、龍麻の胸倉をいきなり掴むと、そのまま縛り上げるように締め付け、もう一度殺気を放った。
「 …っ! ちょ、やめろって…」
「 俺に近寄るんじゃねェ。…消えろ」
「 ……嫌だよ」
龍麻は身体を仰け反らせようとしながらも、何とか威厳を保ちつつそう答えた。それから自分を掴んでいる九角の方を静かに見据えて、まだ笑んで見せた。
それが九角の神経を逆撫でしているとも知らずに。
「 …せっかく九角が生きていて…俺たち、会えたんじゃないか。 きっとこれには何か意味が―」
「 おい、黙れ」
「 だってお前が…」
「 黙れと言っている」
「 嫌だ」
「 てめぇ……」
九角はより一層憎悪の光を漂わせたかと思うと、そのままの勢いで龍麻のことを締め上げようとした。
……が。
「 ……!?」
妙な気配を感じて、九角は一瞬意識を龍麻から逸らせた。
龍麻はそれに気づかず、何とか九角からの束縛を解こうと必死になっている。
「 な、九角、離してくれって…」
「 …何だこれは…?」
「 へ? ちょ、ちょっと九角、 どうし――」
「 うるせえ!」
九角はそう言ったかと思うと龍麻を突き飛ばし、そうして《力》発動させた。
「 ……!」
もっともそれは九角の内から強力な氣が放出しただけだったのだが。
『 ギャー!』
その空圧だけで、龍麻の背後に迫っていた異形のモノたちは切り裂かれ、断末魔の叫びと共に消滅していった。
「 …な…!?」
龍麻は九角の殺気の方にだけ気を取られていて、まったくそれらの存在に気がつかなかった。
背後で不気味な音を発しつつ消えていった異形のモノたちの最後を、ただ呆然と見つめた。
「 い、今のは…」
「 ……てめえを狙っていたようだな」
九角が《力》を静めてから言った。 龍麻は慌てて視線を目の前の九角に戻した。
「 あ…そうみたい。 俺って取り憑かれやすいタイプだから…」
実際、戦いが終わった後も、龍麻だけは時々妙な念を発した異形のモノたちに襲われることがあった。 京一と醍醐にしかこの事は話していない。とりたてて強いものたちでもないので、龍麻自身、あまり気にしてはいないことだったのだが。
「 今のは何だ?」
「 え?」
ぼけっとしている龍麻に、九角が訊いた。
「 何って…お前だってよく知っているだろ? あれは―」
言いかけて龍麻は口をつぐんだ。 そうか、どうやら九角は記憶が失われているから、あの異形の存在のこともすべて忘れてしまっているのだろう。
「 な、何でもないよ。言ってみれば悪霊ってやつだよ。お前、すごいなあ、あれ見えるんだ?」
「 あんなに堂々と出てきて見えるも何もないだろうが」
「 でも普通の人間には見えないんだよ」
「 ……お前のその《力》に関係あるようだな」
「 え?」
「 俺にもそういう《力》があるようだ」
「 あ、ああ…そうみたいだね」
「 ……来い」
九角はそう言ったかと思うと一人でさっさと歩き始めた。龍麻は初めこそきょとんとしていたが、やがて嬉しそうな顔になると、慌ててその後を追った。
九角の「家」は予想通りというか「屋敷」と言った方が正しい様相を呈したものだった。周囲を竹林に囲まれた広大な面積の中に、それはどんとそびえ立っていた。
「 で、でけえ…」
表門の表札を見る。
九角、とある。
本当にコイツは九角天童なのだ。 龍麻はそれをもう一度頭の中で確認してから、九角の後を追って屋敷の中へと入って行った。
主の帰りが分かったのか、既に何人かの使用人が頭を垂れてその帰りを出迎えていた。龍麻が多少引いていると、その全員の使用人が九角に向かって「お帰りなさいませ」と一斉に声を発した。九角は何とも答えない。当然のことをされているという感じだ。主だから当たり前なのかもしれないが。
「 ……そちらはお客人でございますか」
使用人の中でも一番位が高いのだろう、一人の男がそう言って龍麻を見てきた。中年の、取り立てた特徴もないような地味な顔だった。ただ龍麻はその声にどこかしら聞き覚えがあるなと思いながら、誰かということまでは思い出すことができなかった。
「 そんないいもんじゃねえ。おい、あれの用意だ。こいつの分も出してやれ。俺のよりいいやつでいい」
「 …かしこまりまして」
「 何? あれって何だ? 飯、ご馳走してくれんの?」
「 ……バカが。 いいから来い」
九角はそう言ったかと思うと、再び外へ出て行った。
九角は何も言ってくれないから、龍麻はついて行くしかなかった。
九角は屋敷の表戸からぐるりと回って、裏手にあるだだっ広い砂地に龍麻を導いた。
「 ここって……」
既に使用人の何人かが何本かの刀剣を用意して控えている。龍麻は嫌な予感がして顔をひきつらせた。そんな龍麻には構わずに、九角は自分の愛用のものらしい刀を手にすると、ようやく龍麻にも声をかけた。
「 どれでもいいぞ。 好きなものを選べ」
「 ちょ、ちょっと待った…。もしかして…決闘でもするわけ?」
「 そんな大層なもんじゃねえよ。てめえと決闘なんざしても、弱い者いじめと思われるだけだからな」
九角はつまらなそうに言ってから、自らの刀剣を一振りした。軽く手慣らしをしてから、龍麻にそれを向ける。
「 おい、何している。そこにあるものからさっさと選べ」
「 いやあ…俺、刀ってちょっと……」
「 んじゃ、素手でやるか?」
九角が冗談で言った言葉を、龍麻はぽりぽりと頭をかきながらうん、と頷いた。
「 まあ…どうしてもやらなきゃいけないんなら、ね。俺は素手でいいや」
「 ………」
「 でも久々だから手、抜けよな。俺、ホント最近だらだらしてたんだからさ」
龍麻はそう言ってからすっと戦闘の構えを取った。
ざわりと風が吹いた。
( あれ、この風って……)
龍麻は心を静めながらも、自らが呼んだはずの疾風の氣を先刻も感じたはずだと思って、心の中で首をかしげた。
九角は龍麻の顔を黙ったまま見やっていたが、自分も静かに刀を構えた。
鋭い眼光。 九角の殺気は凄まじかった。
けれど、龍麻は。
( ……最高だ)
その視線から目を離せない。否、離したくなかった。ひどく懐かしい。それは悲しい記憶であるはずなのに、龍麻にはそれがただ嬉しいものに感じた。
「 ……すげえ」
思わずつぶやいた。
その瞬間、風はやんだ。
と同時に、九角が刀を下げた。
「 ……くだらねえ」
「 あれ?」
意表をつかれて龍麻ががくりと身体から力を抜くと、九角は不機嫌そうな顔をしてから吐き捨てるように言った。
「 お前のような間の抜けた顔をした奴に剣が振るえるか。やめだ」
「 あ…そう? 何だよ、せっかく人がやる気になっているのに」
「 ……緋勇龍麻」
「 え? ……あ、はは。名前、覚えてくれたのか?」
「 お前は何故今日、あそこにいた」
「 え…あそこって…近所の神社のこと?」
龍麻の問い掛けに九角は答えなかった。ただ、肯定する目をしていたので、龍麻は考えてから首をひねった。
「 さあ…暇だったから…。何となく行ってみただけだけど」
「 ……」
「 そういや、九角も何であんな所にいたんだよ。そういえば、誰かが呼んだって…」
「 黙れ」
九角は言った後、縁側から座敷に上がった。刀を使用人に渡し、後は龍麻のことなど目もくれずに奥の部屋へと向かって行ってしまう。
龍麻は慌てた。
「 こ、こら、待てってば! もう、何だよさっきから! 黙れって、お前が聞いたんだろー!」
龍麻が九角の後を追って座敷にあがりこんだが、使用人の誰も止めなかった。
主の意思を測ってのことだろう。
「 なあ、九角ってば! 俺、 腹減ったんだけど! 何か食わしてくれよ!」
「 るせえ! さっさと帰れ!」
「 嫌だっての! こうなったら泊ってくぞ、俺は!」
広い屋敷の中で、そんな声がいやに明るく響いていた。
翌日。
珍しく遅刻してきた龍麻に、真神たちメンバーは休み時間に入ると一斉に寄ってきてそれぞれ言葉を出した。
「 ひーちゃん、どうしたんだよ今日は?」
「 珍しいじゃないか、お前が遅刻するなんて」
「 いっくらだらだらしているからって京一を見習っちゃだめだよ、ひーちゃん!」
「 んだと!?」
「 龍麻。 今日こそ2人で何処かに…」
自分の席の周りでいっぺんにそう言う仲間たちに、龍麻は苦笑するより他なかった。
「 あのねえ…一度に言うなよ。訳分からないだろ」
すると京一が素早く声を出してきた。
「 んじゃ、俺からだな。今日はどうしたんだって訊いたんだ」
「 ん。 昨日ね、友達の家に泊まったから。 朝、一回家に戻って色々してたら遅くなっちゃった」
「 友達? 泊まった?」
京一はそう言ってからふいと醍醐の顔を見た。醍醐も誰だろうという顔をしている。
「 えー、誰の家に泊まったの、ひーちゃん?」
小蒔が訊く。
「 んー、 えへへ」
龍麻はどことなく楽しそうに笑った。それから「秘密」などともったいぶる。
これには全員がそれぞれの顔を見合わせた。
「 …何かひーちゃん、楽しそうだね。昨日の悩みは結局解消したの?」
「 へ? 俺、何か悩んでたっけ?」
「 ひーちゃん…」
「 ま、まあいいじゃないか。龍麻がこんなに楽しそうなんだ。それにしても一体…」
「 誰なの、龍麻?」
おっとりとした笑みの中で美里が訊いた。その笑顔に3人がざざざと青ざめた。その微笑の裏に激しい嫉妬の炎がまざまざと見えたからだろう。 龍麻にはどうやらその炎は見えないらしいのだが。
「 如月君かしら? 壬生君かしら? このサイトのカップリングでいうと、後は劉君なんかが候補かしらね?」
「 あのね、すっごい金持ちの家!」
龍麻が害のない顔で言った。 一同がしんと静まり返った。
「 …ま、 まさかあのあやしげな陰陽師…?」
美里の声は龍麻には届かなかったらしい。肯定も否定もしなかった。全員の中で、昨日龍麻が泊まった家は日本最強の陰陽師、御門家の当主の所、ということに決定したらしかった。
それはさておき、龍麻は、自分自身も何故こんなに胸がわくわくするのか、今いちよく分からなかった。
自分が殺したはずの相手が生きていたということがまず嬉しいのは間違いない。向こうが自分のことを忘れてしまっているということも、最初こそ悔しい気がしたが、今ではその方が却って良いじゃないかとすら思っている。また自分のことを思い出したら、九角の奴はもう一度戦えなどと言いかねない。この関係なら、初めから九角天童という男と知り合いになれて、初めからただ力のある者同士、 新しい関係を築くことができるではないか。
そして。 多分、龍麻自身自覚していない感情が、今どこからか生まれつつあった。
あの眼光を見た時に。
風が吹いて、その姿を見た時に。
「 おい、 緋勇龍麻」
昨夜。
九角天童は、ちゃっかり夕食まで一緒に食べて自分の横を陣取った龍麻に声をかけた。
月の光で庭から眺められる池の水面も美しく映えた夜だった。
「 龍麻でいいよ。そしたら俺も天童って呼ぶし」
「 ……」
「 で、何? 何か言おうとしただろ?」
龍麻の調子に多少気を削がれながらも、九角は空の月へと視線を移しながら何気なく言った。
「 お前……強くなりたいか」
「 ん…。いや別に…」
正直、もうそんな事には興味がなかった。
自分にはあの《力》しか持っているものがないと思いつつも、やはりその反面で戦いが終わった今、もうこれ以上の力は必要ない。そう思っているところもある。 こういうところは、京一や醍醐と自分が異なる点かもしれない。
「 俺はな……龍麻」
九角が龍麻を呼んだ。 どきりとして龍麻が九角を見ると、ほのかな光の中で九角はひどく真摯な眼をしていた。
そして、言った。
「 俺は己に勝てるだけの力が欲しいんだよ。見せかけだけの力じゃねえ。俺自身が本当に納得できる力だ。だから俺は―」
言いかけて、けれど九角は途中で止めた。龍麻が怪訝な顔をしていると、九角は途惑ったような顔をして視線を逸らせた。
「 …ちっ。 てめえにこんな事を話しても無駄だな」
「 な、 何だよ!」
「 お前のような奴に…俺の気持ちは分からねえってことだ」
「 ……俺ってそんなにバカみたいか?」
「 お前のようにな―」
言って九角は突然龍麻のことを引き寄せた。痛いほどの力で肩を掴まれて、龍麻は体勢を崩した。
九角のがっしりとした身体に抱き寄せられる。
驚いて顔をあげた瞬間、唇を合わせられた。
「 ……っ」
よく聞けよ。緋勇龍麻。
九角のぎらついた瞳がすぐ側にあった。 また心臓を鷲掴みにされるような感覚に襲われた。
「 お前のように…ムカつくほど白い奴にはな…俺のことは分からねえよ」
そう言ってから、九角は初めて龍麻に不敵な笑みを向けた。
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