(10)
「 ひーちゃん、ラーメン食って帰ろうぜ!」
放課後、京一がいつものように真っ先に龍麻の所にやってきてそう言った。
「 京一。君はいつもいつも芸がないねえ。たまには違う台詞も言ってみたらどう?」
2番目にやってきた小蒔が馬鹿にしたように言った。しかしもちろん自分もついていくつもりなのだろう、既にしっかりと鞄を持って、スタンバイOKという感じである。
「 けっ、だったらてめえはついて来なくていいんだぜ。俺らだけで行くからよ。な、ひーちゃん!」
「 あらそんなおいしい真似…私が京一君だけにさせると思う?」
「 げっ…み、美里!」
そう言って京一をしっかと牽制したのは、相変わらずの笑みをたたえた、菩薩眼こと美里嬢だ。またもや気配を感じさせずにやってきたものだから、京一は思い切りのけぞった。
「 ま、まあまあみんな。そんなに殺気立つな。全員で行けばいいことだろう」
そして最後にやってきた醍醐が1番無難な意見を言い、小蒔が嬉しそうに「賛成!」と叫んだ。
「 もうすぐ卒業なんだからさ。仲良くいこう、仲良く!」
「 ま…そうだな。俺の傷も癒えたばっかだし」
京一がややびくびくとした様子で美里を見やる。
「 そういえば紫暮の奴…まだ稽古休んでいるんだってな…」
「 京一君、何か言ったかしら?」
「 い! いや、別に!」
「 さ! さあさあ早く行こ! 早くしないとラーメンが逃げて行っちゃうよ〜!」
「 そんな馬鹿な…」
「 いいの! 早く行こう! ね、ひーちゃん!」
そうしてようやく再び皆の視線が一斉に龍麻の方に向けられて。
「 ………うん」
龍麻はそんな仲間たちの方を見て、少しだけ笑って見せた。
みんなとても優しかった。
「 京一! ところで君はちゃんと卒業できるわけ〜?」
「 し、失礼な事言ってんじゃねえよ、この男女!」
「 なにを〜!」
以前と変わらない風景。
「 うふふ。京一クン、良かったら私が特訓してあげましょうか?」
「 それはいいな。京一、本当に美里に頼んだらどうだ? さぞかしもの凄い特訓が…」
「 だ、醍醐! てめえ、余計な事言ってんじゃねえよ!」
「 余計な事?」
「 う!!」
「 ジハード!」
「 ギャー!!」
「 あははッ! 焼けてる焼けてるー!」
こうだった。自分の日常はこうだったのだ。
龍麻は皆の楽しそうな明るい笑顔を見ながら転校してきたばかりの春を思い出した。
大切な仲間ができて、《力》に目覚めて、多くの敵と戦って。
そして。
「 おや。お前たち」
「 あっ!」
その時、龍麻はやや前方を歩く京一の素っ頓狂な声と、聞き覚えのある声にはっとして顔を上げた。
「 ヒヒ…。元気そうだねえ、京一」
「 は…ははは。先生も相変わらずふくよかなことで……」
「 何か言ったかい?」
「 いや、何も……」
桜ヶ丘病院の女医・岩山たか子だった。醍醐がみんなの思いを代表したように、驚きながら言葉を出す。
「 先生、珍しいですね。どちらかへお出かけですか」
「 デートだよ、悪いかい」
「 でっ!!?」
小蒔が裏返った声で叫んだが、岩山の一瞥に慌てて両手で口を塞いだ。岩山はそんな小蒔や青ざめた京一らにふんと鼻を鳴らしてから、1番背後に立っていた龍麻を見てにやりと笑った。
「 お、龍麻もいたのかい。ヒヒ…相変わらず可愛い顔をしているねえ」
「 せっ、先生! ひーちゃんに手を出すのは7つの大罪の一つ…」
「 なら、お前ならいいのかい、京一?」
「 いや俺もその…」
「 まあいい。それより龍麻」
「 はい…」
「 この間の色男はどうしたい。まだ何の連絡もないのかい」
「 …………」
龍麻が沈んだ顔で俯くと、岩山はじっと見つめてきてから一人納得したように頷いた。
「 まったく、 あんな瀕死の状態を助けてやったってのに、礼も言わずにとんずらだからね。恩を知らない奴だよ」
「 ………あいつ」
「 ん?」
「 あんな状態でいなくなって……大丈夫ですか」
「 さあね」
龍麻の不安そうな声を一蹴して、岩山はしらばっくれた。
「 意識を取り戻したばかりだってのに医者の言う事も聞かずに消えた奴のことなんざ、アタシは知らないよ。ま、そこらへんでのたれ死んでも文句は言えないだろうよ」
「 せ、先生。その言い方は…」
醍醐が龍麻の蒼白な顔色を伺って、慌てたように言った。しかし岩山の方は、当たり前だがまるで動じなかった。
「 まああんたもああいう手合いにいつまでも気を取られていないで、せっかく平和な世の中にもなったんだ。恋でもして、人生思い切り楽しむことだね」
「 そうよ龍麻」
美里がにっこりと笑って言った。小蒔や京一などははらはらとして龍麻の方を見ているが、岩山は余裕の態度の美里の方を感心した風に見やると、また「ヒヒヒ」と気味の悪い声で笑ってから「じゃあな」と言って去って行った。
「 さ、さあ行くか」
京一が仕切り直しだとばかりに明るい声を出した。小蒔がそれに乗り、醍醐も気を取り直すように頷いた。美里だけが、一歩遅れたような龍麻の顔をじっと見やっていた。
龍麻はそんな美里に無理に笑って見せようとしたが、失敗してしまった。
自らの体も血に染めながら龍麻が九角を岩山のいる桜ヶ丘に運んだ夜。
しかし長い時間を経て手術室から出て来た巨体の女医は、その殆ど呼吸すらしているのかも分からなかった九角を助けたのは自分ではないと龍麻に言った。
「 こいつはとっくに冥土の地に足を踏み入れていたんだがね」
手術室から出た岩山はそう言ってから、待合室で茫然自失となっている龍麻を冷たい眼で見下ろした。
「 呼び戻したのは…ああ、人の話を聞いてもいない奴に何を言っても無駄だね。やめた。あたしは寝るよ。ついててやりたきゃ勝手にしな」
岩山が消えた後、龍麻は何かに背中を押されるようにして、病室に入った。
九角は既に意識を取り戻していた。そうして、病室に入ってきた龍麻のことを見やってきた。
「 …………」
それでも。
こちらを見ていると分かっているのに、龍麻は未だに九角が生きているとは思えなかった。そろそろと近寄り、目の前にまで行く。九角と視線を交錯させる。
「 …………」
「 …………」
お互いが何も発しようとはしなかった。しばらく見詰め合って、それから龍麻の方がようやく手を伸ばし、九角の顔に触れた。震える指先が九角の肌に当たった。
その感触を得て、龍麻は初めて声を出した。
「 天童…っ」
「 ………」
九角はそれでも依然黙りこくったままだったが、やがて傷ついた身体を厭いもせずに自らも手を差し出すと、しゃがみこんでより傍に寄った龍麻の頬を同じように撫でた。それから、そこを伝う龍麻の涙を指で拭った。あの夜と同じように。
「 天童、良かった……」
それで、龍麻はようやくそう言うことができた。これで。これで、もう九角は何処にも行かないはずだと思った。自分の傍にいるはずだと。ふっと力が抜けた。
「 愛してる、天童……」
だからそうつぶやいて、九角の横たわるベッドのすぐ傍ですっと目をつむった。そしてそのまま意識を失ってしまった。
まさか思わなかったのだ。
その後、九角が自分の目の前から姿を消すなんて。
そして九角を刺し貫いたあの刀剣も。
共に消えていた。
龍麻が仲間たちと別れてから一人九角の屋敷に赴いた時には、辺りはかなり暗くなっていた。もうすぐ春とは言え、そんな時間となるとやはり気温は低い。その寒さに龍麻は身を縮めた。
「 こんばんは」
龍麻の声を聞き、何人かの使用人が小走りにやってきた。
それから黙って龍麻を中へと招き入れる。龍麻も慣れたように靴を脱ぐと、大人しく使用人に導かれるままに、1番奥の座敷へと向かった。
「 こんばんは」
部屋に通されて、龍麻は目的の人物に向かって再び挨拶をした。声をかけられた人物はゆっくりと振り返り、それから龍麻の姿を認めるとにっこりと笑った。いつもと同じ着物姿で、その笑顔は相変わらず妖艶なものだった。
しかし向こうは何も発しない。ただ部屋の隅に姿勢を正して座ったまま、じっと龍麻のことを見やるだけだった。
龍麻は使用人が出してくれた座布団を尻に敷くと、少し離れた位置からではあるが、こちらの話を黙って聞くであろうその女性にいつものように語り始めた。
「 今日は学校の友達とラーメンを食べに行ったんですよ…」
表門の所まで見送ってくれた使用人―能面の男―は、 何度となく龍麻に泊まっていくように勧めたが、龍麻は首を縦には振らなかった。
「 勝手に居付いたりしたら…あいつに怒られちゃうよ」
龍麻はそう言った後、「あ、もう十分居着いているけどね」といたずらっぽく笑って見せた。
「 緋勇様のお陰で、奥方様もとてもお体の調子が宜しいようで」
「 本当? 俺こそ…好きでやらせてもらっているだけだから…本当は迷惑なんじゃないかなって心配してた」
「 そのような…」
「 俺はさ…俺はただ、天童と似ているあの人と一緒にいることで錯覚したいだけなんだよ…。天童といるんじゃないかって」
「 緋勇様……」
男の悲しそうな顔をわざと見ないようにして、龍麻は続けた。
「 俺あの時…天童と闘っている時、本当に馬鹿なんだけど、夢見てた。剣振り回している時にだよ。あいつが俺のこと間抜けっていうの、もう否定できない」
はははと龍麻は笑って今度は男の顔を見たが、
しかし男は一緒に笑ってはくれなかった。
それで龍麻も笑顔を消した。
「 でも俺は…あの時の夢は、あいつも見たんだって信じてる」
「 …………」
「 あいつ、傍にいろって言った。だから俺、待ってる」
「 きっとお帰りになりますよ」
「 …………」
「 緋勇様に傷ついた身体をお見せするのが心苦しいのでしょう。ですから、近いうちにきっとお戻りになられます」
「 ねえ……」
男の慰めの言葉をかき消して、龍麻は言った。
「 あいつ…俺のこと好きじゃなかったのかな」
「 は……?」
聞き返してきた男から、龍麻はいたたまれなくなって距離を取った。それでもすぐに屋敷から離れる気はしなくて、龍麻はもう一度、今度は押し殺すように言葉を出した。
「 ……言うのはいつも俺だった。別にそれでもいいって思ってたんだ。天童が俺のことどう思ってたって別に良いって…。俺は俺の気持ちがあいつに伝えられればそれで良かった。…でも、でも今は」
ああ、もう何回目なんだろう。これではまたあいつに馬鹿にされる。
それでも、龍麻は涙を止めることができなかった。
「 今更…あいつの言葉が欲しいなんて……」
愛してる。
俺は、天童を愛してる。
何回も言った。あの時だって言った。
なのに、あいつは何も言ってくれなかった。ただ。
涙に触れてくれただけで………。
それから、時間は驚くほど早く過ぎた。 龍麻は相変わらず京一や美里、
醍醐や小蒔と共に過ごし、一緒に笑った。
そして卒業の日――。
「 よ、卒業おめでとう、ひーちゃん!」
「 京一も」
龍麻が厭味なく言った言葉は、しかし京一には苦いものだったらしい。 少しだけ苦しい補習の日々について不平を言ってから、がつっと龍麻の肩を抱いた。
「 へへへッ! ところでよ、この後何か用とかあるのか?」
「 え?」
「 ないよな! あるわけないよな! 俺との約束以上の約束が女っ気のないひーちゃんにあるわけないもんなー!」
「 そりゃ、キミだってそうだろッ!」
龍麻をがんじがらめにしている京一にそう声をかけたのは小蒔だった。更にその後ろから美里がまたもや目に見えぬ手刀を繰り出し、京一を地にひれ伏させる。そして醍醐がやれやれと言いながら遅れてやって来た。
「 どうせコイツのことだから、式の後ラーメン食いに行こうとでも言うつもりだったんだろう」
「 ほーんと、芸のない奴だよねッ!」
「 でも学校帰りのラーメンもこれで終わりですもの。最後はみんなで楽しく行きましょうよ」
「 うう……俺が言おうと思ってた台詞なのに…」
京一が後頭部をさすりながら美里を恨めしそうな目で見やった。美里はにこにこしながら、さあ行きましょうかなどと言って、龍麻の腕を取った。
卒業だ。
『 皆さん、今日から新しいお友達を紹介するわね。緋勇龍麻クン―』
『 よう、俺は蓬莱寺京一ってんだ! まあ縁あって同じクラスになったんだ、仲良くしようぜッ!』
『 よろしくな、緋勇』
『 仲良くしよーねッ!』
『 こんにちは。私、美里葵って言います―』
校歌など覚えることもなかったが、 その歌を耳に入れながら、龍麻は彼ら4人やその他の仲間たちのことを思い浮かべた。
そして柳生のことや、もちろん九角のことも。
一緒に、思い浮かべた。
式が終わった後、龍麻は一人校舎を出た。みんなとの約束を破るつもりはなかったが、どうしても一人になりたかった。これからは皆が皆別々の道を歩むことになる。龍麻は自分のこれからを何一つ決めてはいなかったけれど、一人になることだけは分かっていた。
だから、完全に一人になる前に、今こうして皆から離れて学校を見たいと思った。
しかしその時――。
「 龍麻」
声が、した。
「 まだこんな所にいやがったのか」
校門の所に、九角がいた。あの刀も手にして。
「 ……………」
声が出なかった。しかし目の前に立っているのは、間違いなく九角だった。
ただし、彼の姿は変わっていた。
九角の侍のように結ってあったあの長い髪は、結んだ先からばっさりと切ってしまったのだろうか、見事になくなっていた。
髪型が違うだけではある。
けれどそんな九角は、まるで別人のようだった。
「 俺をこんなに待たせるなんて、お前も随分偉くなったもんだな」
「 ど……」
どっちが、という言葉は喉の奥で消えた。
「 来いよ、龍麻。もうここには用はねえんだろ?」
「 ……あ……」
呆けている龍麻には構わず、九角はそう言うと歩き始めた。しかし後に続いているはずの龍麻が未だ同じ場所で立ち尽くしているのを見咎めて、九角は眉をひそめた。
「 何ぼけっとしてやがんだ? …亡霊でも見たような顔しやがって。来いって言ってんだろうが。ぼやぼやしていると置いていくぞ」
「 い、行く…っ」
置いて行く、という言葉に無意識に反応して、龍麻はようやく震える足を前に出した。
九角が龍麻を連れてきた場所は、あの自宅近くの小さな社だった。
九角は小さなその本殿の裏手に回ると、いつの間に現れていたのだろうか、そこを治めているらしい和装姿の神主らしき人物に、自分が持っていた刀を黙って渡した。
「 天童…?」
「 侍はな。卒業だ」
九角はそう言い捨てると、刀を受け取った人間の方にはもう目もくれずに、さっさと歩き出した。龍麻も慌ててその後につき、何とか九角の横にまで歩み寄った。
「 あ、だから髪を…?」
「 あれを納める時は、お前にもいてもらいたかった」
「 天童……」
石段の所まで歩いて、九角は足を止めた。眼下に見下ろせる外の世界を、九角は涼しげに、そして何もかもから解放されたかのような目で見渡していた。
今まで何処に行っていたのか、それすら言わない。自分に感動の対面もさせてはくれない。ただ当然のように、今九角は龍麻の横にいた。龍麻はそんな今の状況がまるで信じられなくて、ただ黙りこくって九角のことを見上げた。
そんな視線にようやく気がついたのか、九角が不審の声を上げた。
「 何だ。人の顔をじろじろ見やがって」
「 あ……」
しかし何をどう言っていいのか分からずに、龍麻は俯いた。
会ったらこう言おう、ああ言おう、自分への九角の気持ちも確かめたい。
色々思っていたのに、全部吹っ飛んでいた。
だから。
馬鹿だと分かっていても。
「 愛してる、天童………」
それしか言う事を知らないみたいだった。実際そうだった。そして言ってしまうともう楽になった。
だから九角を見てもう一度言おうと、龍麻は今度はすっと顔を上げた。
しかしその瞬間、もう唇を塞がれていた。
「 ………っ!」
驚いて、けれど嬉しくて。
何も考えられなくなるくらい、九角にしがみついて、逆にもっとと唇を寄せた。九角はそんな龍麻の腰を抱き、そうしてそれに応えるように何度も何度も唇を重ねてきた。
「 …………天童」
お互いが少しだけ距離を取った後、龍麻は不安そうに相手の名を呼んだ。
すると九角は。
「 俺はお前に言ってやれない」
「 え……?」
突然口にされたその言葉に龍麻は一瞬面食らった。しかし九角は龍麻を真っ直ぐに見据えながら続けた。
「 約束もできねえ。だがな、龍麻…。お前は俺と共にいろ」
「 …………」
「 俺と一緒に来い」
「 ………うん」
何処へ、とは龍麻は訊かなかった。どうでも良いと思ったから。ただ、そう言って自分を抱いてくれた九角がそこにいるから。それで、もうそれだけでいいと思った。
「 ずっといるよ………」
龍麻はもう一度誓うようにそう言い、それから九角に身体を寄せた。
「 ずっといる……」
2人の間を、優しい風が吹いた。
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