(9)
いつも弱い相手ばかりで物足りないと思っていたのだろう。
突然現れた好敵手に、九角天童は嬉しそうな顔で転校してきてからまだ日の浅い緋勇龍麻に声をかけた。
「 よぉ緋勇、暇そうだな。お前が頼むなら、相手してやってもいいぞ」
その物言いに、龍麻は真新しい教科書を鞄にしまいながら苦笑した。
「 何それ。お前が俺の相手してほしいなら、素直にそう言えよな」
人懐こい黒い瞳を真っ直ぐに向けて、龍麻はそう言って笑う。それに対して、コイツのこういう顔は結構好きだと九角は思った。
それでも、目の前の机の上に乱暴に腰かけると、九角はそんな考えは億尾にも出さずにふんと鼻を鳴らしてから偉そうに言った。
「 バカ野郎。何で強い方が弱い方にわざわざ手合わせを願わなきゃならねェんだよ。フツーは弱っちいお前の方が俺に頭を下げてお願いするもんだろ」
「 何だよ、転校初日にいきなり喧嘩吹っかけてきた手の早い奴がさ。大体、何で俺の方がお前より弱いわけ?」
「 お前な、自分の負けも認められねェとは情けない奴だな。どの勝負を見ても、どう考えても俺の方が強いじゃねェか」
「 はいはい、九角様はお強いですよ。じゃあもう降参。闘っても損だから手合わせはご遠慮願います」
「 何ィ! 貴様、それでも男か!? 情けない奴だなッ! いいから今から俺ン家行くぞ! さっさと用意しろ!」
「 もう〜結局そうなるんじゃないかよ」
龍麻は参ったような顔をしつつも、しかし満更でもないのだろう、嬉しそうに笑った。
初めて出会った時から、お互い惹かれあっていた。
どちらかというと、九角は強気で破天荒。自分に自信のあるタイプだった。それに対して龍麻はそれなりに自分の武術に誇りは持っているようだったが、控えめで弱気なところがあった。性格は正反対だった。
それでも互いに興味が湧いていた。いつの間にかいつも一緒にいるようになっていた。
「 あー! やった、今日は芋羊羹じゃん!」
ちなみにそんな2人は、食べ物の好みも正反対だった。
「 けっ、よくそんなモンが食えるな、お前は」
手合わせの後、縁側で九角の屋敷の使用人が出してくれる毎日のおやつを龍麻は殊のほか楽しみにしていた。一方の九角は、大抵は自分の物には手をつけずに、龍麻が嬉しそうにそれらをほうばるのを呆れて眺めるだけだった。
「 お前こそ何で食わないんだよ、せっかく用意してくれてるのにさ。ったく、毎日こんないいおやつがとっかえひっかえ出てきて、お前の家って贅沢ー」
「 俺はこんなもん好きじゃねェんだ。あいつら、お前の好きなモンばっか買って用意してんだよ」
九角は背後に控える使用人に当てつけるようにそう言ってから、わざと厭味な視線もちらとだけ送った。しかしそう言われた使用人は薄く笑うだけで、龍麻の方ももちろん動じた様子はない。
「 え〜そうなの? へへへ…じゃあさ、それ貰っていいか? どうせ食わないんだろ?」
「 勝手にしろ、豚」
「 はあ〜!? 何だよそれッ!」
「 そんだけ食えばそのうち豚になるだろうからな、先に呼んでおいてやったんだよ」
「 このやろう〜。よくもこのナイスバディの龍麻くんにそういうこと言いやがったな…! それで俺がこれ食うのやめると思ったら大間違いだぞッ!」
そう言って龍麻は意地になったのか、余計もの凄い勢いで九角の羊羹をぱくりとほうばった。九角は意地の悪い顔をしていたが、愉しそうにそんな龍麻のことを見やった。
「 ったく、 嬉しそうにがっつきやがって…。てめえは一体親にいつも何食わしてもらってんだ」
九角はそう言いながら、そういえば龍麻とは親しくなってからもあまり家のことを訊いたことがなかったなと何ともなしに思った。すると龍麻は羊羹をごくりと飲み込んでから、何気なく答えた。
「 あ、俺両親ともいないんだ」
「 あ…?」
「 死んじゃったんだ。俺が生まれてすぐに」
「 ……何でだ」
「 さあ? 病気か何かじゃない。だから養父母に世話になってたんだけど、こっちに転校することになって、今は一人暮らし。へへへ…だからさ、ここで栄養を補給してんだ」
「 ……何でお前だけこっちに出て来たんだ?」
「 え〜? …んー俺もよく分からないよ。何となく…東京に出てこなきゃいけないような気がしたのかな」
「 何だそりゃ」
「 知らない。ま、いいじゃないそんな事」
龍麻は言ってからお茶を飲み、「ああ気持ちいい天気」
などととぼけてみせた。 九角は少々煮え切らない思いでいたものの、それ以上問うことをやめた。
所詮、どうでもいいことだと思った。
互いの出自のことなんて。
龍麻も九角の屋敷に毎日のように来るから、「金持ちだな」とか「先祖は侍か」などと軽く訊くことはあったが、それ以上のことは何も問わない。自分も大して知りはしないから、詳しく答えようもなかった。
そう、どうでもいいことなのだ。そんな事は自分と龍麻には関係のないことだと思う。
また龍麻は龍麻で、自分の境遇についてそれほど不幸だとも思っていなかったから、九角が少しだけ憮然としていることに却ってためらい、わざとへらへらと笑って見せた。龍麻もまた、どうでもいいことだと思っていたから。
「 なあ、今日飯食っていっていいか?」
だからそんな能天気な龍麻の態度に、九角もようやくいつものペースで皮肉な笑みを浮かべてきた。
「 ……またか」
「 いいじゃん。かわいそうな俺に飯恵んでくれよ」
「 勝手にしろ。どうせ奴らもお前の分用意してるだろうしな」
「 やった! なあ、じゃあさ。ついでに泊まっていっていいか」
「 お前…かなり図々しくなってないか」
「 そうかな〜? ま、いいじゃん! 俺と天童の仲じゃん!」
龍麻はそう言ってまた明るく笑った。それで九角もつられてつい気持ちが和らぎ、
笑ってしまった。
それからしばらくして、 不意に龍麻たちがいる東京に不穏な影が降りかかってきた。どこからかやってくる異形のモノたちが騒ぎ出し、人々の生活に押し入り、犠牲者まで出た。
龍麻と九角のいる所に何故かそういった事件が起きることもあり、
2人は成り行きというか勢いというかで、それら異形のモノたちを倒すことがしばしばあった。
その度に、龍麻は自らに現れた不思議な《力》に戸惑い、不安を覚えるようになっていた。九角にもその《力》は現れていたが、龍麻よりも気が大きい分、「あれば得」くらいの気持ちでいるのか表向きは平然としているようだった。
「 なあ天童」
しかしそんな日が幾日も続いた頃。龍麻はいつものように九角の屋敷の縁側で、広い庭を眺めながらぼんやりとした目線のまま言った。
「 俺たちのこの《力》ってさ…。何の為にあるんだろうな」
「 何だ、急に」
「 急じゃないよ。前から思ってたんだ」
龍麻が真剣に訊いてきていることは分かったが、九角はわざと興味のない様子で答えた。
「 知らねェよ。物騒な世の中だからな。防衛本能が働いて生まれた力なんじゃねえのか」
「 だってみんなにそれがあるわけじゃないだろ。俺たちだけにだ。もしかしたら他にもいるのかもしれないけど、でも俺はお前以外にこの力持っている奴なんか知らないぞ」
「 俺だって知らねェよ」
「 お前、気にならないわけ? 毎日毎日化け物がこの街の上をふらふら蠢いてて、そんで突然襲ってくるんだぞ」
「 返り討ちにしてやりゃいいだろ」
「 ………もういいよ」
龍麻は九角の依然あっさりとした物言いに不満を覚えたのか、いじけたように膝を抱えると俯いた。九角はそんな龍麻に訳が分からないという風に眉をひそめた。
「 龍麻。お前が何を言いたいのか分からねェが、お前はいつだって考えすぎなんだよ。俺たちは別に救世主じゃないだろうが。喧嘩ふっかけてきたヤツは潰す。それ以外は放っとく。それでいいだろうが。何か不満か」
「 簡単に言うなよ。敵だってどんどん強くなってるんだから」
「 あん? 何だお前怖いのか?」
「 こ…っ! 何言ってるんだよ、俺は…ッ!」
九角に馬鹿にされたように言われて、龍麻はムキになって顔を上げた。
しかし、九角の顔を見たら意地を張るのが無駄だと思ったのか、龍麻は急にしぼんだようになり、ぽつりと言った。
「 怖いよ…。悪いかよ。俺はお前と違って感受性が鋭いんだからな…。不安になる気持ちだって人一倍強いんだよ」
「 はっ。人一倍強い奴が何を言っていやがる」
九角はそんな龍麻にすぐに笑ってそう言い捨ててから、いきなり横に座る龍麻のことをぐいと引き寄せた。
「 わっ…て、天童…?」
「 まったく、情けない奴だぜ」
「 わ、悪かったな…!」
「 だがな…。お前には俺がいるだろうが。お前のことくらい…俺がきっちり護ってやる」
「 え……?」
ひどく優しい口調で九角はそう言った。龍麻はそんな九角の言葉も表情も初めてだったので、思い切り途惑ってしまった。肩を抱かれて九角の胸に顔をうずめたまま、しかし龍麻はそう言ってくれた九角のことをそっと見上げた。九角はとっくに龍麻のことを見やっていた。
「 て、天童……」
「………………」
九角はすぐには龍麻の呼びかけに答えなかった。
しかしやがて。
「 俺としたことが……」
九角はそうつぶやいたかと思うと、いきなり龍麻の唇に自らのそれを重ねてきた。
「 ん…っ!?」
完全に意表をつかれた龍麻は最初びくりと身体を揺らし、そうして無意識にそれに抵抗しようとした。けれど九角の力強い手がぎゅっと自分の腕を捕まえてきて、龍麻はやがて静かになった。
「 ……ん…ぅっ…!」
やがて九角のその激しい口付けは龍麻の舌までも捕らえてきて、何度も刺激を加えるように絡まってきた。強引で、けれど熱いその所作に、龍麻は気が遠くなりながらも、しかし九角にすがるように自らの手を相手の腕に添えた。
やがて長い口付けが終わり九角が唇を離すと、龍麻もゆっくりと閉じていた瞳を開いた。
九角はとっくに龍麻のことを見つめていて、その鋭い眼光に龍麻はただ射貫かれて声を失ってしまった。
「 ………龍麻」
しばらくして、九角が名前を呼んできた。
どきんとして、龍麻は急激に自分の身体中が熱くなるのを感じた。
「 な、何……?」
「 お前は俺の傍にいろ。いいか。ずっとだ」
「 天童……」
「 俺のものになれ…」
九角は言って、もう一度強く龍麻に口付けをした。今度は龍麻も初めから抵抗せずそれを受け入れることができた。
何だか。
何だかひどく満たされて。龍麻は静かに目を閉じていた。
そうして、九角が龍麻から距離を取った時。
龍麻も自然に言葉を出していた。
「 うん…。俺、ずっと天童の傍にいる…」
「 …………」
「 愛してる、天童…」
それから龍麻は、ぎゅっと九角の胸に抱きついた。
だから龍麻は、もう怖くはなかった。
異形のモノたちの襲撃も。自分の未知なる《力》についても。龍麻が不安になる事はなかった。傍には九角がいてくれて、全て包んでくれて、優しくて。 一緒にいられるだけで幸せだった。
九角が男だからとか、どうやら由緒ある家柄の跡取だとか。
どうでもいいと思った。自分には関係ないと思った。
「 なあ、天童。今日のおやつって何かなー?」
「 お前、頭の中それしかねえのかよ」
九角はいつも呆れながらそう言ったが、それでもいつも龍麻に自分の分のそれもくれた。そして笑ってくれた。
愛してる。
そんな気持ちがいつも龍麻の中にあって。
龍麻はとても幸せで。
他には何もいらない。天童だけがいればいい。天童ばかりに想いがいく。頭の中は全て天童だけ。そんな日々が続いた。
本当に、夢のような時間だった。これが夢なら……。
コレガユメナラ、ドウカズットサメナイデ。
そう、願って――。
「 あ…ああ……?」
「 ふ…龍、麻………」
目の前に天童がいた。
ああ良かった。まだ夢は覚めていないんだね。
傍には天童がいて、笑ってくれている。 自分のすぐ近くにいて、あの優しい眼で見つめてくれている。ああ、でもどうして。
どうしてそんなに苦しそうなんだ、天童。
「 龍麻…よくやった……」
「 俺は……」
誰の声だ?
一瞬訳が分からなかった。
龍麻は徐々にはっきりとしてくる意識の中で、ようやく今ある事態を飲み込んだ。今、途惑った声を出したのは俺。
俺のことを誉めてくれた…苦しそうな声を出したのは、天童。
天童は……。
俺に剣で貫かれて、血を流している。
「 あ、赤い血が……」
流れていた。 どくどくとそれはまるで絵空事のように、面白そうに流れていて、龍麻は見たままのことを呆然と口にした。
九角は龍麻が手にした自らの刀剣を自身でもその刃に手をかけながら、それがより一層自分の胸に突き刺さるように力を込めてきた。九角は半ば自らの意思で、龍麻が手にした刀剣を己の身体に刺し込ませたのだった。
「 馬、鹿か…? 血は赤いに決まっているだろうが……。それともお前は…鬼の血は赤くないとでも…思っていたのか…」
「 天童…天童……俺は……」
「 間抜けな…面、してんじゃねぇよ……龍麻」
「 あ…嫌だ、嫌……」
がくがくと震えが生じ始めて しかし龍麻は未だに剣から手を離せない自分にただ狼狽した。
どうやってこのような状況になったのかさっぱり分からなかった。九角が自分を呼んで、鬼となった九角天童と闘えと命じてきて…。天童は……。
鬼ではない。
九角天童として、龍麻の前に立っていた。
「 俺は、な……龍麻……」
遂にがくりと片膝をついて、九角はその場に倒れこみそうになった。それでも剣が貫いたままの状況で、龍麻もそれを離さないものだから、ただ体勢が崩れただけにとどまった。
「 お前が……憎かった……」
「 天童…」
「 俺は…欲しいモノなんか何もなかった…。何もいらなかった…。どうでも…良かったんだ。何もかも…どうでも良かった」
九角はうつろな眼しつつも、しっかりと龍麻のことを見据えながらそう言った。
「 だがな…。多分、心のどこかで…俺は何かを欲しがったんだ。多分それは…あの俺の心の底にいた鬼が、言うように…巨大な力だったんだろうがな……だが、それでも俺は……満たされなくて…」
「 天童、もう…もう喋らないでくれ……」
それしか言うことができなくて、龍麻は震えた唇を必死に動かしながらそれだけを言った。
けれども九角はやめなかった。
「 あんな馬鹿な奴に心を売って…力を得たところで…俺は……俺の本当に欲しいモノは……」
九角は言いながら不意に空いている片手で龍麻の手首を掴んできた。もの凄い力だった。
「 泣くんじゃねえよ…」
「 だって…だって天童が…っ」
「 お前はいつだってそうだ…いつだってそうやって間抜けな面をして……俺を……」
けれど、九角の声から後の言葉は出なかった。
不意に白い光がぼうっと出たかと思うと、そこから何か「異形」なるモノの姿が浮き出てきた。そしてそれは一瞬だけ生き物の眼のような形を成し、龍麻を激しく睨み据えると、そのまますっと消え去ってしまった。龍麻は一瞬だけそちらに意識が削がれ、そして自分の身体から新たな《力》が放出されたことに自身で気がつかなかった。
「 ……っ!? 天童…?」
そして、それからはっとして九角の方を見る。動かない。鼓動が激しくなる。耳がじんとして、身体中から一気に血の気が引いていく。馬鹿な、嘘だとどこかで思っているのだろうが、思考がうまくまとまらない。
天童。
ただ、名前を呼ぶだけで。
その時、不意にあの風が吹いた。2人の辺りを取り巻くようにそれは激しく唸り、そして何かを訴えるように吹き荒んだ。
「 天童……」
ようやく声らしきものが出て、龍麻は必死に相手の顔を見つめた。ただそれ以上の声は出ずに、頭の中だけで自分の言葉が空しく響いた。
傍にいろと言ってくれたじゃないか。
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