ひーちゃんの外法旅行(9)




ごつん、と。
頭に何かが当たった感触がして、龍麻はうっすらと眼を開いた。
何だかんだと寝付けない時を過ごしていたから、意識を閉まってからまださ程時間は経っていなかった。
それでも龍麻は自分の枕もとに立っている男を認めて眼を見開いた。その男が自分の頭を足で小突いたのだと解った。
「おはよう、龍麻。」
その静かな声と共に浮かべられた薄い笑みは、暗い部屋の中でも龍麻の視界にくっきりと映し出された。


雨は既に止んでいた。


龍斗「眠い?」(言いながら、龍麻の先をすいすいと歩いて行く龍斗)
龍麻「へ、平気……だけど」
龍斗「……天戒なら大丈夫。龍麻と散歩に出てくると、ちゃんと断ってある」
龍麻「……………」
龍斗「嫌そうではあったけどね」
龍麻「え……」
龍斗「天戒は龍麻の事が気に入ったようだ。知らぬ間に龍麻が自分の元からいなくなる事を心配している」
龍麻「…そんな事」
龍斗「言われても困る?」
龍麻「龍斗こそ―」
龍斗「違うだろ」
龍麻「え?」
龍斗「俺のあだ名は」
龍麻「あ………」
龍斗「あだ名は」
龍麻「ひ、ひーちゃん……」
龍斗「そうそう」
龍麻「…………(汗)」
龍斗「で? 今、何て言おうとしたんだ?」
龍麻「え? あ、ああ…。えーと、龍…ひ、ひーちゃんこそ、天戒にすごく気に入られているよな」
龍斗「……………」
龍麻「龍…ひ、ひーちゃんがいないって事で、天戒はすごく寂しそうだったよ」
龍斗「……まあ」
龍麻「え?」
龍斗「あいつはいい奴だからな。俺の事が心配なのさ」
龍麻「何それ……」
龍斗「全てを独りで抱え込み、全てを独りで解決しようとする。そういう馬鹿だと言っているんだ」
龍麻「て、天戒が…?」
龍斗「その上他人の心配までするからな。さすがの俺も、天戒の前では悪い事ができない」
龍麻「……………」
龍斗「つい、あいつの為に何かしてやりたいと…思ってしまうな」
龍麻「それって…いけない事なの」
龍斗「……………」(ちらりと振り返って龍麻を見る龍斗。相変わらず薄い笑みが張り付いている)
龍麻「今の言い方を聞いているとさ…。誰かの為に何かしてあげたいって気持ちが悪いみたいだよ?」
龍斗「……………」
龍麻「……何で黙ってるわけ」
龍斗「見ろ、龍麻」
龍麻「え…? あ………」


いつの間にこんな場所まで歩いて来たのだろうか。
龍斗によって連れて来られた場所は、朝日の昇る光景が木々の間をぬって一望できる山林の中腹だった。
橙色の光が神々しく龍麻の顔を照らした。その眩しさに、龍麻は眼を細めてしばしその景色を眺めた。


龍斗「昨夜の雨が嘘のようだな」
龍麻「………うん」
龍斗「あれはお前のせいなんだって?」
龍麻「……ッ」
龍斗「お前がそう口走っていたと聞いた。あの見た事のない異形もお前が呼んだものだと」
龍麻「……そうだよ」
龍斗「そうなのか」
龍麻「俺、良くないものばかり引きつけちゃうんだ。そのくせ、それを追い払う為に必要だった《力》までなくなっちゃって」
龍斗「ロクでなしだな、そりゃあ」(その場に腰をおろし、悠々と朝日に眼をやる龍斗)
龍麻「うっ…!」
龍斗「だがまあ、昨夜の異形はともかく、雨は別に良くないものではないだろう。降らないと困るものだからな」
龍麻「そうだけど…俺のせいで、ずっと止まないんだ。あ、俺が住んでいる場所の事なんだけど…もうずっと…雨、降り続いたままなんだ」
龍斗「そりゃひどい。お前、そこにいるのやめろ」
龍麻「ぐっ…! わ、分かっているよ、だから…!」
龍斗「だからここに逃げ込んで来たってわけか?」
龍麻「ち、違うよ…ッ! どうしてそうなっちゃったのか…分からないけど、俺の心が失くなったせいでそうなったって言うから…だから、ここにそれを取り戻しに来たんだ!」
龍斗「心が失くなったのか」
龍麻「あ…! な、何でもないよ…! こんな事…あんたに言っても、しょうがないしね…ッ」
龍斗「あんたじゃない。ひーちゃんと呼べ」
龍麻「〜〜〜! う、うるさいな! 何なんだよ、一体! 呼び方なんてどうだっていいだろ!」
龍斗「怒るな龍麻。お前の怒る姿を見ているとな……」
龍麻「…………?」
龍斗「どうにも…だぶっていけない」
龍麻「何……?」
龍斗「……………」
龍麻「龍斗……?」
龍斗「なあ、龍麻。だが、雨は止んだな。ここにお前はいるのに」
龍麻「あ…う、うん」
龍斗「何故だろうな。別にお前のせいじゃないんじゃないか。お前の国で続いていた雨も、単なる自然の悪戯だったのじゃないか」
龍麻「ち、違うよ、そんなわけない! 俺がいけないんだ、俺が……」
龍斗「何」
龍麻「俺は……ちゃんとしてなきゃいけないのに……」
龍斗「ちゃんと?」
龍麻「……………」
龍斗「……………」
龍麻「龍斗はさ…ちゃんとしてなくていいの?」
龍斗「俺はいつだってちゃんとしているよ」
龍麻「俺、真面目に訊いているのに!」
龍斗「俺は真面目だよ、龍麻。お前の事も真剣に考えているつもりだ」
龍麻「嘘だよ、そんな飄々としているくせに!」
龍斗「仕方ない。俺はこんな時、どんな顔をしていいのか判らないのだからな」
龍麻「?」
龍斗「だからとりあえず笑うのさ。それが安全だからな」
龍麻「え………」
龍斗「…………」
龍麻「龍斗…?」
龍斗「そんな正体の見えぬ俺だから、随分怖い思いをしただろう?」
龍麻「あ…! そ、そんな事……(焦)」
龍斗「ははっ。いいんだよ、別に。……心を失くしたのは、俺の方かもしれないな」
龍麻「た、龍斗…」
龍斗「だから、ひーちゃんと呼べと言っているだろーが」(蹴りっ【蹴】)
龍麻「い、いてっ。も、もう…ッ! どこまで本気なんだ、あんたっ【怒】!!」


風祭「そわそわそわ……うろうろうろ………」(屋敷の前をそわそわうろうろする風祭)
龍斗「ただいま」
風祭「あーッ! た、たんたん、やっと帰ってきやがったな…ッ! テメエ、俺が寝ている間に龍麻を何処へ連れて行きやがった!」
龍斗「散歩」
風祭「勝手な事すんなーっ! 俺はまたコイツが逃げ出したのかと思って焦っちまったじゃねえかっ」
龍麻「逃げるとか逃げないとか言われる筋合いないんだけど…(ぼそ)」
風祭「ああっ!? 何か言ったかにせたんたん!!」
龍麻「言ってないよ〜べー」
風祭「こ、こいつ…! 生意気な態度取りやがって〜」
龍斗「うーん、面白い」
風祭「!! こら、たんたん! 大体お前が勝手にウロウロすんのがいけないんだろっ。ただでさえ今まで好き放題に遊んで来たくせに…ッ!」
天戒「澳継。そのへんでやめておけ。お前の声は屋敷中に響く」(3人の元にやって来た天戒)
風祭「あ…お、御屋形様…!」
天戒「龍。龍麻と話はできたのか」
龍斗「うん。仲良しだよ、もう」
天戒「そうか」
龍麻「仲良しって……(そうかな…汗)」
天戒「龍麻も少しは龍の事が分かったか」
龍麻「いやぜんぜ―」
龍斗「蹴」
龍麻「いてっ! な、何するんだよ、た…! ………ひ、ひーちゃん……(汗)」
龍斗「ね、分かり合えてるだろ」(にっこり)
風祭「たんたん…単に脅しているだけじゃねえか(汗)」
天戒「はははははっ! 龍、お前も龍麻が気に入ったようだな」
龍斗「俺、元々この世で嫌いな人なんかいないからな」
風祭「俺はお前が嫌いだぞ!」(びしっと龍斗を指差す風祭)
天戒「こら、澳継。では、中に入るとするか。朝餉にしよう」
龍斗「わーい」
龍麻「………分からない(汗)」


緋勇龍斗。何なのだろう。これが本当に自分の先祖なのだろうか?
龍麻はそう思いながら首を横に振り、無意識のうちにふうとため息をついた。
が…屋敷に入る直前、ふと見上げた空にはっとした。
そこには、久しぶりに見る雲一つない青空が広がっていた。




以下、次号………






戻る