ひーちゃんの外法旅行(4)



刻は少し前に遡る―。
龍麻が天戒と出会った頃、共に旅立ったはずの如月翡翠は。


如月「くっ…。龍麻…!?」


如月が倒れていた場所は、何処とも知れぬ大橋の下。
すぐ傍は川原で、ごつごつとした岩場に水草、それに釣り道具を肩にかけた数人の人間の姿がある。
如月は裏密によって龍麻とは全く異なった場所に放り投げられたわけである。


無宿人A「お。兄さん、生きてたのかい?」
無宿人B「いつの間に俺らの寝床の傍にいとった? 場違いだのう、外人みてェな格好してるくせによ」
無宿人C「こりゃあ洋服ってやつだ。イイトコ暮らししてる奴とかが時々こういうモン着てンだ。俺、見た事ある」
無宿人B「へえ、じゃああんさんはお金持ちなんかい? まあどっか俺らとは違う感じすっけどなあ」
無宿人A「何にしろ、生きていて良かった。時々死体を投げ込む輩がいるから、俺ァ、てっきり―」


その後も何やらがちゃがちゃと騒いでいる男たちを如月は黙って見やった後、ついと周囲に視線を向けた。
大橋の下には粗末な薄い板を立掛けただけのような、雨風を凌ぐ家屋が幾つか見えた。
その傍で魚を焼いている人間や、何処から拾ってきたのか、がらくたを品定めしている者たちもいる。
如月はすっと立ち上がると服の汚れを軽く手で払ってから男たちに向き直った。


如月「ご迷惑をお掛けしたようで申し訳ありません。しかし一つお尋ねしたいのですが」
無宿人A「ん、な、何だ?」
無宿人B「ふわ〜よっく見るとあんさん、偉い男前だなあ。やっぱりどこぞの華人さんかえ」
無宿人C「馬鹿、華人さんがこんな所に来るわけないべ」
如月「……僕の他にここに…誰かがいませんでしたか」
無宿人A・B・C「へ……」
如月「僕と同じ年程の青年です。彼を探さなければ…」
無宿人A「誰かいたか?」
無宿人B・C「さあ……」
如月「……では、ここはどの辺りでしょうか。恐らく王子あたりに飛ばされると思っていたのですが―」


こうして如月は男たちに自分の現在位置を教えてもらい、それから真っ直ぐに「ある場所」へと向かった。
ある場所。言わずもがな、「如月骨董品店」である。
(龍麻も、必ずそこへ向かおうとするはずだ。)
傍にいると言ったのに、いきなりこんな事になって。きっと龍麻は怒っているだろう。
いや、それならばまだいい。心細くて泣いてはいまいか。
それを考えると、如月の足は自然と早まった。


しかしそんな如月の前方を、突然泣き叫ぶ子供の声と怒号を浴びせる男たちの声が遮ってきた。


侍風の男「この無礼者が! 小汚い餓鬼の分際でこの儂に命令するか!」
子供「えーんえーんえーん」(立ち尽くしたまま泣き叫ぶ小さな男の子)
娘「お、お許し下さい…ッ。ですがそれは…それだけは…!」(必死に地べたに頭を擦り付けて懇願する娘)
侍の従者「黙れ黙れ! 貴様、卑しい身分の分際で、殿のこのありがたいお申し出を断ると言うのか!」
娘「で、ですがそれは…その小刀は…。死んだ母の唯一の形見なのです…ッ」
従者「それがどうした! この刀も我が殿のようなお方の物になってこそ、価値が生まれるというものだ。ほれ金を受け取れ、幾らがいいのだ。一両か、二両か?」
娘「お、お金では…お金ではないのです…」(土下座したまま顔を上げられぬ娘)
子供「あーんあーんあーん」
侍風の男「ええい、やかましいッ! 往来で煩くわめき散らしおって! おい、構わん、斬って捨ててしまえッ!」
従者「はっ」
娘「や、やめて…ッ!」(弟をかばうようにしてだっと縋りつく娘)
従者「この…離さんかッ! こうなれば貴様から斬って…」
侍風の男「ぐわっ!?」
従者「!? と、殿…!?」


突然、侍風の男が声を上げ、もんどり打って倒れた。辺りには何もない。
従者はしばしあっ気に取られていたが、はっと我に返って慌てて主に近づいた。主は既に気絶していた。
何が起きたのか分からず、主の体を従者が抱き起こそうとする。と、倒れていた主の場所に水がじわりと染み渡っているのが目に入った。
ここ数日、雨が降った形跡はないと言うのに。
そして、従者がそれに気づいた瞬間―。


従者「ぐはあっ!」(いきなり背中に衝撃を受け、肩膝をつく従者)
娘「!?」
従者「な、何だ…何だこの衝撃は…? だ、誰だ…」
如月「早くこの場を離れるんだね」
従者「!? き、貴様は…ッ!?」
如月「ただの通行人だ。それより、お前たちには水難の相が出ているようだ」
従者「な、な、何……?」
如月「この場所に近づく度に…清き水がお前たちを襲う。ここへは近づかない事だ」
従者「ふ、ふざけるな…ッ! そうか貴様か、貴様が殿を! 妖しげな術を使いおって…!」(言って男はいきなり如月に刀を振り落とした)
如月「……確かに」(しかしそれをあっさりかわし、如月は男の手首を片手で掴んだ)
従者「な…!?」
如月「お前らのような毛頭に我が奥義は使うまい」(如月の拳が従者の鳩尾を直撃)
従者「ぐはあっ!!」(前のめりになってぐらりと身体を揺らす従者)
如月「……………」
従者「ば…かな……」
如月「だが…本当のところ……」
娘「あ…あ……」(茫然とその場にいるしかできない娘)
従者「う…が……」(ばたり)
如月「……僕は、君たちみたいな汚い人間には触りたくないんだよ」(嫌そうに拳を振る如月)
子供「………!!」
如月「だから…こいつらを町外れに運ぶのは…誰かに頼みたいんだが…」
町人A「やったー!!」
町人B「お兄さん、強いねえ!!」
町人C「よくやってくれた、スカッとしたぜ!!」
町人D「こんなクズ、二度とこの長屋を通るなってんだ!!」
町人・大勢「そうだそうだ!!」(どうやら町人みんな、恐ろしくてどうにもできずにいたらしい)
娘「あ………」(へなへなと腰が抜けてしまう娘)
如月「………君たちの物だろう」(侍から小刀を取り戻し、そんな娘の前に差し出す如月)
娘「あ…あ、あ、ありがとう…ございます…ッ!」
如月「……………」
娘「本当に…本当に、何と御礼を申し上げたら良いか…」
如月「こういう物は滅多に表に出さない方がいい。大切な物なのだろう」
子供「姉ちゃ〜ん!!」(だっと姉に抱きつく弟)
娘「……はい。でも本当は…この小刀は……」


謎の老人「ふぉふぉふぉ………」


如月(いつの間に……!?)
謎の老人「良かったのう、危うく二両なんぞでその刀を手放しかけた」
娘「あ…骨董品店の……」
謎の老人「あんまりお前たちが来るのが遅いんでの。刀を引き取りに来たんじゃが」
如月「………?」
謎の老人「やるのう、若いの」
如月「貴方は……」
娘「…すみません、わざわざ来て頂いて。…あの、でもこの小刀…ッ」
謎の老人「分かっておる。お前さんらが再び引き取りに来るまではこれは何処にもやらん。何せ、年代物の貴重な小刀じゃ。そう簡単に他所へはやれんよ」
娘「か、必ず必ず働いて…! おっとうの病気が治ったら買い戻しに参ります…ッ」
謎の老人「あァ、分かったよ。それじゃあ、約束の金じゃ。さっさと隠せよ」
娘「…はい。ありがとうございます…」
謎の老人「………おっとうによろしくのう」
娘「はい……それじゃあ…」(弟を連れ、去って行く娘)
如月「……………」
謎の老人「さて、お若いの」(2人を見送ってから如月を見やる老人)
如月「……………」
謎の老人「見事な腕じゃの。しかも、面白い術を使いおる」
如月「……………」
謎の老人「ふぉふぉふぉ…そう警戒するでないよ。儂はこれこの通り、ただのひしゃげた爺じゃ。毎日の楽しみと言えば、せいぜいこうやって価値ある年代物を手に入れる事くらいじゃて」
如月「……その小刀。実際の価値としては二束三文にもならない物だと思うが」
謎の老人「ん…いやいや、そんなはずは……」
如月「失礼だが、商売柄、物を見る眼には長けているつもりだ。その小刀では二両も出すと言ったあの侍たちにさえ礼を言いたくなる」
謎の老人「………ほう。じゃがお前さんはその侍たちを追い払ったではないか」
如月「……金ではない価値がその刀にはあるからだ」
謎の老人「ん………」
如月「実際のところ、貴方も『それ』を認めてあの者たちに金を払ったのでしょう」
謎の老人「……………」
如月「それに僕は…ああいう輩が江戸を守護してやっていると……」
謎の老人「……………」
如月「そう……大きな面をしている事に我慢ならなかった」
謎の老人「ふぉふぉふぉふぉ…そうかそうか。……そうかそうか」
如月「……………」
謎の老人「お前さん。実に面白い若者じゃ」
如月「……それでは、僕は先を急ぐのでこれで」
謎の老人「待ちなさい」
如月「……………」
謎の老人「この小刀の価値を見定めたその眼力と言い、正しい心を持ったその姿勢と言い、賞賛に値する。名を聞きたい」
如月「………ここで名乗る名前など持たない」
謎の老人「……まあ、そう言うな。それにな……」(言って手にした小刀をすっと掲げる老人)
如月「!?」
謎の老人「お前さんとは…何やら浅からぬ因縁を感じるのよ」(老人の全身から眩い氣が発せられ、小刀から微かに水の輪が浮かび上がる)
如月「こ、これは……」
謎の老人「名乗るが良い。我が奥義を知る者よ。……協力できる事があるやもしれぬぞ」
如月「……………」
謎の老人「敵と味方を見極める術は持っておらぬか」
如月「如月…翡翠」
謎の老人「む…………」
如月「貴方は……?」
謎の老人「ふぉ…如月か。儂の名は……奈涸。何やら面白い事が起こりそうじゃな」




以下、次号………






戻る