第78話 眠りの中で |
それは穏やかな、とても優しい歌だった。 「 誰…?」 定まらない視界の中で龍麻はその詩を奏でている人を呼んだ。後ろ姿で顔は見えない。けれどその優雅な佇まい、そして歌声から、きっと美しい人なのだろうなと龍麻は思った。 「 本当に素敵!」 「 天才だ!」 「 水岐さん、私にも貴方の詩を聞かせて!」 ミズキ…? 不思議な事に、龍麻が目を凝らせば凝らすほど、その青年「ミズキ」の姿は遠のいて行った。追いかけようとするのだが、どうしても追いつけない。 けれど一方で、彼を取り囲む人々の声はハッキリと聞こえ、またその数はどんどん増していった。 やがてその人の波に飲まれるように、水岐の姿は完全に消えてしまった。 「 あ…?」 次に龍麻が見たものはゆらゆらと静かに波立つ海だった。 ふと足元を見るといつの間に靴を脱いだのだろうか、龍麻は裸足になっていた。細波がそのつま先にザザンと寄せては返して、心地良い感触を与えてくれる。 「 こんなに美しい水際なのに」 するとすぐ背後で青年らしき者の話し声―透き通った美しい声だ―が聞こえた。振り返ろうとするが動けない。 その声が言った。 「 どうしてでしょう。とても哀しい。僕はいつでも孤独なんですよ」 「 孤独でない人間などいるものか」 するとそれに答えるように別の誰かがそう言った。男性のようで、こちらはどことなく威厳のある声。そして冷えた声だった。 青年にというより、ただの独り言のように男は呟いた。 「 そうでないと思っている者がいるとすれば、それは愚かだが幸せなことだ…。以前は私もそんな愚か者の1人だったが…」 「 貴方は何に絶望しているのです」 青年が訊いた。 2人の顔が見たいのに龍麻は声しか聞き取れない。まるで金縛りにあったようだ。ただその場に突っ立っている事しかできなかった。 ただ波だけがざわめいていて。 「 私が何に絶望しているかだって?」 男は青年の問いに微かに笑ったようだった。 「 君と同じだよ。愚か者の群れにいる事に疲れた。皆、私を見れば口を揃えて賞賛の意を吐き、そして敬うが、そんな偽りの言葉などもうウンザリだ。奴らは己の利益しか考えていない。己さえ良ければそれで良いのだ」 「 それでも貴方は貴方の国を愛していた」 青年が言うと、男は一瞬息すらも止め、沈黙した。 2人が黙るとザザン、ザザンと波の音が一層耳に響き渡る。そういえば海を見るのは初めてだと龍麻は思った。以前、比嘉が貸してくれた本に挿絵がついていて、村に来た旅人に海の話を聞いていたからこんな感じだろうとは思っていたが。 いや、待てよ。自分が想像していた海が「こう」だったからといって、これが本当に海だと言えるのか? 海のように見えるけれど、海でないものかもしれない。 本当のことなど何も分からないではないか。 「 水岐よ」 龍麻がふとそんなどうでもいいような事を考えていると、不意に男が言った。 「 人は皆強欲で醜くて、忌まわしい存在…。この美しい大地には不必要なモノではないか? それはこの私という存在も含めて、だ。そう、思うのだ…」 「 はい…」 「 しかしそれでも、私は愛している。そんな人間を」 「 私もです」 「 だからこそ」 男が言った。 すると瞬間、あれほど静かだった波間が激しく揺れ、そして突然空が真っ暗になった。 龍麻の身体が動いた。 振り返る。 「 だからこそ、審判を受けようではないか…。神の裁きを受け、本当に必要な者だけが生き残ればいい…」 「 この国の為に?」 「 この世界の為に、だ」 「 あ…!」 2人の姿を見て、龍麻は思わず声をあげた。 1人は水岐、そして1人は……知らない人だ。 けれど、それではない。龍麻が声をあげたのはまったく別の理由からだった。 ナンダ、アノ紅イ影ハ……? 「 そっちへ行ったら駄目…!」 龍麻は思わず叫んだ。2人は空を覆いつくさん程のその巨大な得体の知れない影を追うようにして消えて行く。まるでそれに誘われるように、取り込まれるように。 「 行ったら駄目!!」 けれど龍麻のその声に、2人はまるで反応を示さなかった。 ××× 「 ん……」 「 龍麻様…」 「 ……こ、こは……?」 薄っすらと目を開くと、白く眩しい光が顔を照らしていた。龍麻は額に手をやり、目を細めた。 「 龍麻様、お辛いところはございませんか?」 「 え……あ……」 掛けられた声の方に顔を向けると、そこにはひどく悲しい目をした芙蓉の姿があった。 「 芙蓉、さん…?」 「 はい、龍麻様。芙蓉でございます」 「 芙蓉さん…」 「 はい」 芙蓉は律儀に答えながら額にあった龍麻の手を取り、代わりに冷えたタオルを当ててくれた。 ひやりと心地良い温度がそこから全身へ行き渡るようだった。 「 気持ちい…」 「 まだ熱がございます。もう暫くの間、こうしてここでお休みになっていて下さいませ」 「 ……あっ! 俺!」 しかし龍麻は芙蓉のその言葉ではっとして身体を起こした。芙蓉が慌ててそんな龍麻を抑える。 「 いけません龍麻様…っ。まだ起きられては…!」 「 俺! だって! ひ、翡翠…ッ。皆は!?」 「 お前なー、寝てろって言ってんだろ!?」 「 痛っ」 その時、突然芙蓉がいる所とは逆方向から荒っぽい声と共に鉄拳を飛ばしてきた者がいた。 龍麻は殴られた後頭部を抑えながらそちらを見た。そこには明るい茶系の髪を上で1つに結った、気の強そうな顔をした女性が鼻息荒く立っていた。 「 ったく、やっとお目覚めかと思ったら突然興奮して暴れ出しやがって。テメエ、まだ熱あるって言われたろ!? だったらおとなしく横になってろってんだよ。でないといつまでも皆に迷惑掛かるだろうが?」 「 あ…貴女、誰…?」 「 ああん? テメエ、人に名前訊いてそっちは自己紹介もなしかよ!」 「 あ、ご、ごめん…。お、俺、緋勇龍麻…」 龍麻がすぐに謝ると、相手はたった今まで怒っていた顔を緩めるとふっと笑った。 「 よーし。俺はな、織部雪乃ってんだ。よろしくな、緋勇!」 「 う、うん…」 戸惑いまくる龍麻に雪乃はまるで構わない。芙蓉もそんな2人の空気にハラハラしている様子なのに、そちらも全く意に介していないようだ。 雪乃は自分を指しながら言った。 「 俺はな、こことは海を挟んだ別の大陸にある神殿で神官長やってる。まあ忙しい身なんだが、ちょっとした野暮用でこっちに寄ってたってわけだ。したら翡翠の奴が突然ここの祠使わせてくれなんつって来やがってよ」 「 あ…そういえば、ここ…?」 雪乃に言われて改めて龍麻は部屋の周りを見やった。 見慣れない白い天井。白い壁。窓が1つついているが、その向こうはこの建物の廊下らしい。外は見えない。 部屋自体もベッドと簡易棚がひとつあるだけでなんとも簡素だった。 「 ここは徳川王国から少し離れた先にある《ゆきみヶ原の祠》です。旅に疲れた者が立ち寄れるよう、こうした寝所も幾つか用意されている、割に広い祠なのです」 芙蓉が龍麻にそう説明した。龍麻はそんな芙蓉を見つめながら、なるべく急き立てないよう気をつけながら訊いた。 「 あの、それじゃあ、皆もここで休んでる…?」 「 はい。殆どの者はまだここにいます」 「 殆ど?」 「 翡翠なら城へ戻ったぜ」 雪乃が口を挟んだ。龍麻が再び雪乃を見ると、雪乃は意を察したように先に口を開いた。 「 俺と雛…あ、俺の妹な。俺らは、翡翠とはガキの頃から親とかを通じて顔馴染みでさ。こっちに来た時は割と顔出すようにしてんのよ。そしたら国は呪いがはびこって真っ暗だわ、城は半分傾いてるわ。あいつ自身も半死に状態だわでまったくびびったね。おまけにお前みたいなのが4神を司る黄龍かよ? 世も末っていうか…」 「 雪乃」 「 おっと」 我慢できなくなったのか、芙蓉がキッとした視線と共に雪乃を止めた。雪乃はそれにすぐさま両手を挙げて降参のポーズを取ると苦く笑いながら「悪い悪い」と言った。 「 コイツはまだ何も分かってないんだっけか。まあ翡翠も未だ半信半疑だったみたいだし。分からねーよな」 「 何のこと…」 龍麻が訊くと雪乃は「さあね」としらばっくれた。 そしてまた笑う。 「 とにかくさ、お前は助かったってこと。徳川の地下にいたとかいう化け物からまんまと逃げおおせたわけ。良かったな、強い仲間のお陰だぜ?」 「 ………」 龍麻はまるで覚えていなかった。 どのようにしてあの危機から脱したのか。恐らくは如月とアランが身を挺して自分を逃がしてくれたのだろうが……。 じっと黙り込む龍麻に雪乃が続けた。 「 余計な事考えるなって。今のお前の仕事は寝ることだよ。ここなら俺の結界が生きてるし、敵も襲っては来ないだろうから心配すんな。……ま、それにお前にはお前の事護ってくれる仲間もすげーたくさんいるみたいだしな。最初、この外ですげー騒ぎだったんだぜ? 誰がお前の看病するかで超言い争い。あんまり煩いんで、俺が芙蓉を指名して、あと全部追い出したんだけどな」 「 皆……」 「 ほれ何つった? バイオレンジャーだか何だか言うヘンな3人組とさ。あと芙蓉の連れの博打打ちだろ、キラキラ王子とキラキラ姫。あと妙にがたいある男2人とちっさい女の子もいたなあ。あ、そういやあれ、白虎と青龍と朱雀か!」 「 醍醐たちも…」 「 奴らなら帰れっつっても帰らないからよ。会いたいなら後で幾らでも会えるぜ。けど、とにかく今は寝る! いいな!」 「 ………」 「 おい緋勇! 聞いてんのかよ?」 「 ………」 「 緋勇!」 「 龍麻様…?」 「 あっ…。ごめん。うん……」 「 ……ったく。暗い奴〜」 雪乃の呆れたような声を龍麻は黙って聞いた後、おとなしく再びベッドにもぐりこみ、頭から布団を被った。 やがて部屋から雪乃と芙蓉が出て行き、龍麻は1人になった。 部屋は明るい。きっとまだ昼間だ。 けれど。 「 ……怖い」 龍麻は思わずそう漏らした。 何が? 何もかもが。自問自答するとそんな曖昧な答えが返ってきた。 龍麻はただ怖かった。仲間の死を身近に感じたこと、人の死を感じたこと、それを嘆きながら自らもその方向へ行ってしまった水岐のこと。 それに、あの夢の影のこと。 「 ……怖い」 もう一度言った。 誰に聞かせたいわけでもなかったのだけれど。 龍麻は織部雪乃と知り合った!しかし彼女が仲間になるかはまだ分からない!! 《現在の龍麻…Lv15/HP85/MP70/GOLD8090》 |
【つづく。】 |
77へ/戻/79へ |