第1話 ちっさくなったひーちゃん |
「う、裏密…そ、その…その横にいる物体は一体…?」 それはある晴れた冬の朝。学校もない日曜日の事だった。 何故か主だったメンバーが召集された新宿中央公園では、最初に声を出した京一をはじめとして、皆一様に「それ」を見て一瞬のうちに凍りついた。 それもこれも皆その目の前の人物を「誰だ」と思いつつ、直感で「彼だ」と分かってしまったからなのだが。 「“物体”なんて〜京一君、酷い〜言い方〜。この子はひ〜ちゃんだよ〜。キシシシ…」 「バカなッ!」 「う、裏密! お前、龍麻に何を…!?」 「そうだよ裏密さんッ! キミ、ボクらのひーちゃんに一体何したのー!?」 「ミサちゃん…。事と場合によっては私も黙ってはいないわよ?」 半ば悲鳴のような京一の声に続いてそんな台詞を次々と浴びせ掛けてきたのは、いつもの真神メンバーである。 「キシシシシ……」 しかし皆を公園に集めた裏密は相変わらず黒フードに不気味な人形を携えた格好でただ不敵に笑い、直後懐から紫色の液体が入った小瓶をごそりと出してみせた。 「それは?」 すぐにその異様なアイテムに反応を示したのは如月だ。それからちらりと裏密の隣にいる「ひーちゃん」と言わしめた人物にも視線をやり、思い切り眉間に皺を寄せる。 「う…」 すると、如月のその目があまりにも冷たく険悪なものだったせいだろうか、視線を向けられた「ひーちゃん」ははじめこそキョトンとした顔をしていたものの、急に不安そうな様子になり、ぐりゅりと瞳を潤ませた。 そして裏密のフードの裾を引っ張りながら恐る恐る言う。 「ミサおねえちゃん……。このひとたち、だれ?」 その場にいる全員がその幼い声に動揺の色を見せ、ざわついた。 そう、龍麻はその姿だけではなく声も、そして恐らくは知能すら―…ほんの5歳ほどの子どもに戻ってしまったのだ。 「でも…龍麻…なんだよね」 恐らくはその者の持つ氣の波動で確信しているのだろう。全員のその想いを今度は壬生が代表して口にした。 「そ、そんな〜! ア、アニキがッ! わいのアニキがこ〜んなちっこくなってしもうたやなんて〜! 裏密はん、アンタ一体何しとんの!?」 頭を抱えてそう叫び声をあげたのは龍麻を「兄」と慕う一つ年下の劉である。ただこれにはその場にいたほぼ全員が「誰がお前の龍麻だ!」と高速のツッコミを入れたのだが、劉がそうしてボコられ始めている間にも、その「子ども化」してしまった龍麻は周囲の異常な事態に怯え、ますますぐりゅぐりゅと瞳を潤ませて今にも大粒の涙を零しそうになっていた。 「泣いちゃ駄目だよ? 男の子だろ?」 「うぐ…っ」 「も、諸羽、テメエ!」 そんな龍麻に真っ先に近づいて身体を屈め、同じ目線からそう声を掛けたのは京一の弟分である霧島諸羽だ。そのあまりの素早さと抜け目のなさに思わず劉への攻撃に目を向けていた京一やその他大勢は「しまった」と歯軋りしたのだが、ともかくはその霧島の「優しい声と態度」で、龍麻も「うぐ」と泣き出すのを踏みとどまった。 「つまり?」 そうしてその場が再び膠着状態になったのを見計らい、御門が不快な顔をして裏密を睨み据えた。 「貴方のくだらぬ呪術とやらのせいで龍麻さんはこのような姿になったというわけですね」 「くだらなくなんか〜ないもん〜。貴方嫌い〜」 「私はもっと嫌いですよ」 「おいおい、こんな時にくだらねェ喧嘩すんじゃねえよ」 仲裁に入ったのは村雨だ。その村雨はどことなくこの状況を一人楽しんでいるような節も見られたが、ともかくは龍麻が何故こうなったのかを知るのが先だと、御門を黙らせた後、裏密を見る。 それで裏密は再び手にしていた小瓶を掲げると、にたりと笑って言った。 「あのね〜。ひーちゃんにこれ飲ませたら〜。ちっちゃくなっっちゃったの〜」 「結局お前のせいじゃねえかッ!」 「京一先輩落ち着いて下さい」 「これが落ち着いていられるかッ! つか諸羽! テメエ、何さり気なくひーちゃんの手ェ握ってんだよ! 離せッ」 「そうよ霧島君! さやかも小さい龍麻さんの事抱っこしたいわ」 「舞園さん、そうじゃないだろッ! あーもう! 皆一旦離れて!」 いつの間にかじわじわと全員が小さな龍麻ににじりよろうとしているのに気づき、最近声高に「ひーちゃんを護る会会長」を自認している桜井小蒔が大声を上げた。 「裏密サンッ!」 そうして改めて事件の首謀者を見据えると、むうと真剣な表情と口調とで問い質した。 「それで。ひーちゃんはどうやったら元に戻るの? 戻るんだよねッ!?」 「たぶん〜」 「多分!? それどういう事!?」 「ん〜。前も〜、これと同じような実験した時〜。ひーちゃん、知らない間に戻ってたから〜」 「ええッ!? ひーちゃん、前にもこんなんなった事あったの!?」 これには大勢が驚いた顔を見せたが、一方で御門だけが眉をひそめ「あの時か」と呟いた。 それに裏密も続いて頷く。 「そうそう〜。御門主SSの『子守り』の時ね〜キシシシシ…。あの時はこれよりもうちょっと大きかったけどね〜。実験に協力してくれてたひーちゃんが〜突然消えちゃってびっくりしたけど〜。貴方の所に逃げていたのね〜」 「そうですよ。きっとロクでもない呪術師に命の危険を感じたのでしょうね。ですがあの時は一晩で元に戻りましたが?」 「あの時は弱い薬を使ってたからね〜」 「ちょっと待て待てお前らッ! 2人だけで分かる話してんじゃねー!」 裏密と御門の話を遮るようにして叫んだのは京一だ。もう我慢ならないと言う風に顔を赤くし、他の人間にも龍麻に近づくなという殺気を放ちながら「つまりだ!」とまとめるように言う。 「ひーちゃんは裏密の訳分かんねェ実験とやらでこんなガキになっちまった。けど、それは前にもあった事で、ひーちゃんは一日で元に戻る。そうなんだな?」 「分からない〜。以前のとは違う配合だから、ちょっと研究しないと〜」 「……その研究とやらはどのくらいで終わるんだよ」 「分からない〜。だから〜。その間、誰かひーちゃんの面倒見てて〜」 裏密のその何気ない一言に、その場にいた全員が石化した。 仲間たちのそのリアクションをとうに予想していたであろう裏密は、皆の反応にすっかり満足したように再びにたりと不気味な笑みを浮かべながら、そっと傍に立つ龍麻に声を落とした。 「ひーちゃん〜。ミサお姉ちゃんね〜。御用出来ちゃったの〜」 「ごよう…?」 「そう〜キシシ。だから〜。その間、ここにいるお兄ちゃんかお姉ちゃんに遊んでもらってて〜」 「ひーちゃんは俺が見る!」 「ふざけんな京一! ボク! ボクだよ、ひーちゃんを見るのは!」 「京一君、小蒔、落ち着いて。これはどう考えても私の役目だと思うの」 「い、幾ら美里の言葉でもそれはきけん…! こ、こんな状態の龍麻を俺以外の誰にも渡せるものか…!」 真神の4人衆が一斉に龍麻の保育係を名乗り、実に醜い争いを始める。 しかしそれは勿論、その4人に留まらなかった。 「ちょっと待って下さいよ先輩方。いつもいつも龍麻先輩は皆さんと一緒に行動されてるんですから、たまには僕に任せて頂けませんか? 僕、小さい子どもの相手には慣れてますから」 「ずるい霧島君! それならさやかも!」 「駄目やー! アニキはわいが見るー!」 「面白そうだな、こんな先生を放っておけるわけがねえ。ここは一つ、賭けで決めようぜ」 「ふざけるのはその顔だけになさい村雨」 「村雨さん。如何な貴方でも僕も引く気はありません」 「……そういう壬生。お前こそまさか龍麻は自分が見るなんて言うんじゃないだろうな?」 年下組も紫龍組も穏やかではないオーラを放っている。 のどかで平和なはずの中央公園が、その一角だけ異様にどす黒いオーラで満ち始めているのを普通の人々までもが感じ取って猛ダッシュで逃げ去って行く。 そんな中、裏密だけは他人事のようににたにたと笑い、それを見物。 「……ミサおねえちゃん」 ―が、その険悪な空気をぶち破ったのは問題の中心にいるちびっこ龍麻だった。 くいくいと裏密の黒フードを必死に引っ張り、自分よりも背の高い「大人」たちの殺気立った雰囲気に蒼白になりつつ、ちび龍麻は口を開いた。 「あのね…ごようあっても、だいじょうぶだよ? ぼく、ひとりでまてるから」 「ひ、ひーちゃん…」 「そんなにちっちゃい頃から聞き分けのイイ子だったんだね…【涙】」 「うふふ…龍麻、可愛過ぎるわ…」 「龍麻…何て健気な…」 相変わらず龍麻の事に関して反応の素早い真神組である。遠慮がちにそんな言葉を紡いだ龍麻に感動した様子を示し、「そんな龍麻はやっぱり自分が見る」とまたぞろ騒々しく騒ぎ始めた。…つまりは、そのせいで結局収拾のつかない状況のままなのだが。 「ひーちゃん〜」 そんな不毛な言い合いを一体どれほど聞いていたのだろうか。 やがて裏密が「やれやれ」と言わんばかりのため息をつき、傍でオロオロとする幼い龍麻に声を掛けた(因みに自分が原因のくせに裏密が何故こうも偉そうなのかという事を、この時は誰も咎めなかった)。 「1人でいるのはね〜。危ないからね〜。誰かといなきゃ駄目〜。だから〜。誰か1人選んで〜」 「ひ、ひーちゃんに選ばせるのかよッ」 「そりゃ〜そうだよ〜。ひ〜ちゃんのことだもん〜」 京一の驚いたような言葉に裏密が当然だという風に深く頷く。 「ひとり、だけなの?」 これには龍麻もますますどうしようという顔を見せた。利発なちび龍麻は、この状況下に置いてたった一人だけを選ぶというのがどれほど罪かという事を察知しているらしい。困ったようにまた泣き出しそうな目を見せ、縋るように裏密のフードを掴む。 「甘えちゃ駄目〜」 しかし非情の鬼、黒い魔女はそんな龍麻の所作を戒めるようにバッと己のフードを翻し、龍麻の小さな手を振り解いた。 そうして、ぐるぐる眼鏡の奥でキラリと細い眼を閃かせながら、彼女は龍麻にまるで死刑宣告のような口調で言い放った。 「さあひーちゃん〜。選びなさい〜。ミサちゃんがお留守の間、誰と一緒にいるの〜?」 「う、うう…」 ちび龍麻はじりと後ずさりをしながら小さな唇をきゅっと引き結んだ。 目の前にはとても純真な高校生とは言い難い、妙に殺気立った人間たちが並び、自分を指名しろと言わんばかりの顔で見つめてきている。 「ひぅ……」 どうしようと小さく呟いて、ちび龍麻は青い顔をますます青くしてその場で硬直した。 |
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