第2話 これでも戦いの時は団結するよ。



「うふふ。龍麻、ほら、美味しそうなホットケーキが焼けたわよ」
「ぶるぶる…」
「あらどうしたの龍麻、そんなに震えて…。寒いの?」
「おねえちゃん…こわい……」
「あら。うふふふ……さすが龍麻ね。何だか高校生の時よりも鋭くなってるみたい。幼い分、防衛本能が強いのかしらね?」


  場所は新宿中央公園から龍麻のアパートへ、そして時間もあれから1時間が経っている。
  龍麻が裏密から「誰か1人選べ」と言われ、已む無く指差した相手は美里葵だった。皆は美里が菩薩眼の知られざる《力》を使って龍麻を操作したのだろうと一時騒然となったが、龍麻は自らの意思で美里を選んだのだ。

「龍麻。どうして私を選んでくれたの?」

  美里自身、らしくもなく龍麻が真っ先に自分を指名するとは思わなかったらしい。美里は憮然とする皆が同じように疑問に思っている事を自らもそのまま率直に口にしたのだが、それに対して口を開いた龍麻の回答はこうだった。

  おねえちゃんが、このなかでいちばん…つよいから………。

「龍麻」

  小さな龍麻の為に焼いたホットケーキに生クリームとシロップをたっぷりかけてやりながら、美里は公園でそう言われた時の事を思い出し目を細めた。

「どうして1番強い人を選ぼうと思ったの?」
「……よわいひとをえらぶと、つよいひとがおこったとき、こわいから」
「怖い?」
「うん」

  未だびくびくとして正座をしたままのちび龍麻は恐る恐るという風に美里を見上げながらそう答えた。やはり幼くとも聡明なのだ。その眼には高校生の時と変わらぬ知性が宿っており、美里の気持ちはこの小さな姿に失望するどころか、より一層ドロドロとした欲望に火がついて抑えの利かない状態になっていた。

「あのね…。おねえちゃん、えらばれなかったら、えらんだひとをやっつけるっておもってたでしょ」
「私が?」
「うん。こころのなかで」
「……そうだったかしら」
「うん。ほかのおにいちゃんや、おねえちゃんたちも…ちょっと、おもってたけど。おねえちゃんの《ほのお》がいちばんおっきかったから。だから、ぼく、こわかったの」
「ふ……そう」

  まだ小学校にも上がっていないだろう年齢なのに、不憫になるくらいあの短い時間で色々考えたのだなと美里は背中をゾクゾクさせながら唇の端を上げた。
  思えば龍麻は幼い頃の話をせがんでもちっとも聞かせてはくれない。他の人間には黙しても自分にだけは話して欲しいのに、龍麻はいつでも曖昧に笑って誤魔化してしまう。それが美里には悲しくもあり、苛立たしくもあった。
  自分はいつでもこんなに龍麻の事を想っているというのに。

「そう考えると…小さな龍麻は、まだお喋りな方かしらね」
「あ……おしゃべり、きらい?」
「え? ……いいえ、大好きよ。今日は1日私と一緒だもの。たくさん聞かせてね、龍麻のこと」
「ぼくのこと?」
「そうよ」

  不思議そうな顔をして首をかしげる龍麻を愛しそうに見つめ、美里は極上の笑みを浮かべた。それからそっと龍麻の柔らかい頬に右手を添え、さらりと何度となく撫でてやる。いつもなら決してやらせてもらえないその行為―今の龍麻も決して好んでそれを認めているわけではないようだが―に胸が躍る。美里を怖いと言ったのは心からの想いなのだろう、びくびくとして我慢するようにぎゅっと固く目を閉じている姿は可哀想だけれど、でもそんなところがまたとても可愛いと感じた。
  ただ、美里のその幸せもそう長くは続かなかったのだが。

「ひーちゃんッ! 目を瞑って!!」

  突然窓のあるベランダの方向から切羽詰まったような声が聞こえてきた。と、同時、ガシャンと窓ガラスの割れる音、ピカリと輝く眩い白い光が部屋中を照らして一瞬全ての視界が遮断された。

「小蒔!?」

  これは閃光弾だ。
  矢のような勢いで迫ってきたそれは聞き覚えのある親友の声と共にやってきて、一瞬の隙を突かれた美里と龍麻の動きを封じた。また同時に、今度は玄関の方向から虎のような咆哮が聞こえ、2重にロックしていたはずのドアが勢いよく蹴破られる音、先刻の光とはまた違う煙幕のようなものが放り投げられたのも分かった。

「龍麻ッ! 助けに来たぞーッ!」

  命賭けの様相でそう迫ってきたのは間違いなく醍醐雄矢だ。何という事、2人は連携プレイで窓と表玄関から同時の攻撃を仕掛け、龍麻の奪還を試みてきたのだ。いつもならこんな事はしない。よほどこの小さな龍麻を自分のものにしたかったのか。

「往生際の悪い真似は止めて、2人とも。龍麻は私を選んだのよ」

  未だ光のせいで視界が不明瞭の美里は、それでもすっくと立ち上がると龍麻の手を握り締めたままいつも以上の《力》を放出させた。

「ジハード!」

  親友だろうと共に戦う仲間だろうと、龍麻の事になると容赦のない菩薩様である。

「きゃああッ!」
「ぐああッ!」

  いつの間にかすぐ近くにまで攻撃の手を進めてきていた2人は、しかしその美里の一撃によってもろくも撃退され、その場に勢い良くもんどり打って倒れた。それと共に、双方が投げてきた閃光と煙幕の威力も徐々に弱まっていく。

「全く呆れるわ。こんな事をするなんて」

  美里はふうとため息をつき、一瞬のうちにボロボロになってしまった龍麻の部屋を見渡した(ほぼ9割美里の攻撃のせい)。

「うう…だって葵だけずるいよ…」
「そ、そうだぞ美里…。いつだって龍麻は俺たちの龍麻だろう…?」
「駄目よ。今日は龍麻は私と一緒にいるって言ったんですもの。ねえ、龍―」

  けれど美里がそう言って自らの手の先にいるだろう相手に視線を落とした時だった。

「―……」

  その事実に美里は思わず声を失った。

「え!? ひ、ひーちゃん…は!?」
「龍麻!?」

  美里の一拍後にその事態に気づいた小蒔と醍醐も驚いて目を見張る。

「龍麻……」

  美里が龍麻の手だと信じて疑わずに握っていたものは、小さな龍麻を模した人形。この精巧さ、しかしところどころにあるつぎはぎ人形からして、裏密が作ったものだろうか?
  いずれにしろ、龍麻の姿は部屋からすっかり消え去ってしまっていた。

「ひ、ひーちゃん何処いっちゃったのー? ねえ葵ー!?」
「た、龍麻、龍麻ー! も、もしや今の美里の攻撃でケシズミにー!?」
「そんなわけはないでしょう」
「うぎゃあっ」
「醍醐クンッ」

  イライラとした美里に再度軽い一撃を喰らって倒れ込む醍醐。
  しかしそんな仲間を一瞥する事もなく、美里は俯き無表情のままでぼそりと呟いた。

「……何てこと。龍麻が攫われたわ」





  訳も分からず強引に手を引かれたまま一生懸命に走らされて、龍麻はハアハアと息せき切りながらも目の前の相手を必死に見つめやった。
  その背中には何となく覚えがある。懐かしい匂いもする。
  けれどこの「お兄ちゃん」が何故自分にこんな真似をするのか、よく分からない。

「お、おにぃ、ちゃん…ッ」

  遂に堪らなくなり、龍麻は悲鳴のようなか細い声を上げた。

「……ッ」

  効果は思った以上に絶大だった。
  一体どこだろう。よく分からない場所(街の大通り)を一気に突っ切って、いつの間にかどこやらの森の中を必死に走らされていた。相手は龍麻よりも段違いに背が高いから、走る歩幅にも絶対的な差があるのに。
  それでも必死に走っていた龍麻だが、遂に耐え切れずに声を上げた先―。
  その相手はようやくぴたりと止まったのだ。龍麻に「お兄ちゃん」と呼ばれた事によって。

「ひ、ひー…ちゃん…」

  くるりと振り返ったその男は、明るい茶系の髪に木刀を持っている。

「おにいちゃん…」

  どうしてそんな顔をするのだろうと不思議だったけれど、龍麻は泣きそうになるのを必死に堪えながら小さく訊いた。

「どこいくの…? みさとおねえちゃんは…」
「あの悪魔の所には帰らなくていいッ」
「でも」
「ひーちゃんはあの悪魔の恐ろしさを知らねーんだよ! ちっさくなっちまったから! いや、でかい時でも普通に天然で気づいてないようなドン臭さはあったが…! けど! こうなっちまった以上、ひーちゃんは俺が護るぜ! この蓬莱寺京一がな!」
「きょお…いち?」
「そうだぜひーちゃん! お前の相棒だよ! 覚えてねーのか!?」

  膝を折って龍麻と目線をあわせた「京一」は、京一こそが泣きそうな顔になりながらがくがくと小さな龍麻の両肩を揺すった。そのあまりに必死な様子にちび龍麻も尋常ではない状況を感じ取ってひくっと再び嗚咽を漏らしそうになった。どうしてだか分からないが、自分のせいでこの「京一」は悲しそうなのだと敏感に察知したのだ。

「ご、ごめ…なさい…」
「なっ!? ひ、ひーちゃんが…謝る必要は、ないんだけど、よ…」

  ちび龍のリアクションに思い切りたじろいだ京一は慌てて強く掴んでいた手を離し、オロオロとしたように所在無く視線を泳がせた。
  それでも逃げてきた事に危機感も抱いているのだろう。すぐに立ち上がると「どっか隠れねェと…」と憔悴したように声を漏らす。
  それで龍麻もまたますます不安な気持ちがした。

「かくれるの?」
「ああ…。あの悪魔とその僕になり下がった連中が今にも俺らを追ってきそうだからな…。けどこの状況下じゃ…全ての仲間が敵だ。誰一人信用できねえ、匿ってもらえる所もない」
「……ぼく、かえる」
「だ、駄目だって! だから、あの悪魔のトコは駄目だって!」
「で、でも…」
「ひーちゃん! 大体、何で1人選べって言われた時、よりにもよって美里なんか選ぶんだよ!? 理由にだって納得いかねー! そ、そりゃアイツはおっとろしい力を時々発揮するがよ…。何にしたって、本気で戦ったら俺に勝てる奴はいねえだろ!? 1番強い奴選ぶなら俺だろーがよ!?」
「……あのおねえちゃんのほうがこわい」
「そりゃ…」

  そうだが…ともごもごと口篭った京一は、それでも再び身体を屈めて龍麻の小さな顔を覗きこむと、言い聞かせるように言った。

「でも駄目だ。お前は元の姿に戻るまで俺といろ。な? それが一番安全なんだからよ」
「でも…」
「何だよ! お前は俺がそんっなに嫌いだったのか!? え、龍麻!?」
「ひっ……」
「あ! わ、悪ィ…」

  怯えた龍麻に思い切り狼狽し、京一は再び小さな龍麻への拘束を解いた……が、それでもやはり納得はいかないのか、ぽつりと言う。

「俺のこと…龍麻は、嫌いか?」
「ううん…」
「じゃ何で俺といるのを迷う?」
「おにいちゃん…あぶないめ、あっちゃうから」
「え」
「ぼくといると」
「……っ」
「それ、それはね、だめなの。いや、だから」

  龍麻はうるうると目を潤ませながら切に訴えるようにそう声を絞り出した。幼い頃から化け物の子と忌み嫌われていたトラウマか、龍麻は人一倍気遣い屋で遠慮深い子どもだった。

「可愛いぃ〜!!」

  けれど龍麻のそんな気持ちは京一には逆効果だったようだ。

「んぎゅっ」

  思い切り小さな身体を抱きすくめられて、ちび龍麻はあっという間に酸欠状態に陥った。

「ひーちゃん! 何てッ! 何て思いやりのあるいー子なんだ、お前はあっ! ちっせえガキなんてとんでもねえと思ってたけど、やっぱひーちゃんだあ! めちゃくちゃ可愛い、やべえもうどうしよー俺ーッ!」
「きょお……おにいちゃ……くるし」
「ひいいぃッ。その声もまた可愛いー。悶え死ぬ! そうか、これか!? これがあの《萌え》ってヤツなのかぁッ!?」
「んんっ」

  更にぎゅうぎゅうと抱き潰されるように両腕に力を込められ、いよいよちび龍麻は目をくるくると回して何も抵抗できなくなってしまった。京一の抱擁は怖くはないけれど、それでもこれはやり過ぎだ。痛くて苦しくて龍麻はあっぷあっぷと息を継げない状況下でじわりと再び涙を零しそうになってしまった。

「ぎゃ!」

  しかしそんな窮地も実際のところはものの1分も経ってはいなかった。

「あ!」

  京一お兄ちゃん…と。
  龍麻が驚いてその名を呼んだ時には、その憐れな京一お兄ちゃんは短い断末魔を残してその場に倒れ伏していた。
  京一はうつ伏せで地面と睨めっこをした格好で気絶していた。

「こんな小さな龍麻に何をしてくれるんだろうね、この人」
「……おにいちゃん、だれ?」
「紅葉だよ。龍麻」
「くれは?」

  龍麻も見た事のある拳法の構えをさっと下げた壬生は―どうやらその蹴りで京一を背後からKOしたらしい―両腕を下げるとふっと笑って丁寧な自己紹介をした。

「そうだよ。壬生紅葉。龍麻のこと、迎えに来たよ」
「あの…きょおいちおにいちゃんは」
「放っておけばいいよ」
「………」
「龍麻」

  何も言わない龍麻に壬生は一瞬だけ困った顔をしたものの、すぐに近づくとさっとその小さな身体を抱き上げた。

「あ」

  それに龍麻が驚いて声を上げると、壬生はこの上もなく綺麗な微笑を浮かべて言った。

「いいんだよ。龍麻は小さいんだから気を遣っちゃ駄目だよ。1番安心出来る所に連れて行ってあげる」
「でも…でも…っ」
「いい子だね、龍麻」

  それでも壬生は龍麻の京一を心配する視線を完全に無視した。
  ゆっくりとした足取りながらもさっさとその場を去る壬生に、迷いというものは微塵も存在していなかった。



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