第8話 学校に来た!!



  東京・新宿。真神学園―。

「さあて、ついたで、龍麻」
「………」

  晴れ晴れとした顔をしてそう言う劉の声を聞きながら、ちび龍は不思議な気持ちを抱きながらその学園の校舎を見上げた。


  校舎内はとても静かだった。


「今日は日曜やからな。またあの裏密はんが怪しげな呪も掛けとるみたいやし。まあ普通の人間はこん中には入れんわな」

  ちび龍の手を引きながら劉はのんびりとそんな事を言い、それでも昇降口から1階の廊下を、そして2階へと続く階段をとんとんと歩き続けた。
  龍麻の事を「大事な家族だ」と言った劉は、ちびになったせいで記憶を失った龍麻に、「元に戻る為に」とここへ連れて来た。龍麻自身こうなってしまった経緯は不明だが、少なくともあの黒フードの女性「裏密ミサ」が自分をこんな不安定な状態にした事だけは何となく分かっていたので、ここへ向かう事も納得していた。
  ここ…つまり龍麻の記憶の始まりである真神学園―。

「…でもミサおねえちゃん、おこらないかな…?」

  不安そうな龍麻に劉は笑顔を向けながら首をかしげた。

「龍麻は何でそう思うんや」
「ごようがすむまで、きちゃだめって」
「けど、手掛かり言うか、龍麻を元に戻せるんはあの人だけやろ? だったら、調べる言うてた事がどこまで進んどるんか訊いておかんとなぁ」
「……うん」
「ま、龍麻は心配せんでええ。わいに任せておき!」

  劉はからからと笑いながら龍麻を握る手にそっと力を込めた。

「うん…」

  だから龍麻も素直に頷き、縋るように劉の手を握り返した。劉といれば大丈夫。きっと安心で、何とかしてくれるだろうと思えた。

「お前等」

  しかしそうして2人が裏密がいるであろう霊研へと向かっていた時だ。
  背後から突然低い声が投げ掛けられた。

「部外者は立ち入り禁止だぞ」
「へ……ああ、アンタ。確か」

  足を止めて振り返った劉が自分達を呼び止めた相手に見知った様子を示した。ちび龍は不安そうにそんな劉を見上げ、それから目の前に現れた人物をそっと見やった。

「おおかみ……?」

  龍麻が何となく呟いたその声に、相手―この学園の生物教師である犬神―はぴくりと眉を吊り上げた。それから劉の方へと視線を戻し、心底迷惑そうな声を上げる。

「お前は蓬莱寺達の仲間だったな。出入りはせいぜい隣の校舎までにしておけ」
「ああ…センセイ、そうしたいんは山々なんやけど。けどなぁ」

  劉は犬神が苦手なのだろうか。困ったような焦ったような顔をして所在なげに視線をうろつかせた後、仕方がないという風に隣にいるちび龍に目を落とした。

「原因はこのお人や。なぁ、このセンセイに名前教えたり」
「ぼくの?」
「そや」
「ぼ、ぼく……ひゆう、たつま。……です」
「……緋勇だと?」

  当然の事ながら犬神は思い切り不審の顔を向け、それからようやっと事態を飲み込んだという風に深いため息をついた。

「つまりはアレか? また裏密の奴がおかしな真似をしたという事だな」
「さすがセンセイや。飲み込みが早くて助かりますわ」
「アイツならいないぞ」
「……へ」

  あっさりと返す犬神に劉が虚を突かれたようにポカンとして動きを止めた。
  ちび龍も隣でひたすら劉と犬神の顔を交互に見やる。

「校舎内であまりに不穏な呪を掛けるもんでな…。俺以外の先生方は皆眠っちまったし、何より部活動でやってきた生徒も近寄れないと来てる。だから注意してやろうと思ってたんだが―…先を越された」
「んん…?」
「お前等の仲間が連れて行ったぞ」
「へ? 裏密はんを…?」
「そうだ」
「ま、まさか…」

  劉はやや頬をひきつらせながら、俄かには犬神の言う事を信じられないという風に首を左右に振った。…劉の驚きはもっともだろう。確かに龍麻の仲間たちは皆精鋭揃い、全員で掛かれば裏密1人捕獲するのは容易いだろうが……。

「あの魔女を全員で…となると、皆はんもう相当に殺気立ってるって事かいな…」
「全員じゃなかったけどな。まぁせいぜい5〜6人ってところだ。緋勇がどこにいるか教えろとさんざん詰め寄っていたが…この分じゃあ、その…その子どもの緋勇か? それを連れているお前も相当危険だぞ」
「セ、センセイ、ほんま脅しっこなしやで」

  劉はそれには苦笑しただけで然程態度を変える事はなかったが、それでもこの数時間でちび龍争奪戦を繰り広げていた仲間たちが現在かなり「切羽詰まった」状態にある事だけは理解できたようだ。「どうしたもんか」と独りごちた後、もう一度龍麻の顔を立ったままで見下ろしてみる。

「龍麻はほんまに皆のアイドルなんやなあ」
「……こわいこと、おきる?」
「ん? ああ、起きんよ。大〜丈夫やって。少なくともこんな可愛い龍麻に怖い事する見境なしはおらんよってな」
「そう言い切れるのか」
「センセイ、龍麻脅すのやめてや。……ま、まあ、確かに我をなくしてるお方は何人かおるかもしれんけど」

  そもそも、と劉は口を開いて犬神を頼るように見やった。

「アニキが元の姿に戻れれば万事問題は解決なんや。せやから元凶の裏密はんを訪ねてきたんやけど…こうなったらセンセイでもええわ! アニキ元に戻す方法、教えてくれへんかなぁ?」
「俺に訊くな。こんなけったいな呪いは知らん」
「…やっぱりこれって呪いなんや?」

  はあ参ったなあと頭を掻く劉に、黙っていたちび龍は申し訳なさそうに顔を曇らせた。

「めいわく? ぼく、いなくなる?」
「は…? もーう、だから龍麻はそうやって気ィ遣ってバカな事言うのやめや! 心配せんくとも、わいが必ず―…」

  けれど劉が龍麻に慰めの言葉を掛けている途中。

「な…何やぁ…!?」

  突然、激しい震動と爆裂音、廊下側の窓がびりびりと震え、天井から埃がパラパラと待ってきて、ちび龍もバランスを崩して捕まっていた劉にもたれかかった。

「ひっ」
「龍麻、大丈夫か!?」

  声を掛けながら、しかし劉は轟音のした外へと意識を向けた。大地震が起きたかのようだ。頑丈なはずの校舎は揺れ、地下で眠っていた異形達が騒ぎ出したのか、不気味な怒声のようなものまで聞こえてくる。

「ああ、言い忘れたが」

  しかしその「声」は決して異形のものではなかった。
  いやにのんびりとした声で犬神が言った。

「裏密が連中に連れ出されたのはほんの数分前だ。あいつらも相当キてたが、実験を邪魔された裏密は裏密でかなりキレたようでな。さっきから外で激しい仲間割れをしてやがる」
「そ、それを先に言ってやーッ!!」

  悲鳴のように声を荒げる劉に、しかし犬神は冷静そのものだ。

「迷惑を被っているのはこっちの方だ。これ以上ここらの氣が乱れる事は俺も看過出来んぞ。……緋勇」
「え……はい」

  いきなり視線を向けられたちび龍はぎょっとしたものの、しかし反射的に返答した。
  その様子に犬神はニヤリと笑う。小さくても礼儀の良さは相変わらずだと嬉しくなったのか。
  因みにちび龍の方は、犬神の事が人間というよりは「おっきなおおかみさん」にしか見えないので、その姿が不思議で仕方がなかったりする。

「緋勇」

  けれどその「おおかみさん」に何故か龍麻は逆らえない。自分を呼ぶ相手を真摯な顔で見つめ返した。

「あいつらはお前の言う事なら聞く。言って騒ぎを止めて来い」
「さわぎを…?」
「センセイ、何言うてるん!? あんなバカ騒ぎを…無茶言わんといてや!」
「じゃあお前が止めてくるか?」
「絶対嫌やわ、こんなトコ見られたらまた妙な誤解されるし!」
「ならやはり緋勇が行くしかないな」
「アニキはまだ子どもなんやで! ほんま人でなしやなアンタ!」
「人じゃないからな」
「わ、わいにそんなしょーもない切り替えしが通用すると思てんのかいっ」

  何やらぎゃいのぎゃいのと言い合いを始めた2人(しかし主に騒いでいるのは劉なのだが)に、ちび龍は妙に逸る気持ちがしてそっとその場を抜け出した。
  劉が心配してくれる気持ちは嬉しかったけれど、もし外でやっているらしいという何らかの「争い」が自分のせいならば、それは止めなければと思ったのだ。
  校舎のすぐ外ではまだ恐ろしい破壊音が聞こえる。校舎内も依然ぐらぐらと揺れている。
  恐ろしかった。
  けれど、それ以上に酷く胸が騒ぐ。
  血が、騒いだのかもしれない。

「あっ…!」

  けれど今までで一番の揺れと共に、龍麻は急がせていた足をもつれさせ、下りかけていた階段の手前で体勢をもろに崩した。

「……ッ!」

  ふわりと身体が浮いたようになり、そのまま階下へ真っ逆さまに落下していくのが分かった。
  きっと痛いのだろう事が分かった。

「……!! ………。………?」

  けれ覚悟していた痛みは一向にやって来なかった。

「龍麻」

  それどころか不意に自分の身体を支えてくれたその温もりは、何やらとても懐かしい声色と共に龍麻に絶対の安心感を与えてくれた。
  龍麻、と。
  そう呼んだ声はとても怖いものだったのだけれど。

「あ……」
「ほんの少し目を離すとこれだ。外の騒ぎにも呆れるが…君にも責任はあるよ。お人好しが過ぎるから、こんなおかしな事に巻き込まれるんだろう?」
「………」
「聞いてるのかい、龍麻」
「……うん」

  こくりとちび龍は頷き、自分に厳しい目を向けている相手をまじまじと見やった。
  そしてすぐに分かった。
  ああ、あの月餅を見た時、思い出しそうだった「こわい人」とは、この人だ。
  会った事がある。

「うん。…―ひすい」

  ちび龍は己でするりと出したその名前にますます確信を強め、その腕にはっしとすがった。
  そうして言った。

「翡翠……むかえにきてくれたの?」


  以下次号。



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決して如主エンドにするつもりは…。